#7
クロッズ・ドットウェルの研究室で確認すべきことを聞き終えた僕は、エドと共に実験棟近くの修練所に来ていた。固く踏み固められた土に、正方形になるように目印が埋め込まれた試合場が、合わせて八個ある。その中の一つで、僕はエドと向かい合う。
「あれ、なんだったんだ?」
エドが僕に尋ねる。あれ、というのは、クロッズ先生に聞いたことだろう。どうして僕たちのフィールドワークの行き先に、ポラリス荒野を選んだのか。その理由は、まあ、くじ引きで選んだらしい。選んですぐに依頼書を書いて、直接学務に持ち込んだそうだ。あの時、ギルドを選んでいないのは僕たちくらいで、正直行き先を考えるのが面倒だったと言われてしまった。なんというか……うん、申し訳ない限りだ。
「まあ、気にしないでよ。あれはちょっとした確認」
僕の答えにエドが不思議そうな顔をするが、すぐに気を取り直してマギカソードを構える。僕はそれに応じて、死に別れぬ者の剣を抜いた。深呼吸をして、意識を集中させる。
聞きたいことがあると言った僕に、エドが出した条件がこの試合だった。いつもの訓練ではなく、試合。要するに、相手を殺さなければなんでもありの力試し。
「いくぜ、《雷の加護》」
エドの体が青白く光り、剣が纏う雷がちりちりと空気を焼く。自分自身の肉体に雷の精霊の信仰を引き寄せる、霊憑依の応用魔法。エドが実戦で最も用いる魔法の一つだ。
姿が消えて、間近に気配を感じる。右後ろ。そちらを見ずに、反対側に一歩踏み出して、振り向き様に刃を振るう。青白く輝くマギカソードと死に別れぬ者の剣がぶつかって、甲高い音を立てた。
白い殻。それがエドを覆い、外界から隔離するイメージ。正確に《アカーテの幽閉》を発動し、エドを閉じ込める。ぐるぐると回転しながら、白い帯状の魔力物質がエドを包み込む。《アカーテの幽閉》は強力な結界によって球状の空間を断絶する、防御魔法としても隔離魔法としても優秀だけれど、その顕現する時間は僅かだ。
数呼吸の僅かな時間。
ポケットから瓶を取り出す。鞄から移動させておいた、徒然蛾の繭を停止の水薬で保護したもの。蓋を乱暴に取って、逆さまにして繭を地面に落とす。それめがけて剣を突き降ろした。刃に貫かれて繭が破れ、準備が整う。
想像するのは糸。繭を構成する無数の糸が、拡大して再現される魔法。
「《コクーンの拘束陣》ッ!」
魔法の名前を唱え、イメージを補完する。《アカーテの幽閉》で隔離された空間めがけて、地面から円形に無数の糸が生え、飛びかかる。《コクーンの拘束陣》を使うのは随分と久しぶりだったので、上手く発動させる自信がなかったけれど……。どうやら大丈夫だったみたいだ。
地面から無数にのびる糸が、エドの体に接触しようとした瞬間。バチバチバチバチと音を立てて、火花とともにそれらは焼き落とされた。エドが詰まらなさそうに息を吐き、僕を睨みつける。
「俺に接触するようなモンは、大抵効かない。しかもご丁寧に準備時間まで用意してくれたんだ。通用すると思ったんなら、まるでダメだな」
「そりゃあどうも。でも、それも織り込み済みなんでね」
むしろこれは、本番前の練習だ。
一呼吸置いて、エドの剣がまっすぐに突き出される。微かな予備動作しかない突き。一歩で間合いに入って、その時にはもう突きを放っている。僕はマギカソードに目の力を使いつつも、死に別れぬ者の剣の腹でそれを受け流す。
僕たちは呼吸の音さえ聞こえるような、接近した間合いに入った。
一歩。受け流したエドの剣とは反対側に飛び出す。体をひねって、外側から刃を向けた。空中で半回転しながらの斬撃。死に別れぬ者の剣がエドに接触するが、まるで刃などなかったかのように素手で受け流される。
僕とエドはそのまま距離を取り、お互いに剣を構え直した。
「やるじゃんか」
エドが楽しそうに笑う。こうやって僕が反撃すると、どうしてだかエドはいつも楽しそうだ。そして、楽しそうなエドは強い。
「俺の《雷の迎撃》を回避するために、空中から攻撃するってのは、さすがよく観察してる。雷は地面にしか落ちないからな」
「それくらいは知ってるよ。観察というより、知識だ」
「相変わらずご立派な記憶力だな。まあ、知識だけじゃ実戦では役に立たないってことを、教えてやるよ」
空気がはじけるようなかすかな音とともに、エドの姿が消える。瞬きをするような一瞬での移動。全く認識が追いつかない。今度は正面。剣を振り下ろすエドを認識した時には、既に刃が振り下ろされていた。かろうじて一歩下がり、なんとか死に別れぬ者の剣で刃を受ける。
エドが体を反転させる。逆からの、水平切り。完全に僕に背中を向けるような体勢になったものの、その隙を付くようなことはできない。
エドの肉体は人間の速度を超えている。
速さとはつまり、そのまま力に等しい。
アイラの水が多彩な術を体現し、メディの炎が圧倒的な破壊力を持つように、エドの雷は全てを置き去りにする速さを誇る。
二度目の刃もなんとか受ける。受けられたと見るや否や、エドは剣を手放して両腕をまっすぐ僕の胸に突き出した。肺を狙った、掌による殴打。とっさに後ろ向きに跳んで衝撃を殺すが、意味があったのかどうか首を傾げる程度にはダメージを受けた。呼吸が止まる。地面に体を打ち付けながら吹っ飛ぶ。
「ふう、ま、こんなもんか?」
ぼろぼろになりながら立ち上がると、エドを纏っていた青白い光は消えていた。時間切れのようだ。僕の方は戦闘不能寸前といった状態で、呼吸も荒く、肺も腕も痛い。吹っ飛ばされた時にどこかにぶつけたらしかった。
エドはマギカソードを拾い上げ、再び構える。楽しそうに笑いながら。満身創痍の僕とは対照的な立ち姿だった。
「まだやる? 俺はやれるけど?」
「はぁ……はぁ……いや、遠慮しとくよ」
口の中がべたつくのが不愉快だった。呼吸はまだ整わないが、なんとか声を絞り出した。僕の返答を聞くと、エドは途端につまらなさそうなため息をつく。
「そか。じゃあまあ、つき合ってもらったわけだし、今度はロイの番だぜ。質問って何だよ」
「ああ、そうだった……」
僕はエドに聞きたいことがあった。エドにそれを伝えた時に、条件として提示されたのが、この試合だ。稽古じゃなくて、真面目に魔法も使って戦うこと。それが、エドの出した条件で、僕はそれを飲んだ。勝敗に関わらず、試合に付き合ったら質問に答える。そういう話だった。
「あのさ、エド。聞きたいんだけど、昨日のこと」
「ああ? 昨日のことって……ああ、お前がその目で死のうとしてて、俺が殴ったことか?」
「そうそれ。あのさ、あの時なんでかエドに目が効かなかったんだけど、アレ、何?」
「何って、単純な話だよ。お前のアレは要するに魔眼の類だろ? 視線殺しの魔法具を身につけてたんだよ。ほれ、このブレスレット」
エドは右腕を持ち上げて僕に見せる。確かにその腕には、見慣れないブレスレットが光っていた。視線殺しの呪文は、要するに『視線が通った』という意味を無かったことにするようなものだ。僕がエドを見ていても、視線は通っていない。だから、視線の先にあるものに莫大な熱を与えるこの目は、その意味を発揮しなかった。
「いや、それは何となく予想がついてたんだけどさ」
けれど僕は言葉を重ねる。エドに炎の眼が効かなかった時点で、視線殺しの魔法具か、あるいは冷気を纏うような呪文を使っているだろうことは予想がついていた。知りたいのはその、僕の目に対する具体的な対策の内容じゃない。
「そのブレスレット、どうして用意したのかなって。エドにこの目のこと、詳しくは話してないよね?」
「ああ、そのことか」
エドは何でも無いように、さらりとその名を口にした。
「お前の先生にーーニーナ先生に、教えてもらったんだよ」