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第一話 華燭之典

「お侍様、お待たせ致しました」



 うむと頷き、清史郎は笠の結び目に手を掛けた。



 所望した品に目を遣る。


 無骨な兀々(ごつごつ)とした茶碗。いかにも丈夫そうな庶民然とした風合いである.

 黒々とした趣は、不思議とこの峠の萌え立つ緑に寄り添うように釣り合いが取れていた。



 ――(ぬる)めの茶である。峠を行く者には有難い塩梅(あんばい)だ。茶請けの団子も、街場より些か塩が効いているように思う。二串の片割れを早々に平らげた。




「亭主、すまんが茶の代わりを頼む」


「へい、すぐにお持ちします」



 早駆けの旅ではない。が、生来の急勝(せっかち)というものだろうか。


 江戸の道場に季節ごとの稽古を付けた帰り路である。伴の者は久方ぶりの江戸観光に洒落込むというので、丁重に断りを入れ一足早く江戸を後にした。


 

 茶の到着を待ちきれず、残りの団子に腕が伸びるのを堪える。いかんいかん。



 先客の女がくすりと笑うのが見えた。


 無意識に頭かぶりでも振っていたのだろうか。鼻先を数度掻くと会釈を返した。



「お侍様はお江戸のお帰りにございますか?」


 透き通るような声だった。蝉の時期であれば掻き消えそうな、青い玻璃(はり)のような。



「う、うむ。どうも拙者には性に合わなくてな。伴を置いての独り路である」


「うふふ。山から出やった事もない私には憧れのお江戸ですのに」


「どうにも我が侭ままな性分故、他人にあくせくとされるのは落ち着かん」


「あれま。面白いお方」


 袖口で顔を覆う様に笑う女。艶やかな潤いを清涼な薄膜で包んだような声がした。遠雷とも、耳元の囁きとも取れる不思議な音色であった。



 聞けばこの女、婚礼を控え遠く山向こうの稲荷大社へお詣りと遊山の帰りだという。伴の者と(はぐ)れ、この峠の茶屋で行き会うつもりだそうだ。


 侍は妻帯者、女は婚姻待ちで互いに固い身の上。さらに時間を持て余している。


 初夏の爽やかな開放感も手伝い、何方どちらともなく会話に華が咲いた。



 営んでいる道場の、濃密な男の世界に居る侍には非日常の体験であった。


 また、女とっても山しか知らぬ生活にはよい刺激であっただろう。


 

 江戸の話と言っても道場で稽古三昧(ざんまい)の数日の滞在。碌な土産話がある訳ではないが、女は見知らぬ土地の話を根掘り葉掘り聞き返し、大層喜んでいるようだった。やっとうの話や、どんな飯を食したか、流行りの装束まで。まるで(わらべ)の如き有様だった。



「そうだ。伴の者にせめての土産と持たされたが、どうも妻には若すぎて不似合いだと思っておった。これなる(かんざし)を授けよう」


 噺家(はなしか)や太鼓持ちのように流暢に話す事もせず、然して特異な出来事があった訳でもない。そんな侍のせめてもの心遣いだった。



「まぁ綺麗! 本当に頂いても宜しいのですか?」


「構わぬ構わぬ。合いの手の礼じゃ。家内にはちと若すぎるし、(せがれ)しか居らぬ拙者には持て余しておったのだ。仕舞い込んでは簪も不遇というもの」



「ありがとうございますお侍様。生涯の宝に致しますわ」


 (ため)(すが)めつ簪を眺める様子に、侍もいたく満足した。




 昼前に出会った二人だったが、昼八つの鐘の音が鳴るまでまこと束の間に感じられた。



「お嬢様! ここに居られましたか!」


 揃いの半纏(はんてん)装束に身を包んだ二人組が現れたのは、まさに最後の鐘が鳴り終わった時であった。



「あら、もっと遅くともよかったのに」


「御無事でなによりでございます! 方々探しておりましたぞ!」


「此方の御仁は?」



「これは失礼仕つかまつった。身共(みども)は剣術道場を営む半田清史郎と申す者。こちらの茶屋で偶然にも行き会い、互いに急く身でも無かったので茶の伴に付き合うて頂いておったのだ」



 (いぶか)しむ様な視線に耐えかね、少し言葉が多くなったか。さらに出掛かった二の句を茶で流し込む。



「この辺りは人も多く、間もなく江戸に野菜を売りに行った衆の帰りの頃。こちらのお侍様にお守り頂いてましたのよ」



「そ、それは失礼いたしました! さ、お嬢様、お館様もご心配しておられるでしょうお戻りの支度をなさいませ」



 二人組に見咎みとがめられぬよう、急いで袂たもとに簪を仕舞う女を視界に入れぬように、茶屋の亭主に勘定を頼む侍。



 慌ただしく動く亭主と二人組の取り巻きを余所に、悟られぬように見合う姿はいぢらしく、新緑の峠によく映えた。






「…様、……お侍様、お茶のお代わりお持ちしましたよ」


 侍は目を覚ます。



「よくお眠りで御座いましたのでお声掛けするのを(はばか)りましたが、失礼を致しました」



「む、相済まぬ。勘定か? 女一行の分も付けてくれ」



 きょとんとした顔で亭主が首を傾げる。



「女、で御座いますか? 失礼で御座いますが、お侍様は先程当茶屋にお着きになり、早々にお眠りになられたので……はて?」



「む、何を申しておるのだ? 先程まで一緒に居った女が……」



 女の座っていた方に目を向けるが、其処には何処ぞの爺が座っていた。



「何が……。亭主! 今は何刻であるか!?」



「へ、へぇ。昼四つ過ぎで、間もなく午の刻かと……」




「なんと……」




 慌てて袂を探る。女に渡した簪が入っていた所には葛と思しき葉が数枚。



「お侍様、ひどくお疲れの御様子。今一時お休みなさいませ」


 信じられないといった様子で侍は首を(ひね)る。が、脇の団子も乾いておらぬ様を見て、何とも得心し難い感情との背反の責め苦に悶えた。



「お侍様、雨も降って参りましたしどうかお休みなさいませ」



 亭主の言葉に茶屋から一足ほど出て、空を見る。初夏の晴天。陰り一つ無い日輪の奥から沸いて出るように、幾粒もの水が衣を濡らした。



「何とも面妖な……天気雨というものか」



 侍が再び席に着くと、亭主が先程より熱めの茶を置きながらこう言った。






「お侍様、この辺りでは狐の嫁入りと申しますよ」






 薄葉萌ゆ、武蔵の国の初夏のお話。


 此度は是にて。



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