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「コールドスもそうだけど、マッスイィーンはもっと凄いもの。大がかりなもの。いくら古代エルフの謎技術でも、手の平サイズのコンパクトな道具なんかには、流石にできないと思う。据え置きの大がかりな設備になるはず」
「まあ、そりゃあな」
「だから多分、ここ全部よ。この一帯、森一つぐらいが丸ごと、異空間かつマッスイィーン。時間の川を、加速して下ることのできる船。彼女らは、これに乗って過去からやってきた。で、異空間に籠って、お姫様は冷やされて眠ったまま。護衛の忍者だけが、外に出て活動していた」
カナエの説を聞いて、アキカズは考える。
「お山のエルフ様として、旅人たちと交わって……情報収集か。この国のことを詳しく調べ、敵味方の存在など、安全確認を終えてから、お姫様を目覚めさせるつもりだった? その作業にどれだけかかるか判らないから、お姫様は仮死状態だったと?」
「未来へ行く立場で考えれば解るわ。到着したら、そこは世界大戦の真っ只中だった、なんてこともあり得るもの。実際、戦争はしてないけど、異変の真っ只中だった。護衛の忍者としては、これではお姫様を安心して外に出せない。まずは事態の調査を、と思っていたところで」
「俺が、コールドスを破ってしまったんだな」
アキカズは改めて、どーんと落ち込んだ。もちろん全てはカナエの仮説なのだが、もしもそれが全て正しいとしたら、そりゃあ護衛の忍者からは敵視されて当然だ。
護衛の立場から見ればアキカズたちは、安全だと思っていたはずの結界を破って侵入して、勝手にお姫様を起こして接触していた、不審者なのだから。これでは、要人暗殺未遂のテロリスト、などと思われても仕方ない。
今、行われている山狩りは、異変の解決が目的であること。アキカズたちはその一員であること。それらを解ってもらえれば、何とかなるかもしれないが。
「それにしても」
深く考え込んでいる顔をして、カナエは両手で左右から挟み込む形で、眼鏡の位置を直す。
腕に挟まれ寄せられて、重そうな胸が「むにっ」となる。
「お姫様一人、護衛一人。遥か未来で……いわば異郷の地で二人っきり。経緯は限られるわね」
そう言われると、アキカズにも思いつく。
「国の大事で、逃がされた?」
「でしょうね。他国の侵略だか、内乱だかがあって、国家滅亡の危機。何とか、その二人だけでもと逃がした。そういう理由で今ここにいるのなら猶更、安全確認に慎重になるのも解るわ」
「確かに。そして、俺が敵視されてしまったことが深刻になるわけだな」
頭を抱えるアキカズを、ぽんぽんと叩いてカナエが慰める。
「済んだことは仕方ないわよ。わたしだって、あのまま何も思いつかなかったら、ああするようにあなたに頼んだかもしれない。それより、あの二人に対してどうするか……あっ?」
唐突に、カナエが大きな声を出した。
「え、え、何これ、治ってるの?」
「どうした? 治ってるって、何が?」
カナエは、手を空間に翳しながらきょろきょろしている。
「……結界が……そっか、あの大規模召喚で受けたダメージが回復してる、修復中ってこと? だとしたら……大変! アキカズ、走って!」
カナエは走り出した。アキカズも後を追う。走りながら、カナエは説明した。
「この、エルフの謎技術の結界が、元通りの力を取り戻そうとしてる!」
「取り戻したら、どうなる?」
「あなたが結界を斬れたのは、本来なら次元の狭間にある結界の壁が、弱っててあちらの次元に漏れ出していたから! 元に戻ったら、次元の狭間に潜ってしまって、斬れる斬れない以前に刃が届かないわ! 最悪の場合、ここから出られなくなる!」
まだ、あの忍者とお姫様からの敵視が解ける保証はない。そんなままで閉じ込められたら大変だ。エルフの謎技術の結界内、どんな罠があるか判らないし、あの二人の他にもまだエルフがいるかもしれない。今はとにかく、ここから脱出しなくてはならない。
二人は走って走って、この空間に入り込んだ場所まで戻ってきた。アキカズが斬りつけた空間の切れ目が、まだ残っている。が、それが少しずつ少しずつ、まるで生き物のケガのように、埋まりつつあるのが目に見えて判る。
走る速度が落ちてきたカナエを脇に抱えて、アキカズが跳んだ。二人がひと固まりになって、もうかなり小さくなっていた空間の切れ目に突っ込み、突き抜ける。
カナエを抱き包む形で地を転がり、受け身を取ってから、アキカズは体を起こした。そして振り向くと、その目の前で空間の切れ目はどんどん狭まり、やがて消え失せた。
空を見れば、頭上には燦々と輝く太陽がある。戻って来られたようだ。
「ふう。危なかったな」
額の汗を拭うアキカズの傍らで、カナエはまだ息を切らせている。
「はあっ、はあっ、あ、ありがと」
「なんの。お前が気づかなかったら、二人とも閉じ込められてたさ。で、これからどうする? もう結界の中には入れないとなると……んっ? おい、あれ!」
アキカズが驚いて、指さす先。山中の、少し下方で火の手が上がっていた。
炊煙や狼煙ではない。明らかに火災である。それだけでも大変だが、その場所だ。間違いなくあそこは、三か所設営されている騎士団のキャンプ地の一つ。
こんな真昼間に、常時何人も詰めて警戒されている場所で、ただの失火というのは考えにくい。敵襲があったと考えるべきだろう。それも、かなりの規模の。もちろんこんな場所に、敵国の軍隊が攻めてくることなど考えられない。今、山狩りをしている騎士団のキャンプを襲う理由があるのは、モンスターたちしかいないだろう。
考えて、アキカズは言った。
「どうやら、推察通りだったようだな。異変の黒幕は、山狩りにぶつける戦力として、モンスターを大量に召喚した。これまでのモンスターたちは、普通の獣と同様、山中で偶然に遭遇した者だけを襲っていたが、今回は別。命令されて攻撃に使われている」
「そうみたいね。……で、さっきの話だけど。あの二人に対してどうするか」
カナエもアキカズと一緒に火の手を見ながら、丁寧に説明した。
「私はあの異空間のことを、穴の底に例えたけど。それは、重なってる別次元というのを解り易く説明する為。実際には、どちらも完全に同じ地点で、被ってるの」
「?」
何で今そんなことを、とアキカズは思ったが、話の続きを聞くことにする。
「それを解ってもらったところで、次の例え話よ。川の中に、網の板を四枚、四角形に立てて囲ってるようなもの。魚たちは内と外で区切られてるけど、川の水は同じものが流れてるわよね。あの結界もそう。草や木は別物でも、吹く風や降る雨なんかは共有されてるはず」
「つまり、こっちが曇り空になれば、向こうも暗くなり、こっちで雨が降れば、向こうでも地面が濡れるのか?」
「ええ。あの空間、全部がマッスイィーンだって言ったわよね。つまり造った物であり、いわば山小屋よ。植木はまだしも、お日様や雨雲まで自前で用意するのは、無理があるでしょ」
確かにそうだ。だから、日光だけは存在したが、太陽はなかったわけか。さっきの例え話で言うところの、川の水は網の囲いの中にも流れて来るということだ。
だが、だから何なのか?