#5
セイカと別れて部屋に戻ると、アイラが目を覚ましていた。
「ロイっ! どこに行ってたの? 怪我は大丈夫?」
慌てて駆け寄ってくるアイラ。ぺたぺたと僕の体を触る。
僕に殺されかけたことなんてどうでもいいとでも言うような態度。アイラにとって、多分、僕がアイラを殺そうとしたこととか、疑ったこととか、どうでもいいことなんだろう。僕自身の平穏に比べたら。
「大丈夫だよ。もう朝までどこにも行かないから。……けど、ちょっと話をしようよ」
そう言ってアイラをベッドに座らせて、僕は備え付けの簡易的な椅子に腰掛ける。
アイラは戸惑っている。僕が目を覚まして、急に落ち着き払っているのが変なのかもしれない。
「まず、謝るよ。言い過ぎたし、やり過ぎた。ごめん」
「……いい、の。私も、嫌なこと言っちゃったから。
あの、言ったこと、本当だけど、全部じゃないよ。トレアちゃんのこと、私、嫌いだったけど、好きだったから」
「知ってるよ。僕だって、いろんな人のこと、好きだったり嫌いだったりする。好きが全部とか、嫌いが全部とか、そんなこと、ないよね」
僕はエドのことが嫌いだ。本当に心底ムカつく。僕に持っていない力を持っていて、僕にできないことをやってしまう親友。
でも、エドのことが好きな部分もある。頼りになるし、単純でバカだけど、それに救われることもある。優柔不断な僕を後押ししてくれる。
好きなところと、嫌いなところがある。それだけだ。アイラにだって、トレアの好きなところも嫌いなところも、両方あった。今まで僕がそれを考えようともしなかっただけだ。アイラも僕と同じなだけだった。
「あの時は冷静じゃなくて、そんな簡単なこともわからなかったんだ。あれは、アイラがやったんだよね? 僕の感情を引き受けて、理性を引き渡す呪文」
「そう。ロイ、見てられなかったから……。倫理の天秤の呪文。勝手に感情を操るようなことして、ごめんなさい」
メディが唱えた呪文は、感情や理性を司るものを表す鍵言葉と、それらを操作するような意味のものだった。アイラが使った呪文の効果を打ち消して、アイラが引き受けた感情を僕の方に戻した。だから、僕は突然混乱して、冷静にものを考えられなくなったんだろう。
「それについてはわりと不本意だったけど、でも、いいよ。怒ってはない。でも、アイラが負担を負うようなやり方には怒ってるかな」
「……それについて怒られるのは不服。ロイだって、自分を犠牲にしてメディを助けてた。羨ましかった」
メディを助けたというのは、先月の話だ。フィールドワークに出かけた先でグリフォンに襲われて、僕はメディを助けるために重傷を負い、しばらく入院していた。メディを庇ったんじゃなくて、二人で助かるために僕が怪我しなきゃだめだったんだけど。
「それは……まあ、それを言われると、返す言葉もないけどさ」
返す言葉もないけど……羨ましかったって。それはちょっと自分に正直すぎるのではないだろうか。うーん、でもまあ、こういう部分、いままで僕には隠してたわけだし、良い意味でアイラも吹っ切れたのかもしれない。
「アイラ、これからは、嫌なところももっといっぱい見せてよ」
「……どうして?」
「ちゃんとアイラのこと知りたいから。ただの僕のわがままだよ。欲望と言っても良い」
「欲望? じゃあ、私が嫌なところ見せると、ロイは満足する? 嬉しい?」
「嬉しいよ」
僕は頷く。アイラの嫌なところも、ちゃんと知らなくちゃいけない。僕の嫌なところも、ちゃんと隠さずに見せなくちゃいけない。
「わかった。じゃあ、教える。とりあえず、さっきまで誰と会ってたのか教えて」
「セイカと会ってたよ」
正直に答えると、アイラが怒る。眉を寄せて不服そうな表情になる。
「眠っている私を放置してあの女に会いにいったのは許せない。そういえば、結局部屋で二人きりでベッドの上で向かい合って何してたのか、教えてもらってない」
「いや、あれは……その、慰めてもらってたんだよ。つまりさーー」
それから僕とアイラは、いろんなことを話した。妹のこと。トレアのこと。僕の罪悪感のこと。アイラがどうして僕を好きなのか。どうして僕がアイラを好きなのか。メディのこと。エドのこと。セイカのこと。僕に対して怒っていること。アイラが僕に隠していた沢山の内面。僕がアイラに隠していた嫌悪感。それらを、眠らないで話した。
ずっと一緒にいたのに、子供の頃から今まで片時も離れなかったのに、アイラとこんなに沢山喋ったのは初めてだった。
死人の脳薬を使った話をすると、怒られた。
トレアに嫉妬していた話を聞いて、呆れた。
エリーゼに会ったことを言うと、また怒られた。
僕が苦しんでいるのを見るのが楽しいって聞いて、わりと引いた。
エドと喧嘩した時の話をして、笑われた。
「ロイ、私は一つわがままを言います」
ひとしきり話終えたところで、唐突にアイラが切り出した。
「ん、なに、突然? わがままって、わざわざ宣言するもの?」
「そんなことはいいの。……約束してほしい。あの時も言ったけど、これは私のことが好きだからとか、そんな条件のない、約束。
私をおいて死なないで」
アイラはまっすぐに僕を見る。死んだような目でも、涙に揺れる目でもない。透き通った、奇麗な目。吸い込まれそうな、アイラの目だ。僕の良く知る、奇麗な目だ。
あの時。あの、丘での言葉だ。
ーー私のことを少しでも好きなら……おねがい……、自殺なんてしないで。じゃないと、私は生きていられない。
「それは、アイラが僕無しじゃ生きていられないから?」
「それもある。でも、死んで欲しくないって思ってもいるから」
「そっか……。うん、わかったよ、約束する。誓うよ。僕は君をおいて死なない。命を大事にする」
「ん。よろしい」
僕が告げると、アイラは満足したようで、何度も頷いていた。
命を大事にするなんて、今までの僕じゃ言えなかっただろう。アイラにだって醜い部分はあって、僕にだって醜い部分はある。僕は今まで、自分の嫌なところしか見ていなかった。その上、だから幸せになる価値がないとか、だから自分を犠牲にすべきだとか、思っていた。
妹を不幸にしたから、僕は幸せになってはいけない。そんな風に思い込んでいた。
「やっと、ちゃんと答えてくれた」
アイラが涙を流す。ぽろぽろと。
「ずっと、好きだっていっても、ちゃんと答えてくれなかったから……。はぐらかされてばっかりだった。だから、私は、とても嬉しい」
アイラが僕を抱きしめる。いつもと同じ、やわらかいアイラの体の感触がする。僕もアイラの背中に手を回す。妹を置いて。妹はここにはいない。僕が視力を奪った妹。人生を奪った妹。守れなかった妹。妹のことを考えると、罪悪感で苦しくなる。それでも僕はアイラを抱きしめる。
僕は後悔も欲望も、まとめて抱え込む。
「大好きだよ」
アイラの耳に囁く。背中にまわされた腕が、一層強く僕をしめつける。首もとにアイラが顔を埋める。髪が頬に触れる。熱が伝わる。アイラの体の熱は、僕の目の熱と、全く違うものに思えた。
「私も、大好き」
アイラが囁く。