人食い龍の妹
むかしとある山奥に龍が一匹すんでいました。
いたずら好きの乱暴者で、その所業は山の神様も呆れるほどでした。
たわむれに天候を操り、雷を落としては山の獣たちをいじめて遊んでいました。
また龍は自分の縄張りに入った者は誰であろうと容赦なく食べました。
特に人間は大嫌いで、山伏だろうが、山賊だろうが、山で出会ったら最後、徹底的になぶられ、食べられました。
あるとき龍の縄張りに一人の男がやってきました。
龍はいつものように男を食べようとしましたが、男は泣きも喚きもしませんでした。
いままで龍を目にした人間は怯え、糞尿をたらし、食わないでくれと懇願しました。
ですがこの人間は龍をみて笑いすらしたのです。
龍は不思議に思って人間に聞きました。
「なぜお前は怖がらない?」
男は言いました。
「殺してくれ」
男は龍の質問には答えず、ひたすら殺せと頼みました。
龍は怯えもしない人間を食う気がありませんでした。
恐怖にふるえる人間を食べるのが好きなのであって、喜んで死んでいく人間はいりませんでした。なぜこの人間が死にたがるのか不思議だったので男に聞きました。
「なぜ死にたいんだ?」
男は相変わらず殺してくれとしか言いませんでしたが、龍が教えたら殺してやると言うと、ぽつりぽつりと話し始めました。
「俺は生きていて一度も幸せだと感じたことはなかった。俺には妹がいた。たったひとりの家族だったが、俺はいつも自分のことばかり考えて、あいつをないがしろにしていた。あるときふたりで都に物を売りに行った。そこで妹が髪飾りを欲しいといったが貧乏で、金がなく、買えなかった。買ってやるつもりもなかった。それで喧嘩になり、妹は走ってどこかに行ってしまった。俺はその時、すぐに帰ってくるだろうと思ってほっといた。妹は浪人に襲われて殺された。その時気づいた。力も権力も金もない。おれには妹しかいなかった。妹ともう一度、一緒に暮らしたい。もう一度、一緒の家に帰りたい。それが俺の幸せだ。けど、叶わない。妹は俺のせいで死んだ。後を追おうと、何度も死のうとしたが、度胸がなくて、死ねない。だから龍よ。俺を殺してくれ」
話が終わると龍は消えていました。男は龍が自分を殺してくれなかったことに怒り、泣き出しました。
その背中がポンポンと叩かれました。
男が振り向くと一人の少女がいました。
男はよろこびました。
少女は死んだと思っていた妹だったからです。
じつはこの少女は龍が化けた姿でした。龍は考えました。
この男の妹のふりをして喜ばせてやろう。そうして家に一緒に帰り、幸せだと言わせてから食ってやるのだ。
その時の男の表情を想像して、なんともすばらしい考えだと龍は思いました。
男は妹に化けた龍を連れて、里に帰りました。龍は人里に降りるなんてまっぴらごめんでしたが、この人間を食うまでの辛抱だと思い、我慢しました。
そこは小さな小屋でした。
龍は自分がくしゃみをすれば吹き飛びそうなボロボロの小屋をみて唖然としました。
「ここは?」
「俺たちの家に決まってるじゃないか」
当たり前だろうというふうに男は答えました。
人間はこんなおんぼろの下に住んでいるのか、と龍は驚き、呆れました。
洞窟の方がよっぽどいいとも思いました。
龍はとっとこの人間を食って山に帰ろうと思い、男に聞きました。
「まだ死にたいと思うか?」
男は驚いて龍を見ました。
「なにをいう。お前を残して死ねるもんか。」
そう返事をした男の声は生きる気力があふれていました。
「じゃあ今、幸せか?」
龍は男が幸せだと答えたら食べるつもりでした。ですが、
「いや…」
と男が答えたので、龍は困りました。龍は一度決めたことは絶対に曲げません。だから男が幸せだと認めるまで食べることはできませんでした。
男は急に龍を抱きしめました。
龍は戸惑いました。いままで抱きしめられたことは一度もなく、初めてのことだったからです。
ぐうと龍の腹の音がなりました。
龍はすっかり男を食べるつもりだったのでお腹が空いていました。
男は笑い、ちょっとまってろと言い残し、小屋から出て行くと、なにやら包をもって戻ってきました。
「となりのバア様からもらってきた。握り飯だ。食え」
龍は人間の食べ物を食べたことがなく、食いたいと思ったことすらありませんでした。
ですが、男を食えないので腹の虫が鳴り止みません。しょうがないのでためしに一つ食べてみると、とても気に入りました、たちまち全部たいらげてしまいました。
龍は男が幸せだと言うまで待つことにしました。
それに一緒にいればもう一度握り飯に有り付けると思ったからです。
こうして男とその妹に化けた龍はふたりで暮らし始めました。
ある晴れた日、龍と男は一緒に仕事をしました。
鍬を持って一緒に畑を耕します。初めのうち、龍は道具を使って土を耕すのが珍しく、鍬を振り回していましたが、次第に飽きてきました。そこに赤子を背負った少女が通りかかりました。龍をみると笑顔で近づいてきました。
どうやら妹の友達だったようで、都はどんなところだったかとしつこく聞かれました。当然龍は都などに行ったことはないので困ってしまいました。とりあえず適当に嘘をついてごまかしました。少女は話しているあいだ、はーとか、へーとか、妙な声をだしていました。龍は少女が背負っている赤子が気になりました。
「抱っこする?」
少女が聞いてきたのでうなずきました。赤子は小さくてしろくて、柔らかそうで、龍はうまそうだなと思いました。龍が抱いたとたん、赤ん坊は火が付いたように泣き出しました。いままで龍は泣き喚く人間を何度も目にしてきましたが、それと比較にならないぐらいすざましい泣き声でした。龍は困り果てて、いっそ食ってやろうかと考えていると、少女が赤子を抱き、あっという間に泣き止ませました。龍は少女のことをすごい人間だなと思いました。少女はコツがあるのだと言いました。抱くときに体を揺すりながら抱くと良いと言いました。龍はもう一度抱いてみました。言われたとおりコツを使いました。赤子は泣きませんでした。それどころか満面の笑みでした。
ある雨の日、ボロ小屋のなかで、龍は暇を持て余していました。男は傘張りをしていていました。龍も最初は手伝っていましたが、すぐにやめました。細かい作業は嫌いなのです。昼寝でもしようかと思っていると老婆が小屋に入ってきました。
「握り飯はうまかったかい?」
どうやらとなりのバア様とはこの人のことのようです。
男が老婆に礼を言い、龍にも礼をいうよう促しました。
「うまかった。今日はないのか?」
男は呆れました。
老婆はカカカと笑いました。
「今日は持ってきてないねえ」
けれど、と老婆は続けました。
「今日は、ばばがお話をしてあげよう」
そういって老婆は朗々と話し始めました。
老婆はなんとも不思議な話をしました。竹から生まれた人間の女の子の話や、桃から生まれた人間が鬼を退治する話、小指ほどの人間が悪党を退治する話もしました。龍はなんと物知りな老婆だろうと感心しました。世の中には竹や桃から生まれたり、小指ぐらい小さい人間がいるとはまったく知りませんでした。是非とも会ってみたいと思い、老婆にそれらの人間はどこにゆけば会えるのかと聞きました。男がそれを聞いて大笑いしました。ついで老婆も笑いました。龍には何がおかしいのかさっぱりでした。
ある雪の日、龍は小屋で寝ていました。寒いので小屋の外には出たくないのですが、男が小屋からでてこいと大声で叫んでいるので、静かに眠れません。渋々外に出ると、男は大きな雪山をつくっていました。
「雪かきを手伝ってくれ」
男は集めた雪をここに山にしておくようにと龍に言いました。龍は嫌でしたが、手伝ったらいいことがあると言われ、手伝いました。屋根の上の雪や小屋の周りの雪を全部山にすると雪山は小屋よりも大きくなりました。
「よし掘るぞ」
男はそう言って、雪山の側面を削り始めました。龍は冷たい雪山に触れたくないので離れて見ていました。しばらくすると、雪山に洞窟ができました。
「中にはいろう」
龍はコイツ正気かと心配しました。なぜ冷たい雪山の中にわざわざ入らなければならないのだと龍は思いました。
「大丈夫だから」
そういって男は龍の手を引いて、雪山の洞窟に引っ張り込みました。意外なことに中は温かく、龍は驚きました。
「どうだ?」
男は得意げに龍に言いました。
洞窟の中は狭く、男と龍は抱きつくように座りました。
洞窟のなかのあたたかさと男の体温で龍はなんだか眠くなりました。
「これはかまくらっていうんだ」
そう言う男の声が遠くに聞こえました。
人間との暮らしは龍にとって新鮮なことばかりでした。
龍は最初のうちは時々、男に幸せかどうかききました。けれど、男は一度も幸せとは言いませんでした。そのうち龍は男を食べることを忘れました。山の動物や人間の肉より、握り飯のほうが美味しかったし、山にいるときより楽しかったからです。
龍はだんだんと人間が好きになってきました。
ある曇りの日、龍は山に山菜を取りに行きました。
夕飯は鍋にで、それに入れる具材を採りに来たのです。
帰ってから鍋を囲うのが楽しみでした。
里に戻る道中、少女が倒れていました。
あの赤子の面倒を見ていた少女でした。
龍は駆け寄り、なにがあったのだと、聞きました。
少女は虚ろな目で言いました。
「山賊がやってきたの。逃げてきたの。みんな殺される」
龍はそれを聞いて走り出しました。うしろで少女が何か言っていましたが聞こえませんでした。
里に近づくにつれて血の匂い濃くなりました。
久しく嗅いでなかって匂いは龍の心を揺さぶりました。
里は見る影もありませんでした。
鉄と何かこげたような匂いがしました。
いたるところで人が倒れていました。
ボロ小屋には火がついていました。
小屋の前で男が倒れていました。
男は血だらけで、虫の息でした。
「これを」
そう言って男が差し出したのは髪飾りでした。
男は空に向かって言いました。
「あの時、買ってやれなくて済まなかった。あの時、ほうっておいて済まなかった」
龍はなんといっていいかわからず、ただ頷きました。
男は笑い、言いました。
「今までありがとう」
そういって事切れました。
「おお、べっぴんさんが残ってるじゃねえか」
背後から下品な声が聞こえました。
振り向くと山賊が二人いました。ヒゲの生えた山賊と禿げた山賊です。
ヒゲの方が言いました。
「おい、まだガキじゃねえか」
ハゲの方が言いました。
「バカ、それがいいんだよ」
それがその山賊の言った最後の言葉でした。
龍は真の姿をさらけだし、まず禿げた方をひと飲みで食べました。
「ひい」
腰が抜けたヒゲの方はしっぽで叩き潰しました。
龍は泣きました。怒りました。
山賊を皆殺しにしました。
龍は男の体を連れて、山奥に戻りました。
そして山の神様に男を生き返らせるよう頼みました。
「もしお前が龍の姿を捨て、人として生きるのならば、望みを叶えよう。」
神様はそう言いました。
龍は迷いませんでした。
*
ある晴れた日、兄と妹が仕事をしていました。飽きっぽい妹は仕事をサボって友達と遊んでいました。
ある雨の日、兄と妹は、近所の物知り老婆のお話を聞いて一日を過ごしました。
ある雪の日、兄と妹はかまくらを作ってなかに入って遊びました。
ある曇りの日、兄と妹はとなりに住むおばあさんと妹の友達を呼んで鍋を囲いました。
妹は兄に問いました。
「今、幸せか?」
兄は答えました。
「幸せだ」
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