中臣鎌足(藤原鎌足)は扶余豊璋じゃない!!b
んな訳無いだろ! で終わると思うのですが、どうした訳かかなり昔から手を変え品を変え同様の主張を繰り返す人が多いのです。
そもそも中臣鎌足自体は誕生地の伝承がはっきりしてる時点で「何言ってるの?」という感じの主張になりますよね。だって中臣氏の一員である鎌足だけ急に他人に入れ替わったら絶対にバレるでしょう? 古代史だと絶対の証拠が無いからって、あまりにも常識で考えて荒唐無稽過ぎる事を言う人がいますよね。
それでも「その誕生地は出自を隠す為の架空のカモフラージュ用誕生地である!」とか、かなりムチャな主張を堂々と繰り返す人々が本当に居るんです。何故そこまでして鎌足は百済人だと言い張りたいのかちょっと理解に苦しみます。
それに通常の渡来系(帰化人)系氏族は普通に現地国の氏名を名乗って出自も隠したりしていません。
一番の不思議は扶余豊璋の弟は百済に帰国せず、日本に残り戦後に百済王という氏族名を名乗っています。こんな状態で鎌足だけヒョッコリ入れ替わる? 氏族新設? などとする事が出来るとは到底思えません。まず普通は、お兄さんは生きていた! って弟からしたらなりますよね。
それに上皇后陛下が過去日韓ワールドカップに際して「私自身としては桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」とご発言されて、この様に「母系」に百済王族の血を引くと明言されています。(男系では無い事が重要ですが)つまり皇室としても母系に関しては、さまざまな外戚や渡来系の血筋がある事を公に認めている訳です。
そんな状況で鎌足が扶余豊璋だったなんて「超特ダネ」を社会的に完全に隠し続ける事なんて無理だし、そもそもそんな伝承が日本に以前から全く無いのです。例えば一休さんが天皇の御落胤みたいな噂は隠しても広がるけど、豊臣秀吉本人が必死に自分が天皇の御落胤だと藤原氏だと吹聴しても「それはナイ」と民衆はちゃんと見破る訳で、中臣鎌足に関して古代からそんな噂が全く無い事が重要なんです。
やっぱり「岩崎弥太郎は坂本龍馬だった」というくらい滅茶苦茶な話なのですが、時代が古代なので誰も見て来て実際に検証出来ないから「絶対」とは言えない。だからこうしたいい加減な事を言いっぱなしにする人がいるのだと思います。
けれども常識的に考えてやっぱり中臣鎌足は扶余豊璋ではありません。
とにもかくにも、何故こうした事を言いたがる人がいるかと言えば、任那日本府から天皇家はやって来た! みたいな論法と同じで、今は否定されている騎馬民族征服説を何とか蘇らせたいという発想があるのだと思います。