仔猫のちま ありがとうが一杯
大人が読んでも楽しめる童話です
クマのパン屋の自称住み込み店員のちまが、初めて森へパンを売りに行きます
初めての世界で経験する色々な出来事
仔猫のちまはどんな冒険をするのでしょう?
第一章 初めて森へ行く
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
これはいったい何の音でしょう?
仔猫のちまが荷車を曳いている音です。
ちまは町外れのクマのパン屋で働いています。
今日はクマの親方から、外へ出てパンを売ってくるように言われたのです。
ちまは滅多に外へ出ないのでどうすれば良いか判らず困っていました。
どうしよう、どこへ行こうか、何をすれば良いのかわからないや。
それに全部売れるまで帰っちゃいけないなんて…
町の中心へ向かうと誰かに会ってしまいそうなので、とりあえず町から離れることにしました。誰かに見られたら恥ずかしいような気がしたのです。
ちまはノロノロと森へ続く丘を登り始めました。
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
丘を越えてしばらく歩くと森の入り口に来ました。森の中は薄暗くて少し怖かったのですが、おもいきって入ってみることにしました。
するとどうでしょう。入ってしまえば怖いこともなく、風は涼しいし、草や花の匂いがしていい気分になります。
なんだ、少し暗いけど気持ちいいや。
ちまは大きく息を吸い込むと、細い道をゆっくり進んでいきます。
たまに立ち止まって目を閉じると、風の音や木の葉がさらさらと鳴る音が聞こえてきます。
ああ、気持ちいいなぁ、ウトウトしちゃいそうだよ
親方はボクが一人で森にいるなんて、想像もしてないだろうなぁ。
どうやらちまは本当にウトウトし始めたようです。
その頃、
町では、クマの親方が店の奥でソワソワウロウロしていました。
あっちへ行ったりこっちへ来たり、なんとも落ち着きなく歩き回っています。
店先から羊のお姉さん店員が、奥をのぞき込んで言いました。
「親方、ちまちゃんの事が心配なんでしょ」
「い、いや、そんなことはない。これっぽっちも心配なんてしているものか」
クマの親方は、お姉さん店員から目をそらしてそっぽを向いてしまいました。
クマのパン屋さんには店員が3名います。
販売接客担当の羊のお姉さん、製造担当のクマの親方、そして自称住み込み店員のちまです。
ある嵐の晩のこと、店の物置の前で泣いているちまをクマの親方が見つけました。その時、雨に濡れぶるぶる震えて泣いているちまを、親方が保護したのです。親方はちまを優しく毛布で包むと、温かいミルクを飲ませてくれました。
次の日からちまは自称住み込み店員になりました。とは言っても、ちまに出来ることは何もありません。とにかく親方の後ろをついて回ります。
親方がどこへ行っても、いつでも後ろをついて歩くのです。親方が生地をこねると、真似をして同じように手や体を動かします。粉を計ると、同じようにしかめ面をしてはかりの針をにらみます。
親方はちまに、羊のお姉さんと一緒に店に出るように言いましたが、ちまは親方の背中に隠れて出てきません。
そんなちまを、親方は可愛いと思う反面、たまに邪魔に感じてしまうこともあります。なにより、いつも自分の背中に隠れてしまうばかりでは一人前の大人になれないと、それが一番心配だったのです。
そこで親方はちまに厳しくすることにしました。
荷車にたくさんパンを積むと、ちまに全部売ってくるように言いつけたのです。
ちまはいつものように親方の背中に隠れようとしましたが、親方は強引にちまを店の外に出すと扉を閉めて店の奥に引っ込んでしまいました。
ちまは困った顔をしてウロウロしていましたが、やがて荷車を曳いてノロノロと歩き始めました。
そんなちまの後ろ姿を、心配そうに羊のお姉さんが見送っていました。
しばらくウトウトしていたちまですが、はっと我に返りました。
ああ、いけない、ボクはこんなのんきにしている場合じゃなかったんだ。パンを売らなきゃ店に帰れないんだった!
ちまは目を開けると、またゆっくり歩き始めました。
「ちょっと、仔猫ちゃん」
大きな木を通り過ぎたところで、誰かに呼び止められました。
「ニャ!」
ちまはびっくりして飛び跳ねました。尻尾は太くなり耳はペタン と寝てしまい、背中がぐぐーっと丸まっています。
え?え?誰にも会わないように森に来たのにどうして?誰?どこにいるの?
キョロキョロ見回すと、大きな木の下に赤い屋根の小さな家があります。小さな家の大きな窓から、メガネをかけたアライグマのおばあさんがこちらを見ていました。
「仔猫ちゃん、いい匂いがするけど何を運んでいるの?」
「え、あ、あのパンを、パンを売りにきたクマで、、あ、ちが,、クマのパン屋がパンを売るので、、」
ちまは緊張して頭の中が真っ白になり、何を言っているのか自分でも判らなくなってしまいました。
どうしよう、どうしよう、もう、なにがなんだかわからないぞ、なんかおばあちゃん笑ってるし、、ええええーーーい!
「町から来たクマのパン屋ですっ」
「あら素敵。クマの親方が焼くパン屋さんかしら?」
「はい!そうですそうなんです!町からパンを売りに来ました」
おばあさんが優しく笑ってくれるので、ちまはなんとか落ち着いたようです。
「仔猫ちゃん、偉いわねぇ」
「あ、あの、ボ、ボクは身体は小さいけど、もう子供じゃありません、身体がちょっと小さい大人の猫なんです」
おばあさんはクスっと笑うと、
「まあ、それは失礼いたしました。私はアライグマのラルク、あなたは?」
「ボクは、ちまです」
ああ、あせっちゃったけど、おばあちゃん優しそうでよかったな。親方の事知ってるみたいだし。
「じゃあ、ちまちゃん、窓の所まで来てパンを見せてくれる?」
「はい」
ちまが窓のそばまで移動すると、おばあさんが窓際の長椅子に足を乗せて座っているのが見えました。片方の膝には包帯のようなものが巻かれています。
おばあちゃん、ケガでもしたのかな?痛いのかな?
心配そうに見ているちまに気がついたおばあさん、
「歳のせいであちこち調子が悪くてねぇ。最近は膝が痛くてあまり歩けないのよ。昔は週に何度か町へ行って、クマの親方の焼くパンを買ってたんだけど」
おばあさんはふぅっとため息をつきました。
「さぁ見せて頂戴」
「はい、食パンにぶどうパン、クリームパン、小豆のパン、他にもいろんなパンがあります」
おばあさんは楽しそうにパンを見ています。
「たくさんあるのねぇ、うーーん、それじゃ、ぶどうパンを貰うわ」
「はい、ぶどうパンは銅貨2枚です」
あれ?パン売れた?おばあちゃんと話してたらパンが売れたよ!
ちまはうれしくて顔が緩みそうになるのを必死にこらえ、できるだけすました顔をするように頑張ります。
おばあさんはエプロンのポケットから銅貨を2枚取り出してちまに渡しました。
「はいどうぞ、ちまちゃん」
「どうもありがとうございます」
銅貨を受け取るちまの顔は、目が真ん丸でキラキラして鼻と口の周りがムズムズと動いていて、嬉しさを隠そうとしているのがバレバレです。
あらあら、小さな仔猫ちゃんが頑張って大人のふりをしているのね。可愛らしいこと。
おばあさんはちまに何かご褒美をあげたくなりました。
「ちまちゃん、お願いしたいことがあるのだけど、聞いてもらえないかしら?」
「はい!なんでも言ってください」
ちまはおばあさんの頼みならなんでも聞いてあげたいと、心の底から思いました。
「すぐそこに木苺がなっているの、見える?」
おばあさんが指差す方を見ると、こんもりとした茂みに紫色の木苺がたくさんなっています。
わあ、あれが木苺なのか。親方が作るジャムは、あんなに小さな実から出来てるんだな。
「ちょうど今が食べごろなのに私は膝が痛くて摘めないのよ。ちまちゃん、摘んで貰える?」
「はい、喜んで!」
ちまがぶどうパンを渡すと、おばあさんは代わりに大きなかごと小さなハサミを渡してくれました。
今日はちまにとって初めての事ばかり。
一人で店の外に出るのも、森へ来るのも、クマの親方以外の誰かと話をするのも、すべてが初めての事ばかりです。
このハサミは、、たしかこんなふうに、、ここに指を入れるんだな、、
親方がハサミを使っている姿を思い出しながら、ちまは木苺のなる茂みに近づいて行きます。
ちょっきん、ちょっきん、ぷちん、ぷちん
ちょっきん、ちょっきん、ぷちん、ぷちん
初めてさわる木苺の実は、ぷにゅぷにゅして柔らかく、自分の手のひらの肉球のような感触です。
わーいこれは楽しいぞ。それちょっきん、ほれぷっちん、今日は初めてで良くわからないことが多いけど、やってみると楽しいや。
いつも親方の後ろで真似するばかりのちまですが、今日は自分で作業しています。楽しくて我を忘れてどんどん木苺を摘んでいきます。
気が付くと茂みの木苺は全部無くなって、かご一杯になっていました。
「おばあさん、全部摘み終わりましたよ!」
「まあ、ちまちゃん、どうもありがとう。のどが渇いたでしょ?さあこれを飲んでね」
おばあさんが飲み物を渡してくれました。ハチミツ入りのレモネードです。
おばあさんにかごを渡すと、さっそくレモネードを一口飲んでみます。
うわぁ、これ冷たくて甘くてちょっとすっぱくておいしい!こんなの初めてだ!
ちまの顔がぱぁっと明るくなりましたが、またしてもすまし顔にしようと頬を引き締めます。
おばあさんは、そんなちまを見てニコニコとしながら、木苺を大きなかごから小さなかごへ少し移しています。
「はい、ちまちゃんありがとう。」
おばあさんは大きな方のかごを、ちまに向かって差し出しました。
「え、えーっ。こんなにたくさん?ボクは小さい方でいいです」
「あら、これはちまちゃんが摘んでくれたのだから、全部ちまちゃんのものなの。おばあちゃんが少しわけてもらったのよ」
おばあさんはちまの手に、大きなかごを持たせてくれました。
「あ、ありがとう。おばあちゃん、ありがとう」
ちまにとっては初めての作業と初めてのご褒美です。自分の顔が少し熱くなったのがわかります。
なんだか熱くてふわふわするな。へんな感じだけどすごく嬉しいな。
「ちまちゃん、今日はありがとう。また来てもらえる?」
「はい。もちろんです。毎日でもお伺いします」
「ふふふ、毎日じゃなくていいの。3日に一度くらいパンを届けてくれると助かるわ」
「はい、それじゃ親方に頼んで3日に一度ぶどうパンを焼いてもらいます!」
「楽しみに待っているわ」
「おばあちゃん、ありがとう。また来ますね」
ちまはおばあさんに背を向けて歩き始めました。
とたんに顔がふにゃふにゃに緩みます。自然に笑顔になります。今まで我慢してすまし顔をしようとしていたぶん、余計に緩んでしまうようです。
ああ、良かった。森に来て良かった。やさしいおばあちゃんに会えて良かった。また来よう。おばあちゃんに会いに来よう。
少し進んだところでちまは後ろを振り向いてみました。するとおばあさんがニコニコ笑って見送ってくれています。
「おばあちゃん、ラルクおばあちゃん、どうもありがとう!」
ちまはおばあさんに向かって大きく手を振りました。
おばあさんは、ちまが遠ざかって行くのを見送っていました。たぶん笑っているのでしょう、ちまの肩が少し震えているのがわかります。
突然ちまがくるっとこちらを向きました。
手を大きくぶんぶんと振っています。
ちまの、ありがとう、と言う声が聞こえてきます。
あらあら、本当に可愛い仔猫ちゃんだこと。
おばあさんは、少し膝の痛みが楽になったような気がします。
また、ちまちゃんが来てくれる日を楽しみに待つことにするわ。
おばあさんは、ちまに向かって優しく手を振って返しました。
第二章 森は暗いけど明るい
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ラルクおばあさんと別れてから、ちまはさらに森の奥へ進んで行きます。
気分が変わると景色の見え方が変わります。
あ、あそこに白い花が咲いてるな、あっちには赤い小さな花。
さっきまで気がつかなかったけど、森にはきれいなものや可愛いものがたくさんあるな。ウフフフ、アハハハ。
自然と笑顔になり、笑い声も出てきます。
ちまが進む細い道にはキラキラと木漏れ日が落ち、まるでちまの進む方向を教えてくれているようです。
わあ、キラキラだ。風が吹いたり木が揺れたりすると、もっとキラキラになるんだな。ボクはもう、ずっとこのキラキラの下を歩いて行こう!
ちまは楽しくなりスキップしてしまいました。
ガタタン、ゴットン
ああ、いけない。スキップしたら荷車が傾いちゃうよ。失敗、失敗。
失敗したちまですが、なぜか顔はニコニコと笑っています。
そんな時、キラキラの奥から、なにかがすぅーっと飛んで近づいて来ました。
「やあ仔猫ちゃん、こんにちは」
「こ、こんにちは」
ちょっと前までニコニコしていたちまですが、途端に緊張してしまいます。
「オイラはとんぼのトム。キミはこの辺ではあまり見かけない顔だけど、何をしてるんだい?」
「ボクはちまです。パンを売りに来ました」
「ふーん、そうなの、、」
トンボのトムは荷台の上のパンを眺めています。
トンボさん、青や緑に光っててキレイだな。目も大きいし、透明な羽でスイスイ飛んでるよ。
ちまは初めて見るトンボの姿に目を輝かせました。
「パン屋さん、パンを売りに来たのなら、もっと宣伝しなきゃ」
「せんでん?」
ちまは意味が良く判らず、首をかしげます。
「そうさ、宣伝さ。宣伝しなきゃダメに決まってる」
ちまはもっと大きく首をかしげてしまいました。
「キミはどこから来たの?」
「町から来ました」
「誰?」
「クマのパン屋です」
「何を積んでるの?」
「おいしいパンがたくさんあります」
「そう、それ全部続けて言ってみて」
「え、、えーと、町から来ました、クマのパン屋です、おいしいパンがたくさんあります」
「そうだよ、それが宣伝だよ。それを大きな声で言いながら歩かなきゃ」
「いや、そ、それはちょっと恥ずかしいです…」
「はぁー、、キミは何を言ってるんだい?」
トムは緑の目をクリクリ動かしながら、ちょっと呆れた様子でちまを見ます。
「森にパン屋さんが来てるなんて知ったら、みんな喜ぶよ。オイラちょっと先回りして皆に知らせておくから」
トンボのトムはいったんキラキラの中へすぅーっと飛んで行きましたが、くるっと向きを変えて戻って来ました。
「いいかい?宣伝だよ、大きな声で宣伝しながら歩くんだよ、いいね?じゃ
またね、バイバイ!」
「あ、トムさん、教えてくれてありがとう」
トムは念を押すようにそう言うと、今度こそキラキラの中に消えて行きました。
さあ、困ったぞ。ボクに宣伝なんて出来ないよ。大きな声を出しながら歩くなんて、ムリムリ、絶対ムリ!
ちまは首を横に振りながら歩いていましたが、一度立ち止まって深呼吸しました。涼しい風が顔にあたり、花のいい匂いがして来ます。
ちまはハッと気が付きました。思い切って森に入った時、やはり同じようにいい匂いがしていたことを。
そういえば、、少し怖かったけど森に入ることができたんだ。それからおばあちゃんと話も出来たし、パンも売れた。ハサミも使えたし、木苺もたくさん摘めたっけ。
初めて森へ来てからたくさんあった楽しい出来事を思い出すと、少し勇気が湧いてきました。
よし、やってみよう。宣伝してみよう。
「え、えー森から来た、、いや、町から来たクマのパン屋、、、」
ぶつぶつと小さな声でつぶやきながら歩いていると、道端から何かがぴょんと飛び出してきました。
「ストップよ!ストップなのよ!」
ちまはまたしても飛び跳ねそうになりましたが、なんとかこらえます。
目の前には頭に赤いリボンをつけた仔狐がいて、通せんぼをするように両手を広げています。
「トンボのトム君から聞いたんだけど、パン屋さんが来ているらしいの。アナタ何か知ってて?」
「ボ、ボクは、その、町から来たクマのパン屋で、、あの、それで、、」
「へぇー、あれあれあれーーーっ、これはひょっとして、、」
仔狐は、ぐるっと荷車の周りを回りました。
「アナタ!パン屋さんね。アナタがパン屋さんなのね!キャー」
仔狐はちまに抱き着くと、顔をスリスリして来ます。
「らんらんらん、ずんちゃちゃちゃ、るんるんるん!!」
仔狐はちまを抱いたまま、くるくる回ったり飛び跳ねたりしながら踊り始めました。
「さぁさぁ、アナタも踊りなさい!踊るのよ!!」
「にゃ、にゃーー」
ちまはとうとう悲鳴をあげました。すると仔狐は踊るのをやめて、
「あら、アナタ、踊れないのかしら?」
「はい、ボクは、そ、そういうのは良く知らなくて、、」
ちまはゲホゲホと咳き込みながら、やっとの思いでそう答えます。
「踊りを知らない子供がいるなんて!そんな子は森にいないわよ」
「そ、それからボクは子供じゃなくて、もう大人です」
「え?アナタ、私よりずいぶん小さくてよ?」
「カ、カラダは小さいけど大人なんです」
「そうかしら? それにアナタ、女の子なのにどうしてボクって言うの?」
そうなのです。男の子のような話し方をしますが、ちまは女の子なのです。
「それはちょっとボクにもわからくて、、おかしいですか?」
仔狐は一瞬考えると、
「ううん。ちっともおかしくないわ。ちょっと不思議な気がしただけよ」
ちまはクマの親方としか話しをしたことが無いので、自然と男の子のような話し方になったのです。
「そういえば自己紹介をしていなかったわね。私はマリヤ、アナタは?」
「ボクはちまです。町から来たクマのパン屋です」
マリヤはドレスの端をつまむような仕草をして、軽くお辞儀をしました。
「ちょっとマリヤ、一人で急に家を飛び出して、いったい何をしているの?」
「あ、お母さん、パン屋さんよ。パン屋さんが森に来たのよ。この子はパン屋さんで名前はちまちゃん。それで今日から私の妹になったのよ」
狐のお母さんは眉間に指をあて、やれやれと首を振りました。
「マリヤったら。ついこのあいだも野兎のリルちゃんを妹にしたばかりじゃないの」
「いいのよ、妹はたくさんいたほうが楽しいわ。」
「ごめんなさいね、ちまちゃん。この子はいつもこんな調子なのよ」
狐のお母さんは申し訳なさそうにちまに言いました。
妹?ボクのこと?何?なんで?
ちまはあまりの急展開にまったく理解が追いつきません。
「見て。ちまちゃんと私はそっくりでしょ。身体は明るい茶色で尻尾の先とおなかと手足の先が白いの。おそろいだわ」
ちまは自分とマリヤの身体を見比べました。たしかにおそろいに見えます。
「それよりお母さん、パンよ。美味しそうなパンがたくさんあるわ。何か買うのよ!」
「そうねぇ、、今日の晩御飯はシチューだから、なにかシチューに合うパンを選びましょう」
「シチュー!今日はシチューなの!? やったー、シチューよ!」
マリヤはその場でぴょんと跳ねると、バレリーナのようにクルクル廻ります。
「シチュー、シチュー、シチューに合うパン、らんらららん」
マリヤは歌を唄いながら、おかしな振り付けで踊っています。
ちまはそれを見て、ぷぷっと笑いそうになりましたが、ほっぺたにチカラを入れて我慢しました。
すると、マリヤは踊るのをやめてちまに近づいてきます。
「あれ?ちまちゃん、アナタ、笑いたいの我慢してない?」
「そんなことありません」
ちまは口をすぼめてやっと答えます。
マリヤはじとっとした目でちまの顔を覗き込むと、
「そうかしら?どう見ても我慢してるようだけど」
えい、えい、えいとマリヤがちまのほっぺたをいじり始めました。つねったり揉んだりムニュムニュしたり、やりたい放題です。
「ほらほら、どう、これでどう?」
とうとうちまは、ぷはーっと笑ってしまいました。
「あははは、笑ったわね。ちまちゃん、笑いたいときは笑うのよ。我慢なんてしちゃダメよ。あはははは」
「あはは、あははは」
ちまも一緒に笑います。
狐のお母さんも口に手をあててクスクス笑っています。
「子供は誰だって、可愛い花を見たら笑いたくなるし、キラキラした道を歩く時はスキップしたくなるのよ。アナタだってそうにちがいないわ」
マリヤはビシッとちまを指差し、そう言いました。
その瞬間、ちまの身体はピキッと固まり動けなくなります。顔がかぁーっと熱くなり胸もドキドキしてしまいます。
「…ひょ、ひょっとして、見てた?」
「え? 何を? なんのことかしら?」
一瞬、二人の間に沈黙が訪れました。
「はははは、図星ね!大当たりなのよ!! 」
マリヤは腰に手をあて、胸をそらして勝ち誇っています。
「町の人達はみんなお面をかぶったような顔をしているわ。ちまちゃん、アナタは私の妹になったんだから、そんなのはダメ。お面をかぶったような顔をしてちゃいけないのよ」
ちまはどうやら、マリヤの妹から逃れられない運命のようです。
「町は明るいけど暗いの。でも、森は暗いけど明るいのよ」
「森は暗いけど、、明るい、、ですか、、」
マリヤはとても不思議なことを言ってるとちまは思いました。
「ちょっとマリヤ、パンは選ばなくていいのかしら?」
お母さんの言葉に二人とも我に返りました。
「そうよ、パンを選ぶんだったわ。シチューに合いそうなパン、、」
うーん困った困ったとマリヤは言いながらニコニコしています。ちっとも困ったようには見えません。
ちまもシチューが大好きです。クマの親方がたまに作ってくれるシチューには大きな野菜がたくさん入っていて、そこに少し固めのライ麦パンをひたして食べるのです。
「シチューにはライ麦パンが良く合います。シチューにひたして食べると美味しいですよ」
ちまの言葉に、マリヤの耳と尻尾がピンと立ちました。
「お母さん、ライ麦パンよ。ライ麦パンで決定よ」
「はいはい。それじゃちまちゃん、ライ麦パンをいただくわ」
「はい。ライ麦パンは銅貨三枚です」
ちまは狐のお母さんにライ麦パンを渡しました。
「どうもありがとう。ちまちゃん」
ちまは銅貨を受け取ると
「ありがとうございます」
大きな声でしっかりお辞儀をしながら言いました。
「ちまちゃん、ありがとう。次は私の家に遊びに来てね。あそこが私の家よ」
マリヤが指さす方を見ると、たくさんの可愛い花に囲まれた家が見えました。
「あのお花は私が育てているの。可愛いでしょ」
マリヤが少し得意そうな顔をして言いました。
ああ、あんなお家に住めたら楽しそうだな。気持ちが明るくなるな。
そう思った時、ちまは気がつきました。
そうか、森は暗いけど明るいんだ。ボクは今日、森でたくさん明るくなれたのに、どうしてマリヤちゃんの言うことがわからなかったんだろう。
「ほら、ね。森は暗いけど明るいでしょ?」
「本当だ。森は暗いけど明るいです」
二人は顔を見合わせるとニッコリ笑いました。
「さぁ、マリヤ、そろそろ帰るわよ」
「そうね、早く帰ってシチューを食べなくちゃだわ」
「まだ夜には早いわよ。その前にお母さんのお手伝いをしてね」
「わかったわ。妹のちまちゃんが頑張っているのだから、お姉ちゃんの私も負けていられないわ。ちまちゃん、今日はありがとう」
マリヤとお母さんは二人で手をふりながら帰っていきました。
「マリヤちゃん、お母さん、どうもありがとう」
ちまも大きく手をふって見送りました。
マリヤちゃんはまたしてもへんな振りで踊りながら帰っていきます。
ちまは今度こそ我慢せずに、ぷぷっと笑うことが出来ました。
第三章 水は山から流れてくる
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ちまはキラキラの道を宣伝しながら歩いて行きます。
「町から来たクマのパン屋です。おいしいパンがたくさんありまーす」
ずいぶんと大きな声が出せるようになってきました。誰かに見られても恥ずかしいと思わなくなったのです。
あの明るい光はなんだろう?この道を歩いていくと、あの光の場所に行けるのかな?
道を照らす木漏れ日は黄金色ですが、道の奥には白い光が見えています。
ちまはその白い光の場所まで進もうと思いました。進むにつれて、その光はどんどん大きくなってきます。
もう少しだな。もう少し歩けばあの光ってる場所に着くぞ。
すると、頭の上から声が聞こえました。
「パン屋さん、こんにちは」
ちまは声のする方を見上げました。木の枝の上に小さな可愛い動物がいます。
「僕はシマリスのクッキー。パン屋さんのことはトムから聞いたよ」
「こんにちは、ボクは町から来たクマのパン屋です。名前はちまです」
シマリスはするすると木の上から降りて来ました。
「いろんなパンがあるね。上からだと良く見えたよ」
シマリスは、小さな身体に大きくて太い尻尾があります。身体と同じくらい大きな尻尾がくるんと丸まっています。
「どんなパンがお好みですか?」
「クルミのパン、僕はクルミが好きなんだ」
「ああ、今日はクルミのパンは無いんです、、今年はクルミが少なくて、なかなか仕入れられないって親方が言ってました」
シマリスはとても残念そうな顔をしています。
「代わりにこんなパンはどうですか?これはカボチャのパンです」
黄色の生地に緑のタネがたくさん乗っているパンをシマリスに見せました。
「ああ、それは美味しそうだ。僕は木の実やタネを良く食べるからね。それじゃ、カボチャのパンとそっちの木苺をいくつかくださいな」
シマリスは荷台の端っこにある木苺のかごを指さして言いました。
「あ、これは売り物じゃ無いんです」
シマリスはまたしても残念そうな顔になりました。
「ラルクおばあちゃんから頂いたものなので、良かったらクッキーさん、いくつかどうぞ」
「え、本当?貰えるの?おばあちゃんの家の木苺はすごく美味しいんだよ!」
シマリスは三つの木苺を腕に抱えました。
「じゃ、三つ頂くね。いまお金を持ってくるよ、パンはいくらかな?」
「かぼちゃのパンは銅貨三枚です」
シマリスはパンを頭に乗せてするすると木に登ると、幹の途中にある穴に消えて行きました。
あれ?シマリスさんの家はあんなところにあるのか。木に穴があって、そこに住んでるんだ。
「パン屋さん、木の下に来てくれる?」
木の穴からシマリスの声が聞こえます。
「はい、来ましたよ、クッキーさん」
シマリスは穴から顔を出し、ニッコリ笑いました。
「じゃぁ行くよ、しっかり受け取ってね」
穴からポロリと丸いものが落ちてきました。
んん?なんだコレ? 丸くて固くて茶色くて、なんかシワシワしてるな。
ちまが不思議なものを手に取って調べていると、次々にポロポロと落ちて来ます。全部で五個落ちて来ました。
「全部拾えたかな?」
シマリスは木の穴から出て地面までおりて来ました。
「拾えたと思うんですけど、、なんですか?コレ?」
「それはクルミだよ。クルミは固い殻に入ってるんだ。町の子供は知らないだろうね」
そうかぁ、クルミってこんなものだったのか。木苺だってジャムしか知らなかったし、ボクは知らないことばっかりだな。
「そのクルミを持って帰って、クマの親方にパンを焼いてもらってよ」
「はい、わかりました。クッキーさんは親方を知っているのですか?」
「ああ、クマの親方はもともと森に住んでいたからね。良く知ってるよ」
「ボクはそんなことちっとも知りませんでしたよ」
「はい、これ銅貨三枚。それからパン屋さん、次に来るときはクルミパン忘れちゃダメだよ。親方によろしくね」
そう言うとシマリスはまたするすると木に登っていきました。
「クッキーさん、どうもありがとう」
「うん、パン屋さん、またね。木苺をありがとう」
シマリスの家の扉がパタンと閉まりました。
あれ?シマリスさんの家の扉はクルミの殻で出来てるんだ。よっぽどクルミが好きなんだなぁ。
ちまはクスクス笑いながら、また歩き始めます。明るく光っている場所に近づくと、サラサラチャプチャプと音が聞こえてきました。
なんの音かな?水の音に似てるけど、さらさらちゃぷちゃぷってずっと続いて音が聞こえる。なんだろう?
ちまはとうとう明るく開けた広場のような場所に着きました。
「やあ、仔猫ちゃん、待ってたよ」
トンボのトムさんがすぅーっと飛んで来ました。
「トムさん、ここはずいぶん明るくて広いところですね」
「ああ、ここは森のみんなが集まる水場だからね。すぐそこに川が流れているんだ」
かわ? かわってなんだろう?
「オイラについておいで」
トムさんの後について行くと、なんと、
水だ、水だよ! なんでこんなにたくさん、すごい量だ!それに動いてる。
どうして?なんで?
ちまは川に近づいて、そっと水にさわってみました。
冷たい! これはたしかに水だよ!
ちまが知っている水は、親方がどこからか汲んでくる大きな桶に入った水か、たまに空から降ってくる雨だけです。
「ここは水がたくさん流れている川っていうところさ」
「かわ? この水はどこからやってくるんですか?」
「水は山から流れてくる」
「やま?」
トムは川の上流に向かって少し飛び上がりました。
「あれだよ。あのずいぶん遠くに見える大きな白いかたまり。あれが山さ」
ちまはポカンとして山やまわりの空やあちこちを見回しています。
すごい、すごいや! 白くて大きな山が水を流して川になる。青い空もすごい、キラキラのお日様もすごい、森もすごい、全部すごいや!
「ふふふ、すごいものはまだあるよ。ほらあそこ」
トムはこんどは少し下流に向かって飛びます。
「あれはビーバーさんが作ったダム。それとダムから水を引いて作った池」
川の途中に石や木を積んだこんもりとした場所があります。そこは水の流れが
ゆっくりになっていて、くちばしの黄色い白い鳥たちがぷかぷか浮いて泳いでいるようです。すぐ近くに丸くて大きな水たまりもあります。
「さあ、ダムへ行ってビーバーのおじさんに挨拶するよ。すぐそこだ」
ちまはトムの後について行きます。
「おじさん、こんにちは!トムです」
ちまも慌てて挨拶します。
「こんにちは、クマのパン屋のちまです」
するとダムの石と木の隙間からヌッと顔が出て来ました。
「やぁ、トムと仔猫ちゃん、こんにちは。わしはビーバーのドムスだ。仔猫ちゃん良く来たね。クマの親方は元気かい?」
「ドムスさんは親方を知ってるんですか?」
「ああ、古い知り合いさ。そこの池は親方が掘って作ったんじゃよ。森のみんなはその池に水を汲みに来るんじゃ」
「へぇーそうだったんだ。クマさんは森のみんなの恩人なんだな」
トムが感心したように言いました。
「知ってるかい?オイラは長い間水の中で暮らしていたんだよ」
「え?トムさん空を飛んでるのに?」
「子供のころはそこの池の中で何年も暮らしていたんだよ。そしてやっと大人になって空を飛ぶようになったんだ」
「そうだったんですか。ボクは知らないことや判らないことばかりです」
「気にすることはないぞ。仔猫ちゃんは自分が知らないことばかりだと知っている。それだけでもたいしたもんじゃ」
ドムスおじさんの言葉にトムも大きくうなずいています。
「さぁ、そろそろみんなが集まってくるよ。オイラが宣伝しておいたからね。
仔猫ちゃん、パンを売る準備をして」
ちまは慌てて広場の入り口においてきた荷車を取りに戻りました。
わいわいガヤガヤ ワイワイがやがや
広場が賑やかになり、あちこちからちまの知らない動物たちが集まって来ました。大きな角の鹿の親子、野兎の兄妹、イノシシの集団などなど、町では見かけない動物たちが大行列です。
「さぁさぁ、みんな並んで並んで、順番だよ。はいそこ横入りしちゃダメ」
トムさんが忙しく飛び回って仕切ってくれています。
「パン屋さん、ぶどうパンをください」
「俺には小豆のぱんをくれ」
「こっちは木苺のジャムパンね!」
ありがとうこざいます。どうもありがとう。ありがとうございます。
ちまは大忙しでペコペコお礼を言いながらパンを売っています。
すぐそばでビーバーおじさんも手伝ってくれています。
やがてとうとうパンは売り切れになりました。
ああ、やった、とてもムリだと思ったけど、とうとう全部売り切れたよ。
ちまはその場にペタンと座りこんでしまいました。まわりを見るとあちこちで笑いながら話をしている人、美味しそうにパンを食べている人、走りまわって遊んでいる子供たち、たくさんの森の住人たちが楽しそうにしています。
ああ、良かった。トムさん、ビーバーおじさん、ラルクおばあちゃん、マリヤちゃん、何も知らない、何も出来ないボクなのに、みんなが助けてくれたおかげだよ。本当にどうもありがとう!
ちまはゆっくり立ち上がると帰る準備を始めました。
するとあちこちから、
「パン屋さん、美味しいパンをありがとう」
「仔猫ちゃん、また来てね。ありがとう」
たくさんの声がかかります。
「これ、森でとれた山ぶどうだよ。持って帰ってね」
「こっちはアケビ、これも美味しいよ」
「はいこれお団子、帰り道でたべてね」
お土産で荷車が一杯になりました。
「帰りはこの川沿いの道を行くといいよ。この川は町まで流れて行くから」
トムさんが帰り道を教えてくれました。
「それじゃあ皆さん、そろそろ帰ります。ありがとうございました。また来ます!」
ちまはみんなに大きく手を振って歩き始めました。
「さようなら、またね」
「気をつけて帰ってね。ありがとう」
森のみんなも手を振って見送ってくれています。
ちまは何度も振り返っては手を振り、大きな声でありがとうと言いながら川沿いの道を町へ向かって歩き始めました。
終章 ありがとうが一杯
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
ああ、良かった良かった。パンは全部売れたし、楽しいことばかりだったな。森の中では金色のキラキラ道を歩いたけど、帰りは銀色のキラキラだ。
森は暗かったけど、川は明るくて歩きやすいし、これなら日が暮れる前に町に帰れそうだよ。
ちまはニコニコ顔で歩いています。川はさらさらちゃぷちゃぷ優しい音をたてて、流れる水は銀色にキラキラ輝いています。たまにすれ違う人と挨拶をしたり、川の向こうにいる人に手を振ったりしながら歩いて行きます。
グ、ググゥ
ちまのおなかから。大きな音が聞こえました。
ああ、そういえばボク、今日は何も食べてなかった。おなかが空いたことも忘れちゃってたよ。
そうだ、お客さんから頂いたお団子があったな。あれを食べよう。
ちまは立ち止まって川の水で手を洗い、水をすくって飲みました。
冷たくて美味しいな。桶の水より美味しい気がする。
その場に座って、足を水に漬けてちゃぷちゃぷ動かしてみました。
ああ気持ちいい。今日はずっと歩いてばかりだったから、疲れがとれるよ。
それにしても水ってすごい。手を洗えば奇麗になるし、のどが乾いたら飲むことができる。洗濯する時やお料理にも水は必要。すごいぞ、水!
さあお団子食べよう。ん?中に何か甘いものが入ってるけどなんだろう?
親方がたまに作ってくれるお団子は醤油をつけて焼いたお団子です、いつもと違う味のお団子は今日初めて食べました。
この甘いものはなんだろう?今度お客さんに会ったら中身がなにか聞いてみよう。
ちまはお団子を食べ終わると立ち上がりました。
さあ元気が出たよ。お団子が無かったら、おなかが減って歩けなくなったかもしれないぞ。感謝、感謝。
お団子をくれたお客さんの顔が頭に浮かんできます。その後次々にいろんな人の顔が浮かんできました。
ラルクおばあちゃんや、トムさん、マリヤちゃんにビーバーおじさん、それにボクを外に出してくれた親方。みんなのおかげで今日は楽しかったし、いろんなことができたっけ。おかげ、おかげ、おかげ様だよ。
ちまはアハハハと笑い声をあげました。突然ひらめいた・おかげ様・という言葉がおかしかったのです。
ははは、おかげ様?なんだよおかげ様って。まるで神様みたいじゃないか。
ちまは何かに気がついたのか、自分のまわりをあちこち見回します。
神様は見えないし話もできない。だけどおかげ様はすぐそこに見えるし、話も出来る。ボクのまわりにはおかげ様がたくさんいるじゃないか!白い山や
ちゃぷちゃぷ流れる川、青い空や雲、可愛いお花、こんなのも全部おかげ様だぞ。神様、おかげ様だ! あははは。
ちまは両手を胸の前で合わせて、あちこちに向かって、おかげ様ありがとう、ありがとう、おかげ様と言っています。
さあ歩こう。日が暮れる前に帰らなきゃ親方が心配しちゃうよ。帰ったら親方に話すことがたくさんあるぞ。忘れちゃいけないのは三日に一度、ぶどうパンを焼いてもらうこと。それからクッキーさんから頂いたクルミを使ってクルミパンを焼いてもらうこと。木苺を摘んだことや、マリヤちゃんの妹になっちゃったこと、まだまだたくさんあるぞ、どうしよう、なにから話せばいいんだろう。困った、困った。うふふふ。
もちろん、ちまは、ちっとも困ってなんかいません。
ああ、そうだ、それから明日はシチューを作ってもらおう。そうしよう。
お母さんにシチューを作ってもらえるマリヤちゃんがとても嬉しそうで、ちまは少し羨ましかったのでした。
そうとなったら早く帰らなきゃ。
町はもう、すぐそこに見えています。
その頃、
あいかわらずクマの親方は店の奥でウロウロソワソワしています。
朝早く、パンを焼いたのは一度きりなのでもうお店にパンはありません。
羊のお姉さん店員が呆れた顔をして親方に言います。
「もう、そんなにちまちゃんのことが心配なら、いっそのこと探しに行けばいいのに」
「探しになんか行かなくたって、そのうち帰ってくるから。ぜんぜん気にしてないから」
親方はそっぽを向いてしまいます。
「あらあらそうですか。それじゃもう私は帰りますね」
お姉さんは・開店・の札をひっくり返して・閉店・にすると店の外に出ました。帰り道はちまを探して歩こうと思いながら。
クマの親方は一人で激しく後悔していました。
ああ、なんであんな事を言いつけたんだろう。なんてバカなことをしたんだ。
いつも自分の後ろをちょこちょこついて歩くちまが今日はいません。心配で心配で、パンを焼くことなんて出来ませんでした。
親方はちまのことを、いつのまにか本当の自分の子供のように思っていたのです。
もう邪魔だなんて二度と思わない。思うものか。外に出ろなんて言わない。
ちまはいつだって自分の後ろにいればいいんだ。
ちまがどこかで途方にくれているんじゃないか、疲れて泣いてるんじゃないか、なにか危険な目にあってるんじゃないか、そう思うといてもたってもいられずに店の外に飛び出します。外はもう夕焼け空です。
これはいかん、日が暮れる前に探さなきゃ。暗くなる前にちまを連れて帰らなきゃ!そう思った時、どこからか音が聞こえて来ました。
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
耳をすまさなければ聞こえない小さなお音ですが、はっきり確かに聞こえてきます。
ちま、どこだ!どこにいる!
親方はさらに耳をすまして音のするほうに目を向けました。
すると夕焼けに染まった丘の上に、小さな影が見えてきます。
ゴローリゴロゴロ ガタンゴトン
小さなちまが大きな荷車を曳いてこちらに向かって来ます。
つまづいたりよろけたりしながら、ゆっくりと、それでも確かにこちらに向かって来ます。
ちま!
親方は全力で走り始めました。
ちま!荷車なんてもう曳かなくていいんだ、そんなものは捨ててしまえばいいんだ、早くこっちに来るんだ、早く帰ってこい!
親方のスピードはどんどん上がっていきます。
アレ?あれは親方じゃないか。何してるのかな?ドドドドってすごいスピードで走ってるよ。親方、あんなに速く走れたんだな。
いつもはのそり、のそりと歩く親方がすごいスピードで走る姿を見て、ちまはぷぷっと笑ってしまいました。
「ちま!無事か、ちま!」
目の前に現れた親方は、ちまをぎゅっと抱きしめました。
「く、苦しい、苦しいです、親方」
「ちま、無事か?どこか怪我でもしてないか?」
「少し疲れてるけど、怪我はしてませんよ」
「そうか」
親方はちまを離すと、あちこち触り始めます。
「く、くすぐったい、こんどはくすぐったいよ」
「そうか。そうか。くすぐったいか」
二人は顔を見合わせて笑いました。
「さあ、帰ろう、ちま」
「はい」
親方はちまを肩に乗せると、荷車を曳いて歩き始めます。
ちまは落ちないように親方の耳を握りました。
「親方はいつもこんな景色を見てるんですね」
「ん?なんだ、どんな景色だ?」
「ボクは小さいから、見えるのは地面ばっかり。だけどここはずいぶん高いので、いろんなものが見えていますよ」
「そうか。じゃあちまも早く大きくならなきゃな」
「はい。ボクも親方くらい大きくなれるかな?」
「いや、そこまではちょっと無理だな」
二人はまた笑いました。
「おなか空いてるだろ?」
「はい。そりゃぁもう腹ぺこですよ」
「じゃあ、帰ったらクロックムッシュを焼こう」
「わーい」
ハムとチーズをたくさん使ったクロックムッシュはちまの大好物です。
そうか。マリヤちゃんはこんな時踊り出だすのか。はははは。
お店に着くと、親方はさっそくクロックムッシュを焼き始めました。ちまは荷車に乗っている荷物をせっせと運びます。山ぶどうに木苺、クルミ、あけび、
かわいい花やいろんなものが乗っていました。
親方はクロックムッシュと温かいミルクを持ってやってくると、テーブルの上にいろんなものが乗っていることに気がつきました。
「ちま、これはいったいどうしたんだい?」
「これは森のみんなから頂いたお土産ですよ」
「森?ちまは今日森に行ってきたのか?」
「はい。森には親方を知ってる人が何人かいましたよ。ビーバーおじさんとかシマリスさんとか、親方によろしくって」
「そりゃ懐かしいな」
ちまは夕食を食べながら、あれこれいろんな話を始めました。
目をキラキラさせて、嬉しそうに楽しそうに話をします。たまに身振りや手振りを交えながら、大きな声で話しを続けています。
親方はうんうんと頷いて話を聞いています。いつも親方の背中に隠れて小さな声で話すちまは、もう、そこにはいませんでした。
親方は少し寂しいような気もしましたが、すぐにこれで良かったんだ、さっきまで後悔してたけど、間違ってなかったんだと思いなおしました。
「それでね、親方、そうしてとうとうパンは売り切れたんです!」
ちまはバンザイのポーズをしています。
「そうか、よくやったな、ちま」
「はい!」
ちまはパチパチと自分で手を叩いています。
「なにしろ森にはありがとうが一杯あるんです」
ありがとうが一杯 いい言葉だと親方は思いました。
「ボクがありがとうと言うと、同じようにありがとうが返ってくる。あっちにもこっちにもありがとうが一杯あるんです!」
「そうか。たしかに森にはありがとうが一杯ありそうだな」
森のことを良く知っている親方は、なんとなくちまの言うことがわかります。
「はい。それからおかげ様もたくさんいます。あちこちにいます」
「おかげ様?なんだいそれは?」
「それは、、ふふふ、秘密ですよ。親方様、おかげ様」
ちまは胸の前で手を合わせています。親方には良く判らなかったのですが、きっといいことなんだろうなと思いました。
「明日、ボクは食べたいものがあります」
「おや、めずらしいな、ちまがそんなことを言うなんて。なんでも言ってごらん」
「シチュー!シチューが食べたいです」
「そうかシチューか。とびきり美味しいシチューを作ろう。羊のお姉さんも招待しようか?」
「賛成!ありがとう、親方」
ちまは親方の太い腕に飛びつくと、よっぽど疲れていたのでしょう、そのまますぅすぅと寝息をたてはじめました。
「寝る子は育つ、、だな」
親方は、ちまが起きないように気をつけて、ちまのお気に入りのかごのベットに運んで寝かせました。
もうそろそろ大きなかごに代えなきゃな。
「ちま、無事に帰ってきてくれてありがとう。おやすみ、ちま」
親方はそっと部屋のあかりを消しました。
ここに書かれているのは、仔猫のちまの、ありがとうが一杯なお話です。
おわり
ちまの冒険はいったん終わります。
森での経験を通じて、ちまは少し成長したようです。
作者個人としては、
ボクはもう、あのキラキラの下をずっと歩いて行こう
という一節がとても好きです。
小さいけれど大きな一歩を踏み出したちまを、森の精霊たちが祝福しているようです。
突然の天啓を受けてこのおはなしを書き始めた私ですが、ありがとうが一杯とかおかげ様とか
ちまならではの感性や発想に驚かされ、癒されました。
私はたんなる文字起こしの道具、ちまの想いや発想を文字列に書き起こす道具にすぎないのです。
今後どんなことを私に教えてくれるのか、楽しみでなりません。
神様、ちま様、おかげ様、ですね。