解決編(3)
「なんだよそれ――」
結果の言葉に呼応して宗匠を包み込んでいた黒い靄が霧散する。その瞬間、宗匠は椅子に座ったまま力なく項垂れる。その姿は机に置かれたデッサン人形のようだった。
黒い靄が消えたことを確認した結果は小走りに職員室の外へと向かう。この先、宗匠は死ぬのだ。猫上に掛けた呪いと同じような被害を受けて命は終わりを迎える。
結果は人が死ぬところを見たいわけではない。寧ろ人が死ぬところなど見たくないのだ。
呪殺事件の時と同様に、人の死を見ないために職員室から逃げ出す。入り口に立つ袋小路の元へと。
去りゆく結果の後ろからはカチャカチャとプラスチックがぶつかる音が聞こえているが結果は振り返らない。
職員室の扉に手をかけて宗匠と目配せをする結果の背後からは、リズミカルに椅子が揺れる音とともに、何かを突き刺すような音が聞こえてくるが結果は振り返らない。
職員室から出た瞬間に、ゴンッと低い音が鳴り、職員室内からの音が聞こえなくなった。結果は音がなくなったことに後ろ髪を引かれ目を向けようとする。
「見なくていい。終わったぞ」
結果の視界は暖かく、大きな袋小路の手で塞がれた。
それ以降結果が職員室の中を覗くことがないように、袋小路は扉を閉める。職員室の中では一人の職員が自殺した。それだけの話なのだ。
「一応結末を聞く。それも役目だから」
閉められた職員室を開けて確認することはしない。
それでも結果は自分が犯している誰にも裁かれない罪を認識しなければならない。誰にも肯定されず、善意の否定をされているが、結果は自分が犯人を殺したと思わずには居られない。
「宗匠嚆矢はカッターで自分の四肢を深く切りつけた。無意識の状態だから力の制御なんて無い。切りつけていれば大事な血管を傷つけることになるだろう。最後には自分の首を掻っ切ってから後頭部を机にぶつけて動かなくなった。探偵殺人の結果なら死亡確認はしなくていい」
「そっか。ありがと」
「後は、お前だけでいけるか?」
「うん」
結果は袋小路を背に暗がりの廊下を進む。一人で歩く廊下は自分の足音だけが鼓膜を震わせ、世界に自分だけが取り残された感覚に陥ってしまう。
この学校にいた人間が一人減ってしまった。
その事実が結果の心を苦しめる。意識が朦朧としたまま死んでいった宗匠は断末魔も上げずに無意識のまま命を終わらせた。因果応報と言うのなら、結果もいずれは裁きを受けるのだろうかと考えながら暗い廊下を歩いていく。
職員室から真っすぐに進んでいくと保健室があり、柱に背を預けるようにして立っている猫上の姿が目に入る。
袋小路から離れるように言われていた猫上は随分と遠くで待っていた。
「結果さん。終わったんですね。先生は」
「死んだよ」
簡潔にお人形さん事件の結末を猫上へと伝える。闇夜になれた目で、猫上は自分の腕を確認して満足げに笑った。
呪いが本人に返ったことで猫上に掛けられていた人形の呪いは解かれたのだ。自身を取り巻く呪いが解決したことで猫上は上機嫌に離し始める。
「いやあ。良かった良かった。先生は死んじゃったけど僕は無事ですし依頼は達成ですね」
「……」
その語り草が結果の心情とは真逆だった。
人の死に対して触れることのない生活を送ってきた猫上からすれば、教師が死んだことも絵空事のように感じるのだろう。自分を呪ったの存在は、それ相応の報いを受けるのが当たり前という考えに結果は何も答えない。
「狐狗狸さんも関係はなかったしこれで僕の不幸も無くなる。結果さんには感謝してもしきれません」
「感謝なんてものはしなくていいよ」
「解決しましたし早く帰りましょう?」
事件が解決してしまえばこの場に用はないと、猫上は帰宅することを提案する。
自分を呪っていた人の情報や、結末の詳細を知りたがらず、この場から立ち去ろうとする猫上は何かから逃げるように焦っていたのだ。
「どうして?」
何故猫上が早く帰りたいかを結果は知っている。
暗闇の廊下で向き合いながら結果は猫上に問う。その口調は宗匠を問い詰めているよりも淡々としており、言葉には冷たさも混じっていた。
表情を一切変えず、語り口のペースも変化しない結果に猫上は恐れを抱く。結果が親しみやすい態度を取っていたことと事件が解決したことによって猫上は結果本来の仕事を失念していたのだ。
その少女は超常現象研究家。そして探偵なのだ。
「どうして早く帰りたいの?」
「え?いや、もう夜遅いですし」
「猫上くんは最初からそうだったね。本当のことを隠して何も言わない」
猫上は口籠もる。今の結果に余計なことを言えば、それを皮切りに自身の言いたくないことまで探られてしまいそうだった。
今すぐに逃げ出したい感情に駆られるが、行動によって結果の言動を肯定してしまうことになる。猫上は言葉を選び、慎重に結果と会話をすることにした。
「……どういうことですか」
「猫上くんは超常現象研究家を舐めているのかな。嘘、嘘、嘘」
数メートル離れていた距離を結果は一歩ずつ縮めていた。遠目には小柄に見える結果も、眼前まで近づけば一人分の存在感を示す。
猫上は声の震えを悟られないように、ゆっくりと丁寧に口に出す。
「どうしたんですか結果さん。もう呪いは解決してるんですよね」
「そうだよ。猫上くんの四肢についた赤い線の呪いは解決した。」
「お人形さん事件はね」
「はい?どういうことですか?」
未だに解決していない依頼があることを結果だけが覚えている。この場にいる猫上すらも、自身が依頼した内容を忘れてしまっているのだ。
「猫上くん。君、狐狗狸さんに不幸を願ったね?」
ふたつの事件が重なり合ったことで、ひとつ目の事件が有耶無耶になっている。猫上が結果に依頼した内容は『狐狗狸さんの解決』。
結果が解決した事件は『お人形さん事件』であり、狐狗狸さんは解決していなかった。
猫上の笑っていた表情は一変し、時が止まったかのように無表情に切り替わる。
互いに見つめ合いながら牽制をする二人。事件の解決に関して結果は手を抜かない。既に一人の人間を殺している結果はその結末を作り出した猫上の事を放って置く訳には行かなかった。
「私は不思議だったんだよ。猫上くんに憑いているようかんは常に猫上くんの事を見ている。それなのに不幸が起こる時だけ視線を感じるっていうことに」
「それはようかんが僕のことを助けてくれたって白沢さんも結果さんも言っていたじゃないですか」
「常に見ているのにその瞬間だけ感じるなんて変だよ。狐狗狸さんで不幸を起こすのは動物霊。猫上くんが感じていたのは動物霊の視線」
当初結果たちが考えていた視線の正体は猫上に取り付いている動物霊であるようかんのものだった。ようかんは猫上には見えていない霊なのに視線だけを感じることがあるのか、という疑問を結果たちも浮かべていた。
結果の家に入ることのできた時点で悪しき存在ではないが、何の力も持たないただの霊である可能性が浮上したのだ。四季だけがようかん会話をしていたが、ようかんははっきりと『何もしていない』と言っていた。言葉はそのままの意味でようかんには何かをする力はなかったのだ。
事故が起こる直前にだけ感じる視線は、その事故を起こそうとする狐狗狸さんが猫上を認識して危害を加えようとしているものだった。
「直接僕に危害を加えなかった理由は何ですか」
「猫上くんに狐狗狸さんよりも強い、人を殺す呪いが掛かってたから狐狗狸さんは様子を窺いながら猫上くんに危害を加えていたの。視線を感じたのも狐狗狸さんが躍起になっていたのかもね」
狐狗狸さんは低級の動物霊であり、強い力を持っているものには近付かない。そのため、どうにか猫上に危害を加えようと奮闘していた姿が視線となって猫上に気づかれることになっていた。
結果がすぐに視線の正体に気が付かなかった理由があり、結果自身の目で猫上が不幸に遭う瞬間を見ていなかったからだ。
結果は常日頃から座敷わらしという名のしれた妖怪とともに暮らしていることもあり、その身には多少なりとも力の残滓が宿っている。
学校に侵入して教室を観察していた時に、結果と目が合った狐狗狸さんが逃げ出したことで結果は推測をしていた。あの時は四季と通話を繋げていた事もあり、二人の繋がりは強くなっていたのだ。
「じゃあ狐狗狸さんは解決してないじゃないですか」
「誰も狐狗狸さんが解決したなんて言ってないよ。それに猫上が始めたお呪いでしょ。解決してないことなんて君が一番分かっているはずだからね」
滔々と話す結果に、冷静を装っていた猫上は徐々にヒートアップしていた。
猫上は直情的で短絡的な人間であると評した結果は間違っていなかった。自宅で結果を怯えさせたように、威圧感を強めて怒鳴りながら話す猫上だったが、結果は一歩も引かなかった。
廊下に反響する猫上の声を聞いても袋小路がやってこないのは事前に打ち合わせをしていたから。お人形さん事件が解決したら猫上を突き詰めると。
打ち合わせをした時には多少の躊躇いがあった結果も、傲慢になっていく猫上を見て考えが変化していったのだ。対象が嫌な人に変化していけば、探偵殺人を行うことに罪悪感は少なくなっていく。
「僕が始めたって、なんでそんな事を言うんですか。犬飼が興味津々で」
「猫上くんが話たからね。犬飼くんに聞いたら教えてくれたよ。『最近仲悪くなった猫上に誘われて狐狗狸さんをやった』ってね」
猫上は面食らった顔で結果を見る。結果が犬飼と連絡を取っていることを想定しておらず、その情報は青天の霹靂だった。
冷静に話そうとしていた猫上は何処へ行ったのか、結果の一言一句に表情を変化させていた。
「ご丁寧に犬飼くんはSNSをやっていなくて連絡を取れないなんて嘘を言ってたけど、アカウントは普通に出てきたしダイレクトメッセージも受け付けてた」
「それは知らなかったんです。最近になって心変わりしたのかな」
「猫上くんさ、自分が狐狗狸さんを始めた事がバレたくなくて嘘をついたでしょ」
犬飼に連絡を取った結果はすぐに返信が来たことに驚きながらも、猫上の体調不良を盾に犬飼を問い詰めていた。
――猫上が狐狗狸さんをやった後から体調不良になっている。犬飼くんも変化がないか心配してるけど。
猫上が一切言っていない情報を犬飼に流すことで会話の切り口にしたのだ。
そこからは聞いてもいないことを犬飼は饒舌に伝えてくれたのだ。
猫上から狐狗狸さんに誘われて、久々の遊びだと喜び勇んで行ったら猫上が真剣な表情でオカルトをするものだから笑ってしまったこと。
途中で詰まらなくなり、中断したら糾弾するように猫上が怒り始め、その声によって宗匠が教室までやってきたこと。
猫上が結果に話していない内容が犬飼の口からは無数に語られたのだ。
「君が始めた狐狗狸さんを犬飼くんが中断した。そのことで不幸が起こったって思った猫上くんは一人で私の下を訪ねてきた。そりゃ呪おうとしていた相手のことなんて考えないで自分だけ助かろうとするよね。宗匠先生が猫上くんだけを狙ったのも君が主犯だったから」
猫上は何も喋らず、餌を待つ鯉の如く口を開閉している。
「それにさ、猫上くん。呪殺事件の現場に行った時に髪結さんのパソコンの画面を見てすぐにオカルト掲示板だって分かっていたよね?距離がそこそこ離れていたのに気付くなんて知っているとしか思えないよ」
「偶々見たことがあったんですよ」
「オカルト掲示板は偶々入れるところじゃない。SNSの連携も必要で入ろうとする意思を持って入るところなんだ」
結果の言葉に反論の余地はなく、猫上は異議を唱える言葉も思いつかなかった。
拳は強く握りしめ、血涙が溢れそうなほど結果のことを強く睨んでいた。暴力に出なかったのは、唯一残っていた猫上の理性なのかもしれない。
「私が何を言いたいかって言うとね、猫上くん」
互いの呼吸が聞こえる距離での会話。
猫上にとっては近くにいる結果の言葉が死神の諫言にしか聞こえない。終わりに導くために少しずつ、確実に近づいてくる結果は猫上の心を暴いていく。
「君が狐狗狸さんに願ったのは犬飼くんの不幸だよ」
殺人結果は正しく探偵であった。
与えられた情報から、筋道を組み立て結論へと導く。電車のおもちゃを目的地へとたどり着かせるために、様々なパーツの中から最適なレールを引くように結果は狐狗狸さんの真実へとたどり着いた。
人間は何かを隠そうと必死になると、別の部分でボロが出る。頭隠して尻隠さずと故事成語に残されているように、人間としてそうなるように出来ているのだ。
仮に二人が勝負をしていたら、満場一致で結果に軍配が上がるほど猫上の否が確定している。ただの高校生に盤面をひっくり返す力はなく、無言で結果の言葉を聞くだけだった。
「犬飼くんは言ってた。犬飼くんに彼女が出来てから猫上くんとの仲が悪くなったって。犬飼くんのSNSに載せられている写真もある日を境に男女三人から猫上くんが抜けた二人になっていたんだ。予測でしかないけど、二人が付き合うことで猫上くんに何らかの不利益があって、犬飼くんを呪――」
「いい加減にしてください」
猫上照は正しく子供だった。
自分に都合が悪くなれば癇癪を起こす幼稚な存在。
自分が不利な立場に立てば、怒声を響かせ相手を威圧し言葉を封じ込めようとする。猫上が行っている行為は拳を使わない言葉の暴力と同じであった。
「僕は依頼者で被害者ですよ。どうして疑われなきゃいけないんですか。それに結果さんは僕には黒い靄が見えないって確かに言っていました。呪いを掛けている人には靄が見えるって」
「見えない人もいるって言ったよ」
「そんな事はどうでもいいんです。兎に角なんで僕が疑われないといけないんですか。僕は悪くないのに。気分が悪い。帰ります」
都合が悪くなった猫上はその場から去ろうと結果の横を通り過ぎる。この場から逃げ出せば不都合な真実は闇の中になり、全てが有耶無耶になると本気で考えていたのだ。
「ま、遅かれ早かれこうなることは決まっていたんだけどね」
「なんで笑っているんですか」
「ん?今から猫上くんに真実を突き付けようと思ってね」
焦ることなく、尚も淡々と喋る結果に振り返る。その距離は数メートル離れており、初めに会話をした距離感と同じだった。
探偵殺人は呪いを使った人を逃さない。創作として楽しむためではなく、人を不幸にするために本気で呪いを行う人間はどうしようもないと結果は知っていた。
始めから決まっていたのだ。猫上照に真実を突き付ける事は結果の中では確定事項であり、猫上が逐電することは叶わない。
「ちょ、ちょっと待ってください。嘘ですよね?」
探偵殺人を二度経験している猫上は途端に焦りだし、結果に詰め寄った。
「君が言ったんでしょ?人を呪わば穴ふたつって。大丈夫。私の言ったことが間違っていたら何も起こらないから」
「いや、違うんです。その、違うんですよ」
結果は猫上の言葉に一切聞く耳を持たない。
「安心してよ。猫上くんは悪くないって言ってたじゃない?それなら大丈夫だって」
猫上の言う事を信じるふりをして、言葉を傘に追い詰めていく。
自身の発した言葉が刃となって降り注ぎ、狼狽した猫上は助けを乞うようにその場にしゃがみ込んで結果にすり寄った。目線が低くなった猫上のことを軽蔑する目で結果は見下ろしている。
自分に都合が悪くなった時に態度を変える人間は信用してはいけないと四季からは強く言われている。長く生きた結果の考えが今になって結果の心に染み入っていた。
――確かにこんな人間は信用に値しないね。
「あ、あの。結果さんが言ったことは全部合ってて、犬飼が僕の好きな人と付き合ったのを妬んで狐狗狸さんに願っちゃったんです。これが真実なんですよ」
「またまたご冗談を。さっきと言ってることが違うね。猫上くんは嘘を付くのが得意なんだから信じられないよ」
「嘘じゃない」
散々結果に対して嘘をついてきた猫上の言葉は、無情に鼓膜を震わせるだけで結果の心に響かない。唯でさえ人間不信の結果には人を騙そうとする人間の言葉は届かないのだ。
猫上が真実を伝えても、嘘じゃないと弁解をしてもその言葉はただの音であり、結果が探偵殺人を行う事を躊躇う理由にはならい。
「待ってくださいよ。結果さん。僕はまだ死にたくない。結果さんだって僕は死なないって言ってたじゃないですか」
探偵殺人で人が死ぬ事を知っている猫上は慌てふためき、その場で涙を流しながら叫んでいる。
結果に真実を突き付けられた者は呪いが帰ってきて死ぬ。猫上は関わりを持った結果が自分に対して探偵殺人を行う事を微塵も考えてはいなかった。傲慢な態度を取っていたのも、結果が探偵殺人を行う事に対して否定的と知ってのことだった。
全ては猫上の慢心と人を欺こうとする心が引き起こした結末だった。
「『お人形さん事件』ではね。その後のことは私の知る所じゃない」
「謝ります。嘘をついていたことも、猫上を呪ったことも。どんなことでもお手伝いするので助けてください」
結果の考えを変えるため、必死に懇願をする。
「人をね。簡単に呪うような人間のことを私は好きになれない。最初から君のことは好きじゃなかったから要らないよ」
最初から興味本位で狐狗狸さんをやったと伝えてくる猫上のことを結果は一切信用していなかった。
自分が助かるために人の死を望み、自分の妬みを呪いとして他者に押し付ける猫上は結果が探偵殺人を行いたくないと考えるほどの好感度を稼げていなかった。
土下座の形を取り、結果へと許しを請う猫上を一瞥してその横を通過する結果。
「それじゃ猫上くん」
「ま、待って」
自身に背を向けた結果へと手を伸ばすが、座ったままの猫上の手は虚しく空を切り、結果へと触れることはなかった。
「人を呪わば穴ふたつ。その責任は自分で取ってね」
振り返り、笑顔で猫上に最後の言葉を伝えようとする結果。彼の頭上には安らぐように鎮座しているようかんがいる。
結果が目線を向けるとようかんの左右非対称な色合いをした瞳と目が合った。そこに言葉はなく、ようかんは何かを諦めるようにゆっくりと目を閉じた。
それを確認し、再び猫上へと背を向ける。
猫上の怯えきった表情を見ることなく結果は猫上の罪を口にした。
「『狐狗狸さんを使って犬飼くんを呪った犯人は君だ』」
狐狗狸さん事件、終幕。




