おまけ 頼子という人
友人と久々に会う時って楽しみな気持ちが大半だが、どうしてかその楽しみに思う気持ちの片隅に緊張もあって。
直接店で待ち合わせをしたので、先に店に入ってみたもののそわそわと浮足立っている感情を覆い隠すように店内を見回した。
個室ではないけれど、高めのついたてで仕切られているため他のグループと顔が合わなくていいのはありがたい。
「遅くなってごめんっ!」
メニューでも見て待ってようかなとメニュー表を手にとったちょうどその時、待ち合わせ相手が駆け込んできた。
手にしたハンドタオルで額の汗を拭いながらも彼女は深々と頭を下げる。
余程急いできたのだろう。息も絶え絶えの様子に千尋は慌てて彼女に頭を上げるように告げ、向かいの席へと誘導した。
「仕事の日に呼び出したのこっちなんだし、気にしないで」
「完全に間に合う予定だったんだけど、……終業間際に雑用頼まれちゃって。いや、本当にごめん!」
「あー、あるあるだよね」
「社長が突然思いついたように明後日、取引先の社長と個人的に飲むんだけどいい店知らない? って聞いてきてさ」
社長のプライベートの頼みまで聞かなきゃならないのかー……と思いつつメニューをテーブルの真ん中に広げて置いた。
「リスト作ってデータで渡してきたら遅くなっちゃった。本当にごめん。もっと前に言ってくれればいいのに、あの社長め……」
「大変。社長秘書? だったっけ?」
「違う違う。秘書なんて雇う余裕ないよ、うちの会社。完全に業務外だから終業後に必死で終わらせてきた」
それは何となく良くないような気がするけど、と思ったが千尋はコメントを控えることにした。
一般社員を私用で使う社長って……あ! そうだ。
「信用されてるんだね!」
「……いいように使われているだけかもね」
精一杯ポジティブな言葉に変換したつもりだったが、スルーするのが正解だったらしい。
何となく自虐的な響きを孕んだ返答をしてきた目の前にメニューを押しやって千尋は無理やり笑った。
「私ビール頼むつもりだけど、頼子はどうする?」
「ううん、そうだな……、……今日は、梅酒って気分!」
そう宣言し、彼女――頼子は店員呼び出しボタンを勢いよく押した。
じゃあ私もビールで、とならないのが彼女の良い所である。
おかげで千尋も変に気を遣うことなく自由に飲むことができる。
「千尋も忙しそうだね」
「うん、おかげさまで。それでも休みが取れるだけありがたいかも」
注文を済ませ、何食べようか? なんて話をしながらもそれぞれの近況について交換しあう。
大学の同じゼミの同期同士である。昔の話はそれこそ裏話まで知り尽くしているが、ここ1年ほどタイミングが合わなくて顔を合わせることもなかったのだ。その空白を埋める会話は尽きない。
「今は副店長なんだっけ? 出世したねぇ、本当に」
「まぁ、頑張ったからね!」
全国に店舗がある飲食店に勤めている千尋にとってメーカー勤めの頼子の話は全く未知の世界で非常に興味深かったし、頼子も千尋の業界の話を食い入るような目で聞いてくれる。
しばらくお互いの仕事の話を交わしていると、注文した飲み物とお通しが運ばれてきた。
「それじゃ、かんぱーい」
軽い調子でお互いのグラスを上げて、喉を潤す。
はぁっと同時にため息を漏らして、どちらともなく吹き出した。
「千尋ももうすぐ店長かぁ」
「うーん、多分店長にはなれないと思うんだよね」
お通しの枝豆を手にとって千尋は小さくため息を漏らした。
それが今日頼子に一番話したかったことなのだが、ちょっとだけ切り出しにくい。
「なんで? 嫌がらせか何か?」
「そういうのもないわけじゃないけど、私、多分来年あたりに結婚するから」
「えええ! って、そっか、長いもんね、同棲」
勢いだ、と千尋がその言葉を告げれば、思ったよりも頼子はあっさりとそれを受け入れた。
頼子の言うとおり、千尋は大学を卒業してからずっと大学時代の彼氏と同棲をしてきたわけだが――。
「ううん、あいつとは半年ぐらい前に別れたの。同棲もその時に解消してて。結婚するのは三ヶ月前に付き合い始めた人と」
「ええ!? うええええええ!?」
千尋の元カレは頼子とも交流があったから驚かれるのは覚悟していたものの、その驚きの具合は予想以上で千尋を恐縮させるには十分であった。
「うっそお! 別れてすぐ次が見つかって、それでもって、結婚っ!? 展開速すぎない!?」
「う、うん、実は自分でもそう思ってる。元カレとは10年近く同棲してたのに全然結婚のけの字もなかったのにね、何か、お互い結婚したいなぁって感じで……」
フィーリングなのだろう。付き合いも結婚を前提にはじめたせいもあるが、はじめて会ったその日から何となく結婚するだろうなと感じてたとか、早く結婚したいという気持ちが募る一方だとか。
でも、それを口にするのは何となく恥ずかしかった。
「そういう頼子は? 何かないの?」
「……」
わざと話をそらすように千尋は頼子に質問を投げかける。
恐らく頼子も千尋の意図に気づいてはいるのだろう。少し考えるように天井を見やるとすぐに視線を千尋に戻しグラスの中の梅酒をあおるように飲みこんだ。
「実は、私も結婚準備してたんだけど――」
「ええええ!」
『神様に一生独り身を約束された女』それが大学時代の頼子の二つ名である。
気配り上手で面倒見が良く、どんな話でも辛抱強く聞いてくれる。普通に好かれやすい性質だと思う。それなのに、異性運がないとでもいうのか、本当に縁が遠い。
高校時時代の彼氏は自然消滅したとか何とか。大学在学中も何か変な奴に引っかかって付き合って一日も経たないうちに別れたんだったか。
決してモテないわけではない――はずなのに、まるで見えない何かが阻んでいるかのように男性との浮いた話がなかったあの頼子が、まさか結婚なんて言葉を口にするとは!
いささか失礼なことを考えている自覚はあった。が、頼子を知っている人間からしたら驚かない方がおかしい案件である。
「頼子、結婚するの?」
「――お互いの両親への挨拶をしようって話をしてたのに」
「してたのに?」
不穏な空気を纏いつつ頼子がため息を漏らす。
先を聞くのが怖い。だが聞きたい。
そういう話が一切なかった友人の話だからこそちゃんと聞いて受け止めたい。千尋は大きく息を吸って覚悟を決めた。
「……婚約者のそいつが、一時の気の迷いで浮気して、元カノを妊娠させたって泣きながら謝ってきたんだよねー……」
「はあ!?」
そんな展開あり!? 何でよりにもよってこの頼子にそういう修羅場が降りかかったりするわけ?
訳が分からない気持ちで思いきり聞き返し、話の続きを促す。
手に汗握るというのか、固唾をのむというのか。最後まで聞かなければ今日は帰れない。
「子どもは堕胎するから許してほしいとかもう一度信じてほしいとか言われてもって感じだよね」
「な! は?」
「堕胎とか簡単に言ってくれるけど、それって私の存在がその赤ちゃんを殺すって言ってるってわかってんの? って、気持ちも一気に氷点下まで下がるじゃん」
「う、うん。それで?」
「土下座してくるけど、そんなに謝罪したいんだったらその元カノと籍を入れて子どもをしっかり育てるのがお前への罰だわ! って無理やり別れた」
それは別れて正解だわ、と千尋は何度も頷いた。
自分も長年つきあっていた恋人を捨てた身だ。実体験上、不良物件はさっさと捨てた方が精神衛生上とても良い。
「でも別れたあと、何かやるせなさとか、情けなさとかそういうので泣けて泣けて、人目もはばからず別れを告げたファミレスで大泣きしちゃって――っていう夢を見たんだよね、最近」
「うん、うん? ……え、夢?」
「泣きながら目を覚ます夢って初めてだったからすっごく印象に残ったんだ」
夢? 夢? 何だかきつねにつままれたような気分である。
千尋が頼子を見るとなぜかアンニュイな視線をテーブルの上のグラスに注いでいて――。
「よかった――で、いいのか、なんてコメントしていいのか……」
「せめて夢ぐらい、幸せな結婚式でハッピーエンドで終わってくれてもいいじゃん! なのに、夢ですらそんな展開! みたいな。そんなわけで私の現状は色々察してください」
「あ、うん、はい、了解」
「ま、幸せな夢見たら見たで起きた時に鬱になるんだろうけど」
うん、だよね、と相槌を打ちながらも千尋は内心混乱していた。
私は何の話を聞かされているんだろう? 夢なら、よかったじゃん? そんな現実、なかったことにしたくなる――いやもしかして夢だと思い込んでいるだけで実は現実にあったことなんじゃ? なんてことに思い当たってはっとした。
が、即座に否定する。相手は頼子だ。そんなクソみたいな男に引っかかるはずもない。だってある意味神様に守られているんだもん。
「でも、夢で良かったね」
「……まあ、そうなんだけど。すき家で牛丼食べながら急に思いついたように『あ、結婚すっか?』ってプロポーズだったのも妙に癪に障った! 夢の中ぐらい夢見ろよ! 自分! みたいな! ――あ、そういえば千尋のプロポーズってどうだったの? 聞いてもいい?」
テーブルを叩きつけて叫んだかと思えば、頼子は急に切り替えて好奇心をその双眸に灯して千尋に問いかけてきた。
あまりの切り替えの速さに千尋は戸惑いつつも、一度頷いた。
「あ、えーと、ドライブで行った一面の菜の花畑でシンプルに『結婚しよう』って」
「一体どういう人生送ってくるとそんな素敵なプロポーズされるの!?」
「え、えぇと、結構普通な感じだよね……?」
「その普通は普通じゃないんだってば。どれだけ善行積めば幸せな結婚式の夢を見れるわけ?」
「夢でいいの!?」
「今世は夢で十分。これから頑張って来世に期待、かな」
それはいくらなんでも後ろ向きすぎる! と胸中でツッコミを入れて千尋は頼子を見やる。
少しだけ困ったように眉根を寄せているだけで自虐的だったりしない。落ち込み過ぎず、斜め上にポジティブなのが彼女の良い所――なのだが、もう少しどうにか斜めのベクトルを正面に向けて欲しいというか。
「あ、そうだ、結婚式は? やる予定?」
「え? え? あ、うん、今まだ検討中。……もし、やるとしたら出席してくれる?」
「勿論! 千尋は身長高くてすらっとしてるから、ドレスだったらどんな形でも似合いそうだし、打掛も似合いそうだし、絶対素敵!」
「あ、ありがとう……」
「花嫁さんが素敵なら、もう式は大成功間違いなし! だよ」
こうやって励ましなのか、嬉しいことを言ってくれるのは本当に頼子の良い所である。
たまに暴走してついて行けないと感じることもあるが、本当にいい子なのだ。
こんないい子なのに、どうして夢にさえ男運がないのだろうか。どうコメントしていいのかわからず千尋は何も言わないことに決めた。きっとそのうち夢ぐらいは見ることができると思う。初詣の際についでに神頼みしておきたくなった。頼子が幸せな夢を見ることができますように、と。
……何だか心なしか虚しいけれど。非常に虚しいんだけど。
「結婚すると、店長になれないの?」
「あ、……さっきの話? 一応、エリアマネージャーには結婚していることはネックにはならないって言われてるけど、子どもができたらそうも言ってられないでしょ。店舗の人たちに迷惑かけるのは本意じゃないしね」
「そっか。……千尋の店って行ってみたかったなぁ。ちょっと残念」
「いや私の店じゃないし」
ちゃんとした会社の経営している店であって店長であっても雇われ店長みたいなものだ。私物化してはいけない。店は会社のもの。
「でも、そっか、そうだね。私の店かぁ」
会社の店、じゃなくて千尋の店。考えたことがなかったわけではないが、人生の転換期にいる今、改めてそれを口にしてみて色々と思うところもある。
「うん、もう少し考えてみようかな。人妻店長になることも選択肢に入れてもいいかもね」
「人妻店長って、キワモノっぽい」
「あー、だよね」
好きな人と結婚できるのは嬉しかったけど、どこか気が重かった理由がわかって千尋は肩の荷が下りたような気分だった。
とはいえ、まだ何も解決はしていない。夫になる人とも話し合わなきゃいけないし、同僚にも上司にも話をしなければならない。もし個人でやっていくのなら勉強もしなければならない。考えが甘すぎて打ちのめされるかもしれない。
「頼子は? 自分の店持ちたいとかないの?」
「私? いやいや、一生サラリーマンがいいな。……このままでいくと一生独りだから厚生年金だけが頼り」
「そこまで悲観的にならなくても」
「だってさ、合コン行っても出会うのは女子と彼女持ちだけで、はやりのマッチングアプリもちょっとアレなタイプしかマッチしないし……。ここまでくると天の思し召しかなって」
もうこれ以上この件に関しては掘り返すまい、と千尋は口を閉ざした。
初詣より前に近所の神社に行って祈っておこう。この男運が悪いというか皆無な友人が、せめて希望だけでも取り戻すことができますように、と。
一足飛びに素敵な結婚が、と願っても叶わないかもしれない。が、小さな願いだったら一つずつ叶っていくのではないだろうか。
「結婚式、決まったら招待状送るね」
「うん。楽しみに待ってる」
嫉妬や焦りなどひとかけらもない様子でそう返答してくる頼子は大学時代から全然変わらない。
自分のことと、他の幸せを切り離して考えられるのは本当に彼女のいい所なのだ。
頼子と飲むのが楽しいのは、彼女がこういう性格だからだ。安心してどんな話でもできる。
「頼子にはずっとそういう感じでいて欲しいなぁ」
「それ皆に言われるけど。……一生独身でいてってこと?」
「そう受け取る!? ああ、ごめん、そうとしか聞こえないか。ごめん。そういう意味じゃなくって、……また飲みに行こうよってこと」
「なんか釈然としないけど……。楽しく飲むのは得意だし。また、近いうちに今度は大学の同期の集まりでもしよっか」
「いいね、みんな元気でやってるかな? 誰かと連絡とってる?」
そんな感じで大学同期同士の楽しい夜は更けていく。
後日千尋が頼子に『よい夢を見るためのメソッド』という長文メールを送りつけたのはまた別の話。