彼が変わったわけ その1
ほぼ加筆です。
多分、昼に遭遇したトラブルのせいだろう、随分懐かしく、嫌な記憶が浮上した。
『お高くとまってんじゃないわよっ!』
突然頭の中で響いた声で我に返る。
「あ……あれ?」
春火は自分の家の前に立っていた。どうやってここまで帰って来たのか全く覚えていない。
「春火?」
「父さん」
突っ立ったままぼうっとしていると、目の前に父親が立っていることに気付いた。今日は家に籠って仕事をしていたようで、連日の徹夜のせいで目の下に隈ができている。
「どうしたんだ? 家の前で」
「え? ああ、考え事してて……」
「悩み事か……ふむ、じゃあ今日は一緒に風呂に入ろうか」
「いやだ。一人で入れよ。ていうか、何がどうなってじゃあなのかが分からねえよっ」
「!? そんなすっぱり拒否しなくても……可愛い息子の悩みを聞いてやろうとだなあ……それに風呂なら話しやすいだろ?」
「普通に部屋で聞いてくれよ。まあ、悩みなんてないけどね。いいから中に入ろ」
しゅんと項垂れる父を連れて家の中へさっさと入った。
御堂家は現在父と息子の二人のみ。今年の春京都へ引っ越してきたばかりだ。
以前から京都に住んでみないかと父が話していて、中学も卒業するし区切りがいいからと引っ越すことに春火は賛同した。どうせ親しい友人もいないし、新しい地で新たに頑張ってみるのもいいのではないかと思ったのだ。
なんで京都なのかというのは、おそらく亡くなった母が関係しているからだろうと考えられた。母の実家が京都にあるのだ。最愛の妻が住んでいたから、というのは父を動かすにはもっともな理由だった。もしかしたら中学で浮いていた春火のことを気にしていたという理由もあったのかもしれないが。
「春火――、夕飯は出前にしよう。何がいい?」
「俺ピザがいい」
父は一日中家にいて、一切外には出ていない。そして冷蔵庫の中は空っぽだ。いつもならスーパーにでも行って食材を調達しに行くのだが、精神的に疲れた日でもあるので父の提案に素直に乗った。ついでに出前で即座に浮かんだものをねだる。
「ピザあ!? 駄目!! あんな高カロリーなもの食べたら太るだろ! せっかくの美貌を腐らせることになるから絶対に駄目!!」
「美貌って……あのねえ……俺男なんですけど……」
「関係ない! 春火がぶっくぶくに太ったら父さん天国の母さんに呪い殺されちゃうよ!! 春火だって母さんを悲しませたくないだろ?」
「……」
父の親馬鹿ぶりは相当で、いつもは聞き流すのだが、母を引き合いに出されると弱い。例えアホな会話であっても……。
「じゃあ、適当に頼んどいてよ。俺先に風呂入るから」
「え? 父さんと――」
「一人でっ、入るからっ」
またも父がしゅんと項垂れたが無視した。
春火は風呂に湯をためつつ、さきほどの父との会話から母のことを思い出していた。
母は生前、容姿のおかげで確実に苦労するだろう春火のことをいつも心配していた。
呪い殺されることはないと思うが、今の自分を母が見たらどう思うだろうか――。
怒るだろうか、悲しむだろうか……………………………………案外、笑うかもしれない。それは流石に凹む。
しかし、これだけは絶対に言われるだろう、
『だから言ったでしょ? 女には気をつけろって』
怒らなくても、悲しまなくても、だが、呆れた顔で言われそうだ。
今自分がこんな目にあってるのは、その「女」のせいなのだ。しかし、あの時は仕方がなかった。あんなことになるとは思っていなかったのだから。
クレンジングオイルを顔に塗り、しばらくしてからお湯で流すと、見慣れた顔が鏡に映る。
父が絶賛褒める顔だ。亡くなった母親を男にしたらこんな感じだろうかというぐらい、生き写しと言われている顔だった。
昔は母に似てると言われて素直に喜んでたのに、今は喜べない自分がいる。
それが嫌で、悲しく、て辛い。
暗い気持ちに塗りつぶされそうになるのを耐え、そろそろ湯が溜まっただろうかと洗面所から風呂場へと移動しようとすると、
くすくすくす
後ろから小さく笑い声が聞こえてきた。
来た……。
反射的に身構える。
いつも聞いている声だ。だが未だに慣れることはない。
後ろを見なくても誰なのか春火には分かっていた。
鏡に昼間見た女の子が映った。かれこれ三年ほど付き合いのある女の子だ。可能ならば今すぐ縁を切りたいけれど……。
――死にませんように。
何度も繰り返した台詞を零し、こわばった顔で後ろを振り返った。
◆◆◆
昔の春火を知ってる人が今の彼を見たらどう反応するだろうか。みな何があったんだと問い返すだろう。それぐらい彼の見た目は変わっていた。
春火自身も今の自分はおかしいというのは分かっている。勿論好きでやっているわけではない。
何故かというと、危険から身を守るためだ――冗談ではなく、本気で命の心配をしなければななかった。
三年前までは普通だった――いや、この容姿のおかげでいろいろあった。それでものらりくらりと躱しながらなんとか乗り切っていた。
だが、一人の少女が春火に興味を持ったおかげで彼の人生は少しずつ狂いだしていった。
その少女は初めてできたガールフレンドだった。とてもとても可愛い子だった。
とても可愛くて、さらに家が裕福で、とてもとてもとても――
性格の悪い彼女だった。
今なら言える。あれは悪女だと。
とんでもない彼女を作ってしまった。
まだ人生の半分も生きてないが、多分未来永劫これほど後悔することはないのではないか、というぐらいのミスだった。
あれから三年経とうとしているが、今でもあの時のことは鮮明に思い出される。
三年前の春、中学校に入ってしばらく経ち、ようやく学校に慣れたかという時期にそれは起こった。
きっかけはとある少女からの告白だった。
「ねえ、あたしと付き合わない?」
――あ、これは受けちゃいけない。
告白されたと同時に春火は思った。
告白される前から嫌な予感はしていた。
放課後空いてる? と聞かれたときになぜ頷いてしまったのか悔やまれる。じゃあ断れたのかと聞かれるとそれは不可能なことだ。相手はこの学校で派閥をきかせている生徒だったからだ。
用事があるとか、たとえ嘘でなくとも逆らったりでもしたら即日陰者となるだろう。
付き合わないかと彼女――立花花蓮は言った。が、彼女は別段自分が好きというわけではない。顔だ。春火の顔がどストライクだったのだ。ただそれだけ。
告白に首を縦に振ったらその瞬間から自分は彼女のブランドバックよろしく彼女と行動を共にしなくてはならない。周りの人間より自分、とにかく自分一番! なのだ。ちょっとでも他の女子と話しでもしたら烈火のごとく怒り狂い、春火を責めるだろう。
春火が通っている学校は、富裕層の者が大半を占めている学校で、どの生徒もどこどこの社長令息だの親が芸能人だのバラエティに富むが、一番に金、それなりの地位、権力をもっている。全員とまではいかなくても、選民意識の強い者が多かった。そんな子供が生徒となるのだ、校舎は都心から少し離れたところに建っていて、敷地面積は大学のそれ並みに広く、ほんとに中学生に必要なのかというぐらい多種多様な設備に金がかけられていた。そして、いたせりつくせりの環境。派手な肩書を持つ生徒が多く、目の前の彼女は頭ひとつ、いやふたつみっつ突き抜けたお嬢様だった。それに比べて春火の家は主に父親の仕事のおかげで富裕層に入る家であったが、学校内では平凡といえる部類に入る。それでも学費と授業についていける頭さえあれば入れる学校だった。金をかけているだけあって多種多様な授業があり、それが売りでもあったので父親の親戚から薦められて入ったのだ。はじめは面白そうだと思った。そして後になって心底入ったことを後悔した。
「ねえ、御堂くん今フリーでしょ? 前からいいなって思ってたの。とっくに誰かと付き合ってるのかと思ってたんだけど、誰とも付き合ってないって聞いたから。どう? あたしたち付き合わない?」
「(誰だ、言ったやつ)ああ、立花さん、そんな、俺なんかといいの? 立花さんならもっといい人いるでしょ。立花さん狙ってる奴結構いるよ?」
「ええ? やだ~、いないわよそんなの~」
台詞だけなら普通の会話だが、立花花蓮の目はギラついていて怖かった。
ギラッギラッギラッ――――――もう少ししたらレーザー光線出そうだな――他人事のように春火は思った。
立花花蓮とは――さきほどの説明に加え、狙った獲物は逃がさない、欲しいものは必ず手に入れる――まあ、要するに我儘なのだ。
そして悪い噂もあった。
通っている学校は幼等部から大学部まであるマンモス校で、春火は中等部からの外部生だが、花蓮は幼等部から順調に上がってきた持ち上がり組だった。だが順調とみせかけて花蓮は中等部に入るまでにすでにいろいろやらかしていた。それでなぜそのままここにいられるのかというと――親の力なのだろう。告白したのも今回が初めてではないし、何人どころか何十人と付き合い、そして飽きたら次へ、を繰り返してきた。そして次は春火の番となったのだ。
面と向かって衝突はしない――表だって悪目立ちするのは家のこともあってまずいらしい――だが、立花花蓮とちょっとでも空気が悪くなった生徒はしばらくすると学園から消えている、というのが公然の秘密だった。
嫌だ嫌だ嫌だ、絶対付き合いたくない。絶対碌な目にあわない。
目の前でさりげに自分をアピールし、しかし春火を逃さないとばかりに目はがっつり春火をとらえている。
うすうすこうなるのではないかという予感はあった。
春火は自分の顔が他人にどう見えるのかよく分かっていた。女受けする顔だということを。
立花花蓮からは有象無象の視線とはかけ離れた強い視線を向けられていた。気付かないふりをするのに結構な労力を費やすぐらいに。
『私たちの顔は遺伝ね。どうしようもないわ。周りは羨ましがるけど、綺麗だからっていいことばかりじゃないのよ。気を付けるのよ、春火。私たちの顔では世渡りするのが難しいの。トラブルに巻き込まれないよう、巻き込まれても最小限の被害で済むよう、普段から注意してなさい。特に女は怒らせたら怖いわよ。…………………………………………………………………………って、聞いてる? ほんっっっっとおおおおおおおおにっ、気を付けてね。』
昔母から言われていたのを今更だが思い出した。
笑顔で話していたが、目が笑っていなかった。光彩の消えた目で見つめられ、ぷるぷると震えながら聞いていたのを覚えている。母は容姿で相当苦労していたようだ。だからこそしつこく春火に注意していたのだろう。
しかし、まだ幼くてまともな人生経験のない春火に言われても「はあ……」としか言いようがなかった。言っている意味は理解していた。しかし本音ではそこまで注意することなんだろうかと楽観視していた。だから今こんなことになっているのだが……。
どうやって断ろうか、いやできるのか。表では爽やかな笑顔をはりつかせ、裏ではうんうん唸り、どうしたもんかと困っていると、いつの間にか「じゃあ、試しに二週間つきあわない?」という、それはそれで困ったことになってしまった。
アホなことを言って死刑決行というのは免れたが、首輪をつけられたようなものだ。また今みたいに付き合うのかどうするのか、なんてことをしなきゃならないのかと思うと憂鬱な気分になった。
花蓮から早速今日から一緒に帰ろうと言われたが、幸いにも、タイミングよく花蓮に親からの電話が入り、用事で一緒に帰れなくなったということで花蓮は颯爽と帰って行った。
「助かった……。これからどうするか対策を考えるか」
冷や汗を流して春火は安堵した。
そして立花花蓮と付き合いだしてから一カ月。
春火はげっそりとした顔で机に突っ伏していた。精神的にかなりまいっていた。
立花花蓮はほんとうに、超がつく我儘娘だったのである。
付き合いだして数日は大人しくしていたが、なかなか自分になびかない春火に業を煮やしたのか徐々に本性を現すようになった。
――二週間じゃなかったのかよ。
二週間たって春火が付き合うのを断ろうとしているのを(何故か)瞬時に感じ取った花蓮は、もう少しつきあってみないか、とあれやこれや理由をつけてはずるずるとお試し期間を延ばしたのだ。
そして、今や春火は、彼氏ではなく、下僕――いや春火の心情的には奴隷といってもよかった。
中学生のカップルといったらまず何をするのか。立花花蓮の場合、ブランドショップめぐりだった。
そこで春火にしなを作ってよりかかり、「これ、可愛い~」とちらちら春火を見ながら「これ買って!」攻撃をしかけてきたのである。今まで彼氏にしてきた男どもは金持ちばかりだったのであっさりと彼女が望むものを買ってくれたが、春火はそうはいかなかった。
彼は石を適当に投げても必ず当たる、といった日本の総人口の大部分を占める庶民ではなく、金持ちの息子であったが、親は無駄遣いする癖をつけさせないためと自分の子供に大金を持たせることはしなかった。普通の中学生とおそらく大差ない金額のお小遣いしかもらっていない春火にとってブランドものは手を出せるものではなかった。
せいぜいカフェに行くとか、普通のショップ巡りを想像していた春火はこの花蓮の行動に絶句した。
いきなり財布代わりにされ、春火は顔を引きつらせた。
零の数が違う……。
「え、そう? もっと別のものにしない?」
必死に花蓮の注意をブランドものからそらそうとした。だが、「かわいい~」「いやいや、別のものが似合ってるって」といった押し問答が約三十分ほど繰り広げられ、なかなか買おうとしない春火に花蓮は不満そうな顔を一瞬だけ見せたあと、「じゃあ外出ようか、のど乾いた~」と笑って春火を引っ張って店の外に出た。しかしそこでまたもや天の助け――親からの電話がかかってきてデートは中断となった。
「ごめんね~」と手を振ってタクシーに乗る花蓮に春火は苦労して作った笑顔を貼り付けて手を振り、その場をあとにした。
これは先日のデート(仮)の内容だ。まだマシなほうだった。親からの電話がなければ夜まで解放されないのだ。
これはいつまでつづくのだろうか。
放課後になり、笑顔で近づいてくる花蓮に愛想笑いをして溜め息をついた。






