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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
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作者: 工藤るう子
掲載日:2011/01/10

 少しばかりハードな描写があると思われますが、自己責任でお楽しみくださると嬉しいです。







 呻く気力もないくらい、からだが痛い。


 熱をもって疼くのは、昨夜散々あいつを受け入れさせられた箇所だ。


 昨夜のあいつの行為はいつも以上に粘っこくて、どれだけ許しを乞うたかしれやしない。


 そのとき自分がどんな情けのない涙声だったのか、思い出す。


 虎に戻っているときあいつがオレを貫くものには、猫科の生き物に独特の特徴があらわれるから、怖くて、辛くてならないんだ。


 そう。


 猫科の生き物の陽物には、たやすく抜けないために返しの棘がある。


 だから、雌猫は雄猫が遂精後に引き抜く時に、あまりの痛みに叫ぶのだそうだ。


 切り裂かれる痛みだ。


 からだの内側から食い破られる、苦痛。


 それだとて、あいつたちに食い殺される道士たちに比べれば、まだしもましな痛みには違いないのだけど。


 けど。


 死ぬわけじゃないオレは、永遠の拷問にかけられているのと変わらない。


 虎の姿のあいつがオレを抱くとき、それは、決まって、あいつたちが道士を迎えに行く前の日だってことに、オレは気づいてる。


 そうしておけば、独りでオレを残しておいても、オレが逃げる心配はないんだ。


 あいつが戻ってくるまで、オレは、立ち上がることができない。


 のろのろとからだを起こそうとするけど、あまりの痛みに、地面に突っ伏さずにはおれない。


 ため息とも呻きともつかない息をひとつ、肺の中から押し出して、オレは覚悟を決めて、下半身を引きずった。


 まるで蛇にでもなった気分で、ずるりずるりとからだを引きずる。


 そのとき、熱い痛みがはしって、痛みよりも熱い何かが、痛む箇所から流れ出したのがわかった。


 ああ、傷が開いたんだな。


 じりじりと焼かれるような疼きが、オレの鼓動と同調する。


 この痛みが治らないなんてことはない。悔しいけど、あいつが帰ってくるころには治るんだ。


 それは、嬉しい事実なんかではないけど。それでも、痛みが消えるのは、消えないよりもはるかにましだった。


 それまでなんだ。


 自分で自分に言い聞かせながら、オレは、少しずつ、地面の上を這いずった。


 少し引きずるたびに起きる痛みに何度となく休みながら、耐え難い喉の渇きに洞窟の奥へと進む。


 洞窟の奥に、ぽっかりと天井が抜けた箇所があって、そこには、湧き水がわいている。


 とてもきれいな青色の空間に、今は黄色い花が咲いている。


 小さな花が、時折吹き込んでくる風に、揺らぐ。


 あちこちから竹の子のように顔を覗かせる六角柱は、水晶だ。水晶に陽射しが降りかかり反射する光が、水面でもういちど反射する。


 きらきらと光る、まるで夢のようにきれいな光景だけど、今のオレに鑑賞する余裕などあるはずもない。


 たまっている水に顔を突っ込んで、喉を鳴らす。


 冷たくて甘い水が、オレの喉を通って、胃の腑に収まった。


 熱に犯されているからだに、それは、とても心地よく感じられる。


 その瞬間だけ、オレは、傷の痛みを忘れることができた。


 だからなんだろう、いつの間にかオレは眠ってしまっていた。








 ああ、お使いの虎か。


 上弦の月の薄い光にかすかに照らされた庭に現われたのは、一頭の虎だ。


 ここは、仙人になろうと修行中の道士が集まる山の中の古い屋敷だ。


 十日に一度くらいの割合で、堂にこもる道士たちの中の一人が選ばれて、仙人の世界からの使いだという虎に連れられてゆく。


 オレは、ぼんやりと、虎を見ていた。


 本当は、見ちゃいけないんだろう。


 ここにいるのは、他人とか些細なことにはあまり興味のない、修行に夢中な道士たちがほとんどなので、お使いの虎が来たって、あまり騒がない。


 どちらかっつうと、彼らの邪魔をしないように、彼らが迎えにやってくる深夜には、自分の部屋で息を殺している。


 そりゃあ、多分、内心は自分が選ばれなかったことに不満はあったりするんだろうけど。それを表に現すんじゃ、修行不足っていうもんだろ?


 あ、と、ちなみにオレは、道士じゃない。


 ここで修行中の道士に拾われた、孤児というか―――拾われたとき十五くらいだったから、孤児っていうのも変か―――家なしだ。多分、住んでた村が強盗か何かに襲われて、それで逃げて行き倒れたんだと思うんだ。――多分思うっていうのは、オレ、道士に拾われた時からしか記憶がないからだ。まぁ、別段困ることはないんで、へらへらしてるけどな。


 仙人修行とはいったって、道士たちも飯くらいは必要だろ。だから、飯炊きとか掃除とか、こまごました雑用をここでやってる。やりだして、まだ、二年くらいだけどな、オレも雨風しのげるし飯に困らないので、助かってる。


 足るのを知るっていうのが、大事だよな。やっぱり。


 今日の晩飯の片づけをしてオレが寝ようと厨房から出たときだったんだ、虎を見つけたのは。どれくらいの時間虎を見てただろう、そんなに長い間じゃなかっただろう。けど、虎はオレの気配を感じたらしい。


 ささやかな月の光を受けて、虎の瞳が、妖しい緑に輝いた。


 ぞわり――と、背中が粟立つ。


 仙界からの使いだっていうことは、聖なる虎なんだよな。なのに、なんで、こんなに怖いんだ。ぞっとする。なんだか、からだが芯から震えてくるのを止めることができない。


 視線を外すこともできなくて、オレは、ただ、緑に燃えるような虎の目を見返していた。


「なにをしているんだね」


 その道士がオレに声をかけるまで、ただ、オレは見てた。


 その道士が、オレは、苦手だった。


 そりゃあ、この道士がオレを見つけて助けてくれた道士なんだけど。


 けど、なんか、ダメなんだ。


 この道士が近くに来るだけで、背中が強張りつく。


 黒々とした目で高い位置から見下ろされるだけで、膝が笑うのがわかるんだ。


 この道士といるときに感じるのは、まるで、あの虎に間近から見下ろされてるみたいな、恐怖のようなものだった。


「ああ。お使いの虎を見ていたのか。失礼に当たるから、あまり見るべきものじゃない」


 さあ、と、道士の手がオレの背中にあてられた。


 それだけで、オレは、震えた。


 クッ――と、道士が喉の奥で笑ったような気配があった。


「私が怖いのか」


 ―――ここに集った道士どもよりも、おまえのほうがいっそ………。


「えっ?」


 聞き逃した言葉に首を傾げたオレの顎に、道士の手がかかる。


 月の光が、道士の瞳を、ありえない色に染め上げた。


 井戸の水を頭からぶっ掛けられたような気分だ。


 背筋が引き攣れる。


 それまでの震えが、いっそう激しくなった。


 なのに、肉食獣に魅入られた獲物のように抗うことすら忘れて、オレは、そのまま、道士のくちびるを受けたのだ。


 触れては離れるくちびるが、深く浅く、幾度となく。


 道士の舌が、ぬるりとオレの口の中に入ってきたとき、オレのからだのどこか奥深いところに走ったのは、熱い痛みだった。


 喰われる。


 痛みから連想したのか。


 それとも。


 オレのくちびるを吸っている道士が、いつしか虎へと変貌を遂げたような錯覚にオレは、やっと、抵抗することを思い出したのだ。




 翌朝のオレは、寝床から這い出すことすらできなくて、どうしようもない有様でへたれていた。




 そんなオレに道士は食い物を持ってきてくれたが、顔を見ることすらオレにはできなかったんだ。


 そうだろう?


 あんな、めちゃくちゃやった相手に今更――だ。


 声もかすれて出せないし、動くのも苦痛だ。


 なのに、道士は、オレの首筋に顔を寄せてきやがった。


 ぞろりと舐め上げられた時、オレは、痛みを感じて、震えた。


 道士の舌が、猫の舌みたいに、ささくれてるように感じたんだ。


 だから、オレは、からだが悲惨なことになってるっていうのも忘れて、逃げを打った。


 次の瞬間にオレに襲い掛かってきた痛みに、すぐに寝床でうずくまる羽目になったけどな。


 その時には、道士の舌のことなんか、忘れてた。


 なんでこんなヤツが道士なんだとか、そんなことも、もう、頭の中にはなかった。


 うずくまるオレの背中にのしかかってくる道士の重みに、全身がすくみ上がるばかりだったんだ。




 なんでこんなことに。


 オレは、もう、ぐだぐだだった。


 掃除や洗濯それに料理、オレの仕事である雑用をこなしているときに、あいつが視界の隅を横切ろうもんなら、オレは、その場で金縛りになった。


 オレがあいつを怖がってるのを知っていて、あいつはオレを無視する。


 けど。


 夜。


 全部の仕事を終えた後のオレのところに、あいつは、決まってやってくるんだ。


 オレの頭は、真っ白になる。


 からだは、動けなくなる。


 そんなオレを、あいつは、情け容赦なく、抱く。


 どんなに拒絶しても、どんなに泣き喚いても、あいつは、やめやしない。


 翌朝のオレは、ふらふらで。


 でも、やっぱ、仕事はあるし。


 休んだら、仕事は増えて、自分がしんどくなるわけだし。


 毎日、オレは、必死で、雑用をこなしつづけた。


 けど、人間、限界ってあるじゃないか。


 いくら衣食住に困らないっていったって、あいつの相手をさせられるのは苦痛でしかなくて。辛いだけで、怖いだけで、オレはどうにかなりそうだったんだ。


 だから、その夜、オレは、山を下りる決意をしたんだ。


 きっかけ?


 そんなもん、ない。


 ただ、もう、これ以上は堪えられない。


 それだけだった。


 その夜は、道士の一人が仙人に選ばれた夜だったから、いつもは外で修行をしてる道士も誰も自分の部屋から出ない。


 そりゃあ、別に雇われてるわけじゃないから、オレが出て行くのも残るのも、結局は自由なんだけどさ。けど、こんな夜じゃないと、あいつに見つかっちまいそうな気がしたんだ。そうしたらオレがどうなるか。あいつが、オレをどうするか。そんなこと、想像したくもない。


 とにかくこの機会を逃がしたら、また、次まで我慢しなきゃなんない。


 考えるだけでも寒気がする。


 給金はなかったけど、頼まれごとをこなすとなんやかんやくれる物があったから、それを布で包んでさ、オレは、屋敷を後にしたんだ。




 今夜の月は、満月だ。


 暗い夜の山道を歩くオレの足元を照らしてくれるけど、簡単に見つかりそうでびくびくする。


 一応、明かりは持ってるんだ。でも、これも、不安材料で。だって、そうだろ? 誰かが追っかけてきたら、これ、目印にしかなんない。かといって、火がないと、さ、獣に襲われたとき、困るし。散々悩んだんだ。


 静まり返った空気が、時折、乱される。


 そのたびに、頭から冷水をぶっかけられるような感覚で肝を冷やしながら、オレは、あてどなく歩いた。


「うわっ」


 フクロウが、梢から飛び上がる羽音で、オレは、まじで、魂消るほど驚いた。


 足元に転がった明かりの火が、大きく燃えて消えた。


 胸を押さえて、深呼吸を数度。


 変わって、オレは、耳が痛くなるほどの静寂に取り囲まれた――ような気がした。


 耳を澄ませば、聞きたくないような音を聞いてしまいそうな、それくらいの、静けさだ。


 治まった心臓が、また、焦る。


 なにかの悲鳴を聞いたような気がしたからだ。


 なにか――いや、人間の―――だろうか。


 厭だ。


 オレはそう思うのに、そう思って脂汗すら流してるっていうのに、足は、勝手に、悲鳴がしたかもしれない方向へと向かってく。


 なんでよ。


 逃げようよ。


 逃げてる途中だろ、オレ。


 なのに、どう言っても、足が、勝手に、動くんだ。


 顔が、泣きそうなほど歪んでるのが、自分でもわかった。




 木々の間を抜けてくと、とつぜん、木が一本も生えていないところが現れた。


 月の光に照らし出されて、見て取れるものがある。


 岩棚とでも言うのか。


 広場みたいだった。


 そこに、なにか、生き物がいる。


 それも、一頭や二頭なんかじゃない。


 はぁはぁという荒い息。


 ぐるるという、喉鳴り。


 ぴちゃぴちゃとがりがりと、水分の多い何かを食べているような、生々しいばかりの、音。


 合間にか細く、悲鳴が、聞こえる。


 獲物は、まだ、生きてる。


 冴えた月の光が、憐れな生き物に降り注いだ。


 っ!


 朔道士……だ……………。


 途端、全身が、震えだした。


 朔道士は、今日、仙に選ばれて、お使いの虎を待っていた。


 お使いの虎………。


 ああ。


 朔道士を食べているのは、間違いなく、虎だ。


 虎。


 もしかして。


 イヤな予感が、脳裏を過ぎる。


 過ぎり消えることなく、確信へと変化する。


 今まで、選ばれ道士たちは、全員!


 喰われたんだ。


 見つかったら、きっと、オレなんか、すぐに捕まっちまう。


 どうしよう。


 道士たち騙されているって知らせないと。


 逃げないと。


 なのに、焦れば焦るだけ、足が笑うんだ。


 血が下がるような気さえする。


 それでも無理やり一歩下がろうとして、オレは、その場に尻餅をついた。


 ああっ。


 小さな悲鳴すら出てさ。


 もうだめだ。


 だって、な。


 ほら、あれ。


 緑や金の小さな明かり。


 あれが何か、わかるか?


 あれ、獣の目だ。


 獣の目が、全部で、十、八……九頭の、虎がいるってことだ。


 そんでもって、オレを見てる。


 厭だ。


 朔道士みたく、生きたまま、喰われるのか?


 厭だ。


 近づいてくる。


 そうして、今、すぐ、目の前に、いる。


 一対の大きな目が、オレを見ている。


 虎―――だ。


 オレは、虎に食われて、死ぬんだ。


 厭だっ!


 涙が、下瞼に盛り上がる。


 頬を流れ落ちる。


 ぞろり―――――ささくれだった舌が、それを舐める感触に、鼻先をかすめた生臭い匂いに、オレの全身が、石のように強張った。


 跳ね起きて脱兎のように逃げる根性すらないのか。


 頭の奥でそんな突込みをしたような、おぼろな記憶がある。


 ゴロゴロと、猫に似た喉鳴りが、クツクツという笑いに変化して、よく知った声が耳元でささやいた。


 逃がさない―――――――と。


 刹那、オレの神経は、灼き切れるように、暗転した。








「う……うん」


 どれくらい眠れたんだろう。


 なにかが、しつこく頬に触る。


 つんつんと、先のとがったものでつつかれるような感触だった。


 やっとのことで眠れたのに。


 眠りから覚めたとたん、また、傷がが疼きはじめる。


 目を開いて見上げると、目の前に、人影があった。


 赤く黒く染まった洞窟の中、小さなこどもがしゃがみこんでオレを見下ろしている。


 なんで――こんなところに…………


 これが夢や妄想などではないと、五感が伝える。


 ここに、現実に、生きたこどもがいるんだと。


「……………逃げろ」


 こんなとこにいちゃ駄目だ。


 どうやって迷い込んできたのかは知らない。


 そんなことはどうだっていい。


 問題は、ここに、人間がいることなんだ。


 虎たちは、好んで道士を食べる。


 それは、徳を積んだ者を食べれば、自分たちの力が強くなるから――なんだ。


 少なくともそう信じているからで、腹が膨れるかどうかは、二の次だ。だから、やつらは、食べる。道士を食べるまでの間に、ほかの生き物を狩ってきては、食べている。


 虎たちが狩ってくる獲物のなかには、人間が混じってることだってあった。


 徳を積んでいない人間だって、好んではいないらしいけど、平気で食べるんだ。


 だから、駄目なんだ。


 オレは、虎たちが狩ってくる、人間以外の肉のおこぼれで生きていた――と言ってもいい。


 もっとも、最近のオレは、あまり食べていない。


 食欲がないんだ。


 肉を食べようとすると、吐き気がする。最初のうちは、戻してしまってた。


 ここのところは、水と、あいつが採ってくる木の実で生きている。

  

 けど、実を言えば、それすらもほしいとは思わないオレがいる。


 木の実ですら、嘔吐しそうになるんだ。


 オレが欲しいと思うのは、水だけになってる。


 水は、いい。


 胸がすっきりするからだ。


 オレはいったい、どうなっているんだろう。


 オレは、人間なんだ。


 絶対。


 なのに。


 あの恐怖の夜から、いったいどれだけの時間が流れたのか。


 髪も、爪も、少しも伸びていないんだ。


 本当は、本当のオレはとっくの昔に死んでしまっていて、今ここにいるのは、ただの死霊なんじゃないかって、不安になる。


 でも。


 からだを犯しつづける疼痛は、現実のもので。


 あいつに対する、どうしようもない恐怖すら現実で。


 オレの思考は、いつもぐらぐらとおぼつかない。


 なぜなら。


 白黒つけるのが、何よりも恐ろしくてならないからだ。


 もしも――――――――――人間じゃないのだったら、オレは、どうすればいいんだ?


 あいつから逃げられるだろう、たった一つの方法すら奪われてしまったとしたら、オレは、どうすればいいんだろう。


 まだ怖くてできないけど。


 それでも、オレがあいつから逃れられる方法を、ひとつだけ、オレは、知ってるんだ。


 それは、一見簡単そうに思えて、けど、めちゃくちゃ勇気がいる。


 まだ、オレは、その方法を選ぶことができずにいるんだ。


 オレは、まだ、生きていたい。


 そう。


 どんなにからだが痛んでも、あいつにどんなことをされても、オレはまだ、死にたくないんだ。


 死―――は、絶望だ。


 オレを逃がしてくれた両親に対する、裏切りなんだ。


 オレは、オレの忘れてしまった記憶を取り戻している。




 あの堂がある同じ山に、オレの住む村はあった。周りは山ばかりで、村から出るのは、堂のある山を越えるか、反対側のつり橋を渡るかのどっちかっていう、辺鄙な山里なんだ。


 今思えば、あのころは、幸せだった。


 昔からよく言われるけど、幸せって、その中にいるときは、気づかないものなんだ。


 周囲の山から採れる玉やそれを細工したりして、オレたちは生活してた。


 家の裏に畑を耕して、山に入って獣を獲ったりしてな。


 でも、堂につづく道には、隣の村に行くときしか入らないのが、決まりだった。


 修行中の道士たちの邪魔をしちゃいけないっていうのが、理由だった。


 あの日、オレは、親父の手伝いをしてた。


 町に出てみたいって夢はあったけど、町で何をしたいっていう具体的な目的はなかった。


 どっかの金持ちが親父に注文した窓飾りをオレは、玉から彫っていた。


 細い窓の格子に、鳳凰の尾を刻むんだ。そうやって彫った尾の目玉柄のところに、別の玉を薄くそいだのをはめ込まないといけない。薄くそぐのが、難しいくて、嫌なんだけど、そんなこと言ってられなくて、必死だ。親父は慣れたもんですっすと仕上げてくけど、親父がひとつ仕上げてるのに、オレはまだ三分の一もできなかった。


 そんなオレを見て、親父が、薄く笑う。


 台所から漂う夕飯のにおいに気づいて、オレの腹が鳴った。


「飯にするか」


 穏やかな親父だった。


 親父が怒ったことなんか一度もない。代わりに、お袋がしゃきしゃきしてて、オレのことをよく叱った。


 晩飯のときだった。


 外が、騒がしくなった。


 親父が勝手口を開けて、すぐに閉めた。


 甲高い雄叫びが、悲鳴に勝ってた。


「逃げろ」


 火の手が上がったのだろう。


 外が、夕焼けのように赤く染まっていた。


 外から勝手口が蹴破られて、入ってきた男たち。


 親父とお袋が、オレを裏口から逃がした。


 振り返った視界に、お袋と親父の最期が、焼きついた。


 皆殺し。


 盗賊の叫びが、耳を打つ。


 追っかけてくる盗賊。


 オレは、必死に、山に逃げ込んだ。


 そうして、盗賊に、斬られるか、射られるか、縊られるか、何かをされたんだろう。


 最後の最後、思い出したくないらしくて、オレの記憶は、ぼんやりしている。

  

 けど、めちゃくちゃ怖かったってことは、覚えてる。というか、思い出している。だからなんだろう、死ぬのは、怖い。


 怖くてならないんだ。








「どうして、逃げない」


 五才くらいに見えるこどもの口が紡ぐのは、愛らしい声音には不似合いな、不思議に威厳のこもったものだった。


 夕日の赤に染まった白い簡素な服を着て前髪と横髪だけを残したくりくり坊主の頭をしたこどもの目が、オレを見下ろしている。


 普通のこどもじゃない。


 黒い瞳が、鋭くオレを見下ろしている。


「人外ごときの玩具に甘んじるのか」


 耳に、心に突き刺さることばだった。


 それでも。


 多分。


 痛みに動くことすらままならないという現実なんか、このこどもには、考えられないことなんだろう。


 人間なんかその前足の一振りで簡単に殺してしまえる獣に対する恐怖なんか、わからないんだろう。


 いつ首を食い破るかわからないあいつに支配されて、ただ苦しむだけというのは、理解の範疇外なんだろう。


 非人間的なまなざしにさらされて、オレは、ただ、震えるしかない。


「このままここにいれば、遠からずおまえも、ひとではなくなる。その身が妖魅と化すも、諾と、いうのか」


 ああ、やっぱり。


 突きつけられる現実に、オレを捕らえようとするのは、諦めだった。


「逃げないのか」


 逃げる―――。


 そのことばの裏に、このこどもが込めているものを、オレは、やっと理解した。


 全身が震える。


 じわりにじむのは、脂汗だ。


 このこどもは。


 オレを。


「今ならば、まだ、おまえは逃げられる」


 だが。


 この機を逃せば、おまえは妖魅と化して人に仇なすものとなるだろう。

 

 どうする。


「………して」


 こみあげてくる涙に、視界がぼやける。


 薄暮の中に、ひとならざる神聖なこどもが佇む。


 うっすらと光を帯びて、残酷なまでの正しさをつきつける。


「ころして…………オレを、殺してください」


 死ぬことでしか逃げられないのは、痛いくらいに感じていた。


 それでも、自分で死を選ぶことは出来なくて。


 怖くてならなくて。


 あまりの恐怖にうずくまってしまったオレに、何かが救いの手を差し伸べてくれたのだろう。


 もうおまえには時間が残っていないのだと。


「人間でいられるうちに、人間として殺してください」


 諾―――――と。


 こどもの口端が、満足そうにもたげられる。


 非人間的なその笑いに、いつかあの堂で見た神の像が重なるような気がした。


 あれは、魔を屠るという、童子の姿をした神だった。


 神が、音もなく剣を引き抜いた。




 震えながら、オレは、目を閉じた。




 激しい雷だった。


 獣の唸り。


 洞窟の中、大気がねっとりと濃度を増して渦巻く。


 後ろ首をなにかに掴まれたと思った次の瞬間、オレは、背中を岩壁にぶつけていた。


 そのままのいきおいで、地面に落ちる。


「グッ」


 喉に熱い塊がこみあげ、目の前が真っ赤に染まった。


 全身を駆け抜ける灼熱は、痛みに変わり、そうして、氷のように冷たい刃となった。


 オレのからだからあふれ出す赤い血が、神と魔が対峙する洞窟の地面を塗らした。


 人間のまま死ねるのか。


 神が与えてくれるはずだった死ではないけど。


 それでも、これも、死には変わりない。


 水晶に串刺しにされて迎える死は、もしかして、オレには過ぎたものかもしれない。


 まぁ、いいか。


 オレは、目を閉じようとした。


 その時、ひときわ大きな雷が大気を震わせた。


 耳を聾する轟きとともに、洞窟の岩が崩落する。


 何が起きたのか。


 気がつけば、目の前に、黄色い双眸があった。


 虎の目が、ぬるりと解けて、黒い人のまなざしへと変貌を遂げた。


「愛している」


と、


「逃がさない」


と、オレをめちゃくちゃにしつづけたあいつが、ささやいた。


「はは…………」


 何ともわからない笑い声とともに、オレの喉から、大量の血があふれ出る。


 崩れ落ちる洞窟の中、あいつに抱きしめられて、そうして、オレは死を迎えたのだ。








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