45 深窓の令嬢と引きこもりは違うのか?
翌日。
アハメド二世とイヴが、無事、仲直りをしたと聞いたリマとヴィーが、同じ王女宮を渡り、イヴの居室にやってきた。
正午過ぎの話である。
久しぶりに、一緒に昼食会を楽しんだ三人の従姉妹達は、しばらくは、冬の花の飾られた部屋の中、いい匂いのするお茶を飲みながら、談笑していた。
「全くもう、お養父さまの強引さにも困ったものだったけど、最後にはわかりあえて嬉しかったわ」
最近のアハメド二世との事を振り返っての話を終えると、イヴは膝の上にマーニを乗せて彼の顎の辺りをなでつけた。
「本当にわかりあえたの?」
くすくすと笑いながら、ヴィーは猫のような尻尾を振っている。
イヴも、可愛らしい、猫尻尾を同時に振りながら、首も左右に振った。
「さあ、わからないわ。お養父さまは、何か考えているお顔でいらっしゃったけど……」
「お養父さまの考える事って、時々、ぶっ飛んでいるから困るよ」
こちらは、狼耳と尻尾のリマが、イヴと同じソファでくつろぎ、マーニの美しい毛並みを愛でながら言った。
リマの狼耳と尻尾は、アハメド二世からの遺伝であるらしい。
サフィヤも狼耳と尻尾である。
ちなみに、地獣人の獣耳や尻尾などの遺伝は、法則に則った上でランダムである。
地獣人の獣の形質を司るのは、一般に、アウマクアと言われる。アウマクアとは、妙な話だが、その家系を守る守護霊に当たる言葉である。
アハメド一世の妻、アディラ皇后は、白鷺の地獣人であったが、彼女の家系……ホウナニでは、白鷺の他に、狼、猫が守護霊に入る。ホウナニの血筋が色濃く出ると、それらの遺伝が現れるのだ。
その結果、アハメド一世とアディラ皇后の間に生まれた、アハメド二世は狼の獣耳と尻尾を持ち、妹のアヤナ、ティシャは、猫の耳と尻尾を持って生まれた。
その後、アヤナもティシャも風精人貴族に嫁いだため、生まれたヴィー達は、猫尻尾だけ受け継いだのである。
その後、アハメド二世は、サフィヤ皇后と結婚した。サフィヤ皇后はアリアナ家の人間で、アリアナの守護霊は、狼、梟、亀である。狼の形質がかけ合わさって、リマが生まれた。こ
これらの守護霊は家系によって、何個入っているかは定まっていない。一般には3~6個である。次に生まれる子に、どの形質が出てくるかも、一般にははっきりしない。だが、ファイダ自治区の巫女の何人かは、パターンが読めるとされている。
それで、従姉妹といえど、イヴ達は違う特徴を持っているのだった。
だが、ごく幼い頃ならともかく、十五歳を超えた辺りからは、三人とも自分の容姿の獣の特徴を気にした事はなく、お互いに比べ合う事もなくなっていた。
三人はごく和やかなペースで、父帝や皇后の噂をし、イヴの無事を喜び合っていた。
自然と話し声の間には笑い声が紛れ、三人の従姉妹姫は、室内に飾られたポインセチアなどの冬の花々よりもずっと、華やかで優美で、弾けるような若さに満ちていた。
「イヴ、そういえば、リュウとは最近会えているの?」
「え?」
ヴィーの問いかけに、イヴは思わず、口を中途半端に開け、次の瞬間赤くなった。
「リュウとは、この間のアスランとの新年会で会ったけど。どうしたの?」
「そういうのじゃなくて」
ヴィーは苦笑いをしながら同い年の従妹に向かった。
ヴィーは、もちろん、リュウがSSSランクとはいえ、冒険者である以上、頻繁に帝城に来る事はない事は知っている。
「謹慎中、自分から、リュウに会いに行ったりしなかったの?」
「ヴィー! ま……まさか、そんなこと……」
従姉の名前を叫んだイヴだったが、そのあと、両手で顔を覆ってそのままソファとマーニの上に突っ伏してしまった。マーニは、イヴの胸に潰されて奇妙な声を立てた。
「あら、会いに行ったの?」
「そんなことしないわよっ」
さらに突っ込むヴィーに、イヴは身もだえながらそう答えた。
「行けばよかったのにさ」
リマは、不思議そうに首を傾げている。
「リマ、あなたまで。あのね、謹慎中っていうのは、そのね……」
「謹慎が何かなんてわかっているってば」
ヴィーはややつまらなそうだった。
「イヴ姉様は、普段、部屋から出ないから。帝城から出るななんて、お養父さま、意味あるのかと思ってた」
そこでリマが面白そうに言った。
「だから、逆に、謹慎中なら好きな人のために、部屋から出るかと思ったんだよ。それなのに、イヴ姉様、ふくれてるばっかりで何もしないんだから。それじゃ、お養父さまだって悪者になるばっかりなのに。お養父さま、辛かったと思うぞ」
リマの言葉に、猫尻尾をピンと立てたイヴだったが、次第にその尻尾をふらふらと左右に揺らし始めた。
ちなみにソファのマーニの上に突っ伏したまんまだ。
「そうよね。イヴはどうしても、足が悪いから……」
ヴィーは、そこは仕方ないというように両手を肩まであげた。
「だけど、そこに甘えちゃだめよ。走れないのは仕方ないけれど、日頃から、もう少し、外に出る訓練をしなきゃ」
イヴは元々、病弱な性質だった。その上に、ティシャが物心がついた頃には夫の浮気に悩まされて心身症だったため、なかなか外に出かける機会がなかった。
そして、ティシャの夫でイヴの父であるシャビーブは、そもそも社交好きで外で遊ぶ事が好きな人間で、病気の妻を面倒見るのは鬱陶しいと思っていたらしい。
それでも、小さい頃は娘のイヴをかまってくれようと言う気持ちはあったらしく、ある日、イヴを連れて、ヴィークルでドライブに出かけた。シュルナウ港まで。
シュルナウ港近辺で、イヴに海を見せてやりながら、ヴィークルを飛ばし続ける事、数十分。
海に落ちた。
イヴを連れて。ヴィークルごと。
そのときに、イヴは両足をヴィークルにぶつけて、打ち付けて、大怪我を負ったのである。
しばらくは歩行も困難なほどであったが、病気のティシャが苦労しながら献身的な看病をし、医者も頑張ってくれたため、何とか立って歩く事が出来る程度には回復した。
だが、それでも、長時間歩く、走る、などのことは出来ないのである。
ティシャは当然、イヴを危険な目に遭わせた夫に対して、珍しい事に、敢然と怒りをぶつけたが、返事はどうしようもないことにDVで、ティシャを傷つけ疲弊させ、娘のイヴを怯えさせるだけにとどまった。
その後、それを聞きつけたアハメド二世がカンカンに怒ってシャビーブを呼び出し、何があったか問い詰めて、もっと妻と娘に丁寧に優しくするように説教したのだが、そうするとシャビーブはティシャに対する苛立ちを募らせるという悪循環があったらしい。
その件については、ヴィーもリマも話題にすることはないが、イヴの方は、本当にしょうもない父親だったと割り切っていた。
今は、自分の父親は、アハメド二世で、母はいないが、自分には姉も妹も出来たのだと思っている。
「そうね。もう何日も、外の空気を吸っていないかも……少し体がだるいのはそのせいかしら」
やっとのことで身を起こして、マーニを解放してやりながら、イヴが答えた。
「そうだ、姉様達、このあとヒマ?」
「今日は夕方までは時間空いてるけど?」
リマの問いにヴィーはすぐに答えた。
「私は一日空いてるわ」
イヴも鷹揚に頷く。
「それじゃ、今から、シュルナウの外の丘に行こう? ヴィークル飛ばして。イヴ姉様は、もちろん、聖獣で!」
リマは快活な笑顔である。
「丘?」
ヴィーは意外そうに顔を上げたが、すぐに笑った。
「いいわね。イヴも来るでしょう? どこの丘?」
「私はいいけど……聖獣でいいの?」
イヴはややためらいがちである。
「イヴ姉様が動かないからこう言ってるんだよ。姉様が動きやすいなら、ヴィークルでも聖獣でもOK。飛ばすなら、どこの丘がいい?」
リマはそう答えた。女三人でリラックスしているせいか、リマは本当にくだけた口調になっている。
シュルナウの郊外には六つの丘がある。
それぞれが、ミトラ十二神における六人の女神の名を冠し、古代においては神山とされていたらしい。
ちなみに六人の女神の名前は、山の女神マウナ、大地の女神アイナ、月の女神マヒナ、闇の女神ピリナ、美と愛の女神ウェリナ、戦いの女神ラナキラ。
神聖バハムートにおいては、山は女性であり、女神の支配する世界である。そのため、丘も女神の名や、女性名をつけられる事が多い。
「やっぱり、マウナの丘が一番大きいし、日当たりもいいんじゃないかしら。他の丘も綺麗だけど、今は真冬だし、日の当たらない暗いところは近づかない方がいいわね」
ヴィーはそう答えた。
確かに、六つの丘の中ではマウナの丘が一番大きい。
そういうのも、山の女神マウナは、主神ミトラの妻であり、神の妃として女神の中で最高位、バハムート国内では誰からも信仰されているからだ。専ら、家庭と竈、それに全ての女性を守護するとされている。
その娘が戦いの女神ラナキラで、知恵と正義を司る。丘は、マウラの丘のすぐ東に寄り添うように立っている。
他の四つの丘は、マウナの丘とラナキラの丘を守るように並んで取り囲んでいるのだ。
マウナの丘までは舗装された広い道路も通じており、冬の道を飛ばすのには最適だった。
「それなら、私も外に出かける服に着替えるわ。冬道だし、リマ達も準備が必要でしょう。30分後に、王女宮の西の門で待ち合わせしましょう」
イヴがそう言って、ソファからマーニを抱きながら立ち上がった。
「そうだね。姉さまたち。そうしよっ」
元気よくリマが答えて、自分も立ち上がった。
イヴは聖獣やヴィークルには慣れているので、実は、ロングドレスのままでも長距離を平然と乗りこなす事が出来る。
だが、寒いのは苦手なので、防寒具を装備して身だしなみを整えた。分厚いコートとマフラーをまとい、下は重ね着のチュニックに黒い厚手のレギンス。足下は裏起毛のブーツ。
侍女に手伝ってもらいながら着替えをすますと、そうしている間に気を利かせた侍女が、
菓子と飲み物を詰めたバスケットを持ってきて、イヴに手渡した。
30分後、王女宮の門のところで、真冬の防寒具に身を包んだ皇女達が待ち合わせていた。リマのコートは頑丈で温かく、機能的なミリタリーのもので、彼女は革手袋などもしっかりつけて、最新型の機動軍馬に乗っていた。
ヴィーの方も、洗練されたレザージャケットにパンツルックである。
そこにイヴがおっとりと歩きながら近づいてきた。
「待った?」
「待ってない。イヴ姉様。俺も今来たところ」
「リマ!」
イヴは、慌ててリマを制止しようとした。
「ほら、あなた、また……皇太子なんだから、言葉遣いに気をつけて」
「ご、ごめん……」
慌てるイヴとリマの周りには、五人ほどの護衛がいる。イヴ付きの甲も含めて、全員、若い男であった。
ヴィーとリマは、供回りの護衛をそれぞれ二人ずつ連れてきたらしい。
イヴに叱られたリマは、口元を押さえているが--。
どうしたわけか、思春期に入った頃から、リマは自分の事を「俺」と称するようになった。自分でも、なんでか知らないが自然と「俺」で会話をすすめようとしてしまうらしい。その頃から軍事や軍備に並ならぬ関心を持つようになり、父帝の素行を何でも観察してよいところを真似するようになった。
……まあ、そういうことだろう、とヴィーとイヴは納得している。
自分たちも相当、複雑な立場だが、それよりも期待と重責があるややこしい立場なのがリマなのである。なんといったって、神聖バハムート帝国ではここ何百年も存在しなかった、女性皇太子で、地獣人の姫の血を引くのだ。
そのため、「俺」なのだろう。最初のうちは呆気に取られていた周囲だが、その後、やんわりと、リマを溺愛しているイヴの方に相談が持ち込まれるようになり、イヴがそういうリマの行きすぎた行動を注意する係となっている。
ヴィーも、必要な時は、リマの男っぽすぎる振る舞いはやめさせるようにしていた。
「でも、なんで、女は”私”しか言っちゃだめなんだろう。”俺”だって、自分がふさわしいと思ったら言っていいと思うんだけどな」
「……そういうことじゃないの」
イヴは柔らかく叱りつけるしか出来なかった。イヴも、リマが自分らしさを大事にしてやりたいのだが、リマが些細な言葉遣いなどで揚げ足を取られて、中傷を受けたりするのは嫌なのだ。ただでさえ、自分たちは地獣人の姫ということで、暗殺、襲撃を受けることもあるのに。
「わかったよ、イヴ姉様。気をつける」
それでも、油断するとぽろっと「俺」と言ってしまうリマだったが……。
「それじゃ、一角獣を呼び出すわね」
リマが素直なのでイヴはほっとして、早速、自分が契約を結んでいる幻獣を召喚することにした。
イヴが呪文を唱えて、簡略化された印を切ると、地面に魔方陣が現れる。その光り輝く魔方陣から、一角獣が飛び出してきた。その名の通り、額に一本の角を持ち、リマ達の馬形ヴィークルと同じぐらいの体格を誇っている真っ白な馬である。
馬タイプのヴィークルの方は、ヴィーは濃紫色と黒の胴体の大人っぽい色合い、リマの方は鮮やかな真紅と青の対比が目立つ色合いである。
供回り達はそれぞれ、軍部から提供された濃い灰色の機動軍馬を用意して来ていた。
「準備は出来た?」
ヴィーが妹分達に言う。
「OK!」
弾けるようなリマの声。
「大丈夫よ」
イヴも一角獣の首を撫でつけながら返事をする。
「それじゃ、行きましょう! マウナの丘まで、一本勝負よ!」
そう声を張り上げるなり、ヴィーは、自分のヴィークルの手綱を握りしめて一気に走り出した。
「しょ、勝負!?」
イヴがうろたえる。
「当然でしょ。私もお先に!!」
リマも慣れた手さばきでヴィークルを発進させ、いきなりトップスピードに持って行った。
「全くもう……負けたら罰ゲームさせられそうね」
おっとりと言ったイヴは、一角獣の首の後ろをそっと押して、走るように促した。一角獣は風よりも早く走り出した。
続いて従者達がそれぞれの機動軍馬で軽快に走り出した。




