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甘党受付嬢、ダウナー系勇者の攻略法をマスターしたら「勇者キラー」と呼ばれて溺愛されるようになりました

作者: 海崎凪斗


「嫌っすね。今日、換金に来ただけなんで……」


 太陽がてっぺんに昇ったお昼過ぎ。


 休憩から帰って、職場の冒険者ギルドの扉を開けると、人だかりができていた。


「(ははあ、これは、あれですね)」


 わたしは、すぐさま状況を把握した。


 屈強な男性たちの間をすり抜けるようにして受付カウンターに向かおうとしたけれど、()()()()()、なぜか道を開けられてしまった。王様にでもなった気分だ。


「お願いします!あなた様しか、この依頼を達成できる人はいないんです!……そこをなんとか!このままでは、私の首が……!!」

「はあ……本当に、いないんすか?ドラゴンの討伐ぐらい……」


 喧騒の中で、わたしの上司、ギルド長の懇願と、気怠そうな青年の声が聞こえてくる。


「ドラゴンの討伐なんて、一軍隊が出るレベルです!Aランクギルドなんかじゃ足りない、そう、地上最強のあなた様の力がなければ……」

「いや、俺はなんか、ゴブリンとか倒すんで……」

「そんな贅沢な使い方がありますか!?あなたのステータスで!?」


 ギルド長、わたしに任せてください。


 わたしは喧騒の真ん中に一歩踏み出す――――そんな私の肩を掴む人がいた。年若い青年だ。確か、新米の冒険者さん。


「お嬢さん、やめた方がいい!あそこにいるのは、その、本当に強くなさそうに見えるかもしれないが……ギルド唯一のSSSランク、魔王討伐の〈勇者〉――――」

「大丈夫。――――知ってます」


 にこ、と笑うわたし。青年の肩をぽんぽんと叩いて「行かせてやれ」と言う歴戦の冒険者たち。


「ギルドの職員だからって、なんであんな小さい女の子を……!どうしてあんた達、止めないんだ…!!」

「それがあの子にしかできない使命だからだ…!」


 なにやら壮大な会話が繰り広げられている。


 ……わたし、死地に赴く戦士なんでしょうか。

 あと、わたしは背が小さいだけで、女の子ではないので、そんな大きな声で言わないで欲しいです。傷付くこともあるんですよ。


 とはいえ、そういう雰囲気を作られると、なにやらこちらもそういう気になってくる。


 わたしは戦士。わたしは勇者。わたしは戦士。殉死の覚悟を固め、手に持った()()()()()()()()を手に、歩き出す。


 ギルド長がわたしを見て、ほっとした顔をした。――――大丈夫、ギルド長。わたしが来ました。もう一人で戦わなくていいんですよ。


「勇者グリード!!」


 わたしにしては大きい声で呼びかける。ギルド長相手に気だるげに返事をしていた青年――――勇者グリードが、色濃い隈が残る瞳を、わたしに向けた。


 標的はこちらを向いた。――――今だ!

 わたしは、握りしめていた武器をばっ、と勇者グリードに向けて広げた。


「……新作のイチゴパフェ」


 ぴくり。


 勇者グリード(ターゲット)の眉が動いて、わたしの手元に釘付けになる。わたしのとっておきの武器、"行きつけのお店の新作お菓子のチラシ"に、彼はいい反応を示している。


 逃してたまるか。わたしは、畳み掛けた。


「マスカルポーネチーズとジャムの多重構造、限定30食!!」

「行きます」


 ――――瞬間。


 あれだけ渋っていた勇者さまは、すぐに首を縦に振り、ギルド長の手から、討伐依頼を奪い取った。場は安堵に包まれ、ギルド長の首は守られた。


 わたしを止めようとしてくれた新米冒険者の青年が、ぽかんと口を開けている。


「……あの、なんなんですか?これは」

「知らんのか、小僧。教えてやる」


 なんで偉そうなんだろう。

 まあ、ギルドのベテラン風を吹かす人って大体こうなので、気にしないことにした。それよりも、彼が言うであろう、わたしの()()()()()の方が嫌だ。


「あの子はな――――勇者キラーなんだ!!」


 ……世界を救って二つ名を付けられるのって、案外嫌なのかも。小っ恥ずかしいあだ名を聞きながら、わたしは、なんとも言えない顔をした。


✴︎

「美味しいですか?」


 翌日。

 わたしは、例の"限定30食イチゴパフェ"のお店にいた。


 窓際の席。一番のとっておきの半個室のようになっているそこに案内されたのは、"目の前で淡々とパフェを食べる彼"への配慮だろう。


「……まぁ」


 ぐったりとした表情で、彼―――勇者グリードは、パフェを食べていた。長くて細いスプーンをちまちまと動かしながら、咀嚼する。


 食べているだけでも怠そうであるが、多分、怠くはない…のだろう。一応。


 わたしもパフェを食べながら、彼を観察した。


 こっそりと、ギルド受付嬢の特権である「ステータス閲覧」スキルを発動する。職権濫用と言われれば正直返す言葉は皆無だけれど、本当に彼以外に使ったことはないのだ。説得力はないけれど、本当に。


 現れるステータス画面は、まあ、相変わらず。


 『グリード・レイヴォーン(Age:21)

 レベル:??(測定機器が壊れたので詳細不明)

 HP :99999(1秒に5000自動回復)

 MP :99999(1秒に5000自動回復)

 称号 :「勇者」「魔王の天敵」「救世主」

 加護 :「女神の加護」「剣聖の寵愛」「妖精王の祝福」「光速の加護」「状態異常無効の加護」「全属性強化の加護」「物理攻撃無効の加護」「魔法攻撃無効の加護」』


「(……何回見ても、ちょっと、チートすぎる!)」


 わたしはゴシゴシと目を擦りそうになった。

 なんだか、前見た時よりも色々と増えている気がする。


 特にこの「物理攻撃無効の加護」「魔法攻撃無効の加護」あたりがひどい。じゃあ何の攻撃なら通じるのよという話である。


 圧倒的に最強。

 地上最強の生物と、人は勇者グリードを呼ぶ。


 だけど、初見で彼が"勇者グリード"なのだと分かる人は、本当に少ない…というか、いるか怪しい。

 その理由は、彼の見た目と、醸し出す雰囲気のせいだ。


「食べないんすか、エマさん」

「……たべます!」


 ちらりと、わたしを見る瞳は深いダークグリーン。

森林を思わせる瞳だけれど、その下にはそれはもう色濃い隈が刻まれている。


 髪は柔らかそうなグレーだけれど、若干ウルフカットのようになっていて、襟足が長い。ほんの少し覗く耳には、意外とピアスはない。


 ……そして何より、彼が醸す雰囲気は、ものすごく気だるげだ。いつも少し面倒臭そうに話す。


 実際に面倒臭いのかどうかは、わたしもまだ研究中だ。


「エマさん、どうしたんですか」

「あっ!ううん!食べます!いただきまぁす!」


 ……けどまあ、口数がこんな風に多い時は、割と、面倒臭くない時。だったら良いなと思っている。


 つい、彼の顔を見過ぎてしまった。あわてて、わたしはパフェを口に含む。――――美味しい。


 口の中でクリームが溶ける瞬間の幸福に勝てるものは、この世であんまりないだろうという気持ちになる。


 思わず、頬に手を当ててうっとりとしながら、二口目をがっついてしまう。勇者グリードが、頬杖をつきながら、くつくつと喉の奥を鳴らして、僅かばかり口角を緩めた。


「ほんと甘いモン好きですよね、エマさん」

「……むぅ、勇者グリードに言われたくありません」


 そう言い返せば、勇者グリードは肩をすくめた。それから、わたしに手を伸ばして、頬についたクリームを奪い取った。


「まぁ、否定はしないですが」

「……わたしのクリーム!!」

「…ふは、食い意地」


 指先についたクリームをぺろりと食べる勇者グリード。食べるはずのクリームを奪われ激昂するわたし。全く、奇妙な関係だと思う。



 勇者グリードの華々しいステータスの後でご紹介をするのも憚られるのだが、わたしは、ギルドの受付嬢だ。特筆するステータスは何もない。


 強いて言えば、「甘いもの好き」と「勇者グリードの二個年下」ということだけだろうか。難しく言ったけれど、要するに「甘いもの好きの19歳、ギルド受付嬢」というだけである。


 ……そんなわたしと、なぜ、彼がパフェを食べ合う関係なのか。それは、魔王討伐の報が流れた日…つまり、半年ほど前のことになる。


✴︎

 ――――半年前。魔王が死んだ後。

 ギルドは、しばらく暇だった。


 おまけにその日、わたしはいわゆるワンオペだった。


「(まあ、確かに人は全然来ないし、いいけど)」


 魔王が殺された直後に動く魔族もあまりいないのだろう。普段ならわんさか舞い込む依頼の件数自体があまりなかった。依頼がなければ、冒険者も当然いない。


 それにその日は、勇者の帰還を祝って凱旋パレードをやる日だったのだ。

 少し気になったけれど、ギルド長がパレードの整地に駆り出されてげっそりしているのを見て、休暇申請をそっと取り下げたのだ。


 パレードの日に、わざわざ依頼を受けに来る冒険者もいない。わたしは大層暇だったわけである。


 わたしは、カウンターで一人、ぼや〜っと、退勤後に食べるスイーツのことを考えていた。今日はお昼ご飯の帰りに、クッキーが売っていたので、それを買ってあるのである。


「(仕事が終わったらクッキーがあるし、頑張ろう)」


 まあ、やることはないのだが。暇すぎるのも暇すぎるので、疲れる。甘いもので釣りながら、わたしは自分を鼓舞した。


 ……そんな中、ちりんと、ベルの音が鳴って、一人の冒険者が入ってきた。その顔を見て、わたしはぎょっとした。


 灰色の髪に、ダークグリーンの瞳の青年だった。それだけを書くと、普通の青年に見えるのだが、


「ど、どうしたんですか!?その隈!」


 青年の瞳の下には、それはもう、色濃い隈があったのだ。肌は焼けているし、だるんとした黒いシャツの上からでも鍛えられていることわかるのに、それでも、とんでもなく不健康そうに見えた。

 よく見れば、灰色の髪もところどころが跳ねていて、ボサボサだった。


 勿論、その青年とは勇者グリードのことだ。


 ……けれど、当時、わたしたち庶民に「勇者」の情報は降りてきていなかったのだ。だからわたしは、とんちんかん極まりない答えを出した。出してしまったのだ!


「(この人、もしかして……とんでもなく、疲れてるんじゃ…!?)」


 多分、そんな解答を出したわたしも疲れていたのだと思う。ワンオペというのは、別に適切な時でも、なんとなーく、心に来るのだ。


「……あの、」

「……分かります…分かります!疲れてるんですね、大丈夫。そういう時はですね」


 がさごそ。


 わたしは、とっておきのクッキーを取り出した。本当はわたしのバフアイテムなのだけれど、仕方がない。


 こんなに死にかけている人を放っておいたら、美味しくクッキーを食べられるわけがないのだ。それに、彼はわたしよりは上だろうけれど、年若い。


 きっと、新米冒険者だろう!とわたしは判断したのだ。わたしも田舎者だから、故郷から出て来たばかりで疲れていそうな新米冒険者には、うんと優しくすると昔から決めているのだ。


 袋から半分ほど、自分の分を取り出した。…まぁ、とはいえ、わたしだってちょっとは食べたい。それに、丸ごとは萎縮するかもしれないし。


 それから、リボンを結び直して、青年にクッキーを差し出した。


「甘いもの、ですよ!…あと、ちゃんと寝た方がいいです。寝れてますか?冒険者さん……」

「……」


 青年はクッキーを凝視していた。それから、一枚、パクリと齧る。


「甘い。…ですね」

「でしょう!」

「……そうですね。懐かしい味です」


 青年は少し笑った。

 良かった、少し元気が出たみたいで。

 懐かしい味というのは、一瞬なんだろうと思ったが、きっと彼の故郷のものと似ていたんだろうなと思う。そんなに美味しそうな顔をされると、わたしまで早く食べたくなってしまう。


 とはいえ、甘いものはあくまでもバフアイテム。


 健康的な心は、健康的な暮らしから。わたしは握り拳を作りながら、彼に帰って寝ろと促そうとしたところで。


「え、え、エマ、エマくん!!!!何を、しているのですか!」


 ちりん。

 またベルが鳴ったと思うと、ギルド長が血相を変えて入ってきた。

 この時の自分の顔はわからないけれど、多分、阿呆丸出しに口を開けていたと思う。


「ああ、ああ……!こんな所にいらしたのですね!凱旋パレードの主役を、陛下も、姫様も、団長も、皆が、探してらっしゃるんですよ!」

「…あー、…欠席で」

「そ、そういう訳にはまいりません!あなた様は、魔王討伐の大英雄なのです!」

「……え?………えっ?」


 青年と目が合った。うんざりしたような顔の彼が、クッキーをまた一枚、ぱくりと齧った。


 凱旋パレード。

 魔王討伐の大英雄。


 まさか。まさかまさかまさか。


 嫌な汗が頬を伝う。

 わたしは、こっそり、ステータス閲覧権を行使した。


 ――――そして、あの化け物ステータスを目にした訳である。


✴︎

 というのが、わたしと勇者グリードの最悪すぎる初対面である。


 それで済めばよかったのだが、なぜか、勇者グリードは時たま冒険者ギルドに顔を出した。それから、本当にしょうもない低ランクの依頼を適当に受けて、去っていく。ギルド長がなんとか高ランクの依頼を彼に受けさせようと必死だったけれど、彼は見向きもしなかった。


 彼が見向きしたのは、わたしの持つ絶品スイーツ情報だった。


「……あのクッキーないんすか」


 と、そうダルそうに聞いてきた。わたしは手元のクッキーを全部差し出した。彼は、街一つを滅ぼしかけていた魔王軍の残党をあっさりと撃破した。


「……次、なんか、店に連れてってください。…甘いやつ」


 多分全部、魔族のものであろう返り血を滴らせながら、ギルドに入ってきた勇者グリードはそう言った。それを受けて、わたしは確信したのだ。


「(――――この人、同類だ!!)」


 甘いもの好きと書いて同類。

 同類と書いて甘いもの好き。

 なるほど、全てが腑に落ちた。


 こうしてわたしは、勇者グリードに高ランクの依頼を受けてもらう代わりに、甘いものをリサーチし、それを一緒に食べにいくという謎の日々を送るようになり、「勇者キラー」などという不名誉なあだ名をつけられた訳である。



「――――今日こそは払おうと思ったのに、なんで払っちゃうんですか!」

「……まぁ、流石に、女の人に払わせようとは思わないというか」


 そしてパフェを食べ終わって。


 少し席を外していたら、またしても支払い戦争にわたしは負けてしまった。


 くそ、この勇者、支払いも最速なのか……!?「光速の加護」を持っているからって……!


「そういうの、よくないですよ!…というか、勇者グリードは、ギルドの依頼をこなしてくださっているんですから。払わせてください」

「でもそれ、ギルドの経費じゃないですよね?エマさんの個人資産?」

「まあ、そうですけど……。でも、勇者グリードがわたしの名義で依頼を受けてくださるので、査定も爆上がりです。なので、昇給した分は、勇者グリードが貰ってくださらないと!」

「あ。ちゃんとそこは反映されてるんすね、良かったです」


 ぴょんぴょん跳ねて抗議するわたしに、勇者グリードは笑いながら言った。


 ……実は最近、このダウナー勇者様が笑うと少しばかりどきりとしてしまうので、ちょっとまずいのだ。


 だって、あくまで、勇者グリード的にこれは仕事の報酬である。それもメインは甘いもの。わたしが甘いもの通なだけなのだ。


「(……そろそろ、潮時かもなぁ)」


 勇者グリードには、すごくお世話になった。


 彼的には、ただの討伐報酬を受け取っているだけかもしれないけれど、わたしは、彼がわたしの名義で依頼を受けてくれるおかげで査定もぐんと上がった。

 ギルド長も今ではわたしをものすごく褒める始末である。


 それに、いつも一人でスイーツを食べているだけでも幸せだったけれど……こうして彼とスイーツを食べると、より美味しく感じられた。


 そんな時間をくれたことも、他愛のない話を、勇者様である彼がわたしみたいな一般人としてくれたことも、何もかもが嬉しかった。


 退廃的なその見た目で、勇者でありながらもあまり評判は良くない彼の性根が、すごく、優しいことも分かった。


 ……だからこれ以上は、ダメだなあと思った。これ以上いたら、よくないものが芽生えてしまう。


 恋愛感情だけならまだ、いいけれど。

 それには大体、嫉妬やら執着やら、そういう粘っこいものがついてきてしまうのだ。店を出ながら、わたしは、そういうことを考えていた。


「エマさん」


 勇者グリードが、突然わたしの肩を抱いた。


 不本意ながら、よく小動物に例えられるぐらいの背丈と肩幅しかないわたしは、彼にすっぽり覆われるようになってしまう。


 瞬間。わたしのすぐ脇を、馬車が通り抜けていった。彼はそれに気づいていたのだろう。


「……馬車。…すいません、急でした」

「あ、ああ!…い、いえ!…その、ありがとう」

「怪我、ないですか」


 視界の端に、彼の端くれ立った手が写り込んだ。ぱっと、手が離れて、彼が車道の側に立った。


 離れていく手のひらに、剣だこが見えた。彼が剣を振るっているのを見たことはないけれど、……努力を重ねなければ、こんな手にはならないだろうなぁと、素人のわたしでもわかる手だった。


「大丈夫。元気いっぱいです」


 拳を握り込むと、グリードが笑った。

 ダークグリーンの目の奥が、やさしく細まる。光を浴びて、灰色の髪がふわりと光っていた。


「……ん、…なら、よかった」


 ――――ああ、だめだなあ。

 わたし、この人のこと、好きだなぁ。


 優しいひだまりみたいなその笑顔で、わたしは、自分が()()()()()()()()ことを、自覚してしまったのだ。


✴︎

「あれ、エマちゃん、こっちに来たの?」

「はい、かくかくしかじかで」


 「なにそれ」と笑う冒険者さんに、わたしはにへらと笑顔を返す。この人のランクは……ほうほう、Bランク。勇者グリード(チート勇者)ばかり見ていたから感覚が麻痺していたけど、かなり良いランクだ。冒険者ギルドでも、上位30%以内に入る。


 依頼をおすすめして、「お気をつけて!」と言って、次の人を迎える。……うん、全く変わりのない日常だ。あれだけ激動だった半年はなんだったのだという気持ちになる。


 わたしは、今、隣町の冒険者ギルドで働いている。

 転職した訳ではない。どちらかといえば異動に近いのだが、その理由は、


「貴方、私と交代してくださらない?」


 と、絡まれたからである。

 わたしにそう言って来たのは、ミレイさんという名前の綺麗な女性だった。彼女はここ、隣町の受付嬢で、そこでアイドル的な人気を誇っていたらしい。


 以前いた王都でのギルドの営業が終わった後、彼女は美しく巻いた髪を靡かせながらつかつかとカウンターにやってきて、こう言った。


「貴方、勇者グリードに取り入っているそうじゃない。…分かっておりますの?あなたのような貧相なちんちくりんが見合うお方ではありませんのよ」

「貧相は関係なくないですか!?」


 思わず、ミレイさんのばいーんとした胸を見ながら言い返してしまったのだけれど、まあ、確かに。

 これは良い機会かもしれないと思って、わたしは頷いた。


「あ、ではミレイさんにわたしのおすすめのスイーツショップを伝授させていただきます」

「どういうことですの?」

「……フフ…勇者グリードと話すにはこれなんですよ…」


 と、ミレイさんにスイーツショップを叩き込んだのだ。最後の方、ミレイさんはげっそりしながら「最近甘いものの夢ばかり見ますわ」と言っていたので、背中をさすっておいた。


 高飛車なだけで悪い子では無かったので、それもわたしの決心を加速させた。ギルド長の静止を振り切って、わたしはこの隣町に異動してきて――――二週間が経った。


「(それにしても、平和だなぁ)」


 まるで魔王が死んだ直後のようだ。

 魔王が死んだ直後は魔族たちも大人しくて、ギルドは暇だった。


 また暫くして、最近は魔族も徐々に活動し始めて忙しくなっていたのだけれど……そういえば、その割に、うちのギルドは穏やかだった気がする。


「(勇者グリードのおかげだなぁ、本当に。あの人、依頼を片付ける速度がおかしいんだもん)」


 あの勇者さまは、依頼を受けるまでは長いのだ。


 だが、わたしがスイーツの情報をチラつかせてふんすと息巻くと、「じゃあこれとこれとこれ」と、Sランク依頼を適当に取って、ギルドを出ていく。


 お茶を飲む時間もないぐらいで、勇者グリードは帰ってくる。彼は大体いつも、どさどさと戦利品のドラゴンの心臓やらなんやらが入った袋を換金係に渡して、わたしのカウンターの前に立つのだ。


「おかえりなさい!ご無事でよかったです」


 受付嬢の常套句である。


 勇者グリードにこれを言うこと自体が失礼なような気がするが、つい言ってしまう。彼の強さは充分知っているつもりだけれど、いくら強かろうが無事で良かったぐらいは言わせてほしいのだ。


「………ん」


 カウンターに腕を乗せる形でしゃがみこんだ彼が、口をぐあ、と開けて指差した。


 ははあ、これは、あれですね!とわたしはクッキーを取り出すと、勇者グリードの口にそっと挟み込む。


 勇者グリードは、クッキーを齧ると満足そうにした。……なんだか、喉を鳴らす猫みたいだなぁと思って、少し笑ってしまった。かわいい。


「(クッキー食べるのも面倒臭がるんだもん、勇者グリード。すごいよね)」


 最早よく社会生活を送れているなと感心すらしてしまう。スイーツ好きの癖に、情報を集めるのも嫌だし。多分わたしと一緒に行っていたのも、店員さんとの会話が面倒臭かったんだろう。


 思い返すとやはり少し、寂しくなる。


 彼は元気でやれているだろうか。ミレイさんからは初めの三日が終わった後で手紙が届いて、それっきりだ。勇者グリードと少し話せたとか、そういうことが書いてあった。


 それから、王都のギルドは思ったよりも忙しかった。失礼なことを言って申し訳なかったという、わたしへの謝罪も。


 いいのに、と思ったけれど、悪い気はしなかった。それに。


「(もうちょっと悪い子だったら、応援できなかったのになぁ、とか思っちゃうわたしの方が、性格悪いよね……)」


 ずぅんと気分が沈む。


 雨がしとしと降っているような勢いで落ち込むわたしを、ひそひそとギルドの同僚と、冒険者たちが囲む。「失恋か?」とか聞こえてきた。こらこら。わたしだって怒ることはあるんですよ!


 その後わたしの周りにこそこそとお菓子が置かれ始めたので、すぐに許してしまった。


 もぐもぐと食べ始める。甘味。やはり甘味は最高である。周りから「リスだ…」「確かに…」とか聞こえてきたが、お菓子の力があれば黙殺できてしまうのだ。


「…………え?おい、あれって…」

「ミレイちゃん!?」


 ぽろり。クッキーがカウンターの上に落ちた。


 わたしはそれを慌ててハンカチで包むと、きょろきょろとあたりを見渡した。よたよたと、負傷でもしたように肩を抑えながら歩いてきたのは、ミレイさんだった。


「ミレイさん!?どうしたんですか!?」

「……………エマ先輩…」


 うそ、先輩って言われちゃった。ちょっと感動。


「(……じゃなくて!)」


 首をブンブンと横に振って、わたしはミレイさんを観察した。


 そうだ、ステータス!何があったかを一発で知るにはそれが早い。冒険者ギルドの関係者はみんな登録されているし、職員であるミレイさんも、当然登録があるのだ。


 『ミレイ・クロラ(Age:18)

 レベル:21

 HP :125/125

 MP :1/100

 称号 :「ギルドの受付嬢(アイドル)

 加護 :「カワイイ⭐︎加護」

 異常 :「魔王の天災(永続的にMP減少)」』


 ほうほう。流石ミレイさん、「カワイイ⭐︎加護」とか初めて見た。かわいいもんね、わかる。というか、一個下だったんだ。そうなんだ。そう言われると、確かに、そういうところがある。


 実はわたしも、最近ちょっと、ミレイさんに庇護欲みたいなものが湧いてきて……。


「いやそれどころじゃない!何ですかこの、〈魔王の天災〉とかいうバッドステータス!?」


 とんでもなさすぎる。


 MPというのは第二の生命力なのだ。

 HPが0になったからと言って死ぬわけではないけれど、半分を切ると体を動かすのが億劫になって、一桁にもなるともう、ほぼ起き上がれない。


 そう考えるとミレイさんはよくここまで歩いてきたなと、感心するレベルである。


 ミレイさんががくりとカウンターに崩れ落ちたので、その体を抱き抱える。細腕がわたしの腕をがしっと掴んだ。


「ミレイさん、しっかり!何があったんですか!?襲撃!?」

「魔王が………勇者で…魔王で……うっ…」

「しっかりー!!あああ、ごめんね、わたし回復魔法全然使えないから…!」

「エマ先輩……わたしが悪かったので…はやく…、あれを…止め……」


 がくり。

 ミレイさんが崩れ落ちる。


「助けてくれー!!」

「もう嫌だ〜!王都ではやってられねえ、俺はこっちに移籍する!」

「なになになに、なんですか!?」


 混乱を極めるわたしの頭に、更に情報が叩き込まれる。


 ちりん、ちりん、ちりん。何度もギルドのドアが開く音がしたかと思うと、雪崩のように冒険者たちが入り込んでくる。


「こっちにまともな依頼はあるか!?」

「ま、まともな依頼とは……?」

「俺たちがやれそうなやつだよ!ドラゴンの討伐でも、魔王軍の残党一大隊の討伐でもないやつ!王都はそんなんしか残ってねえんだ!」

「な……なぜ……?」


 確か、王都には難易度の高い依頼が舞い込む。


 だが、そんなヤバい依頼は普通はあまり来ないのだ。来たとしても、勇者グリードがあくびをしながら片付けていて……あ。


「……もしかして、受けてくれてないんですか?勇者グリード…」

「ひぃっ」


 なぜかその名前を出した途端、周りの人が一斉にわたしから距離を取った。「魔王陛下万歳!」と叫んだってこうはならない。


 とりあえず、ミレイさんをカウンターの奥の椅子にそっと座らせてから、わたしは先ほどの冒険者に相対した。


「あの、どうしたんですか?教えてください、勇者グリード……待ってください、まさか、勇者グリードに何かあったんですか!?」


 そうなのかもしれない。


 だって、ミレイさんにスイーツは叩き込んである。それがあるなら、大の甘党の勇者グリードは依頼を受けるはず。


 でも、彼が依頼を遂行できなかったから、王都は高難易度の依頼で溢れかえっている、のではないだろうか。「魔王の天災」などという、ミレイさんを侵したバッドステータスもその影響なのではないか。


 嫌な想像がぐるぐると駆け巡る。


 わたしは咄嗟に、目の前の冒険者の服を両手で掴んだ。勢い余って、抱きつくような姿勢になってしまった。


「教えてください、勇者グリードに何か……!」

「ヒィ、や、やめろ!触るな!離せ!」

「話してくれたら離します!話してくれないなら、わたし、ずっとあなたに抱きつきますからね!」

「や、やめろ、そういうことを言うな!()()()()()()()……!」

「奴?奴って誰ですかっ?」


 必死にわたしを引き剥がそうとする冒険者のお兄さん。そして必死にしがみつくわたし。


 謎の構図で格闘を繰り広げていると、冒険者のお兄さんの動きが、ブリキの人形みたいに固まった。


「あ……あ、あ、ああ…あああ…………」


 とてつもなく恐ろしいものを見たような顔。それと同時に。


「ひっ」


 今度は、わたしが悲鳴をあげる番だった。目の前の冒険者のお兄さんの顔が、みるみるうちにやつれていったのだ。


 まさか。ステータスを盗み見れば、お兄さんには「魔王の天災」が付与されて、みるみるうちにMPが吸い上げられて、彼はわたしが支える間もなく、倒れてしまった。


 周りの冒険者たちも、一様に同じ反応を示していた。魔力が吸い上げられる者、寒さに震えるようにしゃがみ込む者。


 わたしは、なぜかまだその"呪い"に侵されていなかった。状況を把握するべく、自分のステータスを閲覧した。


 『エマ・エバンズ(Age:19)

 レベル:15

 HP :99/99

 MP :99/99

 称号 :「ギルドの受付嬢」「甘いものマスター」

 加護 :「勇者の祝福(全状態異常無効)」』


「(久々に見たけど、わたしって、勇者グリードの1000分の1しかHPとMPないんだ…)」


 まじまじと見ると己の雑魚さに驚いてしまう。


 ……ではなく。気がつくべきなのは、加護だ。


 〈勇者の祝福〉。

 全く、見覚えがない。効果は――――全状態異常無効。わたしのような一ギルド職員が持っているべきではない、一級中の一級の加護だ。


「勇者グリード……」


 じんと、目頭が熱くなった。

 魔王の呪いなどというバッドステータスがわたしに効かないのは、勇者グリードが、わたしにこんな加護をくれていたからだったのだ。


 ごしごしと目頭を拭って、わたしは、"奴"に相対するべく、ギルドのドアを睨み付けた。冒険者たちはみんな頽れて、呪いに侵されている。


 全く戦闘経験のないわたしでも、わかった。


 ――――このドア一枚を隔てた向こうに、"奴"と呼ばれていた、呪いの主人がいる。


 ごくりと、唾を飲み込む。


 きょろきょろあたりを見渡した。


 なにせ、ここは腐っても冒険者ギルド。

 武器になるものはいくらでもあったし、倒れている冒険者の剣を拝借するとかもあったはずなのに、悲しきかな、わたしはなぜか、スイーツのポスターを丸めて手に持って、カウンターを飛び出した。


 ステータスだけでなく、発想すらも雑魚である。


「(怖い。怖い。怖いけど……負けるもんか。この扉の向こうに、ミレイさんを、みんなを……勇者グリードを手にかけた奴がいるんだから…!!)」


 ちなみに、誰一人別に死んではいない。


 誰かしら口を利けたらそう言ったかもしれないが、誰も口を開ける者はいなかった。


 凍えるような冷気が、ドアの隙間から吹き込んできた。


 禍々しい、闇色の霧のような魔力。


 気を抜いたら失禁しそうだったけれど、なんとか耐える。わたしを支えるのは、勇者グリードの優しいダークグリーンの瞳だった。


 彼を傷付けた者に、せめて一発は入れてやろうという使命感。


 この時ばかりは、わたしは、死地に向かう勇者だった。


「(……来る!)」


 ぎぃ、と、ドアが開いた。――――先手必勝!


 入ってきた人物は、男の背丈だった。


 やはり魔王!魔王は男性体だと聞いたことがある。禍々しいオーラに覆われていて見えなかったけど、多分そう!

 

 わたしは、相手を確かめることもせず、思い切り、お手製の攻撃力1、チラシを丸めただけの棒を振りかぶって――――!


「え」


 隈が更により一層濃くなった、ダークグリーンの瞳を、認識した。


 慌てて止まろうとしたが遅かった。


 走り出したら急には止まれないのだ。なんとか手首の軌道を逸らそうとしたが上手くはいかない。


 だめです、お願い、避けて、勇者グリード!そう思ったが、よく考えれば、自分の1000分の1のHPしかない奴の攻撃を彼が見切れないわけがないのだ。


 あっさりと首を軽く動かしてわたしの攻撃を彼は躱す。


 ほっとしたのも束の間、今度は両手で筒を振りかぶったわたしが体勢を崩した。前のめりに転びそうになる。これは、絶対、顔面から行くやつ。


 何度かやらかしたことのある予感に目を瞑る。

 

「………エマさん」


 ……が、衝撃は訪れなかった。

 固く瞑った目を恐る恐る開ければ、勇者グリードがわたしを抱えていた。


 いわゆる、お姫様抱っこである。いつもなら状況に驚いているだろうけれど、それどころではなかった。


 わたしは、その体制のまま、勇者グリードの頬を両手で包み込んだ。


 相変わらず、隈が色濃く刻まれた瞳。

 髪はいつもよりもボサボサだ。少しやつれているようにも見えるその姿に、視界が潤んだ。


「勇者グリード……っ、怪我は!?怪我してないですか!?」

「……別に、してないですけど…」

「よかった……」


 心の底から、安堵の声が漏れた。


「…お嬢ちゃん……そいつは…危険だ…そいつが…そいつが、この呪いを…」

「そうだ、俺たち、みんなそいつに…っ」


 床に伏した冒険者たちが、わたしに手を伸ばしてきた。そいつって、この人?勇者グリード?いやいやまさか。そう反論する前に。


「チッ……」


 物凄く鋭い舌打ちが聞こえてきた。――――頭上から。

 いやまさか。そう思って顔を少しばかり上げれば、そこには、魔王の如き眼光をした勇者グリードの顔があった。


 ダークグリーンの瞳には、シンプルに殺意しかなかった。


 勇者の顔をしていないと言われ続けている彼だけれど、わたしですら「これは勇者がしていい顔じゃない」と断言するレベルの、殺意と怨念の籠った顔である。


 わたしが凝視していることに気がついたのか、彼は、わたしと目が合うと、少しばかり気まずそうに、ぎこちなく微笑んだ。


 空気を読まなすぎる心臓がトキメキを感じたけれど、ときめいている場合ではない。


「ゆ、勇者グリード!」

「なんですか」

「ほ、ほんとにあなたがやっちゃったんですか?」

「やっちゃった…?……すいません、かわいい顔で言われても、何のことか…ちょっと待ってください」

「かわ」


 思考停止するわたしをよそに、勇者グリードは自分のステータスを確認し始めた。


「あぁ、これか。…魔王殺した時にぶんどったやつだな……範囲内の魔力無差別に奪うやつ……無意識に発動しちまった」


 ぶつくさ凄まじいことを言いながら、彼は手を翳した。光の魔力が、その掌から発される。


 倒れ伏していた冒険者たちが、徐々に、意識を取り戻し始めた。


「……魔力分けたんで、大丈夫だと思います」

「よ、よかったです。…でも、結構いますよね?そんなに分け与えて平気なんです……?」

「大丈夫です。MPは10000ぐらい使いましたけど、もう全快したんで」

「そういえば勇者グリードって、自動回復しましたね……1秒にMP5000とかいうヤバイ数値で…」

「まあ…大したことないですよ」


 それで大したことがなければ人類は雑魚以下の何かである。さらりとそう言い放った勇者グリードは、そのまま、わたしを見つめて、小首を傾けた。


「それより、…なんで、行っちゃったんですか」

「え?」

「エマさんがいなくなって……俺、すごく探したんですけど。あのギルド長は、「エマくんが言っていないのなら教えられません!」とか言い出すし。…壁に〈地獄の雷撃魔法(ヘル・テンペスト)〉ぶつけても吐かなかったですよ。まともに改心したんすかね」

「雷の…最上位魔法を……?」

「加減はしましたよ。エマさんが王都に帰ってくる時困るかなって思って、ギルドの跡形残したし…」

「まってまってまって、半壊?半壊はしてるんですか?」


 聞き捨てならない。わたしがそう縋り付くと、勇者グリードは、わたしを抱き抱えたまま、目を逸らした。


「……………後で建物の時間戻しときます」


 チートだからって何をやってもいいわけではない!が、そっぽを向く顔をかわいく感じてしまったので、わたしというやつも救えないかもしれない。


「……あの、勇者グリード」

「グリード」

「…いや、えっと?」

「グリードって呼んでくれたら返事します」

「……グリード…さま?」

「………」

「グリード……さん」

「まぁ、はい。………エマさん、俺ずっと考えたんですよ。なんでエマさんに置いてかれたのかなって。楽しくなかったのかなとか思ったけど、俺の自惚れでなきゃ、エマさんは楽しそうだったし。で、考えて、考えて、考えて…もう、魔王の倒し方よりも考えて……分かったんですよね。俺、肝心なこと言ってなかったなって」


 肝心なこと。肝心なこととは?わたしの頭は疑問符でいっぱいである。


 勇者グリードが、わたしをいつになく真剣な顔で見た。少しかさついた唇を開いて、閉じる。それから、意を決したように開く。


「好きだ。ずっと、あんたが好きです」

「……………………え、」


 勇者グリードは、わたしが次に何を言おうとしたのか察したようだった。


 拗ねたように口を尖らせた後、こつん、とわたしの額に、額をぶつけてきた。


「俺、…別に甘党じゃないんですよ、エマさん。……あんたと、一緒にいれるのが、その時間だったから」

「……それは、…つまり、勇者グリードが…」

「グリード」

「ぐ、リードさんが、好きなのは……」


 彼が、わたしを見つめた。ダークグリーンの瞳の奥。気怠げなその瞳の奥に、たしかに、燃えるような色を、わたしは見た。


「…だから、あんたが好きなんですよ。ずっとね」


 時間が止まった気がした。


 わたしは、じっと、彼の瞳を見た。彼も、わたしの瞳を見つめている。何も考えられなかった。あまりの衝撃に、突然の幸福に、体が、心が、驚いて――――。わたしと、彼の唇が、少しずつ、近付いた。


 わたしも、肝心なことを彼に言っていないことに、そこで気が付いた。


「わ、…たしも、あなたが、好き。…だいすきです、グリードさん」


 思わず、言い逃げをするように、わたしは目を閉じた。彼が、ふ、と笑う気配がした。


「……え、あのお嬢ちゃん、気が付いてなかったのか?」

「好きな子に逃げられてマジギレしてヘラって天災化してただけなのにな、あの勇者様」


 そしてわたしたちの唇が触れ合って――――ついでに、世界最強の〈地獄の雷撃魔法(ヘル・テンペスト)〉がギルドを全壊させた。


✴︎

 結局、わたしは王都のギルドに戻った。


 ミレイさんがあの後、突然「わたくしは、身近にあるべきものの大切さに気がつくべきでしたわ…」と、謝罪と共に頼み込んできたからだ。

 被害者なのだし、そんなに謝る必要はないのではと思ったのが記憶に新しい。


 ――――ギルドの日常は、びっくりするほどに変わらない。


「……嫌っすね。今日、討伐とかやる気ないんで…」

「お願いします!あなた様しか、この依頼を達成できる人はいないんです!……そこをなんとか!このままでは、私の首が……!!」

「はあ……本当に、いないんすか?ドラゴン三頭の討伐ぐらい……」


 相変わらず勇者様はやる気がないし、ギルド長の首は毎回飛びかけているし、ドラゴンの数はなんかしれっと増えている。


 わたしは王様のように、ざっ、と開いた人混みの中を進んでいく。


「ドラゴン三頭ですよ、三頭!!もう王国の全軍でも太刀打ちできるかどうか!あなた様のお力でなければ…!」

「いや、俺はなんか、スライムとか倒すんで…」

「なんでゴブリンよりも格が低い魔物を倒し始めるんですかあなたは!」


 ギルド長、やっぱりここはわたしに任せてください。


 わたしは喧騒の真ん中に一歩踏み出す――――そんな私の肩を掴む人がいた。年若い少女だった。


「やめなよ!危ないよ、あそこにいるのは、その、本当に強くなさそうに見えるかもだけど、ギルドで唯一のSSSランク、"勇者"――――」

「大丈夫。――――知ってます」


 ニッと、わたしは笑う。

 あっけに取られる少女を、周りの冒険者たちが宥めていた。


「どういうこと!?みんな、どうして行かせるのよ、あんな小さい子を――――」

「ふふ、それは、それがあの子の使命だからだよ!」


 本当に何も変わらない。


 わたしの背は相変わらず小さくて、女の子呼ばわりされる。ギルドに入って少し年季が経った人はすぐに先輩風を吹かす。今あの少女に自慢げに語ったのは、昔わたしを同じようなセリフで止めてくれた新米冒険者の彼だ。


 ギルド長がわたしを見て、ほっとした顔をした。

 ――――任せてください、ギルド長。最近、お子さんが産まれて、早く帰りたいんですもんね。


「グリード!」


 グリードが、弾かれたようにわたしに顔を向けた。


 気怠げな顔は変わらず。色濃い隈も変わらず。あの事件から少し経った後に「どうしてわたしのことが好きになったんですか?いつから?」と聞いて、はぐらかして来た笑顔も変わらず。


 こんなに何もかもを面倒臭がる彼が、魔王を倒した、その理由を聞いて「エマさんが言ったからですけど、詳しくは覚えてないなら教えてあげません」と言い放ったギルティさも相変わらず。


 ……本当は、()()()()()()()()()()()()()()()()()を思い出したけれど、口にしていないわたしのずるさも、相変わらずだ。


 ――――今だ!

 武器は持たない。だって、わたしは最強の武器がなんなのか、知っているのだ。


「……ハグしてあげます!その、…その他にも、いっぱい!」

「ドラゴン、100匹殺せばいいですか?」


 変わらないものの中で、わたしたちの関係は変わった。……主に、グリードを釣るためのものが変わったのだ。


「………なんなの?あれ…」

「ふふ、知らないんだね、お嬢ちゃん。教えてあげよう」


 まあ、ギルドのベテラン風を吹かす人って、やっぱりこうだ。

 もう気にならなくなってきた。それよりも、彼が言うであろう、わたしの()()()()()の方が、やはり嫌だ。


「あの子はね、勇者キラーなのだよ!」


 人をドラゴンキラーだとか、そういう武器みたいに言わないでほしい。わたしはなんとも言えない顔をした。


 グリードが、わたしを後ろからぎゅう、と抱きしめた。報酬の前取りはギルドでは禁止されているのだ。わたしは、彼をじとりと睨む。


「そうですね。俺を殺せるのは、エマさんだけ」


 相変わらず、気怠そうに。なのに、はっきりわかるほどに甘ったるい声色で、彼は囁いた。


 ……お互いの好きなものを把握しているのだから、わたしたちは、タチが悪い。


 わたしは肩を竦める。

 体を捻って、世界一愛しい勇者さまの、色濃い隈を指先でなぞった。


 限定のイチゴパフェよりも、いつかあげたクッキーよりも甘く。グリードは、嬉しそうに微笑んだ。

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