4
魔術師が使う魔術の源は魔力、僧侶が使う法術の源は法力。魔と法、二つの総称が「魔法」であり、それはこの大陸の多くの人々が知っている。魔術や法術の使い手は多い。
だが魔力や法力の源が、魂に直結する気の力、気の輝き、「気光」であることは知られていない。水を熱すれば蒸気となり、水を冷やせば氷になるが、魔力や法力にとっての気光は、その水の立場なのである。ゆえに気光は、蒸気の性質も氷の性質も持っており、魔術や法術を斬り裂くことも、後押しすることもできる。
ニホンでは、その気光を高めて様々に使う、気光術が発達している。今アキカズが刀に宿らせている白い光がそれだ。カナエの神通力も、気光を高めることで、本来は人間の声などは届かないはずの、異次元の存在と交信しているのである。
白光を帯びた刃が、上から下へと虚空を斬る。音はしなかったが、アキカズは確かな手応えを感じた。
すぐさまアキカズは一歩下がり、しばらくじっと構えたまま警戒する。それから静かに、刀の光を消して鞘に納めた。
その真正面の虚空が、縦一文字に斬れている。細い細い一文字であり、水のように透明ではあるが、水のように、そこにそれがあることは判るのだ。
二人は頷き合うと、まずアキカズが、続いてカナエも、そこを潜った。
まるで滝の向こうに行くように、透明な何かの向こうへ、二人の姿が消える。
今。アキカズとカナエの背後には、縦に長い透明な、空間の切れ目がある。それを潜って、一歩二歩と踏み込んで、二人はここに来た。
二人の前に広がるのは、先ほどまでと同じ、山の景色だ。草木の色、土の匂い、鳥や虫の声まで、何も変わらない。
唯一違うのは、空。晴れ渡った青空で、外と同じく少し蒸し暑いぐらいなのだが、太陽が見当たらない。太陽の存在しない異空間に、外から日光だけを引き込んでいるような。そんな印象を受ける。
「さっき、斬りつけた時の手応えだが」
アキカズがカナエに説明した。
「魔術や法術に斬りつけた時の手応えとは違っていた。となると、あれしかないよな?」
「そうね。……私は、世界中で書かれたいろんな本を読んだ。エルフと交流したことがある人の、体験談を纏めたものも読んだ。こんな結界を張れるような術で、魔術でも法術でもないとしたら、あれしかないわ。精霊術」
精霊術。それは、人間には使い手はほぼいないが、エルフは全般的に得意としている、地水火風など自然の精霊の力を借りる術だ。
カナエの使う神通力とよく似ている。というより、全く同じ何かを人間は勝手に「神」、エルフは勝手に「精霊」と名付けているだけかもしれない。だとしても、材料が同じでも職人が変われば出来上がる作品も変わるもの。精霊術と神通力が全く同じものではないであろう。
少なくともカナエやアキカズの知る限り、神通力でこんなことはできない。エルフの技術に違いない。つまり、この空間のどこかに、エルフがいる可能性は高い。二人は緊張して(アキカズはどちらかというと興奮して)歩き出した。
歩を進めていって間もなく、二人は気づいた。この空間は外と似ていると思ったが、違う。似ているどころではなく、地形から木々の形から、何もかも全く同じだ。
ふむふむ、と周囲を観察して歩きながら、カナエが言う。
「どうやらこの空間は、一種の並行世界ね」
「並行、世界?」
「ここはさっきまでいた山から遠くはなく、近いでもなく、例えば二次元的には……地図の上では、同じ地点なのよ。高い山の頂上と、そこから真下に掘った深い穴の底とは、垂らしたロープの距離はあっても、地図で見たら重なってるでしょ?」
「あの場から、真下の土中に潜ったってことか。そう言われると、何となく解る」
「ん。それから、」
カナエは、つーっと、両手で周囲の空間を撫でた。
「この辺り一帯、つまりこの空間内の、草も木も花も実も。年月を経てない、つまり若いのに、何だか古いわ。まるで、わたしたち二人だけが、100年前の景色の中に放り込まれたみたい」
カナエの分析に、アキカズが目を見張った。
「ちょっと待て。それ、まさか」
「まだ、決まったわけではないわよ。何もね」
モンスターに感じた違和感と似たものを、この空間にも感じると、カナエは言っている。
だがその感覚が正しかったとしても、異変の黒幕とお山のエルフ様が同一もしくはグルである、とは限らない。そもそもここが黒幕のアジトではないかもしれない。ここが黒幕のアジトであっても、お山のエルフ様とは無関係かもしれない。黒幕はエルフかもしれないし、違うかもしれない。どっちもエルフだが、全く繋がりはないかもしれない。あるかもしれない。
あるいは、今の二人には思いつかないような、全く別のケースかもしれない。まだまだ何もかも、不明なことだらけなのだ。
アキカズは何とか、お山のエルフ様から疑惑を外せないかと考える。
「そういえば、悪いエルフもいるって話を聞いたな。ダークエルフとかいう。もしかしたら、黒幕はそいつかも。で、お山のエルフ様と敵対している」
ダークエルフは大陸では知られた存在なので、お山のエルフ様がそうであれば、目撃者の証言から、そうと噂になっているはず。だが、そんな話は聞かない。
「ダークねえ。確かに、そんなのもいるらしいけど」
もちろんアキカズもカナエも、ダークエルフを見たことはない。普通のエルフもだが。
しかし別にダークなんかでなくても、普通のエルフにだって悪質な奴はいるのでは、などとカナエが言ってアキカズが反論する、というのが二人のいつものパターンだ。だが今はそれどころではないので、二人とも議論はしない。
とりあえず、アキカズがひとつ提案した。
「今のところ何の手がかりもないし、ここが元の山と同じかどうか確かめるってことで」
二人は、双頭蛇の鷲と戦った場所に行くことにした。
思った通り地形も道も同じであり、途中でモンスターと会いもしなかったので、二人は何事もなく到着。そして見渡せば、やはりここも同じだった。木々が途切れて、少しだけ広場になっている。景色は寸分違わないと言っていい。鷲の死骸が転がっていないことが、さっきと同じ場所ではないこと、ここが並行世界であることを示している。
が、違いはそれだけではなかった。むしろ、そんなことより遥かに大きな違いがあった。鷲と戦ったあの広場にはなかったものが、ここにはあった。
「こ、これは……?」
一言で表現するなら、透明な棺。底も天板も四方の壁も最高級の水晶だけでできているような、綺麗に澄みきった棺。それが、広場の真ん中にあった。
ここが、鷲の死骸が転がるあの現場であれば、「いつの間に、どこから、誰が、こんなものをここに持ってきた?」と混乱するところだ。だが、ここはあの現場ではない。だから、前からここにあったとすればおかしくない。よって、そういう意味での混乱はアキカズたちにはない。
ないが、アキカズもカナエも驚きのあまり固まっていた。透明なのではっきり見える棺の中身、そこに横たわっている女の子を見て、息を飲んでいた。
緩やかに波打つ金色の長い髪。陶器のような白い肌。小づくりな顔の輪郭と、細く薄い体格からして、まだ十二、三歳くらいと思われる、幼い女の子。淡い水色のドレスに身を包み、胸の上に左右の手を重ねて静かに眠っているその姿は、可憐にして高貴。幼い女の子らしい可愛らしさと、溢れんばかりの気品とを感じさせる。
そしてそして、何より何より、この女の子の耳だ。上方に長く尖っているのである。明らかに、アキカズやカナエの耳とは違う。
「え、え、え、え、えぇえぇ、えぇえぇ、」
「エルフのお姫様……なの? この子は? そうとしか表現のしようがないんだけど……」
「る、える、える、えるるえるえる、」
「何がどうなって、どういうことなの? 異変が起きてる山中の、謎の異空間で、何だか眠りについているお姫様っぽいエルフの女の子、って……とにかく、調べないと」
興奮と混乱でわたわたしているアキカズをよそに、カナエは一人で調査を始めた。
まずは両手を翳して、棺そのものと棺の中、お姫様っぽいエルフの女の子を調べる。それらがどういった存在で、何に属する物体で、生きているのか死んでいるのか、など。
「ん……生きているわね。死体には見えないと思ったけど、確かに生きてる。だとしたら……うん。死んでなくてこういう状態なら、当然……」
「当然? って何が」
ようやく少し落ち着いてきたアキカズが、カナエに聞いた。
カナエは、翳した手越しに女の子をじっと見ながら答えた。
「この棺によるものか、それとも棺に入る前に施された術の効果なのかは、判らないけど。この子の体の中の、神様たちの力が弱められているわ」
「? どういうことだ」