探偵殺人(1)
「お前らシートベルトは締めたか?遠くない距離とは言えシートベルト締めてないと捕まるのは俺だからちゃんとしろよ」
「大丈夫」
「僕もです」
二人の返事を聞いた袋小路は、アクセルを踏み結果の家を出発する。徐々にスピードを上げる車のミラーには遠ざかっていく自宅が映し出されている。
袋小路の車に乗って向かう先は不知火に呪いをかけている犯人が暮らしているアパートだった。
既に結果の調べは付いており、袋小路にも情報が共有するため、指示をしなくても真っ直ぐに犯人の元へと向かって行く。
無言の車中。結果は今後のことを考え、袋小路は車の運転に集中している。今の状況に慣れていない猫上は恐怖の対象である四季が居なくなったことで少しだけ気持ちが楽になっていた。
「結果さん」
「なに?」
集中している結果も、声を掛けられればすぐに応える。
車の後部座席に横並びで座っているため、無視をすることなどできない。
「袋小路さんが言っていた探偵殺人ってなんですか?」
「あんまり話したくない。すぐに分かると思うから」
猫上は探偵殺人という言葉が、喉に刺さった魚の小骨のように引っかかっていた。猫上の知っている探偵は殺人とは正反対にいるような人物であり、探偵殺人は矛盾を孕んでいた。
すぐに分かるという結果の言葉によって深く追求することは出来なくなった。カリギュラ効果によって駄目だと言われれば知りたくなってしまうのが人間であるが、結果の近くには四季がいる事を思い出し、言葉をぐっと飲み込んだ。
「もうすぐ着くぞ」
結果が集中しながら過ぎゆく街の景色を眺めていると目的地に近付いて行くのが分かる。
少し進むと袋小路は路肩に車を止め、ファサードを点滅させる。
「降りろ。俺は止められるところを探してから戻ってくる。すぐに戻るから勝手に行くんじゃねえぞ」
「そんな事しないよ」
猫上と結果が車から降りると袋小路は駐車場を探すために発進してしまった。
猫上の足元にはいつの間にかようかんがおり、結果が目を向ければ見つめ返してくる。
結果の目線の先には大きな通りから少し外れ、人通りが少なくなった場所に経っている二階建てのアパートが映る。結果の家よりは小綺麗だが、築何十年と経っているだろう。
付近に民家はあるが、人の気配は殆ど感じない。住んでいる人がいても、分かりやすい人の営みは行われていないのかもしれない。
結果と猫上は並び立った状態で袋小路が戻ってくるのを待つ。
家にいる時とは違い、結果は二人で経っていても気不味い雰囲気は感じていなかった。その理由は猫上よりも意識する対象が目の前にあるからだ。
袋小路がいるからといって安心をすることはできず、犯人の出方によっては結果が怪我を負う可能性もある。呪いに頼る輩は頭のネジが何本も外れており、結果はその現場に何度も遭遇してきたのだ。
今から会いに行く相手が、狂人ないことを祈るばかりだ。
・
「おや?猫上くんではありませんか。ところで何をしているのですか?」
袋小路を待つ二人に話しかけてくる男。
髪を七三に分け、眼鏡をかけた真面目そうな風貌。しかし着ているスーツは縒れているアンバランスさが不思議な男性。顔をよく見ると、目の下には隈が色濃く出ており頬もこけていることから疲労が溜まっていることが分かる。
「先生こそ何をしているんですか?」
「見回りですよ。今から学校に戻って残業をするところです」
「それは……お疲れ様です」
男は宗匠嚆矢と言う。
猫上の通っている万丈高校の教師をしている人物だ。担当教科は日本史で生徒からの人気は話にも上がらない程度。可もなく不可もないといった評価を下されることが多い。
宗匠は学外で不適切な行動をしている生徒がいないかを確認するため学校からの命で見回りをしているようだ。
「猫上くんも早く家に帰ってくださいね。また何かあったら私の仕事が増えるので」
「分かりました」
宗匠は猫上に対して特別な指導をすることなく、その場から立ち去っていく。事なかれ主義なのか、面倒事に関わりたくないからか分からないが、この場にいる理由を突き詰めることはなかった。
去りゆく宗匠の背中に目を向ける結果。
「猫上くん、あの人は誰?」
「高校の先生ですよ。僕のクラスの担任の先生」
「凄く窶れて見えたけど先生ってそんなに忙しいものなの?」
「宗匠先生は特別忙しいようです。断れない性格だから他の先生達から面倒事を押し付けられて良いように使われているんじゃないんでしょうか」
宗匠は重い足取りで道を歩いていく。その姿は目的地もなく荒野を彷徨っている旅人のようだった。
小さくなっていく背中に、結果は溜め息を吐く。
「あの先生。呪いの気配がする」
結果には宗匠の体に纏わりつくように黒いモヤが薄っすらと見えていた。
結果は人を死に追いやる呪いに関わった人間には黒いモヤが発生することが経験から分かっていた。呪いの強さによって見えることがあるが、常に見えているわけではない。
現に不知火と会った時には呪いの気配を感じることはできず、自分の足で調べる事になっていた。自分が見える世界は他の人に見えていないため、結果は調べることもできない。
自分が解決をする事件には黒いモヤが纏わりついている人間が多いことから呪いに関することだと決めつけているだけなのだ。
呪いの気配を感じることができるのは結果だけであり、隣にいる猫上は違和感すらも覚えることはできなかった。
「先生に呪いですか」
「それも結構強い呪いの気配がする。これは超常現象研究家としての経験から来るやつ。猫上くんの担任の先生なんでしょ?知ってることあるかな」
「忙しそうですけど、生徒である僕たちには優しい先生です。見ての通り、自身が窶れるまで人の頼みを聞く人ですし強い憎悪を向けられるとは思えません」
「そうなんだ。まあどうでもいいけど」
結果は去りゆく宗匠から目線を外し、現在自分が対処しなければならないアパートに目を向ける。
「呪いの気配がするのに解決しないんですか?」
超常現象という不可思議な問題を解決することが結果の仕事だと思っている猫上は、突然興味をなくした結果に疑問を持つ。
「しないよ。依頼されてないし」
「でも先生に呪いの気配がするんですよね」
「するよ。でも依頼は受けてない。私も慈善事業じゃないし、自分から呪いに首を突っ込みたくはないの」
「意外でした。もっと超常現象が起これば燥いで首を突っ込むかと……」
「猫上くん。超常現象っていうのは人間の理解が及ばない現象のことを言うんだ。つまりね――人間は簡単に死ぬ。私は死にたくないから依頼以外では首を突っ込まない。猫上くんもようかんが居なければ死んでいたでしょ?超常現象っていうのはそういうもの」
結果の言葉に猫上の背筋が寒くなる。
今まで自身の身に起こった事件を思い出すと、足を止めていなければ肉塊になっていたかもしれない。現実で起こり得なかった未来を想像し、自身の運が良かったから助かっただけだと改めて思い知った。
「尚更、僕の身に起こっている超常現象を調べて貰わないと」
「猫上くんは依頼をしてくれたからね。精一杯やるよ」
「因みに僕には呪いの気配は見えていますか」
結果は猫上の靴から頭まで舐め回すように観察をする。
色濃い呪いの気配がある場合は凝視しなくても、ドライアイスの煙のように身体から黒いモヤが立ち昇るのだが、猫上の身体からは黒いモヤは一切見えなかった。
「見えない。でも見えないからといって超常現象が関わっていない理由にはならないの。現に猫上くんには被害が出ているからね。黒いモヤが見えないからといって安心は出来ないよ」
・
「待たせたな」
「待ってないよ。大丈夫」
「突入方法はいつもの感じでいいか?」
「オッケー。よろしくね刑事さん」
「任せるぞ探偵殺人」
声を掛けていた人物のことを忘れ、猫上が立ち入ることのできないやり取りを二人は繰り広げる。猫上は傍観者として結果に着いてきただけで口出しをできる立場ではないことを理解している。
袋小路がアパートに向かって歩き出し、その後ろを結果と猫上は付いていく。犯人の部屋はアパートの二階にあり、長年の雨風によってサビが付着した階段をゆっくりと登っていく。地面から距離が離れる度に、階段はギシギシと不快な音を立てている。手すりが備え付けてあるものの、階段よりもサビによる劣化が激しいため触ることも憚られた。
階段を登ると通路があり、目的地が分かっている袋小路は悩むこともせずに一番奥の部屋へと向かって行った。
「ここが髪結の暮らしている部屋。今日が出勤日では無いこと、部屋にいることは確認済みだ」
「あの、すみません」
「どうした?えっと……」
「猫上です」
「手短に頼むよ猫上くん」
結果の家から一直線に現場に来たため袋小路は猫上の名前を知らなかった。
「突入方法いつものってなんですか?」
今日始めて結果と袋小路に出会った猫上は二人のいつもを知らない。
結果と袋小路は顔を見合わせて笑みを浮かべる。普段は第三者が殆ど居ない突入のタイミングに、何も知らない少年がいる。その事実が少しだけ面白かったのだ。
危険が伴う以上、他の人を連れてくることはないのだが、結果の力を見せるためにも猫上の存在は必要不可欠である。
何よりも、四季が猫上を連れて行くことを許可したのだ。家の幸運を呼び込む妖怪――即ち結果の幸福は約束されたようなものである。
そんな結果の近くにいれば、ようかんの存在も相まって猫上の被害は少ないと袋小路は判断して同行を許している。
「いつものは何かって言われてもな?」
「ね?」
二人は猫上に伝わらないアイコンタクトをとる。
「袋小路さんが家主を呼び出す。そしたら私が事件の内容を突きつける。それで家主が居なくなったら家の中に入る。それだけだよ」
「家主が居なくなったら?家に入れてくれるってことですか?」
「ま、見てりゃわかるよ」
結果の力は説明をしても信じてもらえないと常々思っている袋小路。自身も結果の力を信じていなかったが、何度も目の当たりにすることで結果の力を使って事件を解決するようになっていた。
見てれば分かると言われた猫上は説明をしてくれない袋小路を訝しげな目で見ながら言葉を飲み込んだ。この場で発言力が一番ないことを理解している。
「それじゃチャイム押すからな」
「オッケー」
結果の合図で躊躇うことなく部屋のチャイムを鳴らす袋小路。ピンポーンという昔ながらの呼び出し音が、部屋の中だけではなく外に待機している三人にも聞こえてきた。
中からは慌ただしく歩く足音が聞こえてくる。住民はスリッパなどを履かずに生活をしているようだった。
玄関前で「はい」と声がすると同時に部屋の扉が開いた。
室内から誰が来たか確認もせず、躊躇わないで扉を開いた男には防犯意識などなかった。
「髪結光太郎さんですか?」
「はい。俺が髪結光太郎ですけど」
出てきた男は美容室に勤めているだけあって清潔感のある見た目をしていた。古ぼけたアパートには似つかない。
猫上は出てきた人物を見ても誰かに対して執着するような人間には見えなかった。男の自分から見ても女性から声をかけられる事が多いだろうと思うほどに髪結は格好が良かったのだ。
結果は袋小路の服の裾を五回引っ張る。予め決められている二人だけの合図だ。
その意味は――黒いモヤが見えていると袋小路に伝えるため。
「警察です」
「け、警察?何か事件でもあったんですか?」
「少しお話を聞きたいのですがお時間よろしいですか?」
「家の中はちょっと入れられないのですが」
「玄関で大丈夫ですので」
家の中には入れられないという髪結いの言葉に結果は小さく笑う。呪いという非現実的なことをやっている人間は部屋の中に証拠が残りすぎている。
警察が自分の行為を把握して来訪していた場合、言い逃れをすることが難しい。
相手を呪うこと自体は法律で裁かれることがない。しかし特定の人間に執着して、ストーカーをしていた場合は法律で裁かれるのだ。
髪結の瞬きの回数が多くなった事を結果は見逃さない。
疚しいことがある人間は平静を取り繕っても身体は正直に反応してしまうのだ。瞬き以外にもドアノブを持つ手は、何度もドアノブを握り直している。
髪結の背中越しに結果は部屋の中を確認する。急いで出てきたためか、廊下の先に髪結の部屋がはっきりと見えていた。
「お話ってなんですか?仕事もありますので手短に」
髪結は話を長引かせないため、仕事を引き合いに出したが、袋小路達は髪結が非番だということを知っている。この場から早く逃れるために髪結が嘘をついた事は猫上にも分かった。
警察が急に訪ねてきて嘘を付く人間が怪しくないわけがなかった。
「不知火知さんをご存知ですよね」
「俺が働いてる美容院のお得意様です」
「不知火さんがストーカー被害に遭っていまして、その捜査をしています」
「……俺、疑われているんですか?お店以外で会うことも無いですし、そこまでの関わりはありませんよ」
髪結は疑われた事で不本意な表情を浮かべ、扉を閉めようとする。すぐさま袋小路は扉のすき間に足を入れ、扉が閉じることを防いだ。
「何なんですか。俺、疑われるようなことしましたか?」
今度は扉を勢いよく開いて袋小路を威嚇する髪結。
扉は風を切る音を立てるほどの速さで開かれたため、扉の前にいれば怪我では済まなかっただろう。
「してるよ」
髪結の問に答えたのは袋小路よりも目線を下げなければ視界にも入らない小柄な少女。
「なんですかこの子」
警察と一緒に制服を着た少女が訪ねてきた場合に感じる適切な疑問を髪結は言葉に出した。
結果の家で猫上と話していた時のような軽い雰囲気とは違い、髪結と相対した結果は静かに相手の目を見つめて同行を観察している。
質問に対して無言で見つめられる反応を示された髪結は現実的ではない恐怖を感じて、ドアノブから手を離し後退った。
扉は袋小路が手で支えているため扉は閉まることはない。
一歩後ろへ下がった髪結を追うように結果は一歩足を踏み出した。
「超常現象研究家兼探偵をやっている殺人結果。巷じゃ探偵殺人なんて呼ばれているね。その呼び名は好きじゃないけど」
髪結から一切目を離さずに、結果は自身の存在をこの場にいる全員に示した。




