#1
「万能に近い技術として成立してなお万能に能わない技術のことを、私たちは魔法と呼んでいるのよ」
先生の講釈を聞き流しながら、僕は眼前の本に目を落としてた。書名は《討伐生物鑑・グレイドラ編》。討伐者向けの生物図鑑で、高価だが正確で沢山の情報が掲載されている。
「想像をある意味で自由に具現化する技術である魔法。この世界に最もありふれた神秘と言われている技術。にもかかわらず、私たちはそれらをまともに使いこなすことなんてできないわ。名付けられるほどの新たな魔法を生み出すことなんて限られた天才だけの仕事よ。私たちにできるのは、過去の天才たちの遺産を引き継ぐことだけ」
人は学習するのだ。
適応するとも言う。
ごちゃごちゃと散らかった研究室を適当に片付けて自分のスペースを確保し、机に座って読書をするというのが僕のここ二ヶ月ばかりの日課だった。
読書を続ける僕に先生が適当に思いついたことを話して聞かせるというのも、また同様に日課だ。
「炎を想像すれば炎が生まれる。水を想像すれば水が生まれる。それらが動くのを想像すれば、その通りに動く。ただし現実をゆがめる程度の想像力があればの話だけれど」
魔法は万能だが万能ではない。何でもできるが、大抵の人間は使いこなせない。
「だから私たちは様々な方法で想像力を補うわ。それはある時は伝説の再現として、ある時は伝承の神の力として、ある時は実在した英雄の権能として、ある時は信じる神の顕現として、ある時は普遍的に存在する空想の具現として、ある時は自らの原風景の想起として」
ただ炎を生み出すだけでさえ、自らの想像力だけでそれを行うことができる人間はほぼ存在しない。
ゼロではないが、いたとしたらそれは、新たな魔法系統そのものを生み出せるような強い意志力を持った英雄だけだ。
「だからこそ私たちはあらゆる伝説を知り、あらゆる伝承を知り、あらゆる信仰を知り、あらゆる英霊を知らなければならないのよ。私たち魔法を研究する者がそれを忘れてしまえば、瞬く間に魔法という技術はその培った研鑽を失ってしまうわ」
ふむ。
なんとなくこの話の結論が見えてきた。
「だからロイ、あなた、私の研究に少しは興味を持ちなさい」
先生はそう言って話を締めくくった。結論はいつも通りだが、魔法の基本原理から話を持っていくのは今回が初めてだ。なかなかに新鮮ではあった。
《ニーナ・テメノスの研究室》。ロルクスの実験棟の三回の一番奥に位置するこの部屋は、現在所属する学生が僕しかいない場所で、その部屋の主であるニーナ先生の研究内容を僕は知らない。というよりも、先生が公開していない。
ディルセリア魔法学園では八年制の折り返しである五年生になると、二つの制度が新たに適用される代わりに講義の数が恐ろしく減る。
一つ目が研究室制度だ。
五年制の最初に研究室を選び、そこに所属する。研究室ごとに教師がいて、教師の人柄で選んでも良いし、研究内容で選んでも良い。とにかくどこかに所属して、夏までにそれなりの研究論文を仕上げなければならない。
といっても、日々の生活を送りながら、あるいは生活費を稼ぎながらになるので、研究室で共同で一本の論文を仕上げれば良い決まりになっている。
ちなみに僕は所属する人数が最も少ない研究室を選んだ。その結果がこれだ。
所属する学生は僕一人。
研究室の主は悪名高い人物。といっても、噂話ばかりだけれど。
そもそもここを志願する生徒が極端に少ないのは、研究分野が不明であること以上に、ニーナ・テメノスという人物の噂話に問題があるというのは黙っておく。生徒を材料に実験を行っているとか、真しやかにささやかれているのだが。まじで棚に人間の腕とかあるし。不気味だ。
そういうわけで、僕は夏までに論文を仕上げないといけないのだけれど、今のところ内容の方向性すら決まっていなかった。
「そうは言ってもですよ、先生」
僕は仕方なしに本から顔を上げる。
外見年齢は二十代後半。白い髪に赤紫の瞳。体の線が見える紫の細身のローブ。首やら腕やら腰やら耳やらに、大量の銀のアクセサリーを身につけている。モノクルを右目に装備していて、一見知的に見えるがその実とてつもなくだらしない人で、不健康そうな肌が人間っぽさを駆逐している。手には黒く薄い手袋を付けていて全体的に色が暗黒系であることを除けば、その格好は貴族令嬢には……ぎりぎり見えない。
ローブがドレスだったら大分違っただろうに。まあ、この人はコレで完成されているというか……ありふれた魔女の格好、というのがよく似合っている。
「先生の研究テーマを知らないことには、僕としては論文の方向性も決めようが無いんですが?」
「それは教えてあげない。がんばって当ててみなさい? 知識は魔法使いの宝よ」
でたらめに矛盾した人だった。研究テーマに興味を持てとは言うものの、その内容は教えてくれない。にやにやと楽しそうに笑う顔が腹立たしい。こうやって僕をからかうのも、この人の日課だった。
「はいはい……。まあ、そのうち考えてみますよ」
「つれないわね。ああ、そういえば朝のうちにアイラちゃんが来たわよ。次のフィールドワークの行き先が決まったって、依頼書を持って」
先生が机の上に散乱していたスクロールのうち一つを手に取ると、こちらに投げ渡してきた。受け取って、中身を見る。
「次はポラリス荒野だそうよ。あんなところ、なにを思って学生を行かせるのかしらね。調べるようなものなんて無いでしょうに」
「まあ、そうかもしれませんけど。発注者はクロッズ先生ですか」
場所:ポラリア荒野
依頼主:ディルセリア魔法学園/クロッズ・ドットウェルの研究室
依頼先:エドワード・ノエル、ロイ・レアード、メディ・ケイトルート、アイラ・ロックハート
依頼内容:ポラリア荒野の気候および生物の生育状況について、実地研究を兼ねたフィールドワーク。レポート十二枚で提出すること。
内容はごくありふれたもので、単に現地に赴いていろいろと調べたことを書いて出せば良いだけだ。教員が定期的に学生に出すフィールドワークの依頼書は、その研究に必要な内容であることもあれば、五年生以上の学生に適当な名目でお金を渡すための口実であるという側面も持っている。
五年生からは自分で稼がなければならないからだ。
「今度は大怪我をしないように気をつけなさいよ」
「……ああ、先々週は大変でしたね」
「なんで他人事なのかしら。大怪我を負ったのはあなたでしょうが」
「あの程度の怪我は良くありますよ。僕は実践が苦手ですから」
先々週、僕はフィールドワークに出かけた先で命を落としかけた。珍しく僕とメディだけで出向いていたのだけれど、前情報では大型生物は確認されていなかったその場所にどうしてかグリフォンが現れた。なんとか撃退したものの、そのときに大怪我を負ってしばらく入院してた。
けれどあれは、まあ、自業自得というか。
エドには自殺馬鹿って言われたが。生きているだけ儲け物だとも言える。
怪我をするのは別に辛くない。死ぬのは嫌だが、死なないなら多少の怪我は構わない。痛覚が鈍いのかもしれない。
「あなたが死んだら研究材料にしようと思ってるんだから、どうせなら怪我しないで死んで頂戴ね」
…………。
聞かなかったことにしよう。
「今度は大怪我をしないように、気をつけなさいね」
「ご心配痛み入ります」
先生の心のこもっていない忠告を聞き流して、僕は再び、意識を読みかけの本に落とした。
魔法
魔法は、イメージの力によって現象を具現化するものである。呪文と違い、強いイメージ力が必要になる。また、イメージを補完するだけの体験や、精神的な適正が必要になる魔法も数多く存在する。