チェリーさんその1
薄暗い、まだ早朝と言える時間にベンチで気持ちよさそうに眠る少年が一人。
すうすう寝息を立てる少年の至福の時間は中途半端に知り合いとなっている一人の人物によって壊される。
「……君! 君! こんなとこで寝てたら風邪ひく………………あ」
「…………うう……………………誰……………………あ」
目を丸くして固まっている人物を見て春火は飛び起きた。
警察官が目の前に立っていた。
「君ぃ~…………先週も、先々週もここで会ったよね? たまに夜うろついてたりもしてるよね?」
「え? あ、いや……そのう……」
「その顔は目立つからね。よく覚えてるんだ。あ、決して馬鹿にしてるんじゃないぞ? …………で? 毎回毎回ベンチで寝てるけど、君学生? 高校生かな? 何んでいつも外で寝てんの? 御両親は?」
「ええと…………(やばい、適当な言い訳が思いつかない)」
「まだそこまで明るくないし、人も少ないこんな時間帯にこんなところで寝るなんて危ないだろ? 家に帰れない理由でもある――はっ!!」
「? あの、俺家に帰り――っちょ!? 何してんですかあ!」
「何って、家庭内暴力によって家出をせざるをえない状況になっているのかと……て、ないな、傷。背中か……あれ、傷はないなあ……はっ、そうかっ――」
「……下見ようとするのやめてもらえませんか……何もありませんから! 虐待じゃないです!」
「じゃあ、何で毎回外で寝てるんだ? 説明しなさい! 未成年なら家に連絡しないといけないんだが?」
「違います…………ああっ! あれは何だっ!?」
「えっ!?」
「さいなら!!」
「何もないじゃないか。あ、ちょっと!! 待ちなさい!!」
大いに勘違いしている警察官を古典的手法で振り切って、春火は一目散に走り出した。
あ~あ、折角の睡眠が……。
春火はがっくり項垂れた。
◆◆◆
「ね、眠い……」
五月最期の日曜日。
テストが終わった次の日は、小春日和と言っていい快晴だった。
「暑い……眩しい……」
朝の十時を回ったばかりだというのに、ギラギラと太陽が輝いている。睡眠不足の春火には耐えがたい天気だ。出かけるにはもってこいの天気なだけに元々低いテンションが更に下がる……まあ、いつものことだと諦めるしかない。
昨日の夜、春火はほとんど眠れていない。
いつも通り、女の子に一晩中追いかけられていたのだ。
それでも眠気に耐えられなくなってついつい寝てしまうことがあるが、そうなると今度は夢の中で女の子に追いかけられるはめになる。
ほとんど起きてるようなものだ。
しかし、何かしらルールでもあるのか、女の子は不思議と外で見ることはなかった。
昨日は何故か見えてしまったが。それでも、家にいるときのように襲われることはなかった。睨まれただけだ。
それにしても、いつまでこんなことが続くのだろうか……。
早く女の子から解放されたくて、いろいろオカルト絡みの本を読み漁ってみたが、一向に解決の兆しが見えることはない。
負のスパイラルに陥りそうになって春火は頭を振り、ゆっくり深呼吸した。いくら考えても分からないものは分からない。
それよりも今は睡眠だ。
早く睡眠を取らないと――自分は今起きているのか、寝ているのか、だんだん分からなくなっていた。
家にいたら女の子に追いかけられるのでなるべく家にはいたくない。
一日中好き勝手に過ごせる身であるならまだマシも、学生である身なので、平日はどれだけ眠くても学校に行かなければならない。例え休日であっても、家では自分に憑いている女の子に纏わりつかれているので、ずっと家にいることもできない。
家にいたくても用事がなくても家にいられないのだ。
そんなわけで太陽が顔を覗かせるかどうかの時間帯には家を出るようにしている。今日も朝の五時前にはメイクをして家を出ていた。家を出て、朝っぱらからふらふらと睡眠がとれそうな場所を求めて彷徨う。
どこか公園か、どこでもいい……眠れるところがないだろうか。
ふらふらと春火は人ごみの中を歩いていた。
春火の家の近所にも公園があり、ベンチが空いていたのだが、今の春火には使用できなくなっていた。
こっちに引っ越してから、外で寝るたびにお世話になっている警察官に見つかってしまったからだ。
家に連絡を入れられては困るのでつい逃げてしまった。
当分、あそこの公園を使うのは避けた方がいいだろう。
気を取り直して公園を探すも、どこもカップルやら、お年寄りやらでいっぱいだった。
なければ川の土手に寝っころがろうかと思ったが、昨日遭遇してしまった幽霊がいる可能性があるため、泣く泣く断念した。
寝床……寝床はどこだ。
さながら死者のように彷徨う。
春火が家を出てから三時間はたっていた。ほんの三十分しか寝ていない。目の下には隈ができている。
顔色が悪く見えるかもしれない――といっても、今の春火では表情を見るのは無理なのだが。
「ぶっ!?」
考え事をしながら歩いていたため、勢いよく人にぶつかってしまった。
昨日といい、今日といい、よくぶつかる。
「うう、すみません、俺――」
春火が慌てて謝ろうとして、ふと目の前に立つ人物が目に入ると、低かったテンションが急激に上がるのが分かった。
「あっ」
目の前には特徴的な恰好をした女性。
結わえられた黒髪には豪華な花簪。淡い桜色でグラデーションされた衣に桜や菊が描かれた振袖。手にはその長い振袖の裾が掴まれていた。後ろにはだらりと帯が垂れている。足にはおこぼという下駄をはいており、後ろから春火にぶつかられた女性がポコポコ音を鳴らして振り返った。
一人の舞妓が立っていた。
はじめて見る本物の舞妓に少し興奮する。だが、すぐに頭痛がして目を顰める。睡眠不足の体だということをすかっり忘れてしまっていた。
舞妓の格好をした女性がパチパチと瞬きしたを後、からから笑い、それに合わせて簪についている藤の花が小刻みに揺れた。
「ああ、気にせんでええよ。わざとやないのは分かっとるし」
女性がニコニコと笑顔で言った。
そういえば舞妓で有名だった、と改めて春火は目の前の女性を見た。
ずきずき痛む頭で顔を顰める春火を女性が心配そうに見つめた。
化粧で分かりにくいが、目は吊り気味で大きく、鼻の筋がすっと入っており、そして小顔。多分だが、美人ではなかろうか。
「お兄さん、ほんま大丈夫? えろう顔色悪そうやけども……ちょうこっちおいないな」
「……? おいない……え?」
独特のいいまわしに春火がまごついてると、女性が小さく笑って寄ってきた。
こっちに来いということだろうか。
「そんなに悪いですかね……ていうか、よく分かりましたね」
こんな顔なのにと、春火が自分の顔を指差すと、女性はきょとんとした顔から再び笑顔になり、
「ああ、なんとなくやけどな――。ちょいごめんよ」
春火の顔を見て怯むことなく、いかついメイクを施した春火の顔を見つめる女性。
顔を見ているというか、もっと別の物をみているような気がした。
しかし恥ずかしい。
近くにいる観光客っぽい男性が写真を撮りたそうにしていて、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「う――ん、お兄さん、何や訳ありっぽいな~。思春期特有の悩みどすか?」
からからと笑いながら女性が訊ねた。
思春期特有って――。
それよりも、自分の表情が分かるとは。メイクをしているからかなりわかりにくいはずなのに。
「ははは……ほんとにそういう悩みならいいんですけどね……」
女性ののほほんとした雰囲気と、常日頃から溜まりに溜まっているストレス――睡眠不足のおかげか、春火の口からポロリと本音が出た。
目の前の女性は随分気さくな性格らしい。普通は初対面でする会話ではない気がしたが不思議と嫌な感じはしなかった。
春火の顔を一頻り見た女性が「ふむ」と頷く。
「お兄さん、チェリーさんとこ行きはったらどうどすか?」
「…………………………は?」
春火が怪訝そうに頭を傾けた。
「…………チェリーさん?」
「チェリーさん」
「チェリーさん……」
「そうや、チェリーさん」
何だそれは。
相談してみたらというが、誰のことだろうか。怪談のメリーさんなら知っているが。
「いや、うちもよう知れへんけどな。占い師のようなものやあゆうてはったかなあ。まあ、知り合いに聞いたんやけどなあ」
女性の話によると、この近辺に「チェリーさん」という占い師がいて、どんな悩み事も解決してくれるらしい。
――とても胡散臭い。
どんな悩みもって……。
そんな都合のいい人物がいるとは思えない。詐欺ではないのか。
ちなみにチェリーさんは決まった場所には現れず、気付いたら公園や、道の隅っこに立っていて、客が来るのをじっと待っているとのこと。
幽霊の次はチェリーさんか……。
女の子に憑かれたと気付いたときは途方にくれたが、他人に頼ったことは一度もない。騙されて金を巻き上げられるだけだと思ったからだ。なので女性の話も素直に信じることはできなかった。
念のためどんな人物なのかを聞くと、真っ黒なローブみたいなものを頭からすっぽり被っていて顔は分からないようだ。
ひょっとして、手がかりそれだけ?
「会えたらええなあ」とからから笑いながら女性は去って行った。
御座敷にいるわけでもないのに、随分愛想のいい舞妓さんだ、と春火は軽く手を振りながら思った。
それでも、身内以外で心配されたのは久しぶりなのでほんのり温かい気分になった。
気付いたら頭痛は消え、眠気もすっかりなくなっている。
気を取り直してその辺をぶらぶら歩くことにした。
適当に歩けばどこか休めるとこが見つかるだろう――そう思って再び歩きだした。
高校に入ってから運動することが少なくなっていたので、たまにはいいか、と運動がてら人混みを抜けて神社に行き、そのまま突き抜けて進んでいく。
このまま上って行ったら確か公園があったはずだ。たしか、円山公園だったか。ずんずん歩を進める。
神社のすぐ後ろにあった公園は、花見のシーズンが過ぎていたにも関わらず、人でいっぱいになっていた。
座れそうなところは全部埋まっており、がっくりして引き返そうとすると、視界の隅に黒いものが映ったことに気付いた。
視線を向けるとそこには、ぽつんと真っ黒い物体が立っていた。
人か?
周りに人はいたが、まるでそこには誰もいないかのようにみんな素通りして行く。全く見えていないかのような、しかし、不思議と誰もぶつかったりはしなかった。
「…………………………チェリーさん?」
春火がぼそりと呟くと、
その黒い物体――黒い服を頭から被っている人物がこちらを向いた。
顔が見えない。口元が少し見えるぐらいだ。
得体のしれなさに後ずさりすると、
「あれ? あの時の変人君?」
なんとも失礼な台詞が聞こえた。そして聞き覚えのある声だった。
その人物は頭からフードを外した。すると見覚えのある顔が現れる。
「あ、あの時の!!」
昨日助けてくれた少女が驚いた顔で春火を見ていた。