御宅訪問
桜子の爆弾発言から五分。
「……」
「……」
「嫌ならこの件からは手を引かせていただきます」
「わあっ、待って待って! 待って下さい!! そういう意味ではなくて! あ~…………えっと、訳を聞いてもいいですか」
くるりと踵を返した桜子を春火が慌てて追いかける。
にっこりと笑って桜子が振り向いた。なんか釈然としない。
自分は間違った反応はしていないはず。春火は桜子に強くそう言いたかった。
驚くのは当然だろう。昨日知り合ったばかりなのだ。
自分は家に桜子を招きはしたが、家に泊まるとなったらそれは別だ。
「あのねえ、君何度も死にかけてるのよ? 今日中に解決は難しそうだし。家の中で襲われるんでしょ? だったら家を出るしかないじゃない」
「でも、外も不味いんですよね?」
「そうよ? だからあたしんちに来なさいって言ってるのよ。あたしんちなら安全だしね。それとも、家で過ごす? 野宿する? どっちにしろ、あんなに殺気立ってる子と一緒だと今日が命日になるかもよ」
「ちょっと! 縁起でもないことを言わないでくださいよ!」
「だってホントのことだもん」
そりゃそうですけども!!
勿論野宿するなんて嫌ですけども!!
桜子の家が安全だということに激しくひっかかりを感じる。
女の子のことはともかく――桜子の言うことを信じていないのではなく、なんというか、別の意味で身の危険を感じる……というか。
生娘か、俺は。脱力しそうになる。
「うふ」とにんまり笑う桜子から春火は逃げ出したくなった。
蛇に睨まれた蛙状態は未だに続いてたりするのだ。
「それにちょっと確かめたいこともあるし?」
桜子がにやりと人の悪い笑みを見せた。
何か企んでる顔だ。
「……普通に笑って下さい。美人なのにもったいない」
つい出てしまった本音に桜子が目を丸くした。
「え? 美人? あたしって綺麗? ほ――、そーなのか、ふ~ん」
何気なく口にしただけだったが、桜子は嬉しそうだ。てっきり言われ慣れてると思っていただけに意外だった。しかし、
どこかで聞いたことのある常套句だと思うのは、気のせいだろうか。
照れることもせず、パアと花が咲いたような笑顔で素直に喜ぶ桜子は素直に可愛いと思えた。
中学がアレだったので、春火にとって桜子のような女子は新鮮だった。
「ほら、見惚れてないで、支度する!!」
「見惚れてませんって、それより、やっぱり行くんですか……」
「身を守るためよ。我慢しなさい。あたしんちなら学校に近いし、護衛もかねて念のため明日は一緒に登校しよう」
「えっ!? 学校も!?」
「……何よ、嫌なの?」
桜子の目が細められた。それを見て春火が慌てて弁解する。
「嫌っていうか、むしろ先輩がいいんですか? 俺悪目立ちしてますし……一緒に登校したら、多分色々言われますよ?」
嫌というより、むしろ申し訳ない気持ちが大きい。
「気にしないわよ。でも御堂くん結構気にしてたんだね」
「そりゃ気にしますよ。だから先輩、俺を助けてくれるのは嬉しいんですけど、俺のとばっちりを受けることはないと思いますよ」
虐めは受けてないが、好意的な態度をとられることはほとんどない。
そんな自分と一緒にいれば何か言われるかもしれない。
見返りがないのだからそこまでする必要はないように思えた。
だが、桜子は違った。
「君を助けるっていう目的もあるけど、それだけじゃないよ。言ったでしょ? 君みたいな綺麗なオーラを持った子は好きだって。滅多に会えるもんじゃないから珍しいんだ。前から話もしてみたいと思ってたしね。迷惑だなんて思ってないから、遠慮する必要なし!」
眩しい笑顔に春火は完全に落ちた。
この笑顔に逆らえる奴がいるんなら見てみたい――そう思った。
◆◆◆
「あたしの家ってここから結構離れてるからバスを利用しよう」
「どのへんですか?」
「ん――……住所言ってもどこかは分かんないよね? 大雑把にいうと祇園かな。昨日君と出会った公園から歩いて行ける距離よ。ていうか、歩くしかないのよね――。この時期観光客多いから。まあ、ちょ~っと山道上んなきゃならないけど」
そんな訳で、バス停へと向かう。春火の家から近いバス停からはそれほど苦労せず席につけた。だが、目的の祇園に近付くにつれ、どんどん乗車客が多くなり、それに比例して春火と桜子へと向けられる視線も増えていく。
まるでこれから遠足に行くかのようにウキウキしている桜子とは対照的に春火は縮こまっていった。
早く着かないかな。春火はげっそりとした。
「……そんなに緊張すること?」
「そりゃそうでしょう……」
「別に取って食おうってわけじゃなんだから。小さいときに友達の家に泊まりに行ったりとかあったでしょ? それと同じよ」
「いえ、ありませんでした」
「え!? ないの? 友達と一緒に泊まってワイワイ騒ぐのって楽しいよ~」
「修学旅行なら経験ありますけど、ないですね」
父がうるさいから。
小さい頃は、春火は友達はいても家の事情で――主に父の都合で友達の家に泊まることはなかった。勿論自分の家に友達が泊まる、なんてこともなかった。
初めて泊まるのが友達の家はでなく、昨日知り合ったばかりの少女の家なのだ。緊張してしまうのは仕方のないことだろう。ついでに、『男友達の家に泊まりにいく』と書いた書置きに父が大人しく騙されてくれるかどうか、ということにも緊張していた。
ばれた後が怖い。父にばれないことを願った。
そんな春火の心情に全く気付くこともなく、桜子は楽しそうにしている。
桜子を頼ると決めたのは春火自身だし、桜子が春火を心配したからというのもあるだろうが、それでも昨日知り合ったばかりの、よりにもよって男を自分の家にこうも簡単に泊まらせることができるものだろうか。
春火にとって女という生き物が、恐ろしい生き物から未知の生き物へと変わりつつあった。
そういえば、家といってもご家族はいるのだろうか。全く聞いてない。もしいなかったら二人きりだ。流石にそれはまずい。
勝手に妄想して、喜んでいいのか、悲しんでいいのか……ぐるぐると春火は頭を迷走させた。
「あ、うち親いるし、兄妹もいるけど。まあ、気にしないで」
「……そうですか」
ほっと胸を撫で下ろした。
そんな感じで、バスで揺られること三十分。
春火と桜子は人でごった返しになっている祇園でバスを降りた。
「ここからどっちに向かうんです?」
「ん、とりあえず、あたしと会った公園に向かおうか」
二人揃って人混みの中を進んでいく。距離だけならそこまでないのだが、日曜ということでどこも人であふれている。進むのにかなり時間がかかってしまった。
「公園を抜けるよ――」
公園を抜けると、カフェなどに利用されている登録有形文化財が見え、そこを抜けて道を上がっていくと、京都らしい家がぽつぽつと見え始める。一見さんお断り、といった感じの店や、旅館がずらりと並んでいた。
「え、坂本竜馬の墓!?」
「こらこら、目的を忘れないの。こっちだよ。そっちは今度にしなさいって」
右手にも文化財、左手にも文化財、古いものが好きな春火にとっては羨ましい環境だ。ついつい目を奪われてしまう。
文字通り、桜子に引っ張られながらずんずん道を進む。文化財だけでなく、土産物屋も所狭しと連なっていたので修学旅行生で溢れていた。
「は――、先輩こんなとこに住んでるんですか? いいですね」
「そう? 寺や神社が好きな人はいいかもしれないけどね――。移動が凄い大変なんだよ? GWとか、一気に人が増えるからさ~。一番大変なのが秋の紅葉シーズンかな。家に帰るのが大変で……」
「ああ……確かに」
平日でも結構な数の観光客がいるのだ。その時期はさぞ混雑するだろう。
石畳から普通の道路に変わり、民家がポツポツと見えはじめた。しばらくして黒塗りの塀が左手に現れ、今度はそれにそって歩いて行く。
塀に沿って五分ほど歩くと木羽葺屋根のついた門が視界に入った。主に武家屋敷で見られる薬医門というやつだ。
「へ~、こんなとこにも文化財が」
「古いもの好きねえ……。さ、この中に入って」
「え? いいんですか?」
「? いいわよ? ほら早く」
「は、はあ……」
何かがおかしい――。
首を傾けたが、それ以上深く考えることはせず門をくぐる。
有名な観光地でも、重要文化財が保管してあるところでない限り、お金を払わなくても中には入れるし、そのまま素通りができるところが多い。てっきりここもそうだろうと春火が思っていると、
「はい、着いたよ。ここがあたしんち」
「えっ!?」
門をくぐって広がった光景に春火は衝撃を受けた。
目の前には重厚な木造の家。日本家屋だが、今の時代、そうそう見られない建物だ。
木造の家が玄関へと続く石畳と小さな池を囲むようにして建っている。建物がどこで途切れているのか分からない、春火からは見えないずっと奥まで屋敷が続いていそうだ。
「……ここが先輩の家ですか?」
「そうよ? どうしたの?」
「……」
桜子の言うことが信じられず、ダッシュで門の外に出てあるのもを探すと、
「ほんとにあるし……」
出入り口の上の辺に「海原」と書かれた表札が下がっていた。
現実をつきつけられた春火はよろよろと門をくぐり、もう一度目の前の屋敷を見た。
――これはいわゆる武家屋敷というやつなのでは?
文化財に指定されている武家屋敷を春火は家族旅行で見たことがあったが、それと何の引けを取らない家が目の前に建っている。
最近建てたというものではない。それなりの年月を隔てているのが分かる。
自分や桜子が生まれるはるか昔に建てられた歴史的価値のある建物なのだろうか。しかし、重要文化財を示す表示がないし、観光客もいない。
ぎくしゃくと春火が首を動かすと、大きな屋敷とは別にぽつんと小さな建物が立っていることに気付いた。
こちらは武家造ではない普通の家だ。
築年数が明らかに違う。ミスマッチもいいとこである。
「ああ、あっちにある小さい家は君が今日泊まるとこ。あそこにあたしの部屋があるの」
桜子は春火の家を見て金持ちと言っていたが、春火には桜子の方がよっぽど金持ちに思えた。
春火が桜子に聞いても、海原家のものではなく、知り合いから譲り受けた家、ということしか分からなかった。
その知り合いが誰なのか気になった。このような家を譲るぐらいだ、一般人だとは思えない。
昨日といい、今日といい、桜子が只者ではないということは分かった。
ひょっとしてとんでもないところに来てしまったのではないか――たらりと冷や汗が流れた。
「まずはこっちから行こうか」
大きすぎる屋敷に軽い足取りで向かっていく桜子の後ろを重い足取りで春火がついて行く。
家のおかげですっかり引け腰になっていた。
◆◆◆
「お帰りなさい」
二人が玄関の扉を開けると、奥からパタパタと一人の女性が出てきた。後ろからは小さい女の子と、背の高い男性がついてきていた。
笑顔で二人を出迎えた女性は、立居振舞から年上であることを伺えたが、姉がいるとは桜子から聞いていない。おそらく母親だろう、桜子と顔が似ていた。
長い黒髪は後ろで漆塗りの簪を使って器用に纏められ、僅かに見え隠れしている送り毛が妙に艶めいている。着物の上から割烹着を着ていて、この女性とこの屋敷が醸し出す雰囲気とが妙に合っている気がした。
女性を挟んで左右に小さい女の子と、大学生っぽい男性が立っていた。
聞いていた兄と妹というのはこの二人のようだ。
小さい女の子は目がぱっちりとしていて、髪は黒のショートボブ。こちらも桜子と似ている。だが、怯えた顔をしており、涙目になっていた。
さっきからちらちらと春火を伺うように見ていることから、春火の顔に怯えているようだ。春火は泣きそうになった。
女の子の反対側にいる男性は春火より頭一つ分背が高く、金髪の髪を短く刈り込んだ頭をしていた。両耳、両手にはシルバーアクセサリーがついている。いかにも今風といった格好で、三人の中で一番浮いていた。
父親似なのか、桜子とは似ていない。妹と違って興味津々の目を春火に向けている。
「こんにちは。御堂春火です。急に押しかけてしまってすみません。お世話になります」
緊張している春火に金髪の男性が苦笑した。
「いやいや、そう畏まる必要ねえから。俺は兄貴の楓。こっちは妹の――、ほら、お前も挨拶しろ」
「……………………桃です」
桜子の兄は気さくな感じの人物だった。雰囲気だけは桜子と似ている。反対に妹の方は本格的に泣き出してしまいそうな雰囲気だ。
怖がられていることにがっくりと肩を落とした春火を女性がクスリと笑い、一歩前に出て軽くお辞儀をした
「母の葉子です。自分の家だと思って寛いでね?」
「お母さん、今回ちょっとやっかいそうだから。この子はあたしの部屋に泊めるわ」
「へっ!?」
何食わぬ顔で爆弾を投下する桜子に春火は呆気にとられた。
あまりにも自然すぎて、はじめ何を言ったのか春火は理解できなかった。
「分かったわ。御堂くん、今お夕食作ってるとこだから、さきにお風呂に入っちゃってね――」
「は? え、でも!! ………………………………え――と、はい……」
言葉の意味を理解して反論しようとすると、ギラリと桜子の目が光った。
笑顔で、だが無言で、よく分からない圧倒的なプレッシャーを感じた春火は反論の言葉を飲み込んだ。
動揺したのは春火だけだった。桜子の台詞に誰も何も言わない。
まさか桜子の母親にまで了承されるとは思っていなかった春火は呆然とした。
信用されてるのか、それとも男として見られていないのか……。
そりゃまぁ、何かしようなんてこれっぽっちも思っちゃいないけども。
それにしたって、ほんとにいいのかあんたら……。
ぐるぐるとパニックになる春火をよそに海原家はのほほんと夕食の献立について話をしていた。
挨拶も済み、家の案内は桜子がするということで、用が済んだら各自元いた場所へと戻って行く……と思ったら、戻っていったのは葉子だけで、妹の桃は涙目になりつつも兄である楓にしがみつき、その兄は春火の後に続き、春火は桜子に続く。
四人仲良く(?)桜子の部屋のある離れへと向かって行った。
楓はニヤニヤと春火を見ていた。
何を期待してるんだこの人は。
嫌な予感がして気付かないふりをした。
すると、楓が前を向いたまま小声で言った。
「ここまでは来ねえだろうが、もし目の前にきても目を合わせるなよ、桃」
寒気がすると思ったら、やはりついてきているらしい。
しかし、やはりというか、なんといか、みんな見えるようだ。
桜子が「君もだよ」と、小声で短く話す。
ぶんぶんと春火は首を縦に振った。