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びしっ、とアキカズは言い切った。
「人間に対して辛辣かもしれない。高慢とも言える態度をとるかもしれない。特に森を荒らしたら、本気で殺意を向けてくるかもしれない。でも、森の妖精たるエルフは、山の自然を弱らせてモンスターをどうこうとか、そんなことは絶対にしないっ!」
「だからそういうのは、いわば童話の設定であって、現実のエルフはどんなものだか、まだまだ未知なんだってば。妖精でも何でもなく、ただ耳が長いだけの一つの人種で、大昔に戦争に負けて隠れ住んだ少数民族という説も……まあいいわ」
こういう議論はニホンにいた頃から何度もしてきたので、カナエもアキカズも、互いに意見の一致をみないことはもう解っている。それでも今のように、言わずにいられなくなってしまうこともある。
二人はまだエルフと会ったことはないが、大陸の人間は少ないながらエルフと関わりを持っている。その中で、近年になって古い言い伝えはだいぶ改められつつあった。少なくとも、千年か無限かと言われていた寿命は嘘(というか人間側の勝手な幻想)であり、実際には百年あるかないかだということが、もう知られている。
アキカズもそれぐらいは知っているが、「そんなの、気高い妖精であるかないかの基準には関係ないっ! 寿命が百年弱なのは人間だけの特権、なんてことはないんだから! むしろ、将来結ばれた暁には、同じ時を過ごせるってことで好都合というもの!」と言い張っている。
そんなアキカズとカナエだが、何がどうあれ目的は同じ、エルフに会うこと。実際に会って話をすることができれば、当のエルフからいろいろ聞けるだろう。
今の仕事、山の異変の調査についてもそうだ。「お山のエルフ様」が敵であれ味方であれ、その出現が異変と全く無関係、ではないと思われる。こんな奇妙なことが、何の関係もなく偶然、同じ山で起こるなどというのは不自然すぎる。異変の黒幕ではなくても、何か知っているだろう。その点からも、やはり会って話を聞きたい。
だが彼女はモンスターと同じく神出鬼没、山のどこで会えるかは判らない。モンスターはおそらく、例の「毒」の場所から現れていると推測される。が、そこから山中を自由に徘徊するのだから、モンスターの目撃地点などは手掛かりにならない。エルフ様との遭遇場所も同じことだ。山の中のどこかにはいるだろうが、判っているのはそれだけだ。
モンスターの出現、おそらく召喚であろうが、その瞬間に立ち会うことができれば。いや、現場で目撃できずとも、その時を知ることができれば……と思っていたら、
「あ……っ?」
カナエとアキカズが、同時に声をあげた。
山の、自然の声に聞き耳を立てていたカナエと、足から大地の気配を探っていたアキカズとが、同時に異変を感じたのだ。
大きく広げられた白い紙に、黒い液体の塊を一つ、ボトリと垂らしたような。その浸食で、紙に穴が空いていくような。
その空いた穴から、何かが多数、這い出して来るような。これは……
「……来てる……詳しい場所までは判らないけど、今、確かに、来てる……」
「ああ、俺も感じる……だが妙だな。こんなことが、今までこの山で、モンスター召喚時に毎度毎度、起こっていたのか? 俺にまで、こんなにはっきりと感じられるものが?」
アキカズは首を傾げた。
「これほどの大袈裟なものだったら、この国の魔術師なり僧侶なりが大勢、もっと前から感じ取って、とっくにしっかり調査してるはずでは?」
アキカズもカナエも、この山狩りがカンズィートでの初仕事というわけではない。騎士団の雇われ冒険者として、既にいくつかの事件に当たっている。その際に騎士たちも、王宮に仕える魔術師たちも、神殿勤めの僧侶たちも、フリーの冒険者たちも、間近で見てきた。
彼らは皆、ニホン人であるアキカズやカナエとは流儀は違えど、それぞれに確かな腕を持っていた。今のような、こんな大異変が何度も起こっていたならば、決して無能でも無力でもない彼らが、気づかぬはずはない。
これはどういうことなのか。カナエは異変の気配を探りながら、考えた。
「きっと今のこれは、過去にない大規模なものなのよ。今まではずっと、もっと、目立たないよう、知られないよう、小規模にちまちまやってたんだと思う。間を空けて少しずつ、モンスターを呼んでいた。だから、こんな風に感知されることはなかった」
「今回だけの特別版ってことか? もしかして黒幕が、山狩りに対抗してるとか?」
「それが一番、合理的な考えね。わたしたちを追い払う、山狩りを諦めさせる、あるいは皆殺しにする戦力として、一気に多くのモンスターを呼び込んでいると……あ」
異変が、止んだ。先の、紙に開いた穴は、もう塞がっている。
だが今の一時、「山に打ち込まれた毒」が濃くなったのを、カナエは確かに感じた。その余波であろう、草木も虫も獣も、風も川も、一層苦しんでいる。
「ぅあっ……く」
「お、おい。大丈夫か?」
少し、顔色が悪くなったカナエを、アキカズが心配そうに見ている。
カナエは頭を振って答えた。
「平気。ちょっと、気分が悪くなっただけ。それよりも、これは願ってもない好機よ」
「え」
「おそらく今、かつてないほど大規模な、モンスターの召喚が行われたわ」
「つまり、多くのモンスターが山の中をうろついているってことだろ。気を付けないとな。俺たちもだが、他の皆も心配だ」
カナエは頷いて、
「そうね。けど、これだけのことをしたのなら、術の余波というか痕跡というか、何かが見つかるかもしれない。もし、召喚の門を見つけて潰せたら、黒幕さんの逮捕はできないまでも、モンスター発生については解決できるわ。また造られるかもしれないけど、とりあえずはね」
「確かに」
「何とか、探りながら歩いてみましょう。広い山だから、困難だとは思うけど……濃い痕跡が見つかることを祈るしかないわね。さ、行くわよ」
山の自然を苦しめる、謎の毒? 召喚の門? の、使用後の臭いを辿る。そんなことは、アキカズにはできない。風の神様や川の神様、ご飯の神様から便所の神様にまで通じる、巫女であるカナエにしかできない芸当である。
アキカズにできるのは、モンスターの襲来に備えての警戒だ。声なき声を聴くことに集中して歩いているカナエの代わりに、周囲の物音や鳥獣の様子などに注意しつつ、アキカズも歩き出した。
全く何の変哲もない、山の中。辛うじて獣道だけが通っている、鬱蒼と木々の茂るど真ん中。
そこで、カナエは足を止めた。目の前の、何もない空間に手を翳して、真剣に何かを探っている。
アキカズは黙って見ている。やがてカナエは目を閉じ、夢を見ているような口調で言った。
「何か、いる……何か、ある……けど、これは……」
カナエは形のいい眉を寄せ、考え込んでいる。
「異物ではあるけど、毒ではない……むしろ……うん、そう……ね」
結論が出たらしく、目を開いたカナエは前方の空間を指さして、今度はしっかりとした声でアキカズに言った。
「ここ、斬ってみて。何か結界があって、見えないし入れもしないけど、空間が隠されてるわ。本来なら、次元と次元の狭間にあるはずの結界の壁が、この部分だけこちらの次元に露出してる。これなら、あなたに斬れるはずよ」
「空間が隠されてる? というと、黒幕のアジトとか? でも今、毒ではないとか」
「ええ。山を苦しめている毒ではない、どころか、山と一緒に苦しめられてるみたい。だから、隠しきれずに一部が露出してしまってるの。多分さっきの、大規模召喚のせいだと思う」
「つまり、異変の黒幕とは敵対する側。ということはもしかして、お山のエルフ様がここに?」
ぱっ、とアキカズの顔が明るくなる。
やれやれ、とカナエは呆れる。
「そうと決まったわけではないけど、まあ、可能性はあるわね」
カナエがそう言うと、アキカズは喜々として刀を抜いた。
「ならば早速っ!」
高々と振り上げられた刀身に、白い輝きが宿る。