一方その頃――公爵家長男の場合③
どうしてこうなったのか? こんなことになっているのか?
何なんだ、あの女は?
わからない……全然わからない。
応接室のソファーにあの女と向かい合って腰をかけ、無言でぶぶ漬けという料理を啜りながら、この状況について心の中で首をひねりまくっていた。
マルグリットとはもう一度きちんと話すべきだと思ったから、クロード・レックからあの植物の報告を受けた時、それを口実にここにやってきたのだ。
前回、マルグリットとの話し合いを中断することになった原因を作ったフィリップは連れて来なかった。
そうだマルグリットと話すためにきたのだからこれいいのだ。
こうなる経緯が少しおかしかったし、今の状況もおかしくないとは言えないが気に……しないわけないだろ!?
何故に侯爵家という貴族階級でも上位の家門の出身者が、メイドの格好をしていたのだ?
使用人がいなければ自分が使用人になればいい?
なるほど……わからん!!
侯爵家の令嬢に――元は王太子の婚約者だった者が使用人の真似事をするなど想像できるわけないだろ!?
しかも何だその魔砲は!?
学園時代に魔砲の競技射撃クラブに所属していた? なるほど?
いやいや、魔砲――マルグリットの担いでいる散弾型の魔砲は相当魔力量が多い者しか扱えない獲物だと思うのだが?
……玄関や先日応接室に仕掛けられていたトラップを仕掛けたのがマルグリットだと思うと、相当な魔力と魔法技術及び付与技術を持っていてもおかしくない。
ああ、確かに学園では魔法系学科を専攻していて成績も上位だったな。
くそ、あらゆる才能に溢れる天才め。
しかしどうやら変装の才能には恵まれなかったというか、あれで変装をしていたつもりだということに驚かされた。
メイド服を着て髪型を変え、眼鏡をかけただけでは?
眼鏡は目元の印象を変える魔導具のようだが、目力が強すぎて全く効果がない。
というか、どっかで会ったような既視感がありすぎで気付かぬわけがない。
鏡を見れば一目でガバガバな変装だと気付くはずにもかかわらず、よくわからない自信で変装を見破られていたことに驚いていたところ見ると、やはり天才であっても自分の欠点というものには気付けないという欠点があるようだ。
そもそも魔力を隠すことなくダダ漏れにしているのだから、多少服装や髪型を変えたくらいではバレバレである。
天才なのか阿呆なのかよくわからない女である。
しかしそのことで完璧な天才だと思っていたマルグリットの間抜けな部分を知り、清々とした気分になった。
そして俺の部下クロード・レックは、この程度の変装も見抜けない奴だった。
仕事は真面目にこなすもののいつもヘラヘラしていて注意力に欠けているようだから、近いうちに演習場に呼び出して鍛え直してやろう。
そのようなことを考えているうちに、俺達を応接室に案内して茶の支度へいったマルグリットが戻ってきた。
「これがぶぶ漬けという料理でございます。東の隣国ベルマネンテ帝国の更に東の国で、お客様にたいしたおもてなしができない時にお出しするものだとか」
ドレスに着替えたマルグリッドから、慣れた手つきでスッと出されるぶぶ漬けという料理。
クロード・レックが手を貸さないように、奴は俺の傍らに待機をさせマルグリットがぶぶ漬けとやらを持ってくるのを待ったのだから、マルグリットが一人で作ったことになる。
武術の心得のある俺は人の気配には敏感で、集中をすれば広い範囲の気配も察知することができる。
応接間に案内されるまでの間、応接間でぶぶ漬けが出てくるのを待っている間、ずっと周囲の気配に集中していた。
その間、厨房で料理をしているマルグリット以外の気配は応接室にいる俺達と、庭にいる庭師と俺が連れてきた護衛だけ。
――確実にこの別邸には使用人がいない。
その状況でマルグリットはメイド服からドレスへと着替えていた。
つまりそれは、マグリットが自分の身の回りのことを自分でできるという話が本当であるということの裏付けである。
裏口から別邸に入り応接室に案内された後、とりあえず茶菓子代わりにぶぶ漬けという料理はどうかと言われたので、マルガリータが本当に身の回りのことができるかを確認するためにもぶぶ漬けとやらを貰うことにした。
ふむ……ぶぶ漬けという料理は、米の上に野菜の塩漬けを刻んだものや焼き魚のほぐし身を載せ、その上から東方風のスープをかけた料理か。
スープをかける前の状態で底の深い器に盛り付けて運んできたそれに、俺の目の前でスープを注ぎ器の脇に薬味を添えた。
配膳台に料理と茶を乗せ運ぶ姿も、目の前でぶぶ漬けを仕上げる動作も熟れている感があり、マグリットが身の回りのことを自分でできると言っていたことに信憑性が出てくる。
料理の方も簡単そうなものではあるが具材の刻み方、彩り、盛り付け方からは彼女が料理を作り慣れていることが用意に感じ取れた。
料理など使用人のやることで、高位の家門出身になるほど自ら料理をする者などほとんどない。
しかも女性ならば手が荒れるという理由でなおさら。
ごく稀に菓子作りを趣味とする貴族女性はいるが、そのほとんどは下位の家門出身者である。
フリージアも平民出身故か菓子作りを趣味にしており、生徒会の仕事に追われる俺達によくクッキーを差し入れてくれていたな。
職人並みに形も味も良かった彼女のクッキーを思い出し、僅かに胸が軋んだ。
それと同時に何か心に引っかかるものがあったが、それが何だったかすぐに思い出すことができず意識をマルグリットが作ったぶぶ漬けに戻した。
「怪しい毒など入っておりませんので、どうぞお召し上がりになってください。気になるのなら鑑定をされればよろしいですし、念のためにそこの眼鏡君に毒味をさせてみては?」
そう言って自分もソファーに腰を下ろし、ぶぶ漬けを食べ始めるマルグリット。
それは毒など入れていないというアピールか。
もちろん高性能の鑑定機能が付いている指輪を付けているので、それを嵌めている方の手で触れればそれが何かわかるし、俺は幼少の頃から毒に耐性を身に付けているため少々の毒は効果がない。
よって配膳台の上に毒味用の小皿とスプーンが見えても、クロード・レックが締まりのない顔でヘラヘラしながら毒味をしたそうに小皿をチラチラしているのが見えても、奴に毒味をさせる気はない。
こうして俺とマルグリットの二回目の話し合いは始ま――りそうで始まらなかった。
せっかく出されたのだから冷める前に、そして米がスープを吸ってふやける前にぶぶ漬けを食べ始めたら、つい食べる方に集中してしまい会話を忘れ無言に。
不味ければ嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたのだが、ぶぶ漬けを口にしてみればプロの調理人の作る料理のような完成された味ではないが、乗せられている具材の塩味と素朴であっさりした味のスープ、そしてそれらと一緒に口に運ばれる米の仄かな甘味が絶妙な調和を築き上げており、警戒しながら一口食べた後は驚きながらも無意識に二口三口と無言で口に運んでいた。
そのことに気付きハッとなった時にはすでに無言の時間が過ぎた後だった。
それが現在――。
何か一言――決して悪くはない味のぶぶ漬けの感想と礼を言うべきなのだが、マルグリットと俺の間に流れる沈黙が気まずく、そして彼女が料理を含め身の回りのこともできるという事実への驚きで上手く言葉を紡ぎ出すことができなかった。
実家にいた頃のマルグリットは贅沢三昧の我が儘三昧で、少しでも口に合わない料理が出てくる激怒してして使用人に当たり散らしていたとフリージアに聞いていたため、そのようなマルグリットは身の回りのことや料理ができるとは全く思っていなかった。
学園時代、平民の多い魔法系学科の方に所属していたからだろうか。
そういえば学園ではよく同じ魔法系学科の階級の低い貴族や平民に囲まれているのを見たな。
昼休憩もいつも身分の低い共に食堂で食事をしていたのを覚えている。
そこで心に引っかかるものがあったが、その可能性をすぐに心の中で否定したが、心の揺れが視線をも揺らし、揺れた視線がぶぶ漬けの器を持つマルグリットの手で止まった。
それは先ほど感じて何かわからなかった、小さな引っかかりの答え。
まさに今、心の中で否定したもの。
その指先が滑らかな陶器のように美しかったフリージアの指先と違い荒れていることに、そして化粧している顔に比べて肌が日焼けしたような色であることも。
「その手は?」
気まずい沈黙の中、最初に口にした言葉がこれかと自分でも思ったが、聞かずにはいられなかった。
ある意味答え合わせ。正解であってほしくない答え合わせ。
「あら、お恥ずかしい。料理もしますし土弄りも好きなので、日頃丁寧に手入れをしているつもりでも一般的な貴族女性の方々に比べて荒れてますし日にも焼けてますの。まぁ、公の場では手袋で隠せば問題ございませんでしょう?」
貴族女性らしい微笑みを浮かべながらも、その返答は美しさをステータスとする貴族女性とは思えぬもの。
そしてその答えにより、心の中にあった小さな引っかかりの答えが、正解であったほしくない正解だったことをほぼ確信した。
「料理をするとそんなに手は荒れるものなのか? 菓子作り程度だとしても」
ダメ押しの確認をしながら脈が速くなるのを感じていた。
「ええ、料理をすると水に触れる時間も長くなりますし、何より野菜の汁で荒れますわね。お菓子作りも小麦粉を使うので荒れやすいですわね」
帰ってきた答えにまだ向き合えるほど心の整理はできていなかったが、シャングリエ領に戻される前にティグラート殿下対して芽生えた不信感と似たような不信感が芽を出し始めた。
「すまない、急用を思い出した。ぶぶ漬けは……その……美味かった。また、来る」
マルグリットとは話し合わねばならないと思いつつも気になる気持ちを抑えることができず、ぶぶ漬けを食べ終えるとソファーから立ち上がった。
その時、閉じているのか開いているのかわからないくらほっそいほっそいクロード・レックの目と目が合って、ただでさえヘラヘラと鬱陶しい笑顔が更にヘラッと鬱陶しく笑った気がした。
そして俺がまた来ると言った時、マルグリットの顔が嫌そうに歪んだのを見落とさなかった。
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