#4
「刃によるものではない? けれど、トレアは血まみれで……」
「ええ、確かに血まみれでした。心臓と、肺と、両腕の合計四カ所が刺されていました。
殺害に使われた武器は不明でして……その、医術師も首を傾げていて。どうやら、刺されたときには既に心肺が停止していた可能性がある、と」
「……刺されたときには死んでいた?」
「医術師が言うには、です。もし詳しく聞きたいのであれば、専門的な話になりますので、私ではうまく言えないのですが……。なにか、先天的な病気などを持ってはいなかったか、と聞かれまして。そういったことに心当たりはありますか?」
「いえ、僕が見ていた限りではありません……」
一瞬、籠の呪文が思い浮かんだが、あれは無関係だろう……たぶん。
「そうですか……。わかりました。ひとまず、騎士団として気になったことは以上です。ほとんどが不明、という結果になりましたが……。その、騎士団としてはこれ以上の人員を割くわけにもいかないんです。戸籍の調査だけはもう少し続けますが、それくらいしかできることがなくて……」
若い声が辛そうに言う。遺族に対して、捜査を打ち切る、とは言いにくいんだろう。
「いえ、大丈夫です。僕たちだって、悲しいですけど……真相がわかったところで、どうにもなりませんから」
「そう言っていただけると、助かります」
若い声はほっと息を吐いた。これくらいの嘘は、気遣いの範囲だろうと思う。
「それでは、私たちはこれで失礼します。お二人とも、お大事になさってください」
二人の騎士は立ち上がって、出口に向かう。ドアを開けた音がしたところで、振り返るような気配を感じた。
「これは個人的に気になったことですが」
老いた声だ。もう一人の、ずっと喋らなかった方の騎士だろう。
「あの娘は、何も食べていなかったようです。何か心当たりは?」
想定外の言葉だった。
「……何も食べてなかった?」
「そんなこともわかるの? ……ですか?」
「ええ、そうです。でも、その様子を見ていると、心当たりはないようですね」
「……はい、心当たりはない、です。食材も数日分なら買い置きがありましたし、現にあの後、食材は残ってました。なくなったということはありません。あの、単に空腹時に殺害された、というわけではないのですか?」
「私も専門家ではないので、はっきりと理由まではわかりませんが、医術師曰く、何日も食事を取っていないかのように内蔵の中がきれいな状態だった、と」
「そうですか……。すみませんが、心当たりは……。それに、彼女は確かに、僕たちの前で食事をとっていました。何度も、です」
「……わかりました。答えていただいてありがとうございます。それでは、我々はこれで失礼します」
そう言って、鎧の擦れる音を鳴らしながら、二人の騎士は立ち去った。
どういうことだ?
死因といい、食事のことといい……トレアの死には、謎が多い。いや、トレアの死だけじゃない。トレアの記憶の謎だってある。あのスクロールのことだって。謎ばかりだ。結局、あの夢だって、トレアの夢見の呪文だったのか、僕の妄想だったのか、わからないままだし。
「なあ、アイラ。トレアの様子、なにか変なところはあった?」
「……ない、と思う。ご飯も食べてたし、私たちが出て行く時も、その、元気そうだった」
元気そうだった。アイラはそう言った。それに、僕もそう思っていた。最後に見たトレアは、僕たちが依頼に出て行く時に見送ってくれたトレアは、特に変わりない様子だった。
ーーロイくんとアイラちゃんが帰ってくるの、待ってますね。
変わりなく、僕たちの帰りを待っていると、言ってくれていた。そのことを思い出して、体が強ばる。どうして僕は、あの時トレアを置いていったんだろう。そもそも、どうして囁爪ヨルムの討伐なんていう、トレアの元を長時間離れるような依頼を受けたんだ。
あれを選んだのはエドだったけれど、僕はそれを止めることができたはずだ。
トレアは殺された。誰に殺されたのかはわからないけれど、そいつを見つけ出さなくちゃいけない。見つけ出して、トレアの真実を知って、その上でそいつを殺す。それが誰であったとしても、だ。
そう考えている一方で、僕の心の芯が、囁いている。
トレアの真実を知るな。
トレアは死んだ。だったらもういいじゃないか。
トレアの死は、トレアに出会ったあの荒野で決まっていた。それをこの日まで生き存えさせたのは、僕だ。
それで良いじゃないか。トレアにだって、僕たちと出会ってからの時間はそう悪いものじゃなかったはずだ。
だから、トレアのことなんて忘れて、そんな罪悪感なんてなかったことにしてしまえば、楽になれる。
「……アイラ、僕は部屋に戻るよ」
「わかった」
僕が立ち上がって、手探りで部屋まで戻ろうとすると、アイラが左手で手を引いてくれた。僕を気遣って、ゆっくりとした足取りでくれる。
「ありがとう。助かるよ」
「こんなの、なんでもないよ」
「そっか」
「そうだよ。私はロイと一緒にいるために生きてるんだから」
さらりと告げられた言葉に、僕は絶句する。アイラの歩くペースは変わらない。僕もなんとか、動揺を出さずに済んだ。
部屋に戻り、ベッドに腰掛けると、アイラが僕に体重をかけてきた。しなだれかかるようにして。僕は倒れないように腕をついて、されるがままになった。
「ロイの匂いがする」
「僕からエドの匂いがしたら嫌だよ……」
「それは……うん、かなり嫌。エドはロイと違って強いし、頼りになるけど、こんなに安心はできない」
うわ……。わかってるし事実だけど、こう直接的に僕の方が弱いって言われると、地味に落ち込むな……。
「私たち、ボロボロだね。ロイは目が見えないし、私は弓が引けない。エドはすごく不安定だった」
「不安定? あいつが?」
「うん。どうしてなのかわからないけど。やっぱり、竜を自分で殺せなかったこと、悔しかったのかな?」
「そうかもね。あいつだったらありそうな気もする。でも、多分それだけじゃないと思うけど。エドの精神力は、僕がよく知っているからね」
「ふうん。それって、友達ってこと? やっぱり、エドとロイは仲良しね」
「さっきは一方的に殴られてた」
「エドが無抵抗の相手に攻撃するなんて、珍しい。ロイが強いって知ってるから、ためらわない。エドはロイのこと認めてる」
「そうなのかな」
エドの怒声を思い出す。あいつがこの部屋を去ってから、まだあまり時間は経っていない。頬の痛みは収まっているけれど、殴られた時の感覚は鮮明に思い出せる。
「前にそんなこと言ってたから……。でも、次ロイを殴ったら、私もエドを殴る」
「アイラが殴っても痛くなさそうだけどね……」
「……痛くないかな」
「そうだよ。というか、次殴られたら僕が自分で殴り返すから、アイラは僕の応援でもしててくれ」
「うん」
アイラは頷いて、再び僕の首筋に顔を埋めた。くすぐったい。
「ねえロイ。私ね、トレアちゃんが死んで、でもロイが死ななくて、安心したんだよ」
「……それって、どういう意味?」
「トレアちゃんと出会ったときのこと、覚えてる?」
「覚えてるよ」
「あの時の暗殺者、多分、エドよりもずっと強かったんだよ。私はエドと一緒に間近で戦ったから、わかるけど……。多分、エドもわかってる。
だから、私はそもそも、トレアちゃんのことを心から信頼していなかったし、トレアちゃんにはちゃんと目的があって、私たちに近づいたんじゃないかって、思ってた。あの暗殺者は、私たちにトレアちゃんを保護させるために、あの場所に現れたんじゃないかって思ったの」
医術師
神殿などに抱えられた、医術を修めた人物。民間治療を行う医療師とは区別される。
騎士団からの要請などで遺体の検分なども行う。医術師への信頼は神殿によって担保されている。