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アキカズたちから遠く離れた、ある場所。ここには少し前まで多くのモンスターが群れていたが、今はもう散っている。モンスターを呼び集めた男が、もういい鬱陶しい散れと追い払ったからだ。
その男は、大木の切り株に腰かけていた。苛立たし気に長剣を地面に突き刺して歯ぎしりしている筋肉巨漢。ブラックエルフ、ヴァンクーアである。
「アキカズ……アキカズ……ッ!」
ギリギリと歯ぎしりする、その歯で、茶色く乾いた木の実のようなものが磨り潰されている。
実が粉々になったところで、ヴァンクーアはごくんと飲み込む。すると、アキカズに斬られた大きな刀傷が埋まり始めた。のみならず、全身の筋肉が脈打ち、僅かだが盛り上がり、張りが強化されている。
ヴァンクーアは懐を探る。だが、そこには何もなかった。
「ちっ。食い尽くしたか。足りねえ」
「こらこら。一個食べたら、三日は空けろって言ったでしょ。効き目が薄れてから次の一個。用法容量を守りなさい」
ヴァンクーアの斜め上方から、女の声がした。
「お前か。もしかして、見てたのか?」
「ええ。アタシのことを、仲間と言えるほどの付き合いはない、って? 悲しいわねえ」
木の枝から、ひらりと舞い降りたのは革鎧を纏った若い女だ。ヴァンクーアとは対照的にほっそりとした体に、銀色の髪と暗い肌。尖った長い耳は、テレイシアやメル、そしてヴァンクーアと同じ。
「アタシは誠心誠意、ダークエルフとしての特技を活かして、こんなに尽くしてあげてるのに。ほら、これ」
女は、腰に括りつけていた二つの皮袋をヴァンクーアに投げた。
受け取ったヴァンクーアは、中身を改める。片方の皮袋には、先程ヴァンクーアが食べていたのと同じ乾燥木の実が十数個。もう一つには、大きめの灰色の乾燥木の実が二個入っている。
この木の実そのもの、あるいはそこから精製されたものはドーラッグと呼ばれている。ダークエルフ特有の技術で作られたもので、高性能な=タチの悪い麻薬として流通し、犯罪組織の資金源にもなっている。
だがここにあるのは二種とも、ダークエルフの里で作られたものではなく、彼女だけのオリジナルである品種改良版だ。一般(といっても裏社会だが)に出回っているものと比べ、遥かに濃く強い成分を有している。
「灰色の方は新作でね。傷や疲労の回復速度も、筋力の増強度も、格段に上がってる。けど、副作用も格段に上がってるから、こればっかりはアンタにもオススメしない」
「というと、モンスター用のドーラッグってことか?」
「そう。実験で、何匹かのモンスターどもに与えてみたんだけどね。一個どころか半個齧らせただけで、あっという間に別種の生物と化しちゃったわ。あれはもう、どう考えても長くは生きられないわね。あんなバケモノに進化というか変化というか、しちゃったら。もう、ね」
肩を竦めて語る女に、ヴァンクーアが訊ねた。
「それでその、別種と化した連中はどうした」
女は、右手人差し指にはめられている黒い石の指輪を見せながら答えた。
「ご存知の通り、これを使えばモンスターの召喚と命令ができる。それで、何匹かをアンタの子分にしたわけだけど。今は別種連中も含めて全員に、ちょっと細かい命令をしてあるのよ」
「ほう。どんな命令を?」
「にっくきエルフたちを探せと。見つけたら、仲間を呼び集めて必ず捕獲しろと」
女の言葉を受け、ヴァンクーアはしばし考えてから言った。
「例の、古代エルフ王国の内乱とやらのことか。モンスターどもが、反乱軍の手駒にさせられて王国軍と戦ったとかいう」
「で、その戦いで使用された遺物が発掘されて今、こうして使われてる。元々エルフと戦う為に作られた物なんだから、遺志を継いでるってことになるわよね。本望でしょ」
女は、指輪に向かって偉そうに言った。
「もちろん今ここでは、反乱軍も王国軍もないけどね。モンスターたちにできるのは、記憶にあるエルフという生物の、肌や血の匂いを嗅ぐだけ。そして、アタシもアンタも、両軍のエルフとは明らかに別種。モンスターたちに敵認定されるのは、お山のエルフ様よ。それと、」
「いるとしたらだが、その関係者だな。王家の末裔なんかが生きていたら、面白そうだ」
そーね、と女は笑うと、来た時のように身軽に木の枝に跳んだ。
「モンスターたちは、エルフを追う。アンタは今、あのアキカズってのに復讐するのが最優先でしょ? なら利害は衝突しないわね。アタシはしばらく、モンスターたちの経過観察をしてから帰るわ。アンタ用のドーラッグもまた準備しないといけないし」
「待て」
ヴァンクーアは、去りかけた女を呼び止めた。
アキカズに斬られた傷は、傷跡こそくっきりと残っているものの、出血は止まっている。先程噛み砕いて飲み下した木の実、ドーラッグの効果だ。
「お前は一体、何が望みなんだ? 普通のダークエルフは、俺を造った連中もそうだったが、もっと群れて活動すると聞くぞ。そして、時と場合によっては一軍、一国にも匹敵する強さの集団を形成して、他のエルフや人間たちに牙を剥くという。なのにお前は、」
「あら、言わなかったっけ?」
女は楽しそうに答える。
「アタシはそういうのが嫌いなのよ。自分だけが楽しければいい。人間も、エルフも、アタシ以外のダークエルフも、どうでもいいの。自分の研究を進め、その成果を試すことが目的。召喚したモンスターも、ドーラッグ漬けのアンタも、研究対象として愛してるわ。それでは不服?」
「……いや。オレも、自分だけが全てだからな。お前の研究だか実験だかが、オレの強さの糧になるなら、文句はない」
「ならいいじゃない。今後とも、この調子でよろしくね」
と、女がヴァンクーアに背を向けて、跳び去ろうとした時だった。
鳥や獣ではない、魔物でもない、そしてモンスターでもない、この世のものとは思えぬ恐ろし気な咆哮が、山に轟いた。
「はあっ、はあっ、」
メルの手にした忍者刀から、血が滴っている。血に濡れた地面には、二匹のモンスターの死骸が転がっている。
魔法陣から出てきた二匹を、メルは苦戦しながらも倒した。その直後、背後から殺気を感じたと思ったら、そちらから恐ろし気な咆哮が轟いた。
だが、振り向いてみれば川が流れているだけ。川の向こうに、木々か生い茂っているだけ。
何者かがいるとすれば、川に潜っているのか、茂みの向こうに隠れているのか。
と考えている間に、後者であったことが証明された。茂みの中から、怪しげな巨体が跳び出して、重そうな体に似合わぬ身軽さで川を越えて対岸に、メルの近くへと着地したのだ。
先の異様な咆哮の主はこいつであることを、メルは一目で確信した。異様な咆哮に見合う、異様な生物であったからだ。
「モンスター……なのですか、こいつは?」




