#2
「おい、ロイ。いつまで腑抜けてんだよ」
ドアの向こう側から聞こえる声に、僕は思索の中から引き上げられる。エドの声だ。何をしにきたんだろう。
トレアが死んで、埋葬式を終えてから数日が経過した。僕は眼帯で両目を覆い、視力の無い生活をしていた。アイラの補助がなければとてもじゃないがまともに歩くこともできない。完全に視力を失うということが、ここまで不自由なことだとは思わなかった。
あのとき以来、僕は目の魔法を制御できないでいる。
「次の依頼だ。来週。ウォーガン山脈の生態調査だ」
ウォーガン山脈……。グランダード平原の北側は、ウォーガン山脈に閉ざされている。ああ、そういえばあの竜は北からヘイムギルまで来たんだっけか……? でも、確証はない。事実は、中型生物の焼死体と、ヘイムギルに竜が現れたこと、の二つだけだ。
問題は事実だ。
事実以外は問題ではない。
胡乱な頭でそれだけを再確認する。
「お前も来い」
扉越しに聞こえるエドの声は、固く、怒りを抱えているようにも見えた。ぼんやりと現象を咀嚼しながら、エドに応じる。
「いかない」
「……あ?」
怒気が増す。扉越しのくぐもった声が、低くなる。今まで感じたことのある彼の怒りとは、全く異なる気配だと思った。いつもの僕なら、身がすくんで喉が詰まっていただろうと思うけれど、残念ながら、今の僕に、彼の怒りは鬱陶しいだけだった。
「いく必要がないからいかない。エド、わかってくれ」
一瞬の静寂。そして、膨れ上がった怒りの気配と共に、破砕音。
「ふっざけんな屑野郎!」
空気の匂いが変わって、ドアが蹴破られたのだと気がつく。胸ぐらをつかまれて、座っていた椅子から無理矢理に引き上げられる。本当にこいつは、いつも僕を引き上げる側だ。
頬に鈍い痛みが走った。一瞬の浮遊感。背中と後頭部に衝撃を受けて、殴られたのだと理解が追いつく。背中を打ち付けた衝撃で咳き込む。
「ごほっ、ごほっ……」
「ロイ!」
アイラの声と、足音が聞こえた。すぐそばで、エドから庇われるような格好で抱きしめられた。左腕だけで。
「エド、ロイは悪くない。やめて」
「ああそうだ。ロイは悪くない。そんなこと俺だって知ってるさ。悪いなんて言っちゃいない。俺は、いつまでそうして座り込んでるんだって聞いてるんだよ!」
「黙って。出て行って。これ以上ロイに何か言うなら、エドでも許さない」
聞いたことが無いほど冷たいアイラの声。どうしてアイラは僕を大切にしようとするのか、わからない。いや、わかってる。頭では理解できているけれど、そこまでだ。
「……クソッ。おい、ロイ」
「……なんだよ、エド。喧嘩なら買わないけど?」
「ああ、腐った馬鹿に売るほど俺の喧嘩は安くねえよ」
「腐った馬鹿ね……。まあ何でもいいんだけどさ。でも、とにかく、その依頼は僕以外で行ってくれよ。僕は行かないし、行けないんだ」
「……あの竜がいなければ、俺たちは一日早くルディアに帰り着いてた。トレアが死んだのはそのせいだ。だったら、あの竜の真相を暴くのが、俺たちのすることじゃないのか」
「違うよ、エド。僕たちは間違えたんだ。竜のことは関係ない。もっとずっと最初に間違えてた」
「どういう意味だよ」
「……少なくとも竜のせいじゃない。あの竜は呼び水だ。あの竜でなくとも良かった。たまたまだったんだ。……だから、悪いのは僕だよ。僕がトレアを殺した」
「お前がトレアを殺した……? 俺たちも同罪だろうが」
「違う。トレアを殺したのは僕たちじゃない。僕だ」
「……ああ、クソが。浸ってんじゃねえよ馬鹿が」
僕はエドの悪態を聞き流す。エドの足音が遠ざかる。もう言うことは無いのか。無いだろうな。伝えるべきことは伝えたから。
「ロイ、大丈夫? 口の中、切ったの? 血が出てる」
「ん、確かに。痛いかも」
言われてみれば、鉄の味がする。エドに容赦なく殴られたのは、二度目か。
「待ってて。コップ取ってくる」
アイラが僕のそばを離れる。コップってことは、水は魔法でも使うんだろうな。そう思いつつ、僕は手探りで椅子を戻し、再び座り込む。
口が痛い。
エドの言葉が精神のただれた部分をかき回す。
「浸ってんじゃねえよ馬鹿が、か」
浸ってる。確かにその通りだ。エドは、ずっと昔からそう思っていたんだろう。でも、だったらどうしろって言うんだ。僕には、誰かを守る力も資格もない。妹だって守れなかったんだ。
…………。
エドは、どうなんだろうか。あいつも、誰かを守れなかったことがあるんだろうか。だから、僕を見てあんなに怒ってたのかもしれない。ほとぼりが冷めたら、聞いてみようか。
聞いてみたいこと、そう言えばもう一つあった。メディが炎に包まれたヘイムギルを見て、あんなに震えていたのはどうしてだろう。炎が怖い、ってことはないだろう。竜が怖い、ってこともないと思う。いや、竜は恐ろしいけど。竜を特別に怖がっていたわけでもないと思う。だったら、どうして……?
「ロイ。水持ってきたよ」
アイラの足音が聞こえる。左手だけで器用にコップを握らせてくれる。アイラが呪文を唱えると、コップに水が注がれたのが分かる。ゆらゆらと揺れて、僕の腕に不安定な重みを感じさせる。
不安定な重み。
僕は水を、口の中をすすぐようにして飲み干し、コップをアイラに返した。
「ロイ、それと、お客さん。騎士の人が二人、来てる。あの……トレアちゃんのことで」
アイラが言いづらそうに騎士の来訪を伝える。そういえば、トレアが死んだ日、僕は錯乱していて、騎士の事情聴取を先延ばしにしてもらったんだったか。アイラからそう言うことを聞いた覚えがある。
「わかった。話すよ」
アイラに手伝ってもらって、僕は椅子から立ち上がり、部屋を移動する。騎士様とやらはもう座っているのか、少しだけ鎧が擦れる音がした。鈍い音だった。
トレアとセイカと、三人で出かけた日を思い出す。はにかむトレアの笑顔を思い出す。妹と重ならないトレアを、僕は瞼の裏側で初めて見た気がした。
あまりにも遅すぎる。
「体調の優れない中、わざわざ手間を取らせて申し訳ない」
「いえ、大丈夫ですよ。それがあなたたちの仕事でしょうし」
対面したーーとはいえ、両目を眼帯で覆われている僕には顔も見えないがーー騎士二人に応じる。アイラも、僕の声色を聞いて安心したのか、隣に座った。
相手の声は思ったよりも若い。僕たちよりも少し年上といったところだろうか。
「先ほどの方は? 関係者ではないのですか?」
騎士が尋ねる。
「そうですけど、ちょっと喧嘩しちゃいました。気にしないでください。必要なら、連絡先を教えますけど」
「いえ、大丈夫です、気になさらずに……」
「えっと、そちらはお二人、でよろしいですか?」
呼吸音や微妙に感じる気配で二人だと思ったけれど、どうだろう。
「……ええ、そうです。よくわかりましたね。失礼ですが、目はどうされたのですか?」
「少し怪我をしただけですよ。すぐに良くなります」
「ヘイムギルの竜ですか?」
「ええ、まあ。そんなところです」
「そうですか……。良くなるのなら安心です」
若い声は安心したようにため息をついた。いい人だ、と思う。対して、もう一つの気配は未だに一言も話さない。僕を観察しているのか、それともこういったことは二人で対応するルールでもあるのか……。どっちの理由もあり得そうだった。
「それで、トレアという少女のことですが……」
若い声が本題を切り出す。
ウォーガン山脈
ウォーガン山脈はノックアス地方の北東側に横たわる山脈で、ルディアからほど近い位置から、ゆるやかに北側に伸びている。
ノックアス地方からクロッツァ地方にいくには、ウォーガン山脈を越えなければならない。