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カナエは、まだ動きの鈍いヴァンクーアから離れ、アキカズの方へ走った。アキカズに殺到していたモンスターたちの背後を突く形になり、走りながらも何匹かを倒すことができた。
テレイシアとメルもヴァンクーアの様子には気づいていたので、半信半疑ながらもカナエの言葉に従った。
アキカズ、カナエ、テレイシア、メルの四人が集結し、背後を庇い合ってモンスターたちを迎撃する形になる。そこでカナエが言った。
「アキカズ! 説明してる暇はないから、大人しく従って! いい? 一時でいいから、ここを清めて! それでテレイシアが、力を取り戻せるらしいから!」
「? 何だかわからんが……」
アキカズもまた、モンスターと戦いながらヴァンクーアを警戒していた。なにしろ先の戦い、アキカズ一人では勝てたかどうか怪しかった。しかも今のヴァンクーアは、おそらくルノマの言っていたドーラッグの効果であろう、全身の筋肉が一段と盛り上がっている。片目を潰されているが、あのバケモノのことだ。手負いになったことで、更に手に負えなくなることも考えられる。
そんな時の、カナエの提案。幼い頃からアキカズよりもずっと頭が良かった、都会に留学もした、今日一日だけでもいろいろな知識と知恵を披露してくれた、カナエの言葉だ。
「お前がそう言うなら、やるぞっ!」
「うん、お願い! テレイシア、そういうことだからアキカズの前に! さっきの言葉、力が戻ればヴァンクーアに勝てるってのが、嘘でないならね!」
「も、もちろんよ! メル、援護よろしく!」
「承知!」
何だか判らないまま、テレイシアはアキカズと向かい合うように立った。その二人を、カナエとメルが囲んで守る。
アキカズは刀を鞘に納めると両足を左右に広げ、両膝を直角に曲げ、腰を深く落とした。
大きく息を吸い、周囲の新鮮な気を体内に送り込む。大きく広げた腕には、遥かな天空の気をしっかり受け取っていく。
それから両手を、それぞれの膝の上に置いた。体内に取り入れた気を練りながら下へと押し込む、足へと集めていく。その足には、大地の、乱された気が感じ取れる。
アキカズは、
「発気用―意!」
右膝に右手を置いたまま、右脚を高く上げた。そこから、左の足腰で体を支えながら右脚を大きな動きで振り下ろして、
「陽意照――――!」
右の足の裏で、大地を力いっぱい踏みしめた。
続けて今度は左脚を上げ、同じように力いっぱい、大地を踏みしめる。その衝撃は、アキカズを中心にして四人を取り囲むように広がり、一瞬、二瞬、光のドームを形成した。
大自然から取り入れた気を、己の体内の気光と合わせ、大地を照らす光として叩き込む。地下の邪鬼を踏み殺し、邪気を打ち祓い、周囲を清める技だ。
カナエが言っていた、山に打ち込まれた謎の毒も例外ではなく、アキカズの周囲からは綺麗さっぱり退けられた。が、これまたカナエの言っていた通り、波打ち際で砂に字を書くようなものであった。山全体に深く浸透している毒は、すぐに四方八方から押し寄せ、開けられた穴を塞ぎにかかってくる。
しかし、テレイシアの言葉にもまた、嘘はなかった。コールドス・リイィープで眠らされていた、テレイシアの体内の精霊たちが目覚めるのには、一瞬で事足りた。暖かな、そして正常な、山の精霊たちに触れることで、テレイシア自身の精霊力はすぐに回復した。
その直後、周囲の精霊たちは再び毒に飲み込まれてしまい、もう風の精霊だの水の精霊だのと交信することは、テレイシアにはできなくなった。こんな中でも、メルなら風の精霊の力を借りられるが、テレイシアにはできない。
だがテレイシアには、王家秘伝の、王家の血を引く者にしかできない、必殺の技がある。山の精霊たちに頼らずとも、戦える精霊術が。
「肉の精霊よ! 骨の精霊よ! 血の精霊よ! 全て纏めて、気合の精霊よおおおおぉぉ!」
テレイシアが吠え、その全身が光の炎……としか表現できないものに包まれた。
と思ったら、その姿が掻き消えた。
と思ったら、モンスターたちが立て続けに数匹、撲殺死体となって倒れた。
と思ったら、ヴァンクーアが大きく真横に吹っ飛んでいた。折れた歯を三本ほど口から飛ばしながら。どこも見ていないような、焦点のない目をして。
ついさっきまで、ヴァンクーアの頭部があった空間には、テレイシアがいる。跳躍して、勢いをつけて、大振りの右フックを叩き込みましたよというポーズで。
「え」
アキカズとカナエが「え」と発声した時にはもう、着地したテレイシアの姿がまた掻き消えており、遅れて着地したヴァンクーアの足下に出現した、と思ったら真上に跳び上がりながらのアッパーカットでまたヴァンクーアを吹っ飛ばしていた。
ここに至り、ようやくテレイシアの攻撃を受けたことを理解できたらしいヴァンクーアは、剣を振り回してテレイシアを威嚇、なんとか自分の足で地に立った。
テレイシアはその真正面で、油断なく構えている。
残っていた僅かなモンスターを斬り倒しながら、メルが瞳を潤ませていた。
「ああ、姫様……お懐かしい、健やかなお姿……」
メルにしてみれば、この時代にやってきてからずっと孤独だったのが、アキカズたちによるアクシデントによるものとはいえ、とにかくテレイシアと再会できた。そして今、そのテレイシアの、昔のままの姿が復活したということらしい。ならば、感動するのも無理はない。
だが。健やかにもほどがあるだろ? というかあれがお姫様、しかもしかも森の妖精たるエルフのお姫様なのかっっ? と、アキカズの脳内ではいろいろぐるぐる、いや脳内に留まらず全身の筋肉内でも血管内でも、ぐじゃらぐじゃらしていた。あまりにもぐじゃらぐじゃら過ぎて、言葉が出ない。
カナエもまた、違う意味で言葉を失っていた。一般的な魔法使いの魔術、僧侶の法術は、それぞれ魔力・法力が土台になっている。それらは自分の中から「出す」ものだが、術として使えば「出た」ものとなる。例えるなら爪や歯だ。体の一部であることに違いはないが、神経や血管は通っていない。触ってもそれ自体に感覚はなく、傷ついたり欠けたりしてもダメージはない(「指」や「歯茎」はもちろん別)。
だが、精霊力や神通力は違う。自分と、自分以外のものとを結びつけるものだから、自分との繋がりはある、どころかむしろ強固なもので、自分の一部とさえ言える。カナエも、神通力で負傷を治したりできるが、それは火や風を操るのと同様、他のものの力を借りてのことだ。自力だけで自分をどうこうはできない。
それを、テレイシアはやっている。例えるなら、自分で自分の襟首を掴んで高く引っ張り上げているようなものだ。常識では考えられない。
テレイシアによる、突然の圧倒的な攻勢で混乱したモンスターたちは、ヴァンクーアを助けに向かおうとしてしまったことも災いし、アキカズたち三人によって背後を突かれ、あっという間に倒された。
もはや、ここに残るアキカズたちの敵はヴァンクーアだけだ。光の炎に身を包み、凛々しく立つテレイシアと睨み合い、唸っている。
「ぐ……うう……」
この時。間近にいるテレイシアも、少し距離のあるアキカズたち三人も、ヴァンクーアの様子がおかしいことに気づいた。テレイシアの攻撃を受けたことによる苦痛や屈辱、そこから来る怒気に殺気、といった類のものではない、それらとは違う感情が、今のヴァンクーアの眼から溢れ、異様にギラついている。
アキカズには一つ、思い出したことがあった。ヴァンクーアと、ダークエルフの来歴だ。種の本能としてエルフに殺意を抱くダークエルフが、その持てる技術を結集して制作したのであろう兵器生物・ヴァンクーア。ダークエルフに使われることを嫌って支配下から脱したが、製造時に刻み込まれた知識や感情は残っていると、自身で認めていた。
そしてダークエルフの里を出てから、エルフを殺そうと思って探したが、全く会えなかった。そんなヴァンクーアにとって、ずっと殺したかった相手との初対面が本日この場。そしてその相手に、エルフに、たった今、思いきり殴り飛ばされたのである。
「ぶっ……殺す!」
ヴァンクーアは、右手で剣を持ったまま、左手で懐から皮袋を取り出した。
そして躊躇いなく上部を食い破ると、中身をざららららと口の中に流し込み、全てを噛み砕き、飲み込んだ。ルノマから話を聞いていたアキカズには、それが何なのか見当がつく。
「! あれはもしや、ドーラッグ?」




