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目に見えぬ圧倒的な力に何度も突き飛ばされ、雷光より強い閃光と闇夜より濃い暗闇とで何も見えず。そんな時間が、どれほど流れたのか。
全てが収まって、アキカズの意識と視界が回復した時、眼前に広がる光景は凄惨なものだった。まるで城塞ほどもある巨大な獣が暴れたかのように、あちこちで木々が折れ、大地は抉られ、地形が変わってしまっている。
あの圧倒的な力の奔流の中で大きく飛ばされ、地面に落ちた後も、かなりの距離を転がされたらしい。その間、視力は使い物にならなかったが、飛ばされ転がされた実感と、体に残る痛みが教えてくれる。だが、ただ飛ばされ転がされただけだ。焼かれたり斬られたりしたわけではないので、大した怪我はしていない。
空を見上げれば、そこに太陽がある。つまりここは、マッスイィーンの結界内ではない。その外、元の山の中だ。ただ押し流されただけで、次元の壁を超えるはずはないから、結界そのもの、マッスイィーン自体が崩壊したということだろう。
マッスイィーンやレポタ以外にもいろいろなものがあったと思われる、古代エルフ王国の遺産。その全てが、失われてしまったということか。テレイシアたちの心情を思うと痛ましいが、今はそれを気にしている場合ではない。三人は無事か、とアキカズは周囲を見渡す。
すぐに、テレイシアとメルが見つかった。同じ方向から同じ力に飛ばされたので、押し流された地点も近かったのだろう。
もともと消耗していたテレイシアは、まだ起き上がるのに苦労しているようだ。そんなテレイシアに、メルが翳した手から、柔らかな光が注がれている。どうやらメルも、アキカズ同様、カナエほどではないようだが治癒の術が使えるらしい。
そのカナエは……
「!」
こちらは酷い有様だった。白い衣も紅い袴も、あちこちが破れ焼け焦げ穴が空き、そこから見える素肌には火傷もあれば擦り傷もある。
カナエは折れた木の根元で、ぐったりと座り込み、自分で自分に治癒の術を施していた。
「カナエっ!」
アキカズが駆け寄り、慌てて自分も気光を練り、治癒の術をカナエにかける。
カナエは座り込んだままアキカズを見上げて、
「ありがと。流石に、邪神様の暴走を至近距離で受けるのはキツかったわ」
疲れた表情ながらも、軽く笑みを見せた。何とか、大丈夫なようだ。
アキカズは少し安心したが、あくまで少しである。
「よくやってくれた、と言いたいが……ルノマはどうなった? 俺には確認できなかったが」
「よくやってくれた、と言ってくれて結構よ。我ながら大手柄。敵の戦力を大幅に削ったんだから。何分の一、十何分の一、もしかしたら何十分の一にまで」
「削った、ということは」
「ええ。残念ながらゼロにはできてない。しかも、残ってしまった分だけでも、どれほどあることやら。わたしの大手柄、もしかしたら無駄かも。可愛い猫ちゃんにとっては、人間の子も巨大な竜も、戦ったら勝てないって点では全く同じだもの」
だからって、じっとしてはいないけどねこの猫ちゃんは、と言いながらカナエは立ち上がった。
メルの術でいくらか回復したらしいテレイシアも、何かを感じた顔で立ち上がる。そのテレイシアと同じものを感じ取って、アキカズもカナエもメルも、そちらを見た。
何者かが、というより何物かが、こちらに向かって来る。歩いて来るのではない。人の形をしてはいるが、そいつは爪先立ちで氷の上を滑るように、全く微動だにせずゆっくりと、来た。
聞こえるのはルノマの声だ。だが、おかしい。
「……邪神の力を見つけたら、カルゲルベル本部に報告しろと言われてた。充分に強力な、使えそうなものなら本国へは報告せず、自分らで独占して、まずはエ連、それからチキュウ星を、カルゲルベルが手中に収めるつもりだったんでしょうね」
確かにルノマの声だと思えるが、男のようなルノマの声、老人のようなルノマの声など、何種類ものルノマの声が重なっている。何人ものルノマがそこにいるような。そんな声だ。
「だったら、アタシ一人がやっちゃってもいいかなと思った。邪神の力を独占して、まずカルゲルベル、それからエ連本国、最後にチキュウ星全土を、アタシがこの手に握るの」
声だけではない。姿も違っている。
「でも失敗した。ご覧の通りよ。チキュウ星の魔術の一種、死霊術とやらを施したならともかく、それをしないでこうなってしまっては……もう、アタシは長くない……」
今のルノマは全身が半透明で、頭も胴体も向こう側が透けて見える。下半身に至っては空気に溶けているように、霞んでしまっている。
一言で表現するなら、幽霊だ。邪神の巨大な力を、調整なしで一気に受けてしまった為に、肉体が耐えきれなかったのだろう。つまり事実上、ルノマは既に死んでおり、今見えているのは残留思念。稀な例外を除いて、本来これは、ルノマ自身が言っている通り、死霊術を用いないと起こらないことだ。
おそらく、自分を殺した邪神の力に乗っかることで、辛うじてこの世に留まることができているのだろう。皮肉なことである。だが、何であろうと死者は死者、この世ならざる者だ。後はただ、朽ちゆくのみ。ルノマの表情には、もはや生きる精気も、戦う覇気もない。
「だから……だから、せめてアンタたちだけは! 道連れにしてやるわああぁぁぁぁ!」
精気も覇気もない、ただ殺気の塊。
そんなルノマが、アキカズたちに襲いかかってきた!
「くらええぇぇ! 【大雨で田畑が全滅、大凶作】!」
力一杯振り下ろされたルノマの両腕に合わせ、突如アキカズたちの頭上に発生した黒雲から、滝のような豪雨が降ってきた。
いや、滝のようなというより、あまりの高密度で雨粒が確認できない。もはや水の塊だ。それが降ってきた、というより落ちてきた。
「うわっ……!?」
強く速く、そして巨大なそれを、四人はかわしきれず飲み込まれてしまった。そこには、壁も何もないのに、水の塊はまるで器に入っているかのように、崩れずにそのまま存在している。
透明な塊の中で溺れている四人を見ながらルノマは、
「続いてええぇぇ!」
両腕を大きく振り上げた。すると四人を飲み込んだ水の塊が、天地逆転の滝となって上に向かって流れ始める。
何の手がかりもない水の中、じたばたしてもどうにもならずにアキカズたちは流れ落ち、ではなく流れ上がっていく。と思ったら、一気に急降下!
「落ちろぉぉっ! 【津波で市街が崩壊、溺死者多数】っ!」
水という手によって、猛獣使いの振るう鞭のような勢いで、アキカズもカナエもテレイシアもメルも、地面に叩きつけられた。そして跳ねて転がって、大量の水に押し流される。
が、その水はすぐに跡形もなく消滅した。ルノマが、ちょいと視線を動かしただけで。
四人が倒れ伏している姿を見て、ようやく落ち着きを取り戻したらしいルノマが言った。
「どう? 森羅万象を意のままに振り回して荒れ狂う、これが神の力よ。白も黒もない、善も悪もない、全てを超えた至高の力。人間たちだって、木を切り倒し水の流れを変え、あるいは乱獲して、多くの生き物たちを絶滅させたけどね。その絶滅実績も、神には遠く及ばない」
「……」




