#2
人生を半分近く共有している人がいるというのが一般的に良いことなのかどうか僕にはわからないけれど、少なくとも僕にとってそれは重荷で、けれど無くてはならない存在でもある。
夕方になって研究室を出た僕は、出口でアイラと合流して一緒に帰路についた。
僕とアイラは一緒に部屋を借りている。寝室は別だけれど、目を覚ますとアイラが隣で眠っていることも多いのであまり意味がないのかもしれない。
黒いハイブーツとショートパンツ、動きやすそうなシャツという出で立ち。胸当てもグローブも身につけておらず、弓を背負う代わりに鞄を下げているところを見ると、どうやら彼女も研究室からの帰りらしかった。短めの深い青の髪にはウェーブがかかっていて、同じ色の瞳と相まって神秘的にさえ見えることがある。
空は夕焼けを過ぎて、今にも真っ暗になりそうな青紫の色をしている。街頭が光を灯す。街に人は少なく、石畳に僕とアイラの足音が響いていた。
ルディアの街並みの中を、二人で歩く。
石を切り出して作ったレンガを積み上げて建てられた家屋が立ち並ぶ。もう明かりを付けている家もある。窓からオレンジの光が溢れて、暗くなりきっていない空の青い光と混じる。アイラの姿を、遠くから届くオレンジの光が微かに彩る。
「テメノス先生から、フィールドワークについて聞いた? スクロールも預けてたと思うけど」
「受け取ったよ。わざわざ届けてくれてありがたいけど、帰ってから渡してくれても良かったのに」
どうせ一緒に住んでいるのだから、毎日顔を会わせる。わざわざ研究室にまで届ける必要性はあまり無かったりする。
「朝、私が起きるより早くロイが家を出たから、その、会いたくって。でも、研究室に行ったらロイがいなくて……。講義だってこと、忘れてたの」
アイラがおどおどと答える。
「アイラは相変わらずドジだな」
僕がため息をつくと、アイラの眉根が微かに寄る。不満そうな顔だなと思う。アイラは初対面だと表情が薄いと思われがちだが、実際にはとても感情的でしかもすぐ顔に出る。変化が本当に僅かだから、慣れていない人にはわかりにくいというだけで。
「ロイが朝起こしてくれないのが悪いんだよ」
「起こしたよ。起きなかったのはアイラだ」
僕がそう言うと、アイラはため息をついてそっぽを向いた。今度は拗ねたときの仕草だ。いつか同じ仕草をしたアイラを思い出したのか、昔のことをふと思い出した。昔は三人だった。アイラと僕と、それから妹。三人で一緒にいた。妹が視力を失うあの日までは。
僕のせいで妹が襲われて視力を失い、僕は妹から逃げるようにディルセリア魔法学園に入学した。そしてアイラもまた。僕を追いかけてきたなんて本人は言わないけれど、きっと本心ではそうなんだろうと思っていた。思っていても言わないけれど。
アイラは僕のことを好いてくれている。はっきりと言葉にされたことはないけど、それはそうする機会がなかったからずるずると曖昧な距離感に甘んじているのであって、僕がアイラの感情に気づいていないわけじゃない。
いつだって僕を慰めてくれて、いつだって僕を守ろうとしてくれて、いつだって僕の言葉を聞いてくれる。いつも僕の近くにいたがって、他の女の子がいると嫌そうな顔をする。そういう露骨なアイラの好意に、僕は甘えているし、溺れている。
そのことを自覚するたびに、自分の裏側にこびりついた真っ黒な油に気がつく。
「ロイ、この間のこと、まだちゃんと怒ってなかった」
「……メディと一緒にグリフォンに襲われた話?」
「そう。入院中は避けてた。今はもう元気だから、ちゃんと怒ります」
アイラがずいと顔を近づける。話しているうちに空は暗くなってしまっっていて、目の前にある青い瞳が闇に染まって黒に近くなる。
「自分を犠牲にして誰かを助けようなんてしないで。そんなことしても、誰も嬉しくない」
真っ黒に見える目が、僕を覗き込む。僕の裏側のどろどろとしたものを反射するようにして。アイラにとって僕の妹はいったいどんな存在だろうか。アイラは何の罪悪感も感じていないのか。
「別に、自分を犠牲にしようなんて考えてないよ。あのときは結果的に、僕が囮になるのがよかっただけだ」
「……別に、ロイがそういうならそう思ってればいいけど、次は同じこと、させないから」
「他に方法があるならそうするよ。僕も痛いのは嫌いだからね」
「ロイは優しいから——」
背筋が寒くなる。アイラは僕に幸福な人間や優しい人間を押し付ける。あるいは、僕にそういった人間を求めている。僕はとてもじゃないけれど、そんな人間にはなれそうにもないのに。
「——誰かのためにがんばるけど、でも、その優しさを、もうちょっと自分に向けてほしいなって思う」
僕は今だって、自分にだけ優しさを向けている。自分をごまかしている。自分をごまかすことを、自分自身に許している。僕は誰よりも、自分自身に甘い。
僕はため息をついて、アイラを見返した。
「なんのことかよくわからないけど、僕は自分のやりたいようにやってるよ」
半分が嘘で、半分が本当のことを言う。
「怪我が多いのは、単に実力が伴ってないからだよ。みんなと一緒にいたら、落ちこぼれの僕が無理をするのは仕方ないだろ。……別に、みんなのせいだって言いたいわけじゃないんだけど」
「ふーん。それならいいけど」
アイラはそれだけ言って前を向き、再び歩き始める。僕も後を追いかける。
「明後日のフィールドワークの後、一緒に買い物に行かない? エドがそろそろギルドを選ぶって言ってる。だから、あたらしい剣買おう。いつまでもそれじゃだめだよ」
僕の剣は剣術の練習用として用いられるような、いろいろと調整の施されたもので、使い勝手は良いのだけれどそれ以上のものはない。
「それはお金の無駄じゃないか」
「無駄じゃない。必要なものにお金を使うのは、正しいよ」
「いや、僕にそこまで上等な剣はいらないだろ。前に立って戦うのはエドだし。討ち漏らしの相手をするくらいなら、今のでも十分だと思うけど」
「……ん、うるさい。私がロイに必要だと思うから買うの。私がプレゼントする。だから使って」
こうやって理屈で攻撃すると、アイラはいつも感情で反抗する。言うことを聞け、とでも言いたそうに少しだけ目を細めて僕を睨みつける。
僕は思わずため息をついた。
「そこまで言うなら、受け取るよ」
「よろしい」
僕の言葉に、アイラは満足そうに頷く。感情的に主張されると、僕はアイラに強く出れなくなる。アイラは自分の感情を抑えられないわけじゃない。ずっと一緒にいればそれはわかることだった。アイラは自分の感情をきちんと把握して、どうしても曲げられないものだけを押し通す。そういう強かさを持っている。僕とは正反対だ。
アイラが感情で話す時、それはつまり折れない時だ。薄い表情のままでこちらをじっと見て、ただ同じことを繰り返す。こっちの理屈は全部通用しない。目をそらさずにじっとこちらを見て、見られている側は澄んだ瞳に吸い込まれるような錯覚に陥ってしまう。
「そういえば、今日もエドと剣の練習するの?」
アイラが言う。
「いつもやってるけど、エドとロイじゃ技量も体も差がありすぎる。ロイにはもっと最適な相手がいると思うけど」
「それはそうだけど、まあ、実際は剣の練習っていうよりも、エドのストレス発散に付き合ってるみたいなもんだしさ。それに、勉強にならないわけじゃないしね」
「ふーん。じゃあ、いいんだけど。私は剣を持たないから、エドが割とうらやましい」
男にまで嫉妬するなよ……。
「今度見学してもいい?」
「僕が無様にころがされるのをそんなに見たいの?」
「ロイがエドを倒すところも見たいかな」
アイラの希望に、僕はため息混じりに答える。
「僕が悲しくなるから、見に来ないでくれるとありがたいよ」
ルディア
学生の街。ディルセリア魔法学園を内包し、ディルセリア魔法学園を含めて都市機能を成立させている大都市。夏は乾燥して冬は湿度が高い。