#4
暗闇の中で、僕は目を覚ました。
空気が乾燥している。風の音はない。温かい。室内にいるみたいだった。右手に誰かの手のひらを感じて目を向けると、アイラがベッドにうつぶせて眠っていた。涙の跡がある。泣きつかれて眠ったのだと、一目で分かった。
頬が痛い。エドに殴られた傷は、まだ癒えていない。治癒魔法を使うほどでもない傷だからか。子供の喧嘩にかまけているほど、医術師も暇じゃないんだろう。明かりの呪文を唱えて、光を灯す。アイラが身じろぎしたけれど、目はさまさなかった。
知らない部屋だったけれど、ここがどこかはすぐにわかった。おそらく、どこかの神殿の病人向けの宿舎だ。アイラに掴まれたままの右手をほどき、両手で顔を触る。見事にミイラ男になっていた。火傷の跡、残るだろうか。
頭は酷く冴えていた。
ぼんやりと考える。あれだけ荒れ狂っていた感情は、今は鳴りを潜めていた。夢の中で答えを見つけるなんて、どこかの物語の学者みたいだ。本当にあるんだな、こんなこと。おかげさまで、僕は冷静になれているから、良かったのだけれど。
僕の目が見たものを焼き払う魔眼のようなものだということは、きっとエドも知っていた筈だ。詳しく話していなくとも推測は立つだろう。それで、僕があんな風に暴走したときのために、魔眼の効果を打ち消すような魔法具を用意していた。そう考えると辻褄が合う。視線を向けたものを焼き払うなら、視線を向けられなければ良い。そういった、視線殺しの魔法具は、いくつか知っていた。
そして、あの時のメディの呪文。あれはアイラの呪文に対する対抗呪文だ。今ならわかる。
アイラがトレアを疑っていた話をしたとき、僕とアイラは体を触れ合わせていた。あの時に、何かの呪文を使ったんだ。エリーゼはそれに気づいて、感情をコントロールするのは良くないなんて忠告してくれた。会話していて、僕の違和感に気づいたんだろう。
アイラの呪文の効果はおそらく、感情と理性の交換。僕の感情の乱れの一部をアイラが引き受けて、代わりに理性の一部を僕に引き渡す呪文だ。
あの時、直前までトレアの死から逃げようとしていた僕が突然真相の究明に乗り出したのは、アイラの呪文が原因だ。詠唱はしていなかったから、なんらかの身体的接触で発動するような細工を施していたんだろう。
僕が一人でふさぎ込んでいる間に、二人は僕に気を使ってくれていたんだ。
ため息が出る。
あとで、ちゃんと謝って、感謝しなければ。
本当にありがたい友人だ。
僕は立ち上がる。ベッドにうつぶせているアイラを起こさないように注意しながら。肌寒い。もう本格的に雨の季節が近い。部屋から出て、剣戟の聞こえる方に向かって歩く。僕の想定通りの来客だろうか、それとも全く関係のない人物だろうか。なんにせよ、確認しなければならないと思った。
剣戟。刃と刃が打ち合う音。遠くから微かに、けれどはっきりと響くその音は、僕を真実へと誘っていた。
迷いながらもなんとかその場所にたどり着く。月が出ていた。月明かりの下で、細身の少女と真っ黒な影が、刃を交えていた。
真っ黒な影は、短いダガーを使っているみたいだった。動きに無駄がない。素早く、確実に少女の急所を狙っている。
対する少女は、小手でダガーを防ぎ、牙で黒い人影の喉を噛みちぎろうとしているようだった。
牙を使う少女。真っ黒な影。
牙と刃が、刃と小手が、ぶつかる音が何度も響く。少女の戦う姿は、しなやかな獣のようで、月明かりに照らされてとても美しく思えた。
拮抗していた戦いは、やがて少女が影のダガーを弾き飛ばすことで、急速に終わりに近づく。少女は黒い人影の両腕を掴むと、大きく口を開けた。
口が巨大化した。化け物みたいなシルエットが、月明かりに照らされる。ぞろりと並んだ牙の中に、月明かりに照らされてもなお真っ暗な口内が見える。
僕は再び、ため息をついた。
そして、目に力を込める。それだけで、黒い人影の首が蒸発した。
少女は突然体積を減らした獲物に首を傾げて、ぐるりとこちらを向いた。巨大な口は既に閉じていて、元通りの顔が見える。
「そんなの食べたら腹壊すぞ、セイカ」
「やーですね。女の子の内蔵の心配するなんて、デリカシーがないですよ、ロイさん」
頭部のない死体をぽいと捨てて、セイカが僕に駆け寄ってくる。十分にセイカと死体の距離があいたことを確認して、僕はそれを焼き払った。
「その目、コントロールできるようになったんですね?」
「そうだよ。そういえば、さっきは助かったよ。おかげさまで、友達を殺さないで済んだ」
「いえいえ、どういたしまして」
メディとセイカがいなければ、とっさに僕の状態に気づいて逃げ出してくれなければ、僕はアイラを焼き殺してしまっていたと思う。
「ついでにもう一つ、ありがとう。あの黒いの、僕を殺しにきてたんだろ?」
「およ? なんでです? どうしてそう思ったんですか?」
ニヤニヤと楽しそうにセイカが問いかける。わかってて聞いてる顔だ。多分、僕の口から答えを聞きたいんだろう。
「簡単なことだよ。君が戦っていたからだ。君は、僕に危害を加える人物から、僕を守ろうとしている。トレアと会ってからずっとだ」
「へへえ? それはなんでまた? 私はどうしてそんな奇特なことをしているんでしょうね?」
「サインはあったよ。このピアスだ」
僕はセイカに、自分の耳についているピアスを触って示す。セイカの耳にも、同じものが光っている。いや、正確には全く同じではない。夜鳴き鷹の宝玉。その核を用いたものが僕のピアスで、礎石を用いたものがセイカのピアス。
「元々一つだったものを分けることで、それらには繋がりが生まれる。セイカ、君はこのピアスの宝石について尋ねた時、夜鳴き鷹の宝玉だって言われて、『それなら十分だ』って言ってたよね。あれは、僕の居場所を探知する呪文の補助として、十分役割を果たしてくれるっていう意味だったんじゃないのか」
僕の答えを聞いて、セイカは笑みを深くし、満足気に頷く。
「大正解です。えへへ、よくわかりましたね。知らないとわからないから、多分わからないと思ってたんですけどね」
「竜が仔を見つけるのと、同じ方法だよ」
「なーるほど。そういえば、ヘイムギルを襲ったのも竜だったみたいですね。竜は仔を守る。けれど、どうやって仔を探しているのか、といった疑問が出発点でしょうか」
「そうなるかな。というか、竜のことを調べたのは、ついさっき、僕の部屋でだけどね」
なるほどなるほど、と頷くセイカ。ああ、こんな風に話しているけれど、彼女がどうして僕を守っていたのかは、結局のところわからないままだ。推測はついているのだけれど確信はない、というのが正解か。だからまあ、この場はこの程度でいいだろう。
「それにしても、びっくりしたよ。まさかあの黒いの、食べようとするとは思わなかった」
「うへへ、なんてったって、女は歯が武器ですからね」
頬を引っ張って八重歯を見せつけるセイカ。その言葉、文字通りの意味だったのか……。怖すぎる。
「それよりロイさん、私を殺さないんですか?」
唐突な問いかけ。けれど、その問いかけの意味を、僕はもう理解している。わかってしまっている。トレアのことも、全て。
「……殺さないよ。君はもう、僕の友人だからね。友達は、どんな悪意にも殺させない」
「それはそれはご立派な決意ですが、私がロイさんを殺そうとするかもしれませんよ?」
「そのときは必死で抵抗するよ。殺さない程度にね」
「牙がありますからね。首を刎ねないと止まりません」
「その時は腕でも食わせてやるよ。それで口寂しいのが治まるなら、まあ悪くないかな」
僕が答えると、セイカは楽しそうに目を細める。
「……うふふ、本当に見違えるほど、落ち着きましたね、ロイさん」
「ああ、いろいろ、わかったことがあるからね。君のことも、多分」
「それは良かったです。じゃあ、私はどうしたら良いですか?」
「セイカには、そうだね……じゃあ、伝言を届けてもらおうかな」
僕が内容を伝えると、セイカは嗤って頷いた。
月明かりの下でみる彼女の表情は、八重歯の見える笑顔で、僕にはとても醜くみえた。