#5
「ロイくんの料理はとてもおいしいです」
「ありがとう……作った甲斐があるよ」
この家にトレアを迎えてから何度目かになるやりとり。
トレアは僕の料理を気に入ってくれているらしく、それは料理を作る側としてはとてもありがたいことだった。とはいえ、僕たちは大した後ろ盾もないような学生なので、作れる料理などたかが知れているのだけれど。
夕方とはいえ、昼過ぎから天気が悪かったので、あたりはもう暗くなってしまっている。魔煌灯の明かりに照らされた僕たちの部屋は、妹が失われる前の、僕の生家に似ていた。つまり、ここは安全な場所だった。
ふと、もう手に入らないと思っていたものが、僕の手元に転がっていることに、改めて気がついた。妹がいなくなってしまった罪悪感さえ忘れてしまえば、こうして、アイラと、トレアと、僕とで、ただ平穏に暮らすこともできるのかもしれない。
「あの、アイラちゃん」
「ん?」
ダイニングでトレアがアイラに向き直って話を切り出した。僕も、食器を洗いながら聞き耳を立てる。
「ロイくんとアイラちゃんって、結局のところ、恋人同士でしょうか?」
「……そう、その通り」
「ちょっとまて!」
キッチンから割り込んだ僕に、アイラが不満そうな顔を向ける。いったいどこに文句があるのか、と言わんばかりだ。いや、確かに、あれだけ痛烈に告白されておいて、ただの一言も言葉を返せなかった僕にも問題はあるのかもしれないけれど。
それはそれ、これはこれだ。現在の事実と将来の見込みは別物として考えなければならない。と思う。
「違うんですか?」
トレアが小首をかしげる。
「違う。僕とアイラはただの幼なじみで、クラスメイトだ」
「でも、私、セイカちゃんに聞きましたよ。普通だと、ただの幼なじみでクラスメイトの男女が、同じ部屋に住んだりしないって」
セイカ……あのスタイリッシュ小娘、純真無垢な少女に何を吹き込んだんだ……!
「トレアちゃん、私とロイは普通じゃない関係なの」
「じゃあどんな関係ですか?」
「夫婦よ」
「ちょっとまて! 待つんだアイラ。わかった、僕が悪かった。僕に非がある。認めるよ。だからこの場はちょっと黙っていてくれないか? 健全な青少年の精神の健やかなる成長に大いに問題がある発言は控えてくれ」
「ロイこそ、何を想像してるの……? 私と爛れた関係になるの、想像したりして?」
アイラが楽しそうに笑っている。
「爛れた関係……ですか……?」
トレアがよく意味がわかってないのか、難しそうな表情で首を傾げている。ああ、意味は分かっていないのか。良かった。
「でも、セイカちゃんに、アイラちゃんが寝るときは私と一緒に寝てるのに、起きる時はロイくんと一緒に起きてるって言ったら、それはきっと特別な関係・・・・だって、教えてくれました」
トレアがそう口にした瞬間、僕とアイラが固まった。まさか、あのことをセイカに喋ったのか、この子。
確かに、アイラは僕が眠っている間に僕のベッドに潜り込むことがある。僕も、それに対して特に何も言うことはしなかった。だからそれは常習化したし、そういったことを許しておきながら、僕がアイラの気持ちに応えないというのは、ちょっとどうなんだろうと思わなくもないけれど。いや、そういう話じゃない。
そうじゃなくて、あれはいわば、僕とアイラだけが共有する、この共同生活の秘密だった事柄だ。なんとなく、どことなくタブー視していて、僕もアイラも、誰にも話さなかったことだ。
「その……トレア、確かにあのことは、特別なことだよ。だから、これ以上、他の人に話さないでほしいんだ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。セイカにも、僕が口止めをするよ。それから……確かに、僕とアイラは、友達とか幼なじみとかクラスメイトとか、そういう風に呼べる関係よりは、少しだけ近しいと思う。でも、それだけだ。僕たちは恋人じゃない」
「恋人じゃ……ないですか」
トレアは確認するようにアイラの顔を覗き込む。アイラも流石に冗談を言わないで、ため息をつきながら頷いた。
「そうよ。私とロイは恋人じゃない。同郷の親友、というのが正しい」
「よかった」
トレアが肩の力が抜けたように、深く息を付いた。
「だったら、私、邪魔じゃないんですね」
僕とアイラは今度こそ、その言葉に体が硬直した。
「私、ロイくんとアイラちゃんの邪魔になってるんじゃないかと思ってたんです。食べ物とか、寝る場所は、いつかお返しできますけど、時間はお返しできないですから」
時間は返せない。
僕が妹から奪った時間は、例えば今、妹の視力が戻ったとしても、取り戻せない。返すことができない。
トレアは微笑みながら続ける。
「ロイくんとアイラちゃんが、恋人じゃないなら、一緒にいても邪魔じゃないなら、私はとても嬉しいです。二人とも、まだ会ってほんの少しだけど、私にとっては、全部ですから」
全部。
それは、記憶を失ったトレアにとって、ほとんど正しい。仮に記憶が戻らなかったとしたら、僕たちは彼女にとって、唯一の道しるべだ。それは、普通の子供にとって、家族に他ならない。僕にとっての妹やアイラのように。
「トレアちゃん……」
アイラがトレアを抱きしめる。
「ずっと一緒にいてもいいよ。家族になるのは、難しいことじゃないから」
ーー家族。
アイラの言葉に、僕の胸が締め付けられる。アイラが僕に求めているものは、恋人というより、きっと、家族だ。
「同じ場所に帰ってきて、同じご飯を食べて、一緒に過ごす。それが家族だから」
「家族ですか……」
トレアはふわりと笑って、自身を抱きしめるアイラの背に、おずおずと腕を伸ばした。
「ありがとう、ございます。アイラちゃん」
抱きしめ合っている二人を眺めながら、僕は口元を緩ませていた。
一生懸命に、柔和な表情を作ろうとしていた。
家族になるのが簡単なら、家族でなくなるのも簡単だ。妹が今この場にいないように。僕の両親が、僕と妹を置いて死んでしまったように。アイラが故郷の両親よりも、僕を選んだように。
それを僕は事実として知っている。
だからーーだけど、それでも、今この場に僕たちがいて、三人で一緒に暮らしているということも、また同じように事実で。
妹と僕とアイラの時間が消えないように、きっとこの時間も完全に無かったことにはならないけれど。それでも、いつかこの時間を、後悔とともに、罪悪感とともに思い出すような、そんな予感めいた影だけが、僕の心を覆っていた。
だから、僕はうまく笑顔を作ることができなかった。
「……二人とも、そろそろシャワーを浴びて、寝なよ。アイラは明日、早いだろ」
「それを言うならロイも。……一緒に浴びる?」
「いや、それは無い」
きっぱりと断ると、アイラは眉間にしわを寄せた。
「根性無し。ヘタレ。日和見」
「ハイハイ。そんなに誰かと一緒がいいなら、二人でいってくればいいじゃんか。トレア、アイラをシャワーに連れ込むんだ」
「了解なのです!」
トレアは楽しそうに敬礼をして、アイラを引っ張ってシャワー室に消えていった。いい笑顔だ。何も考えていないようでいて、僕たちのことをきちんと観察している。
自分の知らないことを知ろうという気持ちもあるから、わからないことをセイカに相談したりもしたんだろう。協会のことを知らなかったのは今でも気になるけど、それでも、かなり気遣いができるし、それは言い換えれば、人間関係における空気感のような、そういった常識を備えていると考えることもできる。
そうすると、彼女は本来、かなり賢い少女だったのかもしれない。協会のことを知らないという事実もある。尚更、彼女の出自が気になるところだった。
溜息が漏れる。
僕はトレアを、彼女自身の謎から守ることができるんだろうか。
ルディアの文化
人口の三分の二が学生であり、学生のさらに半数は請負業を兼ねた演習でルディアの経済を支えている。
ルディアでは学生の試験就業が認められており、主に冒険者、商人、鍛治師、農夫、猟師、料理人などの職業に試験就業する者が多い。暗殺者ギルド以外の一般的なギルド施設がそろっており、基本的に学生時代に試験就業した職業に就く学生が多い。