#9
「この街の地下ーー?」
ルディア地下迷宮……。僕も、噂だけは聞いた事がある。この街の地下には、巨大な書庫があり、それはその複雑さ故に、迷宮にまで昇格してしまった、という噂話。所謂、都市伝説の一つだ。そんな物が実在するはずがない。そもそも、大前提として、地下は本を保存するのに向いていない。湿気の影響を受けやすいし、洪水にも弱い。
「もちろん、噂通りの地下迷宮ではありませんよ。あそこは、書庫というよりは、隠し部屋を繋げて回ったような構造をしています。迷宮というよりは、巨大な蟻の巣といった感じです」
「ってことは、実在するのか?」
「ええ、しますよ。知ってる人は知っています。私もその一人です。というより、いくつかの部屋は私の庭みたいなものですし……まあ、本題は地下迷宮ではありません。これは、私が知っているもう一つの事実に関連するのですが」
もう一つの事実……。そういえば、エリーゼは、知っている事は二つだと言った。
「三十年前の話ですが、同じようなスクロールがルディアの地下迷宮から見つけられています」
「なっ……それは本当か?」
「おそらくは。もちろん、三十年前なんて、私もセンパイも生まれてさえいませんし、その記録に王の断片のことは書かれていませんが……それでも、少なくともスクロールの形状をした魔法具が見つかり、その魔法具を使って不老不死に近い肉体を得た女性がいるそうです」
不老不死に近い肉体はーーなるほど、確かに。それは竜の特徴に当てはまる。竜種はすべからく長命で、その一生を、ほぼ肉体の最盛期として過ごす。一部の種族は、驚異的な回復の魔法器官を持っているらしい。
だとしたら、その女性を不老不死にしてしまったのが、王の断片に属する魔法の効果だろう。
「王の断片に属する魔法は、当然ですが全部で七つあります。センパイの目。その女性の場合は肉体の不死性。伝承の通りだと他の魔法はそれぞれ、毒・感覚・補食能力・移動力・血液にまつわるものだと思います」
「なんつーか、七大魔法とか言って格好付けるには、生々しすぎるね」
「『人に竜を降ろす魔法』ですからね。生々しいのも、さもありなん、といったところですよ」
確かに、エリーゼの言う通りだ。それに、どの特性も、僕の知る何れかの竜の特性として顕著なものだ。毒については、牙や爪に強力な毒を持つ竜種は少なくない数確認されている。感覚についても、竜種の聴覚や嗅覚は、人間と比較にならない精度を持つという調査結果がある。血液については、不死性と少しかぶる部分もあるが、竜の血は生命力を活性化させる薬として使われると聞いた事がある。最も、貴重すぎて本当のことなのかどうかわからないが……そういった噂が流れる時点で、もう魔法的には意義があるのだし。
「その三十年前の出来事について記しているのは、トム・ドレディアという人物の手記です。彼は私と同じような嗜好の持ち主だったらしく、地下迷宮に自分の手記を残していまして……。その記述が正しければ、スクロールを地下迷宮から見つけ出したのは彼で、そして彼の手によって、女性は不老不死になったようです」
「その、トムという人は、どうやってスクロールを見つけたんだ……? それも、どこかの本に書いてあったのか?」
「いえ、違います。少なくとも、手記に書いてあったのは、そういった自分でそれらを見つけ出した類の話ではありません。彼は唆されたのです」
「唆された……? いったい誰に?」
「わかりません。不老不死になった女性のことについてもそうですが、彼は手記に人物名を明記しませんでした。ただ、彼が頼っていた人物に、スクロールの所在を教えてもらって、それが不老不死をもたらす魔法だと知っていて、その女性に使ったーーいえ、正確には、使わせたみたいでした」
「使わせた……。僕のこの目と同じで、使った人物に何らかの身体的変質をもたらす、ってことか。だから、あくまで魔法を使ったのは、トムではなく別の人物ってことか」
不老不死の女性。もし仮に、このルディアにそんな人物がいるとしたら、それに該当するような人は存在するだろうか。
「とはいえ、完全な不老不死ではないようですよ。それに、不完全な不死なら、まあよくある話です。ロイさんはこういった方面には疎いかもしれませんが、例えば人でも、フォニス族は千年近い寿命を持ちますし、それこそ竜種だって同じくらい生きます。土地に縛られた精霊なんかはほぼ不死ですし。あるいは、自分の魂について研究している学者の中には、不死の秘伝を持つと噂されている人もいます。
世界規模でものを考えるなら、不死はありふれた現象ですよ、センパイ」
不死がありふれた現象……。けど、同じ位、この世界には死が溢れている。トレアは死んだ。竜も死んだ。竜と戦っていたの紅蓮の憲兵の五人だって、半分以上が死んだ。ひと月前は、僕とメディはグリフォンに食い殺されていたかもしれない。あるいは、あの竜を殺せなければ、死んでいたのは僕たちだっただろう。
不死よりも、よっぽど死の方がありふれている。
「話が脱線しましたね。つまり、ルディアの地下迷宮から、このスクロールに似たものが持ち出されたという記録が、少なくとも私の知る限りにおいて、存在しているわけです」
「なるほどね。ともかくそれはオッケーだ。ありがとう。本当に参考になるよ。正直、全く手がかりがなかったし、調べる時間もあまりないような気がしていたんだ」
「時間がない? それはどうしてですか?」
「いや、ただの直感だけどね。なんとなく、嫌な予感がするんだ。ここ最近の出来事が、まだ単なる前兆に過ぎないんじゃないかって、そんな予感がしてるんだよ。なんとなく、致命的な出来事が待ち受けているような気がしていてさ……。ただの勘違いなら良いんだけど」
「ただの勘違いでしょう、とは言えませんね。最近、センパイの身の回りはやたらと慌ただしいですから。けれど、そうですか。私のような人間にはわからない感覚ですが、直感に従うというのは、センパイのような天才にとっては正しい方針だと思いますよ」
「天才? 僕が? 君と一緒にするなよ」
エリーゼにこそ、天才という称号は相応しいように思う。彼女の真骨頂は歌にある。伴奏もなしにたった一人で、道行く人を虜にする歌を歌い上げる事ができる。美しい声はもちろんだけれど、その歌唱技術も、筆舌に尽くし難い。
「確かに私の歌は天才的ですけれど、センパイもなかなか普通では持ち得ない才能を持っていると思っていますよ」
そりゃあ、僕にも取り柄くらいはあるだろう。僕の取り柄……いや、なんだろう。今までは「どんなときも冷静に考えれてすごい」とか言われてた気がするけど、最近はダメだ。いつから上手く頭が働かなくなったんだろうか……。ああ、そうか。トレアに会ってからだ。どれだけシスコンなんだ僕は。
「ともかく、このスクロールについてはこれくらいですね。お返ししますよ」
エリーゼがわざわざ僕のそばに寄ってきて、直接手を握ってスクロールを返してくれた。投げ渡されても困るし、差し出されてもどちらに手を出せば良いかわからない。気を使わせてしまって申し訳ない。
「ありがとう、助かったよ……。それで、もう一つ聞きたいことがあるんだけど」
「まだあるんですか……。別にかまいませんけど、ここからは貸し一つですよ? さっきの話で、月の夜の花の一件については返しましたから」
「もちろん、わかってるよ。それでも、どうしても聞かなくちゃいけないんだ。これについては本当に専門外でさ」
「ふうん。まあ、良いですよ。聞きましょう。なんですか?」
「ああ。死体について、聞かせてほしい」
ルディア地下迷宮
ルディアの地下に広がる迷宮。存在そのものが表沙汰にされないが、その気になればルディア遺棄区や各種地下道から立ち入ることが出来る。ただし、いくつもの結界や凶暴な生物も生息しているため、存在を知っていても立ち入る人物はほぼいない。