#9
「けれど、疑問は残るわね。トレアというモノが何故人形だとわかるのか。ああ、これはもちろん、人造人間や生きる屍ではなく、なぜ人形だと特定できるのかという疑問よ」
魔女が大仰に残念がって僕に尋ねる。あなたの答案はケアレスミスのせいで僅かに合格に届きません、まるでそんな口調だ。
「先ほども言いましたが、順序が逆ですよ。あなたの研究テーマがわかったから、トレアが人形だと思いついた、というのが正しい思考の順番です」
「だとするなら、トレアは私が作ったとでも言うの? その根拠は? 根拠も無しに推論ばかり並び立てるのは、仮にも私の研究室に所属している人間としてあるまじき態度よ」
「根拠ならありますよ」
そう、根拠ならある。ただ、その根拠だけでは確実にこの魔女が黒幕だと証明することは難しいのだけれど。
「このスクロール」
僕はジャケットの胸ポケットから、炎の眼のスクロールを取り出す。古代の王の紋章で封じられた、僕の目を作り替えた、あるいはその魔法そのものだと言っても過言ではない魔導具。それを、先生の座る机に投げ出す。
「これは、トレアの肉体に刻まれた籠の呪文を解除して手に入れたものです」
「へえ、そういう繋がりがあったのね?」
興味深そうに頷く魔女に、苛立ちが募る。僕は努めてそれを表情に出さず、言葉を続ける。
「あなたにこのスクロールについて聞いた時、随分親切にいろいろと教えてくれましたね。エグリディノス王朝のこととか、王の断片のこととか」
僕の言葉に、魔女の表情が少しだけ動く。けれどそれは一瞬で、すぐに元のにやにやとした微笑みに戻ったのだけれど、それでも僕が知る筈のない名前を知っていたことに動揺したんだろう。
それもその通りだ。エグリディノス王朝、そして王の断片という名前。これは、エリーゼだけが知っていたことだ。
これが、エリーゼが教えてくれたことが、魔女を追いつめる唯一の切り札になる。
「あなたは確か言いましたよね。数年前に、王の断片の一つが発動したところを見たと。けれど、王の断片が唯一確認されたのは、三十年前のことだ。三十年前にトム・ドレディアという男が、僕と同じように王の断片のスクロールを手に入れて、そしてそれを発動させた。
ーーどうして三十年前のことを、数年前なんて言ったんですか?」
僕は、魔女に、切り込む。
「仮に、です。仮にあなたが恐ろしく若作りだとして、外見年齢と実年齢が離れているとしても、それでもせいぜい四十台といったところでしょう。四十台のあなたに取って、三十年前の出来事は、どんなに間違っても『数年前に』なんて言えるようなことじゃない。せいぜい『幼い頃に』とか、そういった言葉が出る程度のはずだ。
けれどあなたは『数年前に』と言った。可能性は二つあります。数年前に、トム・ドレディアのものでも、僕のこのスクロールでもない、第三のスクロールが使われて、あなたがそれに居合わせたという場合。そして、もう一つ。
あなたにとって、数年前と三十年前は大した違いが無いという場合です」
「…………」
魔女は黙って僕を見ている。表情に最早笑みは無い。ただただ胡乱気に、僕を見る。
ーーいえ、違います。少なくとも、手記に書いてあったのは、そういった自分でそれらを見つけ出した類の話ではありません。彼は唆されたのです。
エリーゼの言葉を思い出す。トム・ドレディアは一体誰に唆されたのか。どうして古い王朝のことを、この魔女は知っていたのか。どうしてこのスクロールについて、この魔女は知っていたのか。
ーー世界規模でものを考えるなら、不死はありふれた現象ですよ、センパイ。
「あなたは、おそらく不老不死の肉体を得ている。自分自身の魂を人形に移し替えることによって」
魔女を右手で指差す。左手はポケットに入れて。気づかれないように、ポケットの中で瓶の蓋を取る。
相変わらず胡乱気な視線を寄越す魔女。左手には気づいていないことを祈る。
「……だとしたら?」
「え?」
「だとしたら、なんなのかしら? 確かに私はあなたの言う通り、ある種の不老不死よ。トム・ドレディアのことも知っているわ。三十年前……もうそんなに遠い昔のことだとは全く思わなかったけれど、三十年も前のことを数年前なんて言って、その表現から不老不死を見抜かれるとは思っていなかったわ。すばらしい慧眼ね。けれど、ーーだとしたら、なんなのかしら?」
「…………」
「それは私が王の断片について知っていたことの証明であって、私が不老不死であることの証明であってーートレアとかいうモノと私との繋がりを証明するものでは、ないのではないかしら?」
「あなたが王の断片について知っていたのならば、それはトレアとの繋がりを疑うに足る十分な根拠ではありませんか。僕はそもそも、トレアの体に封印されたスクロールを、籠の呪文を解除することで手に入れたんですから」
僕は断言する。
「僕たちが出かけた先で女の子を保護し、その女の子の体には古い魔法具が封印されていて、その魔法具についてあなたは知っているにもかかわらず黙っていた。
その女の子がまるで人間ではないことを示すような根拠がいくつもあり、あなたの研究テーマは人形。そしてなにより、人のようにしか見えない人形としての実例が、他ならぬあなた自身だ。
ここまでお膳立てが整っていて、まさかトレアと私は何の関係もありませんなんて、そんなとぼけたことは言いませんよね、先生?」
憎々し気に。
憎々し気に、魔女が僕を睨みつける。楽しくなさそうに。僕を睨みつける。僕はその視線に対し、まっすぐ見返す。視線の応酬。魔女の真意は、僕には見えない。僕はただ魔女の過去の真実を暴き立てるためにここにいる。
世界に横たわった過去は、決して変えられない。死者の墓を暴いてでも、僕は真実を知りたい。だから、魔女と対峙する。
「そもそも、です」
僕はさらに言葉を続ける。
「そもそも、誰かがトレアを作ったとして、ならばトレアを意図的に僕たちに拾わせるには、ポラリス荒野という行き先を知っていなければならないんですよね。けれど、それを知っているのは、僕たちにフィールドワークの依頼を出したクロッズ先生か、あるいは手続きを行った事務員か、僕たちか、そうでなければ、僕にこの場所でスクロールを渡したあなたしかいないんですよ」
ポラリス荒野に出かける二日前。講義を終えた僕がこの研究室に立ち寄った時、アイラに渡されたスクロールは開封された状態で、そしてこの魔女は僕たちのフィールドワークの行き先を既に知っていた。
「ポラリス荒野だけじゃありません。僕たちが囁爪狩りにヘイムギルに行くことだって、あなたには話していたはずだ」
ヘイムギルに出かける前日。僕は魔女にスクロールについて教えてもらった後、初任務の行き先について話していた。ヘイムギルに立ち寄って、そこからグランダード平原に出かけるのだと。
「だから、大前提としてーーここ最近の事件が全て一人の意思によるものだとしたら、それを行えるのはあなただけなんですよ。他の人はそれを行うに足る情報を、そもそも持ち合わせていないんだ」
ポラリス荒野にフィールドワークに出かけることと、囁爪狩りにヘイムギルに行くこと。この両方を知っていたのは、この人しかいない。いくつもの仮定の上に成り立つ脆弱な理論だけれど、今の僕でたどり着けるのはこの辺りが現界だ。
「だから、最後です。ーーヘイムギルを襲った竜は、あなたの差し金ですね?」
だから僕は、最後の証明を行うために、魔女を問いただす。