#5
実際のところ、ニーナ先生の研究内容を、僕は厳密に知っているわけではない。なので、研究の手伝いもできなければ、もちろんするつもりも無い。先生がそれでもかまわないと言っているので、気にしてはいないが、夏の論文のテーマが余りにも先生の研究テーマとかけ離れているのもまずいのではないかと思う。
そんな話をしたのだけれど、先生は「そんなことは気にするだけ無駄だ」と言う。
「どうせ学園の他の教師も私の研究には興味が無いし、私の秘密主義も知ってるしね。研究室に置いてるものを見てるロイには、どんなジャンルの研究かくらいはわかると思うけど」
「ジャンル、ですか……」
模型の断面と生々しい質感の腕。
謎の臓物。
大型生物の大腿骨。
薬品漬けの眼球。
大量の蔵書。
「……えー、死霊魔法系ですか? ホロウとか、ワラディアとか」
「そんなセンスの無い魔法は使わないわよ」
センス無いらしい。まあ、死体を操るホロウ系も、死霊を操るワラディア系も、使う魔法使いは皆無に等しいというし。
それは単純に技量の問題ではなく、死体を操る、死霊を操るという行為そのものが、生命に対して冒涜的だから、という理由からだろう。
生命を冒涜することは罪だ。ましてや、人生を奪うことは大罪だ。
「まあ、人間そのものに関わる魔法っていうのは正しいわよ。それくらいわかってれば及第点ってところかしらね」
「それはどうも」
その及第点はいらないが。
しかし、うん。
実際のところ、先生の研究分野は一体なんだろうか。真面目に予想してみるのも面白いかもしれない。推理ゲームみたいな。
推理材料になりそうなものは何があるだろう。
一つ目はやっぱりこの研究室か。先生の研究室、つまり僕が今いるこの部屋は、ロルクスの実験棟、その三階の一番端に位置する。一番端というのは生半可な意味ではない。縦に長い実験棟の一番端というのは、最も入り口から遠い場所という意味だ。
要するに、人の流れが無い。従って、学生を集めようと思ったときに、ハンデを負っていることになる。もちろん、人の流れがあろうがなかろうが、入ってくる学生は入ってくるはずだ。
最も、これには例外があって、一階の一番端の教室は外部に繋がる勝手口がある。非常時のことを想定しているのだろう。実際には生物系の研究室が入っていたはずだ。
生物系の研究室は、死んだ実験動物やら新鮮な水の採取やらで、どうしても外部との出入りが頻繁になる。そして、入り口側にしか階段のないこの実験棟において、言い換えればニーナ・テメノスの研究室は、生ものを扱わず、廃棄物も多くない、あるいは全く無い可能性がある。そのために三階の一番端に居を構えることに、最も弊害を受けなかった。
そういう可能性は有り得ると思う。
「そういえば先生」
「なにかしら」
「先生は掃除が壊滅的に、ドラゴンが裁縫に挑戦するかのごとく、あるいはリッチが助産師を務めるがごとく、それはそれは壊滅的に苦手じゃないですか」
「そこはかとない悪意を感じるわね」
「気のせいですよ。……で、先生が掃除ができないのに、どうしてこの研究室は、この程度しか汚れていない……いや、いなかったんですか?」
僕の質問に、先生が不思議そうに首を傾げる。妙齢の女性が首を傾げても可愛くないのだけれど。
「……んん? ちょっと質問の意味がよくわからないのだけれど。つまり、それはこの研究室が綺麗だっていうお世辞かしら?」
「いや、ここは汚いです」
きっぱり言っておく。先生はムッとした表情になる。
「そうじゃなくてですね。僕がここに出入りするようになる前となった後とで、汚さがそこまで変わってないのはなぜだろうと思いまして」
四月になって僕が最初にこの研究室を訪れた時も、今と同じ程度のゴミゴミしさだった。
「先生の散らかし様だと、この部屋はもっとごちゃごちゃに汚れていて然るべきじゃないかと思うのですが」
「ははあ、なるほどね。要するに、ロイの掃除の頻度を少なくとも去年は維持できていなかったはずなのに、それにしてはここが綺麗だった気がする、ということね」
その通りです。
「確かに、そうねぇ。去年は研究室に所属していた生徒もいなかったし、気になるわよね」
「いえ、ものすごく気になるわけではないですよ?」
「ふうん。つまらないの。交換条件に教えてあげようかと思ったのに」
「それは残念ですね」
「まあいいわ。その謎についてはいずれ分かるし、私の研究ジャンルとも重なる話よ」
ふむ。
そう言うなら、研究室については保留だ。どうしてこの場所にあるのかは分からないけど、すくなくともここにあって不便でない程度の手は打ってあるらしい。それがどのように研究に関わるのかは、よくわからないけれど。
二つ目の材料はこの研究室の設備だ。
研究室には僕のデスクと、使われていないデスクが3つ、それに加えて先生のデスクがある。本棚と材料棚が向かい合っていて、僕の背後に本棚が、正面に材料棚が位置してる。
本棚には雑多な本があるが、これが実は何らかのマイナーな分野に関連しているという可能性がある。
それから、材料棚だ。僕にはなにがなんだかわからないぐらいぐちゃぐちゃになっているが、これも本棚と同じように、何かに使うものだろう。
可能性としては材料棚の方が重要そうな気がする。
理由はとても単純で、一見すると整理されていない材料棚は、よくよく観察すると一つ一つはきちんと手入れがされている。瓶に保存すべきものは瓶に、布に包むものは布に。この研究室がいつも遮光されているのは、材料を痛ませないためか。
だとすると、けっこういろんな材料を使う系統のものってことになる。練成系なのだろうか。プレディエルとか。生物練成だとどういう魔法になるんだろう。ちょっとだけ聞いたことがあるけど、細かいことは覚えていない。
しかし、材料はあっても、薬瓶もなければ錬金炉も哲学者の卵もない。これで一体なにを作ってるんだ……? もしかして、練成につかう道具は魔法で作ってるとか、そういう人なんだろうか。今朝のことといい、転送術には詳しい気がするから、どこかから都度呼び出しているのかもしれない。
「んー、わかんないですね」
「もう降参?」
「あんまり興味も無いですから、諦めますよ。先生の言う通り、そのうち僕にもわかりますよ。多分」
「そうかもしれないわね」
先生は首をすくめる。
研究室に遊びにきていたユウさんはもう帰ってしまい、僕と先生は二人きりだ。僕は考えるのをやめて、読書に戻る。今読んでいるのは今日中に読破しそうだ。
コン コン
控えめに研究室のドアがノックされる。その音に、僕と先生は顔を見合わせる。ユウさんが戻ってきたのか?
僕は立ち上がってドアを開いた。
「……メディ?」
「あ、おはようロイ!」
ドアを開けると、赤いストレートヘアの女の子が姿を現した。体のラインが少しだけ強調された、二の腕だけ露出している黒いワイシャツに、赤いプリーツスカートと、黒い編み上げブーツ。強かな目つきだが、今は安堵の表情を僕に向けている。
メディ・ケイトルート。
僕の学年で随一の破壊力をもつ魔法使いだ。
「えっと、どうしたの? 僕に何か用事?」
僕はメディを研究室に招くように体をずらしたが、メディは中に入ろうとはしなかった。
なんだろう。誰かからの伝言でも持ってきたのだろうか。
「もうすぐお昼時だから、一緒に食事でもどうかと思って。どうせまだ食べてないんでしょ? この私がごちそうしてあげるわよ!」
なぜか偉そうにふんぞり返るメディ。いつものことだから気にせずに、僕は研究室の材料棚に無造作に置かれた時計を見る。時刻は昼を過ぎていて、確かに言われてみれば、お腹もすいてきたような気がする。
「あー、そうか。もうそんな時間か」
「そんな時間よ。さ、いきましょ! テメノス先生、ロイ借りますね!」
「はいはい、いってらっしゃい」
先生が返答するのが早いかどうかというタイミングで、メディは僕の腕をつかみ、研究室の外に引っ張りだした。強引だ。けれど、これがメディだ。
「ちゃんと歩くから、腕をひっぱるなよ」
僕が抗議すると、メディは立ち止まって振り返った。腕は握られたままだ。少し怒ってるのが表情でわかる。
「なに? 私と手をつなぐのは嫌なわけ?」
「そういうことは言ってないけど、あれ? 今のってそういう話?」
僕は首を傾げる。
いや、うーん。ちょっと違う気がする。
「いいじゃない。手、繋ぎましょう」
「お、おお。わかった」
言われて、メディは僕の腕を離し、代わりに手を握った。なんか恥ずかしいな。なんだ。突然どうしたんだ。これは一体どんなイベントだ。メディは何か変な物でも食べたのか。こういう身体接触を拒むタイプの人間だと思ってたんだけど。
しばらく僕は引っ張られて歩いていたが、実験棟を出た辺りでメディが突然立ち止まる。僕も立ち止まる。メディと隣り合う。
……なんだ。なんか気まずい。なぜ立ち止まった。
ちょっと頭が追いついていないみたいだった。
「怪我、もう大丈夫なの?」
「……ん? 怪我? ああ、そうか。先々週のことか。僕はもう完治したし、だからこうして研究室にも顔を出してるよ」
「そ、ならいいわ」
それだけ言うと、メディは再び僕の手を引いて歩き出した。
なんだかなぁ。
エドとアイラはしょっちゅうお見舞いに来てくれたが、そういえばメディの顔は見なかった。もしかしたら、僕の怪我を自分の責任だと思ってるのかもしれない。確かに怪我の大部分はメディの魔法によるものなのだけれど、あれは事故でもなんでもなくて、僕の作戦の結果なのだ。メディに責任は無い。
エドも言ってたけど、僕の自業自得だ。
「なあ、メディ」
僕が呼びかけるが、メディの足は止まらない。特別早く歩いているわけでもない。彼女の手がちょっとだけ震えているのに気づいた。
僕は少しだけ考えて、慎重に言葉を選ぶ。
「メディの魔法、すごかったよ。これからも僕を助けてくれ」
ぴたりと、メディの足が止まった。
僕もつられて立ち止まる。
再び隣り合い、メディが真っ赤な目で僕を見る。すこし涙で潤んでいる。そのメディの顔を見て、僕は二の句が次げなくなる。メディの弱さに触れた気がして、表情には出なかったと思うが、内心狼狽した。
メディは僕をじっと見つめた後、ふいと目をそらした。
「バカじゃないの……。さっさとご飯、食べにいくわよ」
そういって三度、僕の手を引いて歩き出した。
哲学者の卵
練成に用いる特殊なフラスコ。クリスタルで出来ており、内部に魔法を行使できる点が一般のフラスコと異なる。魔法で手を加えなければ製造できない薬品などを作るときに用いる。