始まりの素行調査
神奈川県横浜市に柊探偵事務所がある。探偵事務所の従業員はたったの二人。事務所がかなり狭いことで有名だ。
この探偵事務所の所長柊晴男は名刺を見ながらにやけている。
「かわいかったな。いつか一緒に仕事したいものだ」
唯一の部下夏海次郎はそんな柊の姿を見て呟いた。
「探偵限定の交流会かと思ったが、探偵の合コンだったのか」
ただでさえ仕事が少ないのにちゃんと仕事をしてほしいと夏海は思った。
柊は煙草を吸うと夏海に報告を始めた。
「昨日の交流会は有意義だった。大分にはカフェを探偵事務所代わりに使っている探偵がいるらしい。事務所がない探偵もいるのだから狭いとかいう文句は言うな。そうじゃないと江角ちゃんがかわいそうだ」
昨日までリフォームについて考えていた人がよく言ったものだと夏海は思った。
その時探偵事務所のドアをノックする音が聞こえた。夏海が出迎えると花柄の和服を着た女性が立っていた。
「柊探偵事務所はここでしょうか」
「はい」
珍しい来客だ。この一か月に一回も仕事らしいことをしていない夏海は喜んだ。夏海は柊を呼ぶ。
「柊さん。依頼人です」
すると柊は伸ばしすぎた髭を剃った。夏海は彼女に椅子に座るよう促した。
「コーヒーと紅茶。どちらがいいですか」
「コーヒーで。あと砂糖は多めで」
その後柊は女性の目の前に座り名刺を渡した。
「柊探偵事務所の所長柊晴男と申します」
名刺を見た女性は驚いた。
「名刺を間違っていますよ」
指摘を受け柊は確認する。渡そうとした名刺は江角千穂の物だった。柊は顔を赤くする。
「これは失礼しました」
コーヒーを淹れながら夏海はため息を吐いた。空気が和んだからこれはいいだろう。
女性は名刺を渡し身分を名乗る。
「尾形瞳です。今日は素行調査を依頼したくて来ました」
そういうと瞳は写真を見せた。そこには長髪で二十代後半の女性が写っていた。
コーヒーを瞳の前に置いた夏海は尾形という名前を聞いて驚く。
「もしかしてあなたは尾形風馬の奥さんですか」
「はい」
聞いたことのない柊は首を傾げる。そんな彼を見て夏海は雑誌を見せた。そのページには尾形風馬のインタビュー記事が載っていた。
「たしか尾形風馬は経済界の革命児で多くの会社の経営を立て直したそうですね。まあ三か月前に病死されたそうですが」
瞳はうなずき、素行調査の話に戻した。
「素行調査を依頼したいのは千葉葵。二十六歳。彼女が本当に風馬の腹違いの子供なのかを調べてほしいのです。それが事実なら彼女にも遺産が入るかもしれませんから」
その言葉に柊は腑に落ちなかった。
「浮気相手の子供だろう。遺産が入るはずがない。何か別の意味があるのではないか」
仕方なく瞳は本当の事情を話す。
「一か月前に公開された遺言状に彼女の名前がなかったのですが、最後に謎めいた文章が書いてありました」
瞳は遺言状のコピーを鞄から取り出して二人に見せた。
『最後に一つ告白したい。尾形家の長男として生まれた私しか知らない秘密だ。我が別荘風雷館には財宝が眠っている。風神と雷神が重なる時財宝は目覚めるだろう。鍵は私の意志を継ぐ者に渡した。遺産を手に入れるのは誰でもいい』
瞳は補足する。
「風雷館というのは鎌倉の山中にある別荘です」
「つまり財宝の鍵を探してほしいということですか」
「はい。もしも千葉葵が浮気相手の娘と偽って遺産を相続することが目的の盗賊だとしたら尾形家の名前を汚すことになる。それを防ぐために素行調査をしていただきたい」
状況を呑み込めた柊は書類を渡した。
「素行調査受けます。この書類に必要事項を書いてください」