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大陸の東端、カンズィート王国。この国には、世界でも珍しい制度がある。在野の冒険者たちを、任務毎に臨時にとはいえ、騎士団が公式に大勢雇うのである。
遺跡で財宝の山を発見して大金持ち、などというのはおとぎ話のこと。現実は厳しく、彼らの殆どはその日暮らしに喘いでいる。民間での護衛などの仕事にありつけなくなると、追い剥ぎや強盗といった犯罪者に身を落とす例も少なくない。そうなってしまう前に、非正規ではあるが、国が職を与えるのである。
だが最近のカンズィートは、街の外では凶暴な魔物が人々を襲い、街の中では悪質な麻薬の密売が急増するなど、治安維持が困難になってきている。そのため、王国騎士団は慢性的な人手不足に喘いでいた。結果、「臨時雇いの騎士団助手」だったはずの冒険者たちが、事実上は臨時でも助手でもなく、殆ど常態化、騎士団の遊撃隊と化している。
今もそうだ。カンズィート王国騎士団による大がかりな山狩りが、指揮を執る十数人の正騎士と、百人以上の冒険者たちとで行われていた。
ウテンマン山の奥。木々が途切れて、少しだけ広場のようになっている場所。
そこで、大柄な男が戦っていた。よく使いこまれた傷だらけの鎧に、これまた年季を感じさせる、両刃の長い剣。見るからに歴戦の剣士然としたその男が、肩で息をしている。
重い敵なら、力でぶち破れる。速い敵でも、技で対応できる。だが、今彼が戦っている相手は、その両方を異常な高レベルで兼ね備えていた。重く、速い。しかもこいつは強い弱い以前に、剣士が今まで全く見たことのない種類の動きで、襲って来るのだ。
数多くの強い人間、強い魔物を倒してきた。確かな経験を積んできた、己の剣技には自信がある。そんな彼が今、未知の相手に未知の苦戦を強いられていた。
「野郎っ……!」
額から目へと流れ込みかけた汗を、視界を遮らぬよう注意しつつ手の甲で素早く拭って、剣士は上空を見上げた。今、敵はそこにいる。
剣士の少し後ろで、剣士の相棒である魔術師も同じく、肩で息をしながら上を見ていた。
「なるほど、確かに強い……そこいらの【魔物】とは明らかに異質……これが噂に聞いた、【モンスター】というやつか……」
「来るぞ!」
剣士の声が響いたその時にはもう、風の唸りを追い越す勢いで、異形の生物【モンスター】が急降下して来ていた。
その姿は、大きめの鷲だ。成人男性を乗せて悠々と飛ぶには少し足りないか? というぐらい。並よりは明らかに大きいが、それだけなら彼ら二人にとって脅威にはならないし、異形というほどでもない。
だがそいつは脅威であり、そして驚異の、異形であった。鷲の体に生えているのは鷲の首ではなく、蛇の体。重くて飛べないのではと心配になるほど極太長大な蛇が、鷲の体から生えているのだ。しかもそれが双頭である。鷲の首があるべき部分に、太い蛇が二匹、並んで生えているのだ。
二匹の蛇の、四つの目が、急降下する鷲の視界に、魔術師を捉える。魔術師は迎撃すべく呪文を唱えようとしたが、鷲はそれより早く蛇の口を大きく開け、噛みついてくる、と思ったら、
「!」
その片方の口から、下方の魔術師に向かって火を吐きだした。魔術師は咄嗟に呪文を中断し、横っ跳びに転がって火を避ける。だが避けて転がった先へと、鷲は追撃してきて、もう一方の口で、今度は噛みついてきた。
魔術師にはもう対応できないところだったが、駆けてきた剣士が横合いから、右手一本を伸ばして剣を突き出し、鷲に噛ませて攻撃を防いだ。すると鷲は、剣をがっちりと噛み抑えたまま、もう一方の口を剣士に向けて、至近距離から火を吐いた。剣士の頭部が、火炎の渦に飲み込まれる。
「ぐわああぁぁっ!」
これにはたまらず、剣士は悶絶した。悶絶しながら、顔面を焼かれながら、それでも剣を握った右手を引き寄せ、鷲を引き寄せ、鷲を捕らえようと、火をかき分けて左手を伸ばす。
が、剣士がそう動いた時にはもう、鷲は剣から口を放し、再び上空へと舞い上がっていた。
目を焼き潰されている剣士には、もはや戦闘能力はない。戦えるのは魔術師だけだ。そして鷲は、また降下しようとしている。
魔術師は、次の一合で落とせなければ二人とも殺られる、と決死の覚悟で鷲を見据えた。その魔術師の耳に、絶望が突き刺さる。上空ではない場所から、鷲の羽音が聞こえたのだ。
二匹目の鷲が、木々の間を縫ってこちらへ向かって来ていた。普通の鷲では考えられぬ、上空から降下するのと変わらぬ速度で水平に、矢のように飛んでくる。
上空の鷲も、降下を始めた。垂直二方向からの挟み撃ちだ。双頭蛇の鷲が二匹、恐るべき【モンスター】たちの同時攻撃。
こんなもの、防ぎようがない。魔術師は抵抗を諦めた……その時!
「伏せろっ!」
鋭い声と共に、水平の鷲とは反対側の木々の間から、水平の鷲に真っ直ぐ向かっていくように、一人の少年が跳び出した。
少年は一呼吸で魔術師のすぐそばまで来ると、その場で低く腰を落として構えた。言われるまま伏せた魔術師が、傍に立つ少年を見上げる。
少年が身に纏っている黒い鎧は、カンズィートの騎士が使用するプレートアーマーに比べると軽装で、まるで工芸品のような艶がある。確かこれは、ニホンとかいう東方の島国のものだ。
眼前に迫る敵を見据える瞳と髪は、鎧と同じ黒。その、覇気に満ちた風貌は、あと数年の時を経て「少年」を脱し「青年」となった時の精悍さを、見る者に想像させる。
少年は左腰に差した剣……いや、それは魔術師の相棒である剣士が使用しているものより、細く薄く、反りがある。おそらくニホンの「刀」という片刃の武器だ。普通は両手持ちで使うのであろう、長めの柄に右手をかけ、少年は左方向に体を捻じっている。
左肩を後方に、右肩を前方に出し、そこから更に強く捩じり込んで背中を正面の敵に見せた、ところで捻じれを一気に解放した。体の軸を右回転させ、刀を抜き放ちながら、その回転動作の全ての力を集約して、少年は敵を斬りにいく。
刀を抜く前、柄にかけていた右手は、体の左後方にあった。この状態で「抜きながら攻撃」をしようとすると、まっすぐな剣では、右手の動きはまっすぐな鞘に沿って、前方に突き出されることになる。つまり左後方→左前方で終わる。当然、剣先は後方を向いたままで、これでは敵を斬ることなどできない。
柄を握ったその手を、左後方→左前方→正面→右前方と円の動きにしなければ、敵を斬る動作にはなり得ない。その為には、鞘と刃とが、絶妙な角度で反っていることが必要だ。
それを可能にするのが、少年の持つ刀であり、斬る瞬間まで刀身を見せぬことで間合いを読ませず敵を斬り裂くこの技の名は、
「確か……居合」
魔術師がそう発声した時には、少年の刃が一閃していた。吐きかけられた火を、地面スレスレまで姿勢を低くすることで回避し、左斜め下方に押し込むようにした上半身とは反対側、右斜め上方に跳ね上がった刀身が、見事に鷲の胴体を両断する。
慣性によってそのまま少し飛んだ二つの肉塊は、少年の体を大きく越えてから地面に落下。二、三度びくびくと痙攣し、動かなくなった。
それとほぼ同時に、少年と共に跳び出した少女が、上空の鷲を撃ち落としていた。
「風の神様、御力をっ!」
少女の手から巻き起こった旋風が、鷲の全身に絡みつき、捕らえ、斬り裂き、羽も体も吐いた火も、全てをズタズタにしてしまった。鷲は奇声を一つ二つ上げてひとたまりもなく絶命し、血まみれになって地面に落ちる。
少女は疲れた様子もなく、顔を焼かれて呻き声を上げている剣士に歩み寄ると、両手を翳した。その手から、柔らかな光が溢れ出て剣士を包む。
すると、爛れていた剣士の顔が、みるみる癒され、元に戻っていく。これは魔法……魔術師が魔力を用いて駆使する魔術と対を為す、聖職者が法力にて行使する法術、か。だが、この少女が使用している術、その柔らかな輝きは、魔術師には見覚えがない。
それ以前に、少女の出で立ちが妙だ。真っ白で袖の大きい合わせ襟の上着に、鮮やかな朱色のズボン、いや、確かこれはニホンの、袴というものだったか。法力を使うからには僧侶のはずだが、これがニホンの僧侶の、尼僧の法衣なのだろうか。
などと、あれこれ考えながら歩み寄ってきた魔術師に、少女は剣士の治癒を続けながら、にっこり笑って言った。
「ご覧になるのは初めてですか? これはわたしたちの国に伝わるもので、神通力といいます」
長い髪を二房の三つ編みにして、華奢な肩から前に垂らしている。冬の朝の雪景色を思わせる、新雪のように白い肌、可憐な桜色の唇。楚々とした顔立ちの中で特に印象的なのは、薄い眼鏡越しに見える瞳。涼やかで理知的で、聖職者というよりは学者のようである。
しかしそれより何より魔術師の目を吸い寄せてしまうのは、体に密着しているわけでは全くない、むしろゆったりした服を着ているのに、それでも目立つ豊かな胸だ。大きくて重そうで、それでいて強く前方へせり出し、かつ重力に抗しきってツンと上方を向いている。全てをふんわり包み込む母性的な柔らかさと、元気に跳ねるような瑞々しい弾力とを、同時に感じさせる魅惑的な膨らみである。
思わずちょっと、見惚れてしまった魔術師は、ちょうど剣士の負傷が全快したのに気づき、視線をごまかしながら深々と頭を下げた。
「ありがとう、おかげで助かった」