#13
悪夢だった。
不安と焦燥感でわけがわからなくなる。わけがわからなくなるから不安と焦燥感が増す。その繰り返し。白い腕がまとわりついて僕をどこかに引きずり込もうとする。どこかはわからない。暗い暗い水面があって、そこから腕がたくさんとびだして、ぼくの脚や腕や肩を掴んで離さない。
暗い暗い水面の下にいってはいけないことだけがわかっていて、ただただ怖かった。怖いから逃げようとするのに、白い腕が離してくれない。離してくれないから暗い暗い水面がどんどんどんどんぼくを飲み込んでいく。
飲み込んでいくから怖くて、不安で、僕は逃げようとする。逃げようとするのに、腕はぼくをぐいぐいと引っ張る。だから僕は怖くなって、わけがわからなくなる。わけがわからなくなるから不安と焦燥感が増す。その繰り返し。
白い腕がまとわりついてぼくをどこかに引きずり込もうとする。どこかはわからない。暗い暗い水面があって、そこから腕がたくさんとびだして、ぼくの脚や腕や肩を掴んで離さない。暗い暗い水面の下にいってはいけないことだけがわかっていて、ただただ怖かった。
怖いから逃げようとするのに、白い腕が離してくれない。離してくれないから暗い暗い水面がどんどんどんどんぼくを飲み込んでいく。飲み込んでいくから怖くて、不安で、ぼくは逃げようとする。逃げようとするのに、腕はぼくをぐいぐいと引っ張る。
だからぼくは怖くなって、わけがわからなくなる。わけがわからなくなるから不安と焦燥感が増す。その繰り返し。のべりとした顔が僕を見る。顔立ちは見覚えがあったけれど、それが誰のものなのかわからなかった。目に光は無い。目がない。目なんてない。真っ黒なくぼみがぼくをじっと見つめていた。無機質な白い肌が不気味でまるでそれはぼくをぐいぐいと引っ張る腕のような顔だった。
顔はぼくを見て無表情だ。ぼくは顔を見ていて白い腕に引っ張られている。くらいくらい水面が近づいてきて怖くて、だけど顔がぼくをみるから逃げ出せなくなる。顔はぼくをみる。ぼくは顔をみる。くらいくらい何もない穴がぼくをみる。穴から黒い水が流れ出してくらいくらい水面に落ちていく。
顔がぼくにちかづいてくる。顔のからだからのびる腕がぼくの頬をなでて、穴から流れ出しているくろいみずはぼくの顔に滴り落ちていた。冷たくも温かくもなくて、ただぬっとりとした感触だけ。ぼくはその感触が怖くなって、必死に叫んだけれど、ぼくの叫び声は聞こえない。
顔が口を開くと、口の中も真っ黒だけど、その口から恐怖が出て行くのがわかって怖くなった。怖いから逃げようとするのに、白い腕がはなしてくれない。はなしてくれないから顔がぼくをみる。水面がどんどんぼくを見ている。怖いからにげようとするのに、白い腕がぼくをひっぱりあげる。頬をさわるけれど、黒い水がねっとりとしていて、ぼくの心臓がひっぱりだされて、掴まれたのがわかった。
だからその顔が妹のものだとわかって、ぼくが怖くなった。あやまりたくてしかたがなくて、涙が出た。ゆるしてください。ゆるしてください。ぼくは君に嫌われるのがこわくて、家族に嫌われるのがこわくてこわくて、ぼくはきみをおいて逃げたんです。ぼくの声は聞こえなくて、でも必死に言った。それなのに顔はぼくをじっとみていて、ゆるしてくれない。
くらいくらいみなもが迫ってきていて、白い腕がぼくを離してくれないから繰り返しで、滴り落ちたから黒い水はぼくを許してくれないけれど、じっと見ているぼくは心臓がどくどくと血を流していて、それが妹の顔にだらだらとたれて赤くなり、黒い水が涙みたいだ。
「ロイさん!」
急激に意識が覚醒した。
「はっ……はっ……はっ……」
呼吸が荒い。心臓がどくどくと脈打っている。腕が震えて、全身汗だくで気持ち悪い。呼吸が落ち着かない。頭がぐらぐらする。また意識が飛びそうになる。視界が暗い。目隠しのせいだ。ここは、僕の部屋だ。白い腕はどこだーー違う。それは夢の話だ。落ち着け。
「ロイさん、大丈夫ですか?」
セイカの声が聞こえる。答えようとするけど、喉が渇いていて上手く喋れない。落ち着いてきた。不安と焦燥感が消えていく。まるでどこかに吸い込まれるみたいに。僕は一度深呼吸して無理矢理に呼吸を整える。頭もすこしだけスッキリしてきた。
目隠しが解かれた。セイカが僕の前に座っている。ベッドの上だ。僕の隣に、乗り出すみたいにして。炎の目は、発動しなかった。それもそうだ。今残っているのは微かな不安と、あの警鐘だけだ。意味の分からない悪夢を見ていた感覚だけが残っている。どんな夢を見ていたのか思い出せない。
「目隠しなんてしてるから、そんな悪夢を見るんです。ロイさんは大丈夫ですよ」
そう言って、セイカが僕を抱きしめる。慰めようとしてくれているんだろう。あやすように僕の頭を撫でてくれる。悪夢の残滓が薄れていく。
「人と肌を触れ合わせると、ある程度精神が安定するらしいですよ。ロイさんが落ち着くまでこうしててあげますよ」
悪夢の残滓が薄れていく。理性が正常に機能し始める。僕がうなされていて、セイカが僕を起こした。どうして悪夢なんて見たんだ? 寝る前、僕はかなり落ち着いた状態だった。悪夢の内容は覚えていない。何かの魔法による精神攻撃を受けているんじゃないかと思うくらい、漠然とした夢だった。部屋は夕日でオレンジ色に染まっている。
「ロイさん、もう大丈夫ですか? 落ち着きました?」
「……ああ、だいぶ落ち着いたよ。ありがとう」
「そうですか、それは良かったです」
セイカは僕から離れる。不安そうに僕を見ている。心配させてしまったみたいだった。
「夢を、見た」
「悪夢ですか」
「悪夢だ。悪夢だったけど、どんな夢だったのか思いだせないんだ。……セイカ、僕が目覚める前、なにかあった?」
セイカは少し考えて、首を横に振った。
「とくに、変わったことは。私、買い出しに出てて。料理作りたかったですけど、材料まで勝手に使うのは気が引けましたから。それで、帰ってきたらロイさんがうなされてて、慌てて起こしたんです」
だとすると、なんだろうか。僕がただ突然悪夢を見ただけなのか……? でも、トレアが殺された後でさえそんな夢は見なかった。ましてや今日は落ち着いている。どうして今日に限って、悪夢を見たんだろう。
なにか、おかしい。齟齬がある。どこかに思い違いがあるような気がする。けれど、それが何かわからない。
セイカがため息をついて、再び僕に抱きつく。
「アイラさんの気持ちがわかりますね……。あんまり心配かけないでください。アイラさんも、なんだかんだ不安なんですよ。ロイさんは何を考えてるか、離してくれないですから」
「いや、セイカ。もう大丈夫だから、離れてくれるとーー」
「今度は私が不安なので、落ち着くまで抱きつかれててください」
そう言われて、僕はもう何も言い返せなかった。そういえば、目を覚ますとアイラに抱きしめられていることが多いけれど、あれも似たようなものだろうか。アイラも何か不安になって、僕を抱きしめにきていたのかもしれない。ぼんやりとそう考えた。
体は相変わらず重い。眠ったのに、疲労は取れていないみたいだった。目を瞑る。大丈夫そうではあるけれど、間違って魔法が発動しないとも限らない。まだ発動条件ははっきりしていないんだ。用心するにこしたことはない。
息をついた。油断していた。二人分の足音が聞こえて、扉が開く。開かれるまで、僕はそのことを完全に忘れていた。
夕焼けが部屋を染めている。アイラたちが竜の調査を終えて帰ってくるのは、このくらいの時間が予定されていた。そのことを忘れていた。
「……ロイ、セイカちゃん、二人でベッドの上で、何をしてるの?」
扉を開いて現れたのは、アイラだった。
炎の眼
「炎の眼」の名前を持つ古代魔法。詠唱者の見たものを発火、爆発、粉砕、分解、蒸発させることができる。詠唱者の意思に感応して発動するため、見たものを全て燃やすことはない。一度唱えたら、その術者の目は死ぬまで「炎の眼」となる。王の断片の一つ。