わたくしと健康にいいザマァ
腰巾着君が踏み込んだ先は、こんなこともあろうかと絨毯に付与をしておいた場所。
やはり備えあれば憂いなしですわ。
腰巾着君の靴がその場所に触れた瞬間、絨毯がほんのり緑色に輝き部屋の中をフワリと心地の良い風が吹き抜け髪の毛が揺れた。
それは足元で発生した風属性の魔力の影響で生じた風、緑色の輝きはその魔力の輝き。わたくしが仕掛けた付与が発動した証。
腰巾着君の靴が触れた場所がほんのりと緑に光り、小さなつむじ風が発生し床に着いたばかりの足を掬う。
頭はもうとっくにそこに足を下ろすものだと当たり前のように予測しているところに、急激にそれができなくなると反応が間に合わない。
それが小さなものに足を取られてしまうという現象である。
小さなつむじ風程度で十分。
頭はもうそこに足が着くと思っていた場所で、フワッと足が跳ね返され腰巾着君の体がバランスを崩して大きく傾いた。
わたくしこの瞬間に見ましたわよ。
眼鏡君のほっそい目が弓のように曲がったのを、ものすごく邪悪な笑顔になったのを。
一方アグリオスは……さすが武芸の成績が良かっただけはありますわね。
確実にスッ転ぶであろう腰巾着君よりも、視線はその足元の絨毯――風の付与がしてある部分へ移動し眉がピクンと跳ねた。
これは気付かれましたわねぇ。
絨毯のトラップにも、そのトラップを仕掛けたのが誰かということも。
まぁ、とくに隠すつもりもないので、今日の決戦に向け応接間中に護身用の仕掛けをしたわけですが。
腰巾着君が完全にスッ転ぶ前に、アグリオスの視線がわたくしの方へ移動しばっちりと目が合った。
再びティーカップを持ち上げて口に運びながら目だけでニンマリと笑ってやれば、アグリオスの目が大きく見開かれ驚きの表情となった。
ほほほ、意表を突くというのは楽しいものですわね。
わたくしが眼鏡君からアグリオスを経由して腰巾着君に視線を戻す頃には、腰巾着君は盛大にスッ転んでいた。
しかもそれはまだ彼の不運……いや、自業自得の始まりであった。
スッ転びそうになった拍子に近くの棚を掴んで体を支えようとしたら……あぁ~~~~、その棚にも護身用のトラップが仕掛けてありますことよぉ~~~~。
腰巾着君の手が触れたのがちょうどそのトラップが仕掛けられている場所。
あらあら、運が悪い腰巾着君だこと。
そのトラップは雷属性のビリビリトラップ。
それに触れてビリッとして、ビックリして棚から手を離し尻もち状態で盛大にスッ転び、そのまま後ろに倒れる腰巾着君。
あ……棚でビリッとしてこけながら手を引っ込めた時に、肘が棚にぶつかりこっちもビリッとしてしまったみたいで仰向け倒れた状態で腕を抱え込んでますわ。
これはトラップは関係なくて、肘のビリッとくるところをぶつけて肘から小指の先までビリッとしてしまったやつですわぁ~。
想像しただけでわたくしも小指がピリピリした気分になりますわ。こわいこわい。
それにしてもこれは愉悦! 愉悦ですわあああああああ!!
学園時代から他人の権力を傘に、非常に態度が悪かった男がこれである
ざまぁみろですわ~~~~~!!
なるほど、これが巷で流行りのザマァというやつですか。
はあ~~~~~、ザマァとは何て清々しい気分なのでしょう。
わたくし、気がつきましたわ! ザマァはきっと健康にいいと!!
しかしそれだけはまだ終わらない。
腰巾着君が棚を掴もうとしたり肘をぶつけたりしたため、その衝撃で棚が少し揺れて棚の上に置いてあった、熊が魚を咥えている木彫りの置物に仕掛けていたトラップまで発動……と思ったらこれはわたくしの力不足でちゃんと発動しませんでしたわ。
ちゃんと発動しなかったのですが、本来はまっすぐヒューッと飛んでいって棚の前にいる者にぶつかるはずの木彫りの熊が、シュッと少し移動しただけだった。
ただそれが不運なことに、棚から転がり落ちるだけには十分な距離で、その木彫りの熊が落っこちた下には腰巾着君。
素晴らしく運が悪いですわね、腰巾着君は。
「ぐえっ!」
仰向けに倒れている腰巾着君の上にドスン。
幸い、棚の上に置ける程度の置物はあまり大きくないものなので、重量はそれほどなく大事にはならないものですが……あぁ~、落ちた場所が悪すぎましたわね。
……わたくしの口からはとてもじゃないですけど言葉にできない場所に。
この間ほんの数秒。
わたくしの方へ詰めよってきた腰巾着君を止めようとソファーから立ち上がったアグリオスは、立ち上がった体勢のままポカーンと固まっている。
巻き込まれない場所、部屋の扉の前辺りでは眼鏡君が笑いを堪えているのか、肩を震わせながら眼鏡のブリッジに指を当てひたすらチャキチャキしている。
わたくしは――。
「あらあら、これは大変ですわ。人員が少なくて防犯のため設置した仕掛けが発動してしまいましたわ。これはお話し合いどころではありませんわね。わたくしは今の状況に何も不自由をしておりませんし、人がおらずともこのように安全面も問題ございませんので、わたくしのことなどどうぞお構いなく。それより腰巾ちゃ……お付きのお方はお早めにお医者様に見せられてた方がよろしいのでは?」
お茶を一口飲んでカップを置き、コテンと首を傾げた。
わたくしに構うな早く連れて帰れ、という意味を込めた言葉と共に。
「え? あ? ああ……あ!? フィリップは連れて帰るが、今の仕掛けは何だ!? お前が仕掛けたのか!? では昨日の正面玄関も!? どういうことだ、ここで何をしている!?」
あら、このままわたくしのペースで打ち切れるかと思ったら、ポカーンとしていたアグリオスが突然我に返りましたわ。
「どういうこと、何をしていると言われましても、わたくしは言いつけ通りここで生活しているだけですわ。仕事をしないで礼儀もわきまえない使用人は少々注意したら来なくなってこの状況ですが、そのような使用人など元からいない方がマシな程度でしたから全く困りまっておりませんわ。ただ安全面の問題はございますので、数々の仕掛けは自衛でございます」
どういうこと言われてもこういうことである。
仕掛けについてもまさに今、役に立ってしまった直後だと腰巾着男フィリップの方を見下ろせば、アグリオスの表情が非常に渋くなった。
「確かに使用人や部下のことは俺の落ち度だ。その点はすぐにでも改善……」
「結構です」
すでに今さらである。
そして放置嫁生活を満喫しているわたくしには使用人は邪魔なだけである。
よって即答。
そんな驚いた顔をしても、結構です。
「貴方がわたくしに夫人としての義務を果たさなくていいと言ったのですから、夫人としての待遇は最低限で結構です。つまり現状維持。それにまさに今、こわい目に遭いかけましたので……今までの使用人達の態度のこともありますし、そっとしておいていただきたいですわ」
自分の意見を叩き付けながら、最後はもう身も心も疲れた風にため息をつきながら目を伏せた。
いかにもこちらの生活で人間不信になっているような雰囲気を出しながら。
そこの眼鏡、呆れた顔をしてこちらを見るのはやめろ下さいませ。
わたくしの完璧な演技で、誤魔化しきってみせますわ~。
「……わかった。フィリップのこともあるし今日のところは引き上げよう」
チョロ!
多少沈黙があったがその程度であっさり引き下がってくれるの!?
わたくしにはその方が好都合だが、さすがフリージアにあっさり釣られまくっただけのことはある。
「今日のところはだ。近いうちにまたくる」
フィリップを引っ張り起こし、まだ足元が覚束ない彼を引っ張りながら部屋から出て行くアグリオスがこちらを振り返り言った。
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