【短編】川に流した詩が、野の花になって帰ってくるまで
あなたへ
むかしむかし、あるところに――。
若い王妃様をお迎えした、小さな王国がありました。
王妃様は、遠い北の国から嫁いでこられた方で、肌は真珠のように白く、髪は秋の麦畑のように淡く輝き、まるで春の妖精のようだと人々は言いました。
王妃様よりずっと年上の王様は、若い王妃様をとても大切にしていました。
王妃様のために王宮の裏手に広い薔薇園を作らせ、庭師たちに国中から珍しい薔薇を集めさせました。そこには赤い薔薇、白い薔薇、青い薔薇、紫の薔薇が年中咲き誇り、王妃様はたいそう喜ばれました。
その薔薇園で、王妃様は月に一度、『詩読み会』を開くようになりました。
城下の娘たちは、貴族も、商人の娘も、職人の娘も、皆その『詩読み会』に憧れました。
『詩読み会』に参加して詩を読んで、王妃様が喜べば、薔薇園の薔薇を一輪いただけるのです。
やがて町には噂が立ちました。
――王妃様の薔薇を軒先に飾った家には、よい縁談が来る、と。
薔薇が三輪ある家の娘は、金細工師の息子と婚約した。
薔薇が五輪ある家の娘は、騎士の家へ嫁いだ。
薔薇が七輪もある家の娘には、伯爵家から使いが来た。
そうなってくると、王妃様の『詩読み会』はただの詩読み会ではなくなってしまいました。
娘たちは皆、王妃様の薔薇を欲しがったのです。
そして王妃様は流行を作る方でしたから、ある月、王妃様が「星空の下で薔薇を見ましたの」とおっしゃると、次の月には星と薔薇の詩ばかりが読まれました。
またある月は、王妃様が「湖の白鳥たちが子育てしていましたわ」とおっしゃると、次の月には夫婦の白鳥の詩ばかりになりました。
またまたある月には、王妃様が「真珠の涙とはどのようなものかしら?」とおっしゃると、城下の娘たちはこぞって真珠の涙を流しました。
王妃様は、そのたびに微笑みました。
そして、薔薇園の薔薇は、毎月、たくさんの娘たちの手に渡りました。
城下の家々の軒先には、乾かした薔薇が飾られていきました。赤い薔薇を七つ、白い薔薇を三つ、青色の薔薇を二つ。家によっては、まるで小さな薔薇園のようになっていました。
さてさて。
その町の片隅に、ララという名の下級貴族の娘がおりました。
ララの家は古く、屋根は少し傾き、庭には薔薇ではなく、洗濯物と薪が並んでいました。
母は優しい人でしたが、近頃はため息が増えていました。
「ララ、今度こそ王妃様の薔薇をいただけるといいわね」
母はそう言って、ララの髪を丁寧に梳かしてくれました。
ララだって、薔薇はいらないと思っていたわけではありません。欲しいに決まっています。
王妃様の薔薇が一輪あるだけで、母のため息は少し減るでしょうし、仲人の目も少しは変わるでしょう。
家の古い扉も、ひび割れた壁も、薔薇の赤で少しはごまかせるかもしれません。
だからララは、毎月、がんばって詩を書きました。
けれど、どうしても王妃様のお好きそうな詩が書けませんでした。
薔薇を書こうとすると、庭で洗濯物を干す母の赤い手を書いていました。
白鳥を書こうとすると、泥のついた靴で川べりを歩く荷運びの少年を書いていました。
真珠の涙を書こうとすると、戦から帰らない息子を待つパン屋の女主人のことを書いていました。
ララの詩には、いつも泥や川や井戸や畑が出てきました。
詩読み会でそれらを読んでも、少しも喜ばれませんでした。
王妃様はララの詩を聞くと、困ったように微笑みました。
怒りも笑いもしません。
ただ、薔薇をくださいませんでした。
その月も、ララは薔薇をもらえませんでした。
帰り道、友人のひとりが気の毒そうに言いました。
「ララの詩は、王妃様には少し難しいのかもしれないわね」
優しい言い方でしたが、難しいのではなく場違いだと言われたのだとララは気がつきました。
「薔薇が欲しければ、もっと王妃様のお好きなものを書かないといけないわ。王妃様の流行りに合わせて」
「書いてみたわ」
「どうだったの?」
「初めはたしかに薔薇を書いていたのに、途中でから井戸の詩になってしまったの」
友人は返事に困り、やがて笑いました。
悪意のない笑いでした。
だから余計に、ララは返す言葉をなくしました。
その夜、ララは部屋で一篇の詩を書きました。
詩の題は『冬の川で袖を濡らす母へ』。
ララはもう王妃様にお見せするつもりはありませんでした。見せたところで、薔薇にならないことは分かっていました。
だけどララは詩を書き続けました。やはり詩を書くのが好きだったからです。
書き終えると、ララはそれを四つに折り、家の裏を流れる細い川へ持っていきました。
川は王宮の方へは流れていません。
城下を抜け、水車小屋の下を通り、やがて国境の方へ続く川でした。
ララは庭に落ちていた枇杷の葉で船を作りました。
その枇杷の葉の船に紙を乗せて水面に置くと、船はゆっくりゆらゆらと流れていきました。
その二日後、朝にララが窓を開けると、窓辺に小さな白い花が置かれていました。
それは薔薇でもなく、庭師が育てた花でもありません。
川べりに咲いている、名前も知らない野の花でした。
ララは不思議に思いました。
けれど、その日はただ、鳥が運んできたのだろうと思うことにしました。
次の月、ララはまた『詩読み会』に行きましたが、やっぱり薔薇をもらえませんでした。
その月の流行は白鳥のようでした。
娘たちは皆、白鳥の羽、白鳥の湖、白鳥の首のような王妃様の指を詠みました。
ララの詩には、白鳥は出てきませんでした。
代わりに、干上がった井戸と、そこに石を投げる子どもが出てきました。
王妃様はまた困ったように微笑み、やっぱり薔薇をくださいませんでした。
その夜、またララはその詩を川に流しました。
すると翌朝、こんどは薄紫の野の花が窓辺に置かれていました。
それから、同じことが何度も続きました。
ララが詩を川へ流した翌朝には、必ず野の花が届くのです。
黄色い花。
青い花。
小さな赤い実のついた枝。
霜に縁どられた草。
その季節に、川べりで勝手に咲いているもの。
どれも王宮の薔薇園には咲かないものばかり。
やがてララは気づきました。
誰かが、自分の詩を拾っているのだと。
そして、その誰かは、薔薇ではなく野の花で返事をくれているのだと。
その日から、ララは詩を川へ流す前に、少しだけ丁寧に折るようになりました。
どうか、野の花の人のもとにちゃんと届きますように。
枇杷の葉の船が、誰かの手に届くことを考えながら。
王妃様の詩読み会では、ララは相変わらず薔薇をもらえませんでした。
けれど、川へ流した詩にはいつも野の花が返ってきていました。
いつしかララの机の引き出しには、乾かした野の花がたくさんたまっていました。
王妃様の薔薇は一輪もありませんが、ララの部屋だけは、名も知らぬ花でいっぱいになっていたんです。
枇杷の葉が三度落ち、四度芽吹くころには、ララの詩は少しずつ長くなり、母の白髪も少しずつ増えていきました。
王妃様の『詩読み会』はますます盛んになり、城下の娘たちはますます上手に流行を追うようになりました。
ある年は金の林檎。
ある年は銀の月。
ある年は眠る小鹿。
ある年は、王妃様がふと褒めた「雨上がりの薔薇」が大流行しました。
町中の娘が雨上がりの薔薇を詠みました。
雨上がりの薔薇は、百篇も二百篇も生まれました。
けれど、そのどれもよく似ていて、ララには雨の匂いを嗅ぎ分けることができませんでした。
ララはもう、『詩読み会』に出ることも減っていました。
母は何も言いませんでしたが、軒先に薔薇が一輪もないことを、時々寂しそうに見ていました。
ところが、その野の花も、ある年の秋から届かなくなりました。
ララは何度も川へ詩を乗せた枇杷の葉の船を流し祈りました。
けれど翌朝、やっぱり窓辺は空のままでした。
その時、ララは自分でも驚くほど落ち込みました。薔薇をもらえなかった時よりも、ずっと。
あの誰かも、飽きてしまったのだろうか。それとも、好みに合わなかったのかなと。
そう思うと、ララはしばらく詩を書けなくなりました。
それから三年ほど経った、ある冬の終わりのことです。
城下の広場に、ひとりの吟遊詩人がやって来ました。
旅の外套は日に焼け、靴は泥だらけで、竪琴には古い傷がありました。
けれど彼が弦を鳴らすと、広場のざわめきは少しずつ静まりました。
その歌は、薔薇の歌ではありませんでした。
星の歌でも、白鳥の歌でも、王妃様を讃える歌でもありませんでした。
冬の川で袖を濡らす母の歌でした。
ララは足を止めました。
その歌の中で、母は凍えた手で洗濯物を絞っていました。
次の歌の中で、息子は戦から帰らず、犬だけが門の前で待っていました。
また次の歌の中で、井戸の水は冷たく、パンは固く、けれど朝は必ず来るのでした。
ララは驚いて息ができませんでした。
それは、昔、自分が川へ流した詩ではありませんか。
広場の人々は黙って聞き入っていました。
魚売りの女が目元を拭い、鍛冶屋の少年が帽子を取って胸に当て、兵士らしい男が唇を噛んで空を見上げました。
歌が終わると、広場にはパラパラと拍手が起きました。
吟遊詩人に向けられているはずの拍手が、何故かララの胸にも届きました。
吟遊詩人が帽子を差し出して歩き出した時、ララは思わず追いかけました。
「あの、すみません」
吟遊詩人が振り返りました。
まだ若い男でした。ララより少し年上でしょうか。目は深い川の色をしていました。
「今の歌は、どこで?」
ララが問うと、男はララの顔を見て少しだけ笑いました。
「川で拾ったんです」
「川で?」
「はい。何年も前から、時々。枇杷の葉の船に乗って私のもとに届いたんです」
ララの指先が震えました。
「じゃあ、窓辺に野の花を置いていたのは」
「私です。もしかして、あなたが?」
男は少し恥ずかしそうに言いました。
「あの頃、私は水車小屋で働いていました。枇杷の葉の船が流れてきたのを拾いました。最初は字が読めませんでした。だから、読めた印に花を置くだけでした。けれど、あなたの詩がどうしても読みたくて、水車小屋の主人に文字を教わったんです。」
「でも、どうして、うちだとわかったんですか?」
「川の上流で、枇杷の木がある家があなたの家だけだったので。私は粉を配る仕事もしていました。ちょうどあなたの家の並びまで届けに行っていたので」
「どうして、途中でお花が届かなくなったんですか? もしかして、私の詩がつまらなかったですか?」
「いいえ。実は、旅の吟遊詩人に弟子入りして、町を出たんです。黙っていなくなって、すみません」
ララは首を振りました。
ただ、男の話に胸がいっぱいになりました。
「なぜ私の詩を、歌にしたのですか」
男は少し考えました。
「あなたの詩は、薔薇園には似合わないと思ったからです」
ララは苦笑しました。
「それは、よく言われました」
しかし、男は静かに言いました。
「薔薇園に似合わないものは、価値がないという意味ではありません。あなたの詩は、道に似合う。川辺に似合う。砦の夜に似合う。故郷へ帰れない兵士が、固いパンを噛みながら思い出すのに似合う」
そう言われ、ララは何も言えませんでした。
男は外套の内側から、古い紙束を取り出しました。
紙は何度も折られ、端は擦り切れ、ところどころ雨に濡れた跡がありました。その間には、すっかり乾いた野の花が挟まっていました。
「ずっと、作者に返さなければと思っていました」
ララは震える手でそれを受け取りました。
それは、王妃様の薔薇よりも、ずっと軽いものでした。
けれど、胸に抱くと、薔薇の花束よりも重く思えました。
吟遊詩人の歌は、その日から王都で少しずつ広まりました。
酒場で歌われ、市場で口ずさまれ、やがて王宮の台所で働く女たちの間にも届きました。
そしてある夜、若い王妃様が、侍女のひとりが小さく口ずさんでいるのを聞きました。
王妃様は、はっと顔を上げました。
「ねぇ。今の歌はなぁに?」
侍女は青ざめました。
「申し訳ございません、王妃様。今のは『詩読み会』の歌ではなく、城下で流行っている歌で……」
「もう一度歌ってちょうだい」
王妃様は言いました。
侍女は震える声で歌いました。
王妃様はその歌を最後まで聞くと、しばらく黙っていました。
そして、ぽつりと言いました。
「薔薇は、一輪も出てこないのね」
侍女はさらに青ざめました。
けれど王妃様は怒っていませんでした。
王妃様は遠い昔を思い出していました。
王宮に来る前、まだ北の小さな領地にいた頃、王妃様の母もまた、冬の朝に手を赤くして水を汲んでいました。
薔薇は美しい。
けれど、薔薇だけが人生ではない。
王妃様は、そのことを長い間、忘れていました。
次の詩読み会の日、王妃様は特別にララを呼びました。
城下は大騒ぎになりました。
薔薇を一輪ももらったことのないララが、王妃様に呼ばれたのですから。
『詩読み会』には、多くの娘たちが集まりました。
不思議なことに、その日の詩は、いつもの薔薇や白鳥ではありませんでした。
その日の詩には、いつもより少しだけ、川や泥や働く手が増えていました。
けれど、その多くは少しぎこちなく、泥はきれいすぎ、川は銀のリボンのようで、働く手は真珠のように白いままでした。
王妃様は、静かに聞いていました。
やがてララの名が呼ばれました。
ララは前へ出ました。
その胸には、吟遊詩人から返された古い紙束がありました。
ララは新しい詩を読みました。
それは薔薇の詩ではありませんでした。けれど薔薇を憎む詩でもありません。
王宮の薔薇園で働く庭師の手も、城下で洗濯をする母の手も、同じように朝の水で冷えるのだという詩でした。
読み終えると、『詩読み会』の庭は静まりました。
王妃様は立ち上がりました。
そして薔薇園から一輪の薔薇を摘ませました。
けれど、それは温室で育った大輪の薔薇ではありませんでした。
庭の端で風に当たり、少し棘の多い、小さな野薔薇でした。
王妃様はそれをララに差し出しました。
「あなたの詩に、薔薇を」
ララは深く膝を折りました。
王妃様から受け取った野薔薇は、たしかに嬉しいものでした。
けれどララの胸の奥で一番あたたかく光っていたのは、あの人が最初に届けてくれた野の花でした。
その時、庭園の外にいた吟遊詩人が、そっと竪琴を鳴らしました。
ララは顔を上げ、彼を見ました。
彼は竪琴をかき鳴らしながら微笑んでいました。
そして、曲が終わると、小さな野の花を一輪、石畳の上に置きました。
その日、ララの家の軒先には、初めて王妃様の薔薇が飾られました。
母はそれを見て喜んで泣きました。
近所の人々は足を止め、ようやくララの家にも薔薇が来たのだと噂しました。
けれど、ララが机の引き出しにしまったのは、薔薇ではありませんでした。
吟遊詩人が、石畳の上に置いた一輪の野の花。
そして、吟遊詩人の言葉。
――まだ、続きがあれば聞きたいです
ララが窓を開けると、川の音がかすかに聞こえてきました。
王宮の薔薇は、夕暮れの光の中で美しく咲いていました。
その足元では、誰が植えたわけでもない野の花が、石の隙間から勝手に咲いていました。
それは、川べりに咲く花と、よく似た花でした。
おしまい。




