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テレイシアとメルの案内により、アキカズとカナエとルノマは、難なく結界に入ることができた。案内する二人の顔は、流石に緊張と不安に満ちている。
なにしろ過去から来た二人にとっては、ここが運命の分かれ道なのだ。山の精霊力が回復し、タ・イーム・マッスイィーンが万全になっても、過去の世界の情勢次第で、どう転ぶか判らないのである。そしてそのことについて、誰にも何の助力もできない。マッスイィーンは過去には行けないのだから。
古代エルフ王国が現代に復活するのか、それとも今ここにいる二人を残して滅びが確定するのか。それが間もなく、決まる。
しばらく歩いて、テレイシアとメルは足を止めた。そしてメルが、一本の木に手を翳して小声で何やら唱えると、木全体が明るく明滅し始めた。
先ほどの休憩時に説明を聞いたが、これがタ・イーム・マッスイィーンの制御装置らしい。他にもいろいろあるここの設備、例えばこの結界の隠蔽装置なども、アキカズたちの目にはただの木としか思えないものになっているそうだ。それは別に、カモフラージュする意図があるわけではなく、エルフ星ではそれが当たり前のデザインであるとのこと。
どこからどう見てもただの木、だがそこで、何百年もの時間を跳び超えるという、想像を絶する力が起動しているのだ。アキカズたちの知る、通常の魔術などとは比較にならぬ超常現象が、ただの木にしか見えないもので操作されている。
これが、エルフ……「星人」が付いていようがそんなのどうでもいい、やっぱりエルフはエルフだ、とアキカズは感動してメルを見つめていた。が、傍らにいるテレイシアが目に入ると、その思いも消え失せた。
メルを見ているテレイシアの、今にも泣きだしそうな、必死の形相。つい先程、自身の何倍もある巨漢を殴りつけていた両の拳が、きゅっと弱々しく握り締められ、小さく震えている。
それは、家族や友人を含めた自分の故郷の全てと、再会できるか永遠の別離を突きつけられるか、の境界線上に立たされている不安、恐怖、そして微かな希望、の現れなのだ。
そんな子の隣で、感動してしまっていた。おそらく、顔には喜色が溢れていただろう。アキカズは無神経だったと恥じ、テレイシアと一緒にエルフ王国の無事を祈った。
どれほどの時間が経っただろうか。やがてメルは、手を降ろした。その顔に、喜びや安堵は欠片も見られない。
「私たちが跳んでから、十年以上の流れを探りました。ここと繋がった時間は、一瞬もありません。すなわち……大規模マッスイィーンは完成しないまま、国は滅んだということに……」
俯き、テレイシアを見ることができないメル。そのメルの言葉に、涙を溢れさせるテレイシア。二人とも、肩を震わせているが嗚咽が漏れてこないのは、もうそんなものは通り過ぎて、絶望に息が詰まってしまったからか。アキカズもカナエも、かける言葉が見つからない。
この時。何を考えていたのかじっと黙り込んでいたルノマが、ぽつりと言った。
「ここには、古代エルフ王国の技術で造られた設備がいろいろある、という話でしたね。では、時間移動ではなく、空間移動は?」
え? と四人がルノマを見る。話しながら考えを纏めているらしく、ルノマの口調は少しずつ、はっきりとしたものになっていった。
「私の知る限りのエルフには、そんな設備は作れません。人間の、高位の魔術師ならそういう術を使えると聞きます。が、それでも据え置きの設備などは造れません。マッスイィーンのように、設備として造られたもの、ここにはありませんか?」
今、そんなものに何の意味があるのか? とにかくメルは答えた。
「あります。テ・レポタといいます。ですが空間を移動するのは時間を移動する以上に危険が伴うので、マッスイィーン以上に厳密に、受け入れ側にも同じものが必要です。ここにあるのは、再興時のサンプルにするつもりで置いてあるもので、実際に使うのは……」
アキカズが、カナエをつついた。
「空間を移動する方が、時間を移動するより危険ってどういうことだ? 時間移動の方が難しそうだが」
「時間は川、皆は船で下ってる、時間移動はそれを加速させるだけ、って言ったでしょ。空間移動は、並行して流れてる別の川に行くことなの。船をよっこらしょと持ち上げてね。船を漕ぐ技術は不要、力任せで可能だけど、疲労はむしろ大きいし、転倒の危険もあるのよ」
今回のテレイシアたちがそうだったが、千年後の未来へ行くつもりが千年と三日後に到着しても、よほど定まった目的がない限り、大した問題ではない。だが空間移動でズレが生じると、海や砂漠の真ん中、ヘタをすると石の中などに出てしまう恐れもあり、危険極まるのだ。
今のエルフたちは、人間のような国は築かず、山奥の小規模な里でのどかに暮らしている。たまに、ルノマのような若者が旅に出るぐらいで、人間と関わることは多くない。人間を巻き込んでの大乱に懲りて、二度と繰り返さぬようにとのことであろう、かつて持っていた技術の多くを捨て去って、のどかにメルヘンに暮らしているのだ。森の妖精なんて言われるほどに。
だから、今のエルフたちの里に、マッスイィーンやコールドスがあるとは思えない。レポタも同様だ。どこかでマッド研究者なエルフが開発していたとしても、それは現代のもの、最新型のはずだ。今、ここにあるものと型が合うはずがない。であれば、どうせ使えない。
「どこかエルフの里に行ければ、などと思ったのですが」
まだあれこれ考えている様子のルノマに、テレイシアが拗ねたように言う。涙声で。
「この時代のエルフの里、ですって? どうせそこにいるのは、あたしの父様や母様とは何の関係もない、あたしの国のことなんか何も知らない、って連中でしょう? そんなの、会ったって意味ないわ」
テレイシアの言葉に、ルノマは反論できなかった。もう、「当時のテレイシアたちの故郷」と「今ここにいるテレイシアたち」とは、切れてしまっているのだ。当時、戦後にどこか遠くへ逃げて生き延びた者たちが、そこでマッスイィーンを造っていたとしても、それをここのマッスイィーンと繋げることはできない。空間移動と時間移動は別だからだ。現代の、ここのマッスイィーンと繋がるのは、過去の、ここのマッスイィーンだけだからだ。
カナエはよく知っている。エルフたちと接した人間が書いた、エルフ界隈の話を纏めた本を、たくさん読んだ。現代人、というか現代エルフたちも、「古代エルフ王国」なんて知らない。全く語っていない。多少の噂でもあれば、興味を持って調べる人間もいるだろう。だが、そんな研究は誰もしていない。少なくとも、カナエの知る限りでは皆無だ。
つまり、古代エルフ王国人は、この時代には来られなかったのだ。今ここにいる、先行した二人しか。現在、世界各地にいるエルフたちは、戦後に散り散りになって生き延びたエルフ王国民たちの子孫であり、アキカズが英雄伝説で知る通りの森の妖精たちだ。
おそらくこれも、大乱を繰り返さぬ為なのだろう。テレイシアたちの時代を生きたエルフたちが、エルフ星のことなどを子孫に言い伝えなかったからに違いない。我々はこの星で生まれ育った、エルフという種族であると信じ込ませたのだ。
だから現代におけるエルフ王国の認知度は、当のエルフ間でさえ、熱心に調べた異端者たちが辛うじて、少々知り得ているという程度でしかないのだ。例えば、一人旅をしているルノマのように。後は、エルフたちとは別系統である、ダークエルフたちの怨念の記憶だけ。エルフ王国の詳しい事情、そしてテレイシアたちのことを知るエルフの里など、どこにもない。
いや……はたして、そうか? とこの時、アキカズが思った。
「テレイシアたちがこの時代へ跳んだ後に、エルフ王国は滅んだ。王家もその関係者も、散り散りになった。と、しても、生物として絶滅したわけではない」
「そりゃ、子孫はいるでしょうよ。でも、あたしたちとはもう関係が」
「だったら。ここのレポタと同型が、どこかにあるかもしれない」
今度はアキカズが、先程のルノマのように、話しながら考えを纏めている。
「ニホンで聞いた英雄伝説や歴史物語に、あるんだ。滅ぼされた王家の末裔が、ひっそりと生き延びていて、お家を再興させる話。王家の証しの品を、先祖代々隠し持っていて。古代エルフ王国のことも、こっそりとどこかで、秘密裏に、ちゃんと言い伝えられていたら?」
「言い伝えられていたら……って」
「マッスイィーンでは場所移動はできない。でも、レポタならできる。戦後の混乱の中、遠くの土地で何とか落ち着いた者たちが、君たちのことを子孫へ伝え、今日のこんな事態に備えていたら。古い型のレポタを継承して、【いつかここに伝説の王家の者が降臨する】とか!」
自分で自分の話に興奮したアキカズが、テレイシアの手を取って強く握った。
「あり得る! あり得るよ! 未来の世界での再会を信じて、君たちの国の人、その子孫が、伝説を信じ、ちゃんと待ってくれている可能性!」
「なるほど」
カナエが、ぱんと手を打った。
「もしも、今生きている子孫たちが、テレイシアたちを「今更出て来られても困る邪魔者」なんて考えているなら、言い伝える必要はない。古代レポタも残していない。二人が誰にも知られず寂しく野垂れ死ぬのを、ただ放置しておけばいい」
「つ、つまり、どういうことなの?」
テレイシアが困惑して、メルに問いかけた。問われたメルの顔に、希望が灯り始めている。
「つまり……遥か遠方にごく小規模で、かもしれませんが、我々二人のことを代々言い伝え、待っているエルフ王国民の子孫たちが、いるかもしれない。そして、そこにレポタがあれば、どんな遠方であろうと問題はない。今、もしもレポタが繋がれば……」
「その先で、その場所で、待ってくれている?」




