#8
エリーゼ・グランツェル。ルディアの街中の図書館を網羅している読書家で、大抵はここ、ダレンノーツの第五図書館の令室管理舎に引きこもっている。
「久しぶりですね、センパイ」
「ああ、久しぶりだね、エリーゼ」
エリーゼに手を引かれて、僕は唯一用意されている椅子に座った。もう座り慣れた簡易的な椅子。エリーゼはいつも通り、安楽椅子に座っているんだろう。この場に置ける立場の違いを表現するかのような采配だった。要するに、主人ホストと客人ゲスト。いやまあ、招かれた側が不便な思いをするのもどうかと思うし、そもそも僕は招かれてなどいないのだけれど。
とはいえ、エリーゼには教えてもらわないといけないことが沢山ある。エリーゼが僕の知りたいことを知っているという保証はないけれど、僕はこの少女の知識を信頼していた。期待してもいる。僕より遥かに多くの物事に詳しい。
エリーゼが椅子に座る気配がした。
「あの日以来ですね。ああ、そういえば、月の夜の花は無事に薬にすることができました。ありがとうございます、センパイ」
「それは良かった……。あと、どういたしまして」
あの日とは、三ヶ月ほど前の話だ。まだギリギリ四年生だった僕は、エリーゼに頼まれて月の夜の花を探すのを手伝った。出かけた先でアイラに遭遇して、いろいろと修羅場ったのだけれど、今となっては懐かしい話だ。
「あの花のお礼というわけではないですけれど、今日は珍しく、知っていることを何でもお教えしますよ。センパイも、あまりいい状態ではなさそうですし」
僕の目のことを気遣ってくれるエリーゼ。でも、そもそもエリーゼはどこで僕の目のことを知ったんだろうか……いや、彼女はハウンズに出入りしている歌姫でもある。そういった所から情報を得たんだろう。最初はヘイムギルを竜が襲ったという話から、やがて僕のことにたどり着いたとしても、不思議ではない。もうあの出来事から何日も経っているのだし。
「この目のことについて、聞きたいんだ。エリーゼは、このスクロールについて知ってる?」
僕はジャケットの胸ポケットから、閉じられた状態のスクロールを取り出して、エリーゼに渡す。
「これは……、まさか、王の断片? 古い王に使えた七人の魔法使いの、古代魔法ですか」
王の断片……その言葉は初耳だ。やっぱり、エリーゼを尋ねて正解だった。
「やっぱり知ってるんだ……」
「ええ、真贋はともかく、この紋章には見覚えがあります。それに、スクロールの形状をした魔法具にも心当たりがありますし」
「頼む。知っていることを教えてくれないか」
「……私が知っている事は二つです。一つは、先ほども言った古い王について、彼の伝説を長ったらしく記した大冊があります。この図書館の、二三六番目の書架にある、《エグリディノス王朝》というものです。
この大冊は古エグリディノス王朝について、その歴史を記したものです。この中に、王に仕えて世界さえ書き換える魔法を産み出した一人の巫女と、七人の魔法使いが現れます。そこで、彼らの魔法について言及されている部分が、おそらく公式ーーというか、由緒正しい記録です」
「巫女? 魔法使いはともかく、巫女もいたのか」
「王朝に関わっていた人間は当たり前ですが沢山いますよ。巫女もその一人です。そういう人もいた、という程度の認識で良いと思いますよ。
問題は七人の魔法使いの事です。しかし、王の断片ですか……。先輩が目隠しをしているのも、竜を滅ぼし得たのも、王の断片の力ということなんですね?」
あるいは、それを模造した魔法や、魔法具のーーというところ、だろうか。
「魔法具……さっきも言ってたけど、このスクロールはやっぱり魔法具なのかな?」
「その本の記述が正しければ、です。七人の魔法使いが残したのは、『人に竜を降ろす魔法』です。その力の方向性が異なる魔法を七種類、それぞれ鍵とともに魔法具にして、自分たちが死んだ後も王を守れるように、誓いと共に後世に残したとされています。
まさか実在するとは思いませんでしたが……。このスクロールの力で、センパイは竜を滅ぼしたのですね?」
「ああ、そうなる。ただ、正直に言って、何が起こったのか全くわからないんだ。僕の目は、物を見るだけで炎を生み出す。見るだけだ。意識を集中させる必要もないし、何のイメージにも連動してない。強いて言えば、僕の精神が不安定な時にだけ、炎が生み出されるんだ」
「精神が不安定な時だけ……ですか。それはすごく気になりますが……。でも、炎を生み出す目については、確かに記述が残っていました。それに、通常の魔法の発動プロセスと異なる、というのにも頷けます。
七人の魔法使いが残した魔法の中に、『睥睨するだけで世界を焼き滅ぼす魔眼』があったように思います。炎の眼というその魔法はーーいえ、王の断片の全てがですが、これらは通常の魔法とは根本的に異なる一つの特性を持っています」
根本的に異なる特性?
「これらの魔法は、使用者の肉体を、魔法的に変質させるのです」
魔法的に変質。つまり、どういうことだーー?
「だから、センパイの目は、伝承の通りなら一生そのままです」
一生そのままーー。
エリーゼの言葉に愕然とする。一生そのままってことは、僕の目は失われたも同然ってことか。
けれど、すぐに気持ちが切り替わる。仕方がない。ああしなければ僕は竜に殺されていたし、アイラも守れなかった。なにより、妹の視力を奪った僕が、同じように視力を奪われたのは、因果応報とでも言うべきだ。
「思ったより驚いていませんね」
「いや、これでもびっくりしてるよ。ただ、もう仕方ないし、ある程度覚悟はできていたからね」
「そうですか……。先輩、やはりーーいえ、今は本題ではありませんね。……それで、この魔法は既に発動し終わっていて、先輩の何らかの行動が引き金になって、鍵が開いたんでしょうね。どうもこのスクロールは、特殊な鍵が施されているようですから……。
伝承では、魔法の力を得るのに特に条件はなかったはずです。血縁にもこだわらない王だったようですから、センパイの血筋が理由で発動したというのも考えにくいでしょうね。このスクロールが本当に王の断片ならば、ですが」
「ふうん……。まあ、だいたいわかったよ。それでさ、そのスクロールは、やっぱり遺失してたんだよね?」
「そうですね。私の知る限り、七つのスクロールは遺失しています。偽物さえ出回っていません。また、伝承と同じような魔法さえ再現できていません。人の体を伝承ほど変質させるような魔法は、未だに発明されていないはずです……。少なくとも、国境を越えた魔術師連盟によって開示された魔法の中には存在しませんね」
「だとしたら、このスクロールの出所はどこだと思う?」
「出所……。それが、聞きたい事ですか」
そう。その通りだった。
僕がエリーゼに聞きたかった事は、このスクロールの出所に関する意見、あるいはヒントだった。トレアが自分自身でこのスクロールを手に入れたのだとしても、誰かによってその身に封印されたのだとしても、どちらにせよ、このスクロールの出所と、トレアに隠された謎とは繋がっている。
「それはセンパイのほうが詳しいのではないですか? このスクロールを手に入れたのはセンパイですよね」
「人からもらったんだ。今となっては、こんな貴重で危ないものなんて受け取るべきじゃなかったと思ってるよ……」
「それならば、私ではなくてその人に聞けば良いのではありませんか?」
「それは無理だ。その人は数日前に死んだから」
「…………」
トレアは死んでしまった。その事を簡単に口に出せた自分に違和感を感じるーーいや、元々、僕はトレア自身に執着していたのではない。トレアを通じて、妹に執着していただけだ。だから、言い換えれば、僕に取ってトレアはただ保護しただけの少女だ。
少しの沈黙の後、エリーゼが口を開く。
「そうですね……。心当たりがないわけではありません
もし、仮にこのスクロールが本物だとしたら、それが封じられていたのはおそらく、この街のーールディアの地下迷宮だろうと思います」
月の夜の花
テリア目の花。月の光だけを反射する魔法器官を持つ。魔法器官を移相することで、月の光を効率的に集めるような道具や、月の光でしか視認できない道具を作ることが出来る。また、月の光でしか見えない顔料を作ることもできるため、視認の難しい魔法陣などを制作できる。
薬草としても非常に価値が高い。