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視力が戻った途端に眼前に飛び込んできた膨らみに目を奪われていた剣士も、慌てて魔術師に倣う。少女は、
「どういたしまして。それより、」
両手で、左右からそっと挟み込むようにして、眼鏡の位置を直した。ただそれだけで、前や上だけではなく横にも張り出している胸が、腕に挟み込まれて「むにっ」となる。
なかなかただごとではないその様に、剣士も魔術師もドキリとさせられる。それに気づいているのかいないのか、少女は二人を気遣うように言った。
「失礼ながら、あなた方お二人だけでは、ここでの探索は危険かと。一度キャンプに戻り、もう何人かと組まれた方が良いのでは」
この山狩りでは、冒険者たちが数名ずつに分かれて、あるものを探している。冒険者は普通、一人では仕事をしないので、今回も各々が、普段のメンバーで取り組んでいる。ここにいる剣士と魔術師も、今まで二人組で多くの仕事をこなしてきた。今まで様々な盗賊や魔物などを、二人で力を合わせて倒してきた。
だが確かに、ここの【モンスター】は格が違う。二人では危険なようだ。意地を張らず、他の冒険者たちと組むべきだろう。
「そうだな。そうしよう。忠告、感謝する」
二人は改めて少女と、そして少年にも礼を述べると、騎士団が設営しているキャンプに向かった。この山狩りは長期戦が予想されるので、山の中に三か所のベースキャンプが張られており、そこに指揮官である騎士が待機している。食料や医薬品も備蓄されており、冒険者たちは何かあればここに戻って騎士に報告をし、負傷していれば治療を受けることもできる。
剣士と魔術師を見送って、刀を鞘に納めたニホンの少年、アキカズが言った。
「さて。とりあえずモンスターを二匹、葬ってみたわけだが。どうだカナエ? 何か感じるか?」
カナエと呼ばれた少女は、眼鏡の奥で静かに目を閉じた。耳を澄ましているような表情だが、実際に彼女は今、耳を澄ましている。だが、聴くのは鼓膜を揺らす空気の波ではない。周囲一帯の山川草木、地水火風、森羅万象、全ての声だ。
大自然の全て、いや、人造の道具や建造物などにも、神は宿っている。その神と交信するのが、巫女であるカナエの力、神通力である。
「……揺らぎはないわね。あの鷲たちを何者かが操っていたのなら、手駒がやられたことを察して何か動き出すかも、と思ってたけど。残念ながら、その線では探れないみたい」
「するとモンスターってのは、何者かに召喚されて命令されてるってわけではなく、ただの野生動物なのか」
「とりあえず、何らかの確かな目的に沿って、動かされてるわけではなさそうね。それにしては放任が過ぎてる。でも今モンスターたちがこの山にいること、彼らがどこからかここに来たことは、自然現象ではないわ。絶対に、人為的なものよ。つまり、召喚した者は必ずいる」
カナエは山を見渡して言った。
「この山に揺らぎはない。けどそれは平穏ということではなく、いわば病に臥せっている。草木はもちろん、風や川まで、山に打ち込まれた何か、毒のようなものの影響で弱ってるわ」
そのせいで、さっきの剣士の治癒も、普段より手間がかかった。自然の生命力を借りて行う術だから、その自然の力が弱っていたせいで上手くできなかった、とカナエは説明する。
「毒、か」
アキカズは、地面をぐっと、力を込めて踏みしめてみた。
「そう言われると、俺にも何か感じるような気もするな。それほど大規模で強力な何かが、この山に打ち込まれているってことか」
「ええ。こういうものは、その、打ち込まれている場所を探して元から断たないと、どうにもならないわ。一時的に部分的に毒を消せても、波打ち際で砂に字を書くようなもの。あっという間に波に洗われて、元の木阿弥よ」
「その毒が、モンスター発生に関わってるわけだな」
「おそらくね。本来はこの世界にあってはならない、異質なもの。例えば異世界に通じる召喚の門のようなものが、山のどこかに造られたんだと思う。それがモンスターをここに招いた。ただ、実際にそのモンスターと戦ってみての印象なんだけど……」
カナエは、地面に落ちたモンスター、双頭蛇の鷲の死骸を見る。
「こいつらが、遠い異世界の生物であることは間違いないわ。それは誰の目にも明らか、見た目通り。でも、そんな「遠」よりも、「変」の方が大きい。私にはそう感じるの」
「遠よりも、変?」
「そう。今、こうやって死骸を見ていても感じるのよ。この肉も骨も羽も血も、どうにもこうにも変。何というか、若いのに古い。100年前に生まれた20歳みたいな」
「何だそりゃ」
「わからない。生け捕りにして、じっくりと実験観察でもすれば判明するかもしれないけど。死んでしまったら、何でも死骸だからね。今は、変で妙な謎の生物だとしか言えないわ」
今回、騎士団が冒険者たちを集めて行っているこの山狩りの目的は、この山の異変の原因を探ることである。
いくつかの古文書の中にしかいないはずであり、その古文書の記述すら史実の記録ではなく創作物語ではないか、と思われていた【モンスター】たち。それが最近、この山のあちこちで見られるようになり、人々を襲い始めたのだ。
しかも、異変はそれだけではなかった。モンスターではない、もともと山にいた熊や狼なども凶暴化して、やたらと人を襲うようになったり。この山に慣れているはずの狩人たちが、方向感覚を狂わされ、道に迷ったり。それらの異変の始まりも、モンスターの出現と時期が重なっていた。なので、全く正体不明だがモンスター出現の原因(カナエが毒と表現したもの)が、山に何らかの影響を及ぼしていると思われる。
そういったことにより、今、山周辺の村や街では、天変地異だこの世の終わりだと大騒ぎになっている。だからこうして、騎士団による大規模な山狩りが行われることになったのだ。
そしてもう一つ、忘れてはならないことがある。この山の中で危機に陥った人々を、助けてくれる少女の存在だ。こちらも大きな噂になっている。
当の本人は、問われて「メル」と名乗ったらしいが、それ以外の素性は語らず、一切不明。
ただ、狩人たちを凌ぐほど野外生活に長じており、風を操るような術を使い、何といっても耳が長く尖っていたという。ならば、噂に聞くあの種族に違いない、と人々が思うのも無理はない。アキカズもそうだそうだと思う。
「お山のエルフ様、かぁ」
アキカズは、ほうっ……と溜息をついて言った。
「こうやって、モンスターを倒してたら、俺たちの前に現れてくれないかな。人間の味方をしてくれてるのは間違いないんだし。力を合わせてこの山の異変を解決しましょう! とか」
「あのねえ」
カナエは、はあぁ~……と溜息混じりに言った。
「前にも言ったでしょ? あなたの夢を壊すようで悪いけど、もしかしたらそのエルフ様こそ、何か遠大な計画を立ててる黒幕かもしれないのよ。だとしたら、あなたが今言ったような態度で油断を誘って、近づいてくることも考えられるわけで、」
「エルフはそんなことしないっ!」