#13
帰り道。僕とアイラはルディア遺棄区と西区の間にある丘に来ていた。この辺りは開発が進んでおらず、まだ自然が残っている。小高い丘はルディアの町を、すべてとは言わないまでも見通すことができる、アイラの気に入っている場所の一つだ。
「ロイ、久しぶりに二人きりだから、寄り道しよう」
「いいけど、どこに行くの」
「いつものところだよ」
そう言われてここまでつれてこられた。
開発が進んでいないとはいえ、全く手つかずの場所でもない。そもそも西区の外れで、かつて栄えたと言われている遺棄区の近くだ。
レンガで舗装された道路はかろうじて通っているし、人通りが全くないというほどでもない。最も、夕方のこんな時間にここを通る人はほとんどいないだろうけれど。
「ロイはトレアを、今度は守ろうって思ってるんだよね」
アイラの言葉に、僕は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
僕に背中を向けてルディアの町並みを望む彼女は、いったい何を考えているのだろうか。僕にはアイラの表情は見えない。
今度は、あの時のように後悔しないよう。
僕がきちんと、トレアを守るんだ。
ーー今度って、なんだ?
そんなことをしても妹の視力は戻ってこないし、ましてやトレアと妹は何の接点もないのに。妹に僕がしでかしたことが、トレアに何をしたところで贖罪できるはずがないのに。
そう、これは僕の罪だ。
アイラの言葉の通りだ。
トレアは妹じゃない。妹とは違う。そんなことをしても、妹になにかしたことにはならない。そんなことで罪を許されることはないし、僕はそんな程度で許されてはならない。
僕は許されちゃだめなんだ。
「ロイが他人に積極的に関わろうとするのは嬉しいけど、私としてはちょっとだけ不服かも。あの子にイリアちゃんを重ねてるように見えるのも、ロイが昔のことを忘れてないんだって思ってちょっと悔しい」
忘れてなんかない。
忘れたりするもんか。
妹の目が食われたあの光景を、僕が妹を守れなかったあの瞬間を、いったいどうして忘れることができるんだ。今でも夢に見る。忘れてなんかない。昨日のように思い出せる。
倒れた僕をかばうように立ちはだかる妹の姿を、恐怖で震えながらも僕なんかのために立ちはだかるその姿を、そしてそれを興味深そうに見下ろすあの生物の表情も。全部、全部覚えている。
そいつが妹の肩をつかみ、妹の腕ごと体を拘束し、口を開けて妹の顔に齧り付いた瞬間を、僕は鮮明に思い出せる。背筋が泡立つ感覚も、妹の絶叫も、妹の眼球がずるりと引きずり出されてそいつに咀嚼される瞬間も、ぐっちゃぐっちゃと暗がりに響くその音も。
体が震え始める。呼吸がおかしくなる。心臓が早鐘を打ち、たっているのがやっとになる。
アイラが振り向いて、僕の様子を見て驚いた顔で駆け寄ってくる。僕を抱きしめて、彼女は言う。
「ごめんね、つらいこと思い出させて……。違うの、私が話したいのはそんなことじゃないの」
アイラの体が僕を支える。アイラの腕が僕の背中を撫で、それに僕は本能的な安堵を感じる。そうやって僕は甘えている。彼女の好意に甘んじて、自分を慰めて生きている。そんな風にアイラを利用していることに、また罪悪感を覚える。
僕はいったい何をしようって言うんだろう。唯一の肉親から光を奪っておいて、逃げ出して、女の子の好意に甘えて、それを拒絶もせず、利用して。
ああ、最低の人間だ。
わかっていても、止めることができないのは、それでも苦しいからだ。
「だから、ちゃんと言おうと思ったの。私は、ロイが好きだよ。ロイも知ってること。でも、理由は言ったことがないよね」
アイラが僕を好きな理由。
「ねえロイ、私はただロイが好きなんだよ。ロイのことだったら何でも許せるの。私がロイのことを好きなのは、ロイが、私の知っているロイだからだよ。変わっても変わらなくても、笑ってても泣いてても、笑わなくても泣かなくても、私の知っているロイと一続きだから、好きなの。
だからロイが苦しんでるのは、悲しい。ロイと一緒にいられると幸せ。他の誰が一緒でもいい。それがトレアでも、イリアちゃんでも、メディでも、エドでも、エリーゼちゃんでも、誰だっていいの。ロイが一緒にいたい人と一緒にいてくれれば、それで私も嬉しいの。
でもお願いだから、もう二度と私から離れようとなんてしないで。私たちの故郷から逃げるように旅立ったあの日みたいに、私のところから離れていこうとしたりしないで。私をおいていったりしないで」
アイラの告白は続く。
支離滅裂で受け入れられない感情と欲望の吐露。
「覚えておいて。ロイがどんなになっても、ロイがロイじゃなくなることはない。だから、私は絶対にあなたのことが好き。嫌いになっても好きなの。恋しいよ。私のことなんてどう思ってもいいの。ロイに疎まれても、嫌われても、憎まれても、無視されてもいい。でもお願いだから、私に黙ってどこかに行ってしまわないで。それだけは耐えられない。
ねえ、だから、私もロイもきっとこれからたくさんの困難に出会うけれど、死なないで。自分の体を傷つけるような方法で、問題を解決しようとしないで。先月みたいなことは絶対にやめて。もしそんなことをするようなら、私が絶対に守って、ロイを守って私が死ぬから。だから、お願いだから、自分を傷つけないで。
私のことを少しでも好きなら……おねがい……、自殺なんてしないで。じゃないと、私は生きていられない」
聞くに堪えないアイラの告白は、僕の精神をぐちゃぐちゃに引っ掻き回した。
こんなにもアイラが僕に依存していたなんて、僕は全く想像していなかった。なんなんだこれは。まるでこれじゃあ、アイラが僕のために生きているみたいじゃないか。まるでアイラの人生が僕の責任みたいじゃないか。そんなこと、僕に耐えられるとでも思っているのか。
耳元で囁かれる愛の言葉は、呪いに似ていた。
体を緩慢な痺れが覆う。アイラの体が僕を支える。アイラの好意が僕に寄りかかる。空が天井のように遠くて、まるで世界に二人だけしかいないような気さえする。二人だけでずっと遠い場所に来てしまったような錯覚に陥る。
ああ、事実、そうだ。
僕とアイラは妹のことなど忘れて、こんな遠い場所に暮らしている。視力を失った妹を置いて、僕たちだけで。
「アイラは、どうしてそんなに僕のことを……」
「理由なんて無い、あなただから好きなの」
僕に……人に好かれる資格なんてないよ。
その言葉は音にならずに、僕は黙ってアイラを抱きしめた。心にささくれ立つ罪悪感を必死に無視して、アイラの気持ちに応えるつもりなんて無いにも関わらず、僕はアイラを強く抱きしめた。
アイラの体が僕の腕の中にある。その事実に溺れるように。
ルディア遺棄区
単に遺棄区とも呼ぶ。西区の南側、ルディアの中心地から南西にある区画。ルディア地下迷宮と接続されている崩壊し露出した地下街と、崩壊した地下街の中心地を囲む地上街で成り立っている。