#1
父さんと母さんは家にいないことが多かった。帰ってくるのは一年に数回で、村の人に僕と妹を預けて、討伐者として生計を立てていた。
僕が七歳の冬に、二人とも亡くなった。
詳しい死因は僕には知らされていない。多分、村の誰もがはっきりとは知らない。訃報と父さんの本だけが、出入りする行商人の手で届けられた。それからは本当の二人暮らしだった。
僕が料理をして、妹とアイラができあがりを待っている。そんな生活が毎日続いていた。
十一歳の時まで。
僕が十一歳の弓の月に、妹はーーイリアは失明した。
遊び半分で僕が森に連れて行った。森は、浅いところなら安全だったし、何度も遊びにいっていた。けれど、あと数ヶ月で十二歳を迎える僕は、ほんの出来心で、森の奥に入ってしまった。
運も悪かった。偶然、あの悪魔に出会ってしまったから。
アイラとアイラのお父さんが駆けつけたときには、眼窩から血を流してぐったりとしている妹と、妹を抱きしめて震えている僕しかいなかった。
僕が判断を間違えたから、妹の目は失われた。
今回もそうだ。
僕たちは、竜の相手なんてするべきじゃなかった。みんな避難していたんだ。あの五人がやられた後だって、きっとなんとかなった。エドをちゃんと引き止めて、僕がみんなの安全を確保するべきだった。
ましてや、あんなスクロールの魔法に頼るべきじゃなかった。使い方を直感したのも、おそらくあのスクロールの封印が引き金だろう。あれはきっと、そういう封印だ。解かれるべき時が来たら、周囲の人間の意思を引きずる。それくらい、すぐにわかりそうなのに。
ましてや、僕はあの魔法をコントロールできなかった。だからアイラの腕を焼き飛ばしてしまった。アイラは二度と弓を引けなくなった。
そして、
僕はもっと致命的なミスをした。
命を狙われていたトレアを、ルディアの街に置いてきた。
セイカだけじゃなくて、せめて先生に彼女のことを頼んでおくべきだった。そうすれば、少なくとも僕たちが帰り着くまで彼女の死に誰も気がつかないことなんてないはずだった。
あるいは、彼女を守ることもできていたかもしれない。
そんなごく当たり前の判断さえできていなかったから、トレアは死んでしまった。
僕が殺した。
僕が、妹の視力を奪い、アイラの弓を奪い、トレアの命を奪った。
「どうして僕は生きてるんだろう?」
こんなにもたくさんの罪を抱えている僕が、どうして裁かれずに生きているのだろう。
視界は闇に染まっていた。両目を覆う眼帯をつけていた。今は、この目でものを見るのが怖い。またあの魔法が発動しそうだと思うと、寒気が走る。
僕は、裁かれなければならない。妹に、アイラに、トレアに。
裁かれないのは、僕の罪状が明らかになっていないからだ。
ささやかな確信があった。
妹の視力を直接奪ったのは僕じゃない。あの悪魔だ。
アイラの弓を直接奪ったのは僕じゃない。竜とあの魔法だ。
トレアを直接殺したのは僕じゃない。それが誰かは分からないけれど、おそらくはあの暗殺者だ。
だから、僕は裁かれない。
僕と罪がつながっていない。
僕は証明しなければならない。それらが僕の罪だということを、一つ一つ。だから、僕はトレアを殺した人間を暴いて、どうしてトレアが殺されなければならなかったのかを、あの魔法がなんだったのかを、明らかにしなければならない。
そうしなければ裁かれない。裁かれるために、罪を暴かなければならない。
僕はまず自分の罪を証明しなければならない。それが今、やらなければならないことだ。だから、いちいち自分の感情に混乱している場合じゃない。一つ一つ整理して、理解を深めなければならない。頭を働かせて、知恵を絞らなければならない。
トレアの笑顔が脳裏に浮かぶ。
笑い声が耳に残る。
たったの数日の生活がひどく満ち足りたものだったことに気がつく。
ふらりと視界が歪んで、空気が熱っぽくなる。
とっさに目をそらしたら、トレアの死体の隣にあった、アイラのベッドが燃えた。
壁が、天井が、燃え始める。
手のひらで目を覆うと、じわりと痛みが走った。火傷した。でも、竜を焼き殺した時ほど、酷い威力ではなかった。
「なんで、どうして……」
喉が苦しい。声がうまく出ない。アイラが僕を左腕だけで抱きしめる。
水音が聞こえた。アイラの魔法だろう。部屋にあった熱気が消えていく。ずいぶん乱暴な水音が止むと、アイラは僕の耳元に口を近づけた。息が僕の耳に触れる。
「ロイ、落ち着いて。大丈夫だから。他に人はいない。私は騎士団に通報するから、ロイはそのまま目を覆って、ここで待ってて」
返事のできない僕を一度だけ抱きしめて、アイラは外に出て行った。
どうして平然としていられるんだろう?
アイラはトレアのこと、よく思ってなかったのか?
トレアが、この家にいていいかと改めて尋ねたあの日、アイラは本当は反対したかったのかもしれない。
ーー違う。ダメだ。やめるんだ。アイラを疑ったりするな。
うまく呼吸ができない。頭がぼーっとする。トレアは死んだ……死んだ? 本当に死んだのか? 確かめていない。血まみれで、床に血がまりがあって、広がっていて、でも、死んでいないかもしれない。
僕は目を押さえたまま、一歩一歩、アイラの寝室に入っていく。靴がどろどろとした液体を踏んで、それがずいぶん長い時間、空気に触れていたことを理解する。膝をついて、空いている手を伸ばす。トレアの肌は、冷たかった。
ひんやりとした硬質な肌。それが肌だとわかるのに、伝わってくる冷気。背筋が泡立つ。死体を見たことは何度もあったけど、触るのは初めてだ。こんなにも、冷たいものなのか。奇妙な人形にさえ思える。
僕は目を瞑ったまま、両手を伸ばして、トレアの躯を抱きしめた。
冷たさが伝わってくる。
華奢な肩が、ぐらりと動く。腕にも力が入ってない。首がぐらりと傾ぐ。心臓が跳ねる。死ぬとこんなにも脆いのか。全く力の入らない人間の体。トレアの肉体。僕は顔に手を触れる。口に、鼻に、目に、手を触れる。動かしても笑顔を作ったりはしないし、僕がそれを見れば、きっと焼けただれてしまうんだろう。それがもう笑わないのだと思うと、体の中で罪悪感が暴れ始めた。泣き叫びたい衝動にかられるけれど、喉も肺もうまく動かない。
もうダメだ。もう、全てが嫌だ。どうしてこうなるんだ。僕はただ、許されたいだけなのに。僕がわがままなのはわかってる。エゴだなんて、よく知ってる。罰されたいだけなのに、どうして僕の罪ばかりが増えていくんだ。
アイラが騎士団を連れてくるまで、僕はトレアの死体を抱きしめていた。
涙は流さなかった。
ルディア騎士団
ルディアに常駐している騎士団。犯罪の捜査や抑止のための活動、街に危険な生物が現れた場合の処置など、治安維持のために存在する公的機関。たいていの街に設置されている。