65.俺に行かせてください
男に気付かれぬよう、ひなたは辺りの商品を物色するフリをしながら、男と女性のいるコーナーへ回り込んだ。
パジャマが掛けてあるラックを挟んで女性と向かい合う位置に立ち、さりげなくハンガーを少しずつ横にずらしながら、女性の下半身あたりを覗きこむ。
男の手が見えた。
スマホを握り、明らかにカメラのレンズが女性のスカートの内側へ向いている。
今はまだだ ー。
今、取り押さえようとすれば、男が暴れた時、万が一女性に危害が加わってしまう可能性がある。男が女性から離れた後、男を呼び止め、確保すればいい。
男が離れたその時がタイミングだ。
心臓の鼓動が高鳴る ー。
ハンガーを持つ手が少し汗ばんでいる。
落ち着いて、あたし。
きっと上手くできる。逃がさないから。
「よし……。あとは、何だ? 枕カバーとバスタオルか。よっしゃ、上行くか」
袴田は残りの買い出し物を済ませようと、エスカレーターで上の寝具売り場のある階を目指す。
「ああ……やっぱ金田からウィッキーもらっとけばよかったかな……なんちって」
先程の天使との昼食で心満たされた袴田は未だ高橋ちゃんの事を考えていた。
「彼氏はいるんだろうか……いや、いるなら非番の日に一人で来るってのも……。いやいや、彼氏は仕事かも知れんぞ? もしいるならあんな子の彼氏ってどんなやつだ? ……きっと俺みたいなデカくてむさ苦しい奴じゃなくて、スラットした草食系? ってやつか? まあそんな感じの優しそうなやつなんだろうな……。まあ、天使ちゃんにはそのほうがお似合いか。……なんなら俺も今から草食系男子目指すか……?」
エスカレーターを降りた袴田は、くだらない妄想を一旦止め、寝具売り場を目指す。
「え〜っと。バスタオルは……と」
男と、その手から一瞬も目を離さず、ひなたは針に糸を通す集中力ばりに目を凝らしていた。
普段交通課にいる為か、なかなか犯行の現場を目撃する機会が少ないせいか、気配を消して近づいていたものの緊張と興奮のあまり、ひなたからは何ともいいがたい気迫のようなものが出ていた。
女性が隣のラックに移動しようとした時、その瞬間男はスマホをスカートから遠ざけ、そのままポケットにしまいこみ、急ぐ様子もなくフロアの中心にあるエスカレーターの方ではなく、売り場のさらに奥の方へと歩いていく。
えっ ー?
なんで? 何なの? この落ち着きようは ー?
……ひょっとして常習犯?
とにかく ー 今だ!!
ひなたは男の後をつけ、なるべく足音を立てないよう、男のスマホが入ったポケット側から周りこむ。
「あの。すいません。ちょっとよろしいでしょうか?」
「え……」
「突然すいません。少しお聴きしたい事がありまして」
ひなたの頭の中は、先程手に汗をかいていたとは思えない位、冷静だった。
「私、下丸警察暑の者なんですが、あなたのポケットにしまっているスマホ、ちょっと確認させてもらってもよろしいですか?」
「えっ……えっ? 何? なんで? 何言ってんの?」
「いえ、あなたの手にしていたスマホが先程、あちらにいた女性のスカートの方まで伸びていまして、ひょっとしたら……という事で、万が一、盗撮の疑いがないか、確認させていただきたいんですが」
「何で? 何それ? 見てたの? それ、何言ってるかわかんねーんだけど。ナメてんの?」
少しずつ、冷静だった頭が、怒りと興奮で鼓動が高まってくる。
「いえ、あくまでこちらは確認させていただきたいと言っているだけですので、ご協力いただければと」
凛とした態度で、ひなたは引き下がらない。
あくまで自分の職務を全うするひなたは、いつもの活発で真っ直ぐな瞳で男を見据えていた。
「ふざけんじゃねーよ。盗撮? もし俺がやってなかったらどうすんの? おい。マジでふざけてんじゃねーぞ」
「いや、ですからその確認をさせていただきたく ー」
ー その瞬間、男は走り出した。
一瞬のスキをつけたと思っていたのか、ひなたもそれは充分想定していた。既に足腰に力を入れていたひなたはすぐに男を追いだした。
「待ちなさい!」
当然男は制止する声に従う事もなく、走り続ける。
しかし、ラックコーナーを過ぎ、角を曲がろうとしたその瞬間、親子連れの買い物客とぶつかってよろけてしまう。親子連れは、あまりの勢いに転倒し、商品棚に体をぶつけてしまう。
走りながら、恐らくゲカはしてないと目視で判断し、ひなたはよろけてバランスを何とか立て直して走り続けようとする男に追いつき、上着を掴み取る。
「離せよコラ! ぶっ殺すぞ!」
辺りにいた買い物客らが騒々しい衣服コーナーに目を向け、中には店員に向かってひなたらがいる方に指をさして大声を出している者もいる。
「うん? 何だ?」
バスタオルを手にし、まわりの騒がしさに気付いた袴田は喧騒のする方へ意識を向ける。
「騒がしいな。何だ? 万引きか?」
「離せよ! コラ! てめぇ! ふざけんじゃねえぞっ!!」
ひなたは男を足払いで倒した後、馬乗りの姿勢で男を取り押さえていた。自分より大きい男の体を、ありったけの力を込めて、柔道の道着の襟を掴んで、相手の首元を締め付けるように、男の胸ぐらを掴み、身動きを取れなくしていた。
「これ以上暴れると、さらに罪は重くなりますよっ!! ……もうっ! 大人しくしなさいっ!」
「うっ! くっ…! あーっ!! ……くっそっ!!」
「ー!?」
その時、男の体を抑えつけるのに精一杯だったのか、ひなたは左側から来るかたまりのような影をよける暇がなかった。
「バチッ!!」
鈍く、重い、初めて感じる痛みが、ひなたの左頬を直撃する。
ひなたは男からの殴打に一瞬、恐怖を覚える。しかしそれでも手を離さず、目をつむりながら精一杯男を締め続けながらも、ひなたの手は少し震えていた。もう一度、パンチを繰り出そうとしたその時、ほんの一瞬のスキをみて、男はひなたの手首をつかんで締め付ける手を振りほどき、馬乗りをしていたひなたを振り落とす。
馬乗りになっていたひなたがよろけ、起き上がろうとする男に、ひなたは必死にしがみつく。
「……動くなっ! 動くなっ!!」
起き上がった男は足元につかまるひなたの体をもう片方の足で蹴り飛ばし、足にからまる腕を振り払い、再び走り出した。
その時 ー
通路の向こう側で、その瞬間を見ていた男が瞬間湯沸かし器のように怒りを剥き出しにした。
気がつけば手荷物を放り出し、逃げだした男に向かって走り出していた。
盗撮魔は逃げながら振り向き、倒れている女性警官を確認しそのままエスカレーターに走って降りようとした瞬間 ー。
丸太のような腕が男の首にヒットする。
男はその衝撃で両足が宙に浮き、一瞬何が起こったのかわからなくり、地面に背中を打ち付ける。
何が起こったのかと、フラフラする頭を上げようとした時、またもや体が宙に浮き、ふたたび地面に叩きつけられる。
男はもう頭すら上げる事ができず、全身の痛みに悶えている。
「おめー。許さんぞ」
頭の方で声がすると思った瞬間、首に太い丸太が巻き付き、そのまま意識が遠のき、辺りが暗くなる……。
男はそのまま落とされた。
しばらく目は覚めないだろう。
ひなたの周りには買い物客や店員が取り囲み、騒然としていた。すぐに警備員が、その後警察が到着し、同僚のひなたに驚くも、事情を聞いていた。
盗撮男に突き飛ばされた親子は特にケガはなく、軽い事情聴取を受けていた。
盗撮された被害者の女性は、店内アナウンスで呼びかけたものの、結局現れず、男は取り押さえられ連行された。
一通り報告を済ませ、後は明日改めて暑で調書を書く事にしたひなたは、同僚に挨拶をした後、餃子要員のほうへ駆け出した。
「袴田さんっ。 ありがとうございましたっ! あっ……いてててっ!」
ペコリと頭を下げたひなたが、脇腹の痛みに手を当ててこらえる。
「だ、大丈夫ですかっ!? 病院、行きましょうか?」
「いえ、大丈夫です。ちょっとアバラが痛いけど、医療班の人は折れてないって。すいません、ご心配お掛けしちゃって」
ひなたはニコッと笑いながらも、服がところどころ汚れており、男子生徒とケンカした、おてんばな女の子のような見た目になっており、左頬には応急処置として白いシップのような物が貼られていた。
「袴田さん、めっちゃ強いですねっ。あたし、もうだめだ、って突っ伏したまま走っていく犯人見てたら、いきなりのあのラリアット……そしてそっからの大外刈り……あと、何か首締めてませんでした?」
「あ・ああ……。あれは、ちょっとこう……大人しくさせとこうかなと思って。……あれっす。眠らせました」
「そっか〜っ。あたしも落としたかったんだけど、だめだった。てへっ。」
いや……もうあなた、俺を落としてるっす。
「買い物、出来ました? っていうか、その様子だと……」
「うん、まだです。現場検証は軽くで済んだんですけど、けっこう暴れちゃったから、今店員さんに片付けていただいてて……。それに……ちょっと疲れちゃった」
小さくて、そして真っ直ぐな瞳で、眩しいばかりの笑顔を向けてくれる天使に、俺はもうやられていた。
やっぱ俺、行こっかな。配達。




