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そういえばルノマが本性を現していろいろ話し始めて以来、そちらに気を取られて、他のことは全て意識の枠外だった。しかしそれは、カナエも同じではないのか? こんな話を、途中で聞くのをやめて、コソコソとここから離れるって……こんな話が、その続きが、気にならなかったというのか? むしろ普通の人以上に、好奇心や探求心が強いであろうカナエが?
と、アキカズは思ったのだが、その通りだった。こんな話を、カナエが途中で聞くのをやめるはずがないのだ。
「話は聞かせてもらったわああああぁぁ!」
突如、地面が円状に割れて炎が垂直に吹き上がった。割られた地面の円、吹き上がった炎の直径はアキカズの腕一本分程度だが、そこはルノマの立っている場所のすぐ前、爪先すれすれだった。ほんの僅かルノマが前にいれば、足下から直撃していたであろう地点だ。
「あら残念。命中させられなかったわね。で、魔法陣も全く揺らぎもせず健在と。まぁ、できればレポタを壊さずに何とかしたいと思ったから、手加減もしたけどね……っと」
開いた穴の中から、よっこらしょと出てきたのは、カナエだ。
もちろんそこは、魔法陣の中。光の粒子は縁からしか吹き上がっていないので、今のカナエには当たらない。
一同が言葉を失った中、まず声を上げたのはアキカズだった。
「そ、そうか! 地下には邪神の力とやらも及んでいないから、下から行けば良かったのか!」
「んなわけあるかああぁぁ!」
と、ツッコミを入れたのはルノマ。そしてカナエもだった。
声が綺麗に重なったことに戸惑い、ルノマが目の前に立つカナエに言った。
「そうよ、んなわけない! この力、邪神の結界は天地を貫いて、上空高くから地下深くまで存在しているはず! 上下左右どこからでも、外部からの侵入者は全て弾き返す、いわば完璧な砦のはず! 一体どうやって?!」
カナエは、たっぷんっと胸を張って、
「ええ。地下にまであったわ。でも、どんな砦も建造前は無力。建造前から中に入って隠れていれば、建造後の防御力なんて関係なく、内側から奇襲できる。わたしは、あなたが邪神に通じるよりも前から、土の神様の力を借りて地中に潜んでいたのよ。この真下にね」
とんとん、と地面を踏み叩いた。
言われてみれば、とアキカズは思う。レポタが繋がった時点、魔法陣が出現した瞬間から、アキカズはその魔法陣に、そして感涙するテレイシアたちに、目を奪われていた。カナエの方を見ていなかった。ルノマが魔法陣を乗っ取ったのは、その後だ。
ルノマが邪神の力に護られるより先に、カナエは既に地中に潜っていた、ルノマの懐に入っていたということか。邪神の魔法陣の下ではなく、レポタの魔法陣の下に。
……なんでその時点で、そんなことを? という疑問が、アキカズだけではなくルノマの顔にも出ていたのであろう。カナエは、高らかに言い放った。
「このわたしが、見つけられなかったモンスター召喚魔法陣を、あなたは見つけ出した! それで怪しいと思って、ずっと警戒してたのよ! もしや黒幕かもってね! であれば、レポタなんてものが起動したこのタイミングで、仕掛けてくると思った! そしたら案の定!」
「み、見つけたから怪しいって、それはアンタとアタシでは種族が違う、能力が違うってことで説明つくでしょ? エルフと人間は得手不得手がある、ってぐらいは世界中の常識よ?」
ぷいっ、とカナエは顔を背けつつ、視線だけルノマに向けている。
「そんなの納得できない。だってモンスターを呼ぶ魔法陣なんて、少なくとも直近百年、世界のどこにもなかった。つまり、エルフにとっても異常な、未知のもののはずだもん。言ったでしょ? のどかな森の妖精さんが、このわたしの知識にそうそう及ぶはずがない、って」
「アタシは、そののどかな森を出て、旅をして見聞を広めてると言ったわよね?」
「同じことよ。あちこちの国に行けば、そりゃ見聞も広がるでしょう。でも、あなたが岩場や沼地をただ歩いている間も、わたしは黙々と本を読んで、絶え間なく知識を蓄えていた。あなたが海で船酔いしている間も、山で野営地を探している間も、街でお店を探している間もね」
「だ、だから自分の方が上なはずだっての? いくらなんでも、それは自信過剰……」
「でも、当たってたのよね? そんなわたしの推察が。今、気持ちよさそうに延々と、あなたが証明してくれた通り」
ぐっ、とルノマが詰まる。
そして、こんな喋くりをしている間にも、カナエの中では神通力が高められていた。ルノマが山に埋め込んだモンスター召喚魔法陣のせいで、弱められていた山の神様たちは、ルノマの協力によってモンスター召喚魔法陣を潰せたおかげで、もう回復している。
すなわち、今のカナエは全力を振るうことができる!
「風の神様、御力をっっっっ!」
「炎の精霊よ、集えええぇぇ!」
ひとつの魔法陣の中、拳で殴り合える距離で、カナエの神通力とルノマの精霊力が放たれた。
ルノマは既に邪神の力を得つつあったが、あくまで「つつあった」だ。それは、両腕を広げて受け入れる体勢だったということ。強い風を正面から最大限に浴びながら立っていたようなもので、そこから攻撃に転ずるのは、むしろ普段より困難であった。
結局、ルノマ自身がこの瞬間に駆使できる攻撃力はプラスマイナスゼロといったところで、本来の実力と大差ない。これなら、カナエに勝ち目は充分ある。いや、カナエは正面から勝負する必要などないのだ。逃げながら、かわしながら、相殺されぬように撃てばいい。ルノマの体のどこかに当てて、魔法陣から一歩、よろめき出させるだけでいい。そうすれば、すぐそこいるアキカズが即座に斬ってくれる。ヴァンクーアならともかく、ルノマの細い体など、アキカズの振るう刀の前ではひとたまりもなく一刀両断、それで終わりだ。
カナエは一瞬でそこまで考え、そう動いた。ルノマの攻撃を掻い潜って、とにかく、自分の一発をルノマに届かせればいいと。ドンと突き飛ばすだけでいい、とにかく当てようと。
だがこの時、ルノマの取った手段はカナエの想像を超えていた。というより、想像からズレていた。ルノマはカナエには攻撃せず、足元の魔法陣を撃ったのだ。手加減したような様子はなく、おそらく全力で。
直後、カナエの放った烈風が命中し、それに対しての防御を全くしていなかったルノマは、紙くずのように吹っ飛んだ。そうして遠くへ飛ばされたおかげで、ルノマはアキカズには斬られずに済んだわけだが、それでもかなりのダメージを受けた。
それと同時に、カナエの攻撃と衝突しなかったルノマの爆炎も魔法陣に命中、炸裂した。
「……!」
魔法陣が砕けた瞬間、カナエは、そしてすぐ近くで見ていたアキカズも、ルノマの狙いを理解することになる。
この魔法陣は、高次元に存在する邪神へと繋がる道を開いて、邪神の力をこちらへと運んでくる、いわば荷物受け取り用の扉であった。が、それだけではなかったのだ。あまりにも強大過ぎ膨大過ぎる邪神の力を、術者の肉体に無理のないように、少しずつ引き込む調整弁、水門でもあったのである。
その水門が決壊したとなれば、起こるのは洪水だ。だがどれほど大規模な洪水であっても、水は決して、下から上へは流れない。その場で満ちて溢れて障害物の上を乗り越えることはあっても、それは下方が満ちた後の話だ。まずは必ず全て下へ、という原則は変わらない。
邪神の力には、上も下もない。それでも、この世界へ招かれた時に設定された、「流れの方向」はある。魔法陣による制御を失った邪神の力は、程度というものを忘れ、濁流よろしく荒れ狂い、ただただ流れる方向へ流れた。例えるなら、はち切れんばかりに水を詰めた大きな皮袋に針で穴を開けて、強く絞ったように。圧力で穴は破れ、水が爆発的に溢れ出た。穴から少しずつ垂れて、小さな器に一滴ずつ、加減しながら溜められていくはずの水が、一度にぶちまけられたのである。
そんなものを、器が受け止められるはずはなかった。




