一期一会
「なあ、君。どこかで情報を仕入れたら、俺にも教えてくれないか。」
変人で有名なその老美術評論家は私にそう言った。
* * *
ああ、サクラコの活動についてだったよね。
面白いんじゃないかと思うよ。
ミューズというAI の技術者が、その作品展に自分の手で描いた拙い絵をその都度添える。
なかなか面白い試みだ。
彼女はミューズの優秀さを際立たせる添え物だ、と説明しているらしいが・・・。
ありゃ嘘だな。
俺に言わせりゃ、サクラコが自分で描いた拙い絵の方がミューズのそれより何倍も面白いよ。
まあ、拙いがな。
あ、これは書くなよ。
俺はね、拙くても芸術ってのは、あれでなくちゃダメだと思ってるんだよ。
機械が描いたものなんぞ、所詮はそれだけのものよ。
まあ、それを評論して俺もここまできたんだけどな。
アルタミーラの壁画と並べたら観れたもんじゃないさ。
あのエネルギーってのは、生命そのものだ。
俺はさ、1つだけ悔やんでも悔やみきれない後悔があるんだよ。
今から2年くらい前のことさ。
あるボロビルのギャラリーでやってた無名の作家の展覧会でのことよ。
ミューズが少しずつ飽きられてきた頃だな。
ガラス扉の外から見えた絵に惹きつけられて、俺は中に入ったんだ。
そしてその絵に魅入られちまった。
手描きなんだよ。
それも鉛筆だけで紙に描いた・・・。
声も出せなかったよ。
なんて力の絵だ!
エネルギーに溢れ、生命力に溢れ・・・。
それ自体が叫んでいるような——。
胸の奥底から、心臓ごとその絵の世界に持って行かれてしまいそうだったよ。
これは!
と俺は唸ったね。
アルタミーラの壁画と並べても、見劣りしない。
こんな絵を描くヤツが・・・、現代にいたんだ——と。
この、ミューズ全盛の時代に!
俺は涙が出そうになった。
たぶん一生をかけて探し求めてきた芸術がそれだったんだ。
もっともそれは、後から気がついたんだが。
その時は、感動でほとんど周りが見えなくなり・・・・。
なのに俺ときたら・・・
たぶん中で俯き加減に座っていた風采の上がらない若いヤツが、作者だったんだろう。
なぜ声をかけなかったかって?
くだらんプライドが邪魔したのさ。
美術評論界の重鎮などと呼ばれている俺が
こんな若造に・・・
体の芯から感動しているなんていうところを見られるのが恥ずかしかったんだ。
俺は顔を隠すようにして、そこを出ちまった。
後悔してるんだ。
名前くらい聞いときゃよかった・・・。
あれほどの才能だ。
近いうちにどこかに名前が出てくるはずだ。
と、その時俺は考えちまったんだな。
ところが、それから2年経っても、あの絵を描いた作者は表舞台に現れない・・・。
俺は後悔してるんだ。
その瞬間にしか触れられない作品ってものが
本当にあるんだなぁ。
なあ、君。
君のような仕事をしていると、美術界の上澄みには聞こえてこないような情報も聞こえてくることがあるだろう?
どこかで情報を仕入れたら、俺にも教えてくれ。
恥も外聞もなく頼むよ。
俺はもう一度観たいんだ。
あの絵が——。
はじめに言ったように、それがこのインタビューを掲載していい条件だ。
* * *
私はまだ掲載できないインタビューの録音データを持って、老評論家の豪邸を出た。
変人ではあるが、その審美眼は信じられる。
私は今、ひとつの強い思いと共に情報を集めてみようと決意していた。
美術誌のライターとして、学芸員として、この貴重なインタビューを掲載したいというのはその動機の一つではあるのだが・・・。
それよりも、私も観てみたいのだ。
あの老評論家をしてあそこまで言わしめた作品を。
魂を鷲掴みにされるというその作品———
『黒い太陽』を。
『午前10時のワースレス』というタイトルも考えましたが、こちらにしました。
候補だったタイトルは、夜明けを迎えて、でもまだ太陽は頂点に登っていない・・・。そんな意味を込めて——なんですが。
この学芸員は見つけられない・・・か、見つけられるとしても、もう少し後の方がいいな・・・。とAjuは思っています。
きっと、その方がソラトやアオイにとっては幸せだと思うから。
幸せでいてほしいじゃない? 2人には。。