3.11~16歳
水を片手に、瑞希はマスターに問う
「マスターの初恋はいくつだったんですか?」
「…私には、幼馴染が居ましてね……───ふふ…、産まれたその時からだったかもしれません。」
「えぇ~素敵!───…じゃあ、奥様はもしかして」
「居ませんよ」
「え…」
「…私とは違う誰かと、添い遂げました」
「……ごめんなさい」
「貴女が謝る事はありませんよ。」
瑞希は、まるで心臓に刃物が突き刺されたかのように痛んだ。この痛みは、自分も同じ経験をしているからだ───
(……そう、あれは──)
記憶を辿らせようとすると、マスターがグラスに新しい「水」を注いだ。
「それでは、少女の物語の続きをお話しましょうか……」
少女には好きな人が居ました。
クラスは一度だけ一緒になった、サッカー部のエースの男の子でした。
誰にでも優しくて、腫れ物扱いされていた少女にも優しく接する唯一の人。
少女の家には壊れた傘しか無かった為、雨が降る日は必ず濡れて登校していました。
何故、傘が壊れていたのか……
少女の母が、少女を殴る為に使用したからです。
お気に入りの──可愛いウサギがプリントされた傘は、穴が空いてしまい、骨もボロボロとなってしまいました。
だから、傘はありません。
今日も濡れて登下校をする少女───
「 さん!……大丈夫!?」
黒い傘が少女を雨から護りました。
男の子が好みそうなシンプルな黒い傘────
息を切らした男の子は、少女を傘に入れてあげました。
「………」
少女は「ありがとう」の言葉が伝えられませんでした。
言いたくても言えなかった────
恥ずかしさもあった
でも、何より───感情を伝える事が出来なくなっていたのです。
心では思っているのに……。
「俺の家、 さんの家通り道だからさ、送るよ!」
頬が少しだけ濡れました。
目から小雨が降ったから。
男の子は少女が一言も喋らなくても、学校で起きた事、家で起きた事を……なんでもない日常を話してくれました。
少女は居心地がとても良いと感じました。
この時間が、いつまでも続けば良いのに。そう願って、願って……
「じゃあな!、また明日~!」
「………!」
笑顔で走り去る男の子の背中に手を振る事しか出来なかった少女。
いつか……いつかちゃんと御礼を言おうと心に決めました。
然し、翌日から男の子は学校に登校はしませんでした。
「……昨日の下校中に、 さんは車に轢かれて亡くなりました」
担任の先生の言葉に、少女は酷く動揺してしまいました。クラス全員が泣きました────
でも、少女は涙が出ませんでした
涙を流したくても流せなかったのです。
「…どう、して」
自分と関わる人間は、皆不幸になる。
少女はそう思い始めました。少年は、こんな自分にでも優しく接してくれた人でした。
初めて、人の温かさに触れました。
でも、"お前にそんな物は必要ない"と言わんばかりの現実に、少女は死にたくなりました。
小学校を卒業し、少女は中学生となりました。
「ねぇ、まだ喋らないの?」
「ニホンゴワカルカナー?」
「キャッハハ!なんでカタコトー!?」
中学に進級しても、少女を馬鹿にする者は沢山居ました。周りは見て見ぬふりです。
そんなのは慣れました─────
「あ、お前ってさ~、事故で死んだ同クラの って奴と一緒に下校したんだって?。アレって、お前のせいでアイツ事故にあったんだってな?」
クラスの男子の一言で、賑わっていた教室はシン…と静まり返った。
「ひとごろっし!ひとごろっし!」
クラス全員で「人殺し」の大合唱。
少女は否定出来ませんでした。
だってそれは、本当の事だったから────
それから中学はまともに行ける日はありませんでした。
不登校になっても、父親は少女に関わろうとしませんでした。
母親は更にヒステリックとなり、少女に罵声を浴びせる毎日でした。
「死ね!!普通の人間じゃない癖になんで生きてんだよ!!!お前なんか産まなきゃ良かった!!お前なんか……お前なんか─────」
鉛筆を握り締め、母親はそれを少女に刺そうとしました。
グッ……!!
「っ……」
然し、痛みはありません。
鉛筆は母親の腕に刺さったからです。血が床に垂れました。それはまるで、涙のように
その日の晩から、毎日少女は自分を責めるようになりました。
この世に生まれてしまった事を
この世に生きる資格がある者を殺してしまった事を
ごめんなさい
ごめんなさい……
「 さんさ、何のジュース好きなの?」
夢に、あの男の子が出てきた。
雨の降る世界を、ひたすら歩いてる───そんな夢
「ん~とね……私は」
「分かった!サイダーだろ!」
「ぶっぶー!ハズレ〜!」
「ちぇー!」
夢の中の少女は、男の子と仲良さげに会話をしていました。少女は、自分がこんなにお喋りだった事に驚きましたが、男の子との会話に幸せを感じました。
公園のブランコに座りながら、男の子が「俺、ビール飲みたい」と言い出しました。
「まだ未成年だよ!?」
「んー…でも、俺さ~、年取れねぇからさ───心だけ、成長して───身体はずっとこのままなんだってさ」
男の子は笑いながらブランコを漕ぎ始めました。
少女は、俯きました。
そうだ……男の子は、自分のせいで───と……
「ごめ……ん……なさい」
「バカだなぁ は、なんも悪くないだろ?。お前と過ごした時間はほんの一瞬だったけどさ、楽しかったぜ!」
男の子は「俺の分まで、生きてくれよな」と言って
消えてしまった。
無責任だ
貴方を追って、新しい自分に生まれ変わりたいなんて、贅沢な願いをしてしまいたくなる。
そんな事言われたら、もっと死にたくなる。
ねぇ、待って
私を
私を置いて──────
「───……11歳~16歳……、少女が男の子と過ごした時の感情で作られた、水で御座います」
グラスの水はいつの間にかビールへと変わっていた。
「っ……あ………ぁ」
瑞希は涙が止まらなかった。
マスターはそっとハンカチを差し出す。
少し煙草の香りと心地の良い香水の香りが染み付いていた。
涙をハンカチで拭い、水を一口飲んだ。
「……こんな、味だったんだ。……苦くて……でも、その中にほんの少しだけ……甘く……て」
涙と混ざったビールを飲み干した瑞希───
それはまるで、男の子と別れを告げているかのようだった




