超常現象研究家兼探偵(4)
「猫、ですか?」
「猫だよ。英語ではキャット。ドイツ語ではカッツェ。中国語ではマオ。何でもいいけど想像通りの猫。猫上くんは飼っていたよね」
「今は飼っていません」
頭頂部を見られながら猫の話をされた猫上は頭に何かが付いていると思い、何度も髪を触るが指先には何も触れなかった。
「今の話はしていないよ。私の質問は飼っていた、と過去形で話しているの」
「昔も飼っていません。僕の家はマンションでペット不可なんです。産まれてから引っ越しても居ませんし、ペットを飼ったことありません」
結果は目線を猫上の頭部から逸らさない。
「本当に?嘘をついてない?」
「付いてないですよ。いきなりどうしたんですか?猫の話なんて」
しつこく聞かれる猫の内容に、猫上の不安は大きくなっていく。自分が被害に遭った話をした直後に、結果から突拍子もない質問攻めを去れれば余計なことを考えてしまっても不思議ではなかった。
「もしかして僕が事故に合いかけている理由に猫が関係しているんですか?」
「猫上くんは自分が死にそうになるほどの恨みを猫から買っていると思っているのかな」
「そんな事はありませんけど」
「残念ながらそれは猫上くんの妄想だよ。被害に遭ってないから幸いながらかな」
「それならどうして猫の話をしつこく聞くんですか?」
猫上の頭頂部から目を離さない結果は、猫上からただ目線を逸らしていた訳ではない。そこにいる動物から見つめられて、目を逸らすことが出来なかったのだ。
猫上の頭頂部に我が物顔で鎮座するのは全身が真っ黒な毛に覆われた一匹の猫。端正な顔つきをしており、知的さすら感じられる表情で見つめられてしまえば、結果も目を離すことが出来ない。瞳は黄色と青色のオッドアイになっており、優雅さも兼ね備えていた。
「聞き方を変えるね。猫上くんが今まで猫と仲良くした経験はある?昔のことでもいいよ」
「――あ。爺ちゃんの家。爺ちゃんと婆ちゃんの家へ遊びに行った時、飼い猫がいてその子とよく遊んでいました。もう死んじゃったんですけど」
「その猫の名前はなんていうの?」
「確か『ようかん』だった気がします。真っ黒な毛並みの猫だったので」
ようかんと猫上が口にした瞬間、頭上に乗っていた猫上が身動ぎをした。行儀よく頭部に座っていた黒猫が、器用に飛び降りて猫上の膝の上で丸くなっている。
「ようかんって瞳の色が左右で違ったりする?黄色と青色みたいな」
結果の言葉に猫上は口を開けて驚いている。
「なんで知っているんですか?結果さんの言う通り、ようかんは黄色と青色のオッドアイです。必要以上に猫の事を聞いてきましたし、何かあるんですか?」
猫上は堰を切ったように勢いよく結果に詰め寄る。その勢いに、結果は瞬いでしまった。
自分のペースで話すことはできるが、相手に詰め寄られてしまうと途端に口籠もってしまう。
座ったまま身を乗り出して質問をしてくる猫上に気圧された結果が頼れる相手は一人しかいなかった。
「四季。助けてえ」
弱々しい声で四季に助けを求めると、小さなため息と共に四季が結果の横へ移動し座った。
「私が同席しても宜しいですか?」
四季はずっと客室にいたが、二人の会話には一切入らなかった。そのため、猫上は四季の存在は認識していても置物のように考えていたのだ。猫について気になる話をしている最中、四季が話へ参加することの是非を問われれば、猫上は首を縦に振るしかなかった。
「ありがとうございます。今日の結果ちゃんは堂々としていましたが、普段人付き合いをしていないため限界みたいですので落ち着くまでは私がお話しようと思います」
「うう……」
気を張りながら請負人として堂々と依頼内容を聞いていた結果だったが、一度緊張の糸が切れてしまえば人付き合いの少ない引き篭もりが全面的に出てきてしまう。男の人に詰め寄られた経験もなく、少しばかりの恐怖から目に涙が浮かんでしまった。
小さく呻き声を上げている結果は小動物のようで、猫上から視線を外して俯いている。
涙目で四季に縋り付いた結果は隣に座った四季のメイド服を左手で掴んで離さなかった。
「僕が何かしてしまったのでしょうか」
「猫上様はお気になさらず。結果ちゃんもすぐに落ち着くと思いますので」
「結果さんは大丈夫なんですか?」
「平気ですよ」
四季は結果がコミュニケーションに難があることを理解していた。自分の名前のことで揶揄われたり、普通の人には見えないものが見えたりした経験から他人と関わる事を意図的に避けて生きてきたのだ。
猫上と向かい合って会話をすることが結果にしては上出来だと四季は褒めてあげたいくらいだった。客人がいる手前、結果を甘やかすことはできず、隣にいる結果の背中を撫でて落ち着けることしか出来ない。
「それよりも猫上様のお祖父様が飼っていたようかんという猫を結果ちゃんが知っていた事についてお話をしましょうか」
ようかんについて結果だけが知っていると思っていた猫上はいつの間に情報の共有をしていたのかと驚愕する。四季の口からもようかんについて語られるとは思っていなかった猫上は動揺を隠すため、湯飲みに注がれたお茶を口に含む。
普段飲んでいるよりも口当たりがまろやかに感じたが、緊張からお茶の味は分からない。
隣に座っている結果に目を向けるが、未だに話せる状況には見えなかったため、四季に対して頷くことで質問に対する肯定を示した。
「答えは案外単純でして、ようかんが私たちには見えています」
「見えてる?」
「今も黒くてオッドアイの猫が猫上様の膝の上で気持ちよさそうに丸まっていますよ」
その言葉に猫上は視線を二人から外して、自身の身体に下ろす。注意深く自身の膝を確認するが、学生向けの布地が見えるだけで猫の姿など一切見えない。
手で触れようと来ても空を切るだけで、そこに何かがいるようには感じられなかった。
「どういうことですか」
冗談を言っているにしては詳細に知られすぎており、驚きよりも恐怖が勝る。彼女たちに自分からは見えていない何かが見えていると。
その様子が可笑しいのか、四季は口元に手を添えて目を細めて笑っている。自身の困惑を笑われたと思った猫上は少しだけ語気を強めて四季に問いかける。
「どういうことですかって聞いているんですよ」
結果を怯えさせた事など忘れて感情に任せた短絡的な行動を猫上は取っていた。
「端的に説明しますと、ようかんちゃんが死んだ後に霊として猫上様を守っている状態です」
この中で一番の年長者である四季は、猫上の言葉に怯むことなく淡々と説明を始める。
説明された言葉を必死にのみ込もうとするが、想像もしていなかった不思議な現象に猫上の理解は追いつかない。
身の回りで不思議な出来事が起こっている件について調べてもらおうと、超常現象研究家である結果の元を尋ねたら、既に不思議な現象が自身に降りかかっていたのだ。
膝の上だけでなく、座っているソファの周りや机の下などを確認しても猫の姿どころか動物の毛一本も見つけることはできなかった。
「信じられませんよ。ようかんの亡霊が僕に付きまとってるなんて」
「見えないのなら仕方ありません。人間とは目に見える存在だけを信じ、目に見えないものを懐疑的に見る生き物です」
四季は自身の膝に手を置いてからまっすぐに猫上を見つめる。猫上は自分の内心が全て見られているような瞳に、憤っていた感情が冷めて徐々に冷静になっていく自分を感じていた。
話の間は相手の感情を落ち着かせるためにも使うのだ。
「猫上様は原子を見たことはありますか?」
ようかんに関係のない質問に肩透かしを食らう猫上。
「教科書ではあります」
「実際に自身の肉眼で見たことは?」
「ありませんよ。そんな簡単に見る事のできるものではありませんし」
「そこにある湯飲みが原子で出来ていると言われて理解をすることは出来ますか?」
「そうやって言われているので何となくは分かります」
「自身の目で原子を見ることは出来ないのに、何故その湯飲みが原子で出来ていると理解してしまうのですか?」
「目の前に存在しているからですよ。目の前にあるものはそうなってると理解するしかありません」
猫上は四季の伝えたい事が分からず、むしゃくしゃしてぶっきらぼうな返答をしてしまう。
その答えこそが四季が猫上から引き出したかった物だとは気付かなかった。
「目の前に存在して肉感で見えるものは"そういうもの"と理解することができます」
「そう言ってるじゃないですか」
「つまり、目で見えないものは理解をすることができないとも言えます。霊的存在だけは霊感が無ければ見ることができないのですから」
「霊的存在以外見ることができるんですか?」
「ええ。日本で妖怪と呼ばれるものは実体を持っています。案外日常生活の中で関わっているかもしれませんよ」
四季は猫上を揶揄うように微笑んだ。
話のペースが完全に四季に掴まれ、猫上が何を答えても実態を掴めず空を切っている感覚に陥っている。
相手が何枚も上手で自分は遊ばれていると猫上が気付くまでに時間は掛からなかった。
理解をしてしまえば感情的になっていた自分が急に恥ずかしくなり、頭を冷やすためにも四季たちに伝えられたようかんの事を自分なりに整理することにした。
「ようかんが僕を見てる……」
猫上は四季に告げられた事を心に留め、誰に語りかけるでもなく独りごちる。
猫上の中にあるようかんの記憶は祖父母の家へ遊びに行った時、一緒に過ごした程度の物だった。両親が祖父母と会話をしている最中、暇だった猫上はようかんと一緒に遊んでいた。
ようかんが死んだと告げられた時は悲しかったが、お墓参りに行くことはなかった。生きている動物が死んでしまうことは分かっていたし、人間ではない生物の死に気が滅入るほど感情が動かなかった。
猫上が薄情な訳ではなく、ようかんと遊んだのも片手で数えられる回数のため、猫上にはようかんに対する執着がなかったのだ。
「危ない事件に遭遇する度、視線を感じていたと言っていましたね」
「はい。犯人が僕を見ていたんだと思います」
「その視線の主はようかんかもしれませんよ。貴方が危険に遭いそうになると危険を避けるために視線を送っている可能性もあります」
「もしかして猫上くんが事故に遭う直前、視線を感じて立ち止まったから大事に至らなかった、なんてことはなかったかな」
時間が経ち、落ち着いた結果が四季の服から手を離して何事もなかったかのように会話に参入してきた。
結果の言葉で自身の記憶を探る猫上。
事故の記憶は恐怖の感情を駆り立てるため思い出さないようにしていたが、事故が起こる時は常に自身の目の前で起こっていた。その直前にはいつも視線を感じて一瞬立ち止まっていた事を思い出す。
「確かに。言われてみれば視線を感じて立ち止まったから事件に遭わなかった気がします」
「私たちにはようかんが見えているの。でも猫上くんには見えてない。それでもようかんは猫上くんのことをよく見ているのは事実かもしれないね」
「ようかんのおかけで大事には至らなかったってことですよね。お墓参り行かなきゃな」
たった数度しか会っていない祖父母の猫が何故猫上の事を守っているのか、本人でも分からない。自身の身を守るために行動をしてくれる猫を蔑ろにするほど猫上はようかんのことに無関心ではいられなかった。
「動物霊が憑くっていうのは結構珍しいんだ」
「ペット飼っている人には憑くものじゃないんですか?」
「霊っていうのはそんなに単純なものじゃない。猫上くんは幽霊ってどういうものか分かる?」
質問をされた猫上だったが、産まれてから今まで幽霊を観たこともなければ、その存在について考えたこともない。テレビや噂で聞くような内容を超常現象専門家に伝えていいか悩んだものの、会話を途切れさせないために少ない情報を伝えることにした。
「この世に未練がある、恨みがあるとか聞いたことがあります」
「人間の霊はその類いが多いね」
「動物霊は違うんですか?」
結果は湯呑みからお茶を飲もうと口をつける。その時、自身の湯呑みにはお茶が入っていないことに気が付いた。
猫上と会話をすることで緊張が体を支配し、知らず識らずの内に水分を求めてお茶を飲み干していたのだ。
結果が湯呑みをいくら傾けてもお茶が出てこない様子を見た四季は、その手から湯呑みを取り上げて席から立った。
格好悪いところを見せてしまった結果だったが、何事も起きなかったように猫上に向き直る。膝の上に座っているようかんも結果の行動を訝しげな目で見ていた。
「動物霊は未練というよりも、もっと遊びたいという善性な気持ちが強いと成ってしまうことが多い。祖父母の家にいたようかんはあまり遊んでもらうことがなかったんじゃないかな。偶に来る猫上くんが遊んでくれるから、ようかんは猫上くんに取り憑いているのかもね」
「にわかには信じられませんが、結果さんがようかんの見た目を当てたことと事故に関して思い当たる節があるので信じるしかないですね」
「ん?私たちのこと信じていなかったの?」
「失礼になりますけど信じられないですよ。『超常現象専門家があなたの身の回りに起こる不思議を解決します』なんていう触れ込みではとても……」
「それもそうだね」
「最初は詐欺サイトだと思っていました。住所も書かれていて、自分自身が本当に困っていたので藁にも縋る思いで尋ねたんです。チャイムを鳴らしてメイド服の女性が出てきた時は驚きました」
結果が辺りを見回しても四季の姿はない。空になった湯呑みを持ったまま部屋から出て行き、未だに帰ってきてはいなかった。
依頼者と二人きりと意識してしまえば、四季に頼ることの出来ない不安が結果を襲う。
基本的には四季が掲示板で依頼を受けるため、依頼者と直接交渉する事は解決の目処が立ってからである。その時は事務的な手続きだけで済むのだが、今はそういうわけにはいかない。
猫上との会話が途切れ、客室に無音が広がる。会話の間に耐えきれなくなった結果は突拍子もない事を口にした。
「えっと、四季ってさ。座敷わらしなんだよ」
「は?」




