112.編集者 水野萌香
「私、漫画家になりたいんです」
夢は自分の想いを素直に伝えた。
もともと夢はあまり人に自分の事を話すのは得意じゃない。しかも自分の本心の事ともなるとなおさらの事だ。
しかし今、夢はそれしか言えない。
そしてそれが全てで、今やれる事。
目の前の水野は目を見開いたまま、夢を見つめている。
言った後、何か失敗したんじゃないだろうか、何かしら悪い印象を与えてしまったんじゃないだろうかと、後ろ向きな考えが頭をよぎる。
(何も言わず、ただ話を聞いていればよかったのかも知れない……。そして大事な事を話しているのはわかっている。
でも……だからこそ、私が今日話したかった事、聞きたかった事 ー )
潤んだ瞳で夢は続ける。
「私の漫画……どうだったん……でしょうか?」
考え過ぎて逆に思考が回らないまま、夢は半ば感情的に漠然とした質問を水野に投げかける。
しばらく目を見開いていた水野は夢の真っ直ぐな想いを受け取ったのか、フッと優しい微笑みを浮かべた。
「すいません、失礼しました。まずは小山内さんの漫画についてお話しをするべきでしたね。先ほどのお話しはこちらとしても今日、小山内さんにお伝えする内容でしたが、先にそちらについてお話しするべきでした。
作品は……とてもよかったと思います。
一読者というより、私共……というか、私の立場としての感想としては、ですが……。
まず、小山内さんの描く画にとても惹かれました……。繊細ではありますが、力強いタッチ、何より美しすぎるキャラクター、そして表紙にカラーを入れていただいた絵も、色の選択、塗布の仕方もハッキリ言ってある意味、もう通用すると思いました」
色々な作品に目を通してきたであろう、編集者、水野の言う「通用する」という言葉の意味は、おそらくであろう、夢にも理解は出来た。むしろそう受け取った。
夢の中で勝手に、言わずとも緊張感が高まる。
そして今まで悟にしか見せていなかった自分の漫画を第三者、しかも出版社の人間に読まれ直に感想を聞く事に、多少の恐怖にも似た感覚を覚えていた。
夢はそんな自分を悟られぬよう、まっすぐ水野を見つめて話を聞く。
「影響を受けた作家さんがいらっしゃるかは分かりませんが、ある意味完成されたオリジナルな世界観とクオリティーを感じました。ですが……」
「はい……」
「登場人物を描く際、もう少しいろんな画角で描く事をされてみてもいいかも知れません。
画角一つで読者に与える印象が変わる、そして物語に引き込む力も変わる、いうのを意識して描かれると、より漫画の世界観が深まると思います」
「はい」
自分で聞いておきながら夢はもう、この場から飛び出してしまいたかった。
それほどに、自分の作品への評価、分析の言葉を聞くたびに、自分がどんどん裸にされていくような感覚になっていた。
「そして、ストーリーですが……」
一瞬、水野が改めて姿勢を正したように見えた。
「正直なところ、恋愛もののストーリーですが、この路線が今、市場で高いニードがある訳ではありません。
しかし潜在的な読者を発掘、もしくは少し上の、夢さんの世代より少し上のターゲット層に振り切って狙ったストーリーに仕上げると、ある程度のマーケットを作っていけそうな気がしています」
ターゲット……マーケット……
そんな事、考えた事もなかった。
夢はただ、自分の好きなように漫画を描いて、沢山の人に読んでもらえればそれでいいと思っていた。
しかし。
現実は、そうなのだ。
誰だって、世のクリエイター達は可能な限り沢山の人に自分の作品を届け、認知してもらい、そして喜んで貰えるのが理想だろう。そこに受け取り手に対する差別などない。
しかし、商業主義的な考えに当てはめると、それはそうもいかない。
商業主義活動において、千差万別せずに広く認知される事はそうそうない。
夢は少し、何かしらの覚悟をしなければいけない……そんな気が、というか、そんな直感がした。
事実、そうなのだ。
水野はあくまで一人の編集者として、「仕事」の話をしている。
「……わかりました。
私に何をしたらいいか……教えてください」
「そういう、ストレート過ぎる言葉、私は好きです」
夢はどこか腹を括ったような気持ちでいた。
これはある意味、責任なんだ。
ここに来たから、というのも当然ある。
しかしそれだけではない、沢山の人に自分の漫画を読んで喜んでもらう為の、ただ好きだから描く、という、それはもちろん一番大事な事なのだが、そこに何かしら、自分の作品に対してもう一歩何か、何かを持って歩み寄らなければいけない。そんな気がした。
自分の作品に責任を持つ、というのがまず自分に出来る事だと、夢は思った。
「まずは、何はともあれ小山内さんの漫画をブラッシュアップしましょう。今の時点でも充分に良い所はありますが、今後こちらがしていただきたい事、小山内さんに出来る事を擦り合わせてじっくりやっていきましょう。
そうですね……ゆくゆくの話として、まずは雑誌の読み切りを目標にやっていきましょう」
「は、はいっ!」
「先ほど、私がお伝えした漫画以外の他のアイデア……というのは、お互いが望めばもちろん、そういった展開というか、流れもありますよ、という事ですので今はあまり考えなさらなくて結構です。とにかく今は小山内さんの執筆活動をサポートさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」
水野は社交辞令ではなく、される側にとっては気持ち良い、心のこもったお辞儀をした。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
夢も慌ててお辞儀をする。
「今日はどうもありがとうございました。改めてまた、こちらから今後の詳細についてご連絡させていただきます」
「はい、わかりました。よろしくお願いします……」
もう一度頭を下げる夢に、
「あまり緊張して力を入れ過ぎないでくださいね。楽しく、時には一瞬に悩んだりしながら、ゆっくりやっていきましょう。
今日はお越しいただきましてありがとうございました。これからもよろしくお願いしますね、小山内さん」
水野の優しい微笑みと語りかけは仕事云々ではなく、一人の優しい大人の女性からの歩みよりの言葉だった。
「はいっ」
水野のそんな優しさに、夢は思わず笑顔が漏れた。
出来る仕事人間のような、しかし時折り見せる綺麗な大人の女性の優しさを醸し出す水野に、夢は少し、惹かれていた。
ー その後二人はしばらく談話し、コーヒーを飲み終えると、
「では、ロビーの方までお見送りさせていただきますので、行きましょうか」
「はい」
夢は再び、優しいお姉さんにくっつき、しかし今度は明るい前向きな気持ちで歩いていく。
いつの間にか、夢の緊張はほぐれていた。
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「ふぁ〜ああっ……。まだかな、夢のやつ。眠くなってきちまった……。
おっ? あれか!?」
ビルの入り口のガラスドアの向こうから女性2人が出口に向かって歩いてくるのが見えた。
片方は夢だ。もう片方はおそらく出版社の関係者だろうか。
二人は揃って美少女姉妹のようなオーラを醸し出しながら玄関ロビーまで来ると、
「今日はありがとうございました。こんな素敵な、可愛い方にお会いできてよかったです。また近いうち、これからの流れについてご連絡させていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします」
「い、いえ……。こちらこそ、水野さんのような綺麗な人で、よかったです。ありがとうございました。よろしくお願いします。失礼します」
夢はペコリとお辞儀をすると、自動ドアに向かって歩き出す。
それを見送る水野は夢の向こう側に、外に立つ一人の男性に気付く。
そのまま夢を見つめていると、玄関ロビーを越え、そのままその男性の方へ進んでいく。
夢はずっと一人、長年会えなかった恋人にやっと会えたように、無邪気な笑顔で悟のそばへ駆け寄っていく。
「あれは……彼氏さんかな?
……う〜ん。残念。まあ、でもこれから何度も会う事になるし……ふふっ。楽しみだわ……」
二人を見つめていた水野の目には、何かを企む大人の艶めかしい笑みが浮かんでいた。




