#12
「ロイくんはどうして私のことで一生懸命なんですか?」
ぼんやりとした景色の中で、唯一その姿がはっきりと見えるトレアが、僕にそう訪ねた。
「どうして、って言われても……。でも、トレアには行く場所も記憶もないし」
「それは私の事情です」
トレアは指を立てて僕の言葉を遮った。僕の目を覗き込むようにして、むくれた表情だ。そうしているのがかわいらしくて、思わず笑みがこぼれる。
「何をにやにやしてるんですか……。私が聞いているのは、ロイくんの理由です」
「僕の理由……」
「です。ほら、セイカさんもいませんし、アイラさんもいません。教えてくださいよ。ロイくんの考えていること」
これは夢だ。
現実で同じことを言われた。セイカとトレアを連れて、街に遊びに出た時だ。あの時には既に、トレアは自分が本当に僕たちの家に住んでいていいのか、悩んでいたんだろう。けれど、今のこれは違う。
なぜなら、トレアは優雅に微笑んでいるからだ。自分が僕の前に座っていて、それを遠慮する様子もない。楽しそうに微笑んで、無邪気に僕を問いつめる。
それは僕の不誠実さに対する、糾弾だった。
「教えてくれないんですか? まさか、ロイさんは、公の場で口にできないような目的を持って、私を助けているんですか?」
「……さあ、何のことだろう。公の場で口にできないような目的、っていうのは、例えばどんなこと?」
「そりゃあもう、この幼いカラダを良いようにしたい、とかです」
「考えてない」
「そうなんですか? でも、私が居たらアイラさんと一緒に寝れないですよね。溜まっちゃってたりしないんですか?」
「しないし、そもそもアイラとそういうことはしてない」
「あれ? そうですか。それはなんというか……不能ですか?」
「ちょっと黙ってくれ」
「ひどい事を言うんですね」
僕は思わずため息をつく。
「君はトレアなの? 僕の作り出した誰か、じゃなくて?」
「失礼ですね。私はトレアですよ。でも、あなたの作り出した想像かも知れませんね。私はあなたのこと、あなた、ではなくて、ロイくん、と呼ぶでしょう?」
「そうだね。それに、そんなに大人びた話し方はしなかったよ。それじゃあまるで、別人みたいだ」
「別人ですか。でも、あなたの知っている私のほうが別人なのかもしれませんよ。たとえば、私が夢見の呪文を使えたりして、それで今は、自分の本心をさらけ出しているのかもしれません」
「夢見の呪文……そんなのもあったな……。すこしだけ見た事があるよ。使い手にはあった事ないけど。だいたい、あれは禁術じゃないっけ?」
「そうですよ。だから、私、犯罪者なんです」
「それは、なんというか……まあ、大変だね。困った事だよ」
「全然困ってなさそうですね」
「禁術指定されてる呪文だからね。使えたとしても、使えないよね」
「あら? そうなんですか?」
「そうだよ。ほら、学園の中心に白い塔があるでしょ? 遠くからでも見えるやつ。あそこにトレイリアの石トレイリア・クロスがあってね。禁術の魔法式とか、魔法陣を検出して、打ち消すんだよ」
「なるほど。では、私はルディアの外から呪文を使っている、ということにしましょう」
「こんな夜中に、君一人で、ルディアの外に出たの?」
「一人ではないかもしれませんよ?」
「それは、そうだけど。でも、そんなことを許してくれるような知り合い、いるの?」
「どうでしょうね? 案外、セイカさんが手伝ってくれたかもしれません。……うふふ、それに、あなた、私の言葉は疑ってないんですね?」
「夢の中だしね。僕の妄想だとしたら自分で自分にびっくりだけど、だとしても誰かにばれるわけでもない」
「それもそうですね。でも、だから、ここでなら、本当のことを言ってしまっても良いんですよ? 誰にも聞かれないんです。私だって、きっと本人じゃない、あなたの妄想の産物です」
「本当のこと、ね。……でも、ダメだよ。それは言えない。言うわけにはいかないんだ。だって、たとえ誰がそれを聞いてなかったとしても、僕がここでそれを口にした事実だけは、世界に刻まれるからね。事実は誰が見ていなくても、事実として残る……。だから、僕は、思う事はあっても、それを口に出したりできないんだ」
「そんなのは詭弁ですよ? あなたの言葉を、そのまま返します。だって、そんなことは……言わなかったとしても、あなたが思っただけで、それは既にこの世界に存在するんです。だから、本当に自分の気持ちを嘘にしたいなら、そのことに気がついてはいけないんですよ。あなたは、気がついてはいけないことに、気がついてしまった」
「そんなことない。思うだけじゃ、何も起こらないよ」
「そんなことありません。だってあなたは、現に、私のことを考えていなかったじゃないですか」
「違う。僕はーー」
「違いませんよ。あなたは私のことなんて見ていない。私がこうして本心を話すまで、私が何を考えているのか、想像もしなかったでしょう。私にまつわる事実だけを見て、私の心のことなんて忘れていた。違うとは、言わせませんよ」
「…………」
「アイラちゃんのこともそうです。あの人の気持ちにも、あなたはずっと昔に気づいていた。アイラちゃんがあなたに好意を向けたきっかけになる出来事だって、私はアイラちゃんから直接聞いたんです。賢いあなたがそのことを忘れて、それだけならいざ知らず、日常的に向けられる好意にさえ気がつかないなんてこと、あり得ないんです」
「…………」
「だから、言ってあげましょうか? アイラさんの気持ちに対して、あなたがどう思っていたのか。私のことについて、あなたがどう思っていたのか」
「…………」
「言ってほしいですか? 言ってほしくないですか? あなたの心の中を。だって私が言えば、それは世界に刻み付けられるのでしょう?」
「……やめてくれ」
「……そうですか。じゃあ、やめてあげます。でも、もうちょっと私やアイラちゃんをちゃんと見てください。あなたが気がついていないふりをしているたくさんのことが、私たちにはあるんですよ?」
「わかったよ。わかった。だから、もう許してくれ」
「はじめから許してます」
「それは……なんというか、神様にでも許しを請いたい気分だよ」
「いつも、そんな気分じゃないですか」
「言い得て妙、というか……。そうだね、僕はいつでも、誰かに許されたい」
「でも、誰も責めてくれないんですよね。それはとても寂しいことです」
「ああ、そうだよ。アイラも、妹も、僕を許してくれる。誰も僕を責めない。誰もが僕を甘やかす」
「今回の竜のことも」
「妹の目のことも」
「アイラの腕のことも」
「自分を犠牲にするような行動だって」
「本当はみんな許してくれている。責めてさえいない。僕を心配して叱ってくれるけど、でも僕の罪を責めてはくれないんだ」
「だから」
「僕はそんなみんなのことが、大嫌いだ」
トレイリアの石
トレイリアの魔法彫金論によって提唱され、トレイリア・クロムによって発明された石。専門的には「広域夢幻拡散器」と呼ぶ。
広い領域に世界結果を作る石で、人口呪文を成立させている石であり、世界結界と呪文の関連性を証明する根拠でもある。