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「普通は人体にも、山や海にも、膨大な数の神様たちがいて、相互に影響を与え合ってるの。わたしやあなたの体内にも、常に火や水などの神様がズラリといるってこと。でもこの子の場合、氷の神様以外は殆ど眠っていて、だから心身が凍りついて、仮死状態になってるのよ」
そしてモンスターと同じ、「若いのに古い」違和感が、この子にもある。とカナエは説明した。
それを聞いて、アキカズの顔色が変わる。
「モンスターと同じ、って……もしかして、何か得体の知れない呪いとか? 魔女だったかの呪いにかかって、死ぬこともなく延々と眠り続けるお姫様の伝説、聞いたことがあるぞ!」
助けなくては! とアキカズは、棺の蓋らしき部分に手をかけた。そして、押したり引いたり持ち上げたり滑らせたりして開けようとする。が、どんなに力を込めても、全く動かない。
「く、くそ、びくともしないっっ」
「う~ん……こういうの、本で読んだことあるんだけど……実物を見ることはないでしょ、と思ってサラッと流してた、空想小説っぽいもので……」
考え込んでいるカナエに、急き立てるように、アキカズが捲し立てた。
「おいっ! この子をここから出しさえすれば、呪いを解いて体を治癒して、助けられるな? いや、もしお前にできないなら騎士団のキャンプか、あるいは街の神殿か治療院まで運んでいくぞ、俺は!」
「え、ちょっと」
アキカズはカナエを押し退けて、腰の刀に手をかけた。切れた鯉口から、まるで早朝の森の木漏れ日のように、気光の眩しい輝きが溢れ出す。
あっ、という間なく、白い気光を帯びた刀が水平に振られた。今度は、虚空を斬った時とは違い、キイイィィンと甲高い音がした。
アキカズは刀を納めると、棺の蓋に手をかけ、ぐぐっと押す。先ほどは微動だにしなかったが、今度はかなり重そうながらもずれて滑って、向こう側に落ちた。
棺が、開いた。アキカズは躊躇わず、カナエは恐る恐る、中を覗き込む。
「……冷たい」
棺の中から、ひんやりとした空気が漂って来た。氷の神様が強く作用している、ということか。つまり閉じられた棺の中で、この子の体は、ずっと冷やされ続けていたらしい。
ますますもって、カナエは記憶を刺激された。これは絶対、何かの本で読んだことがある。
「う~。もうっ。思い出せないのが気持ち悪い。何だったかなこれ」
「んなことより、目覚めないぞ。とりあえず外に出すか?」
「あ、うん。そうね。そして温めてあげれば……」
では早速、とアキカズが手を伸ばしたところで、微かに女の子が身じろぎした。そして、
「…………ぁ……」
小さな微かな声と共に、伏せられた長い睫毛が動き、ゆっくりと目が開いた。
眠っていた時の印象通りの、気品に溢れた高貴な美貌。であると同時に、あどけなく愛くるしい顔立ち。無垢な瞳が、まだ覚醒しきっていないのか、不安げに中空を見つめている。
「……う……ここは……?」
金色の髪をふわりと揺らしながら、銀色の鈴を振ったような声を漏らし、女の子は身を起こした。その目に、アキカズとカナエが映る。
どうやら目覚めたばかりで、まだ意識がはっきりしていないようだ。あるいは、こんな異常な眠り方をしていたのだから、何かの悪影響で記憶が欠如していたりするかもしれない。
とにかく安心させてあげなくては、とアキカズが思い、声をかけようとしたその時。
「姫様ああああぁぁっ!」
女の声と、殺気と、金属が降ってきた。
アキカズは素早く反応し、カナエを突き飛ばして覆い被さりながら身を伏せた。その一瞬前まで二人がいた空間を、二筋の光が斜め上から斜め下へと貫通して、地面に突き刺さる。
刀を抜きながらアキカズは起き上がり、上方にいるであろう襲撃者に向かって、油断なく構えた。その寸前に一瞬だけ、地面に突き刺さったものを確認する。
例えばそれが爆発物だったりすることもあり得るので、確認は必須だ。だが次の攻撃に備えることも大切なので、アキカズが確認の為に下を見たのは一瞬だけ。すぐに上を向いた。
が。思わず、アキカズは再度、下を見てしまった。確認の確認をしてしまった。
目を疑ってしまったからだ。なにしろ、地面に突き刺さっていたもの、先ほど二人を襲った二筋の光、敵が放った投擲武器は、十字の形をした刃物だったから。つまり、
「じゅ、十字手裏剣?」
アキカズは声に出して驚いた。だが驚き続けているわけもいかないので、アキカズはまた上を向く。
アキカズが抱いた疑問は、すぐに大部分が氷解した。十字手裏剣を放った襲撃者本人が、今度は自ら武器を振り上げて、襲って来たから。その姿を確認できたからだ。
おそらく、闇夜に溶け込むことを計算してのことであろう、漆黒よりも紺色に近い色合いの、薄い装束。とにかく身軽に動けるようにと作られたものらしく、布を越えて紙を越えて、皮膜のように薄い生地だ。それが、カナエに劣らぬほど起伏に富んで丸みを帯びた女体に、ぴったりと張り付いている。
丈の短いその装束から伸びている長い脚、その太腿は相当鍛えこまれているらしく、しっかりと太く引き締まっている。無駄な肉は削ぎ落し、有用な肉だけをたっぷり備えた、機能美を感じさせる脚だ。
カナエと同じか、一つ年上ぐらいに見えるその少女。ひっつめにした長い髪をなびかせて、華奢な背中に斜めに差した直刀を抜き放ち、アキカズに斬りかかってきた。
少女の鋭い一撃を、アキカズが刀で受け止める、と、そこで散った火花が消えぬ内に、少女はアキカズを油断なく見据えたまま、刀で押し合う力を利用して跳び、棺にピタリと寄り添った。あの、お姫様のような女の子を背に庇う体勢だ。
そういえばさっき、「姫様」と叫んでいた。やはりあの子はお姫様で、この少女はその護衛か何かか? と思った時、アキカズもカナエも気づいた。この少女もまた、耳が長く尖っている。
そして、棺の女の子が少女を見上げて言った小さな声に、
「……メル? メル、よね? 一体何がどうなって……」
アキカズは仰天した。メル、というのはあの、お山のエルフ様の名だ。ということは?
「姫様、話は後です!」
少女は、装束の胸元の深い谷間から、小さな黒い玉を取り出すと、地面に叩きつけた。軽い爆発音とともに、破裂した玉は大量の白い煙を吐き出して、周囲を覆い尽くしてしまう。
カナエは素早く、煙を晴らすべく神通力を使おうとした。が、
「風の神様、御力を!」
「風の精霊よ、集え!」
カナエが創り出した旋風は、少女の創り出した烈風で斬り裂かれた。煙を八方に吹き散らすはずだった風が、相殺されて消滅、あるいはその場を囲むように曲げられてしまい、この空間での煙の維持を許してしまう。
とはいえ煙は煙、強風は強風だ。煙が二人の視界を遮ったのは、せいぜい呼吸が一つ、二つという程度の間だけだった。が、どうやらそれで充分だったらしい。
煙が風に散らされた時、そこにはアキカズとカナエと、空の棺しか残されていなかった。
「……」
しばし、呆然とした後、まずカナエが声を出した。
「聞こえた? メル、って呼んでたの。それと、見た? あの耳」
アキカズが頷いて、答えた。
「お山のエルフ様の名だな。そしてあれは、エルフの耳。そういえば服装とか、獣と戦う時に使っていた武器とか、そんな詳しい話は出てなかった……この大陸の人たちは知らないから、表現できなかったのだろうが……なんで忍者なんだ? どう見ても忍者だぞ、あれは!」
「いや、それは別に、驚くようなことではないでしょ」
混乱しているアキカズとは対照的に、カナエは冷静だ。