40 ファンの勘違い
ミカエリス子爵のピアノ教室には、平民の暦で週に二回通う事になっている。
今までも、ピアノは毎日弾いていたが、目標を持ってコツを教わりながら弾くようになったので、エリーゼは大分、張り合いを感じ、以前よりもピアノが楽しくなってきた。
そのピアノ教室で、エリーゼがまず最初に打ち解けたのは、くだんのヨゼフィーネだった。ヨゼフィーネは、帝都シュルナウの中では古くもなく新しくもない伯爵家で、ぱっとしない文官の父親と、ヨゼフィーネのすぐ下の跡継ぎの弟に子育てに夢中の母親と、教育ママに育てられたピアノ弾きらしい生真面目さと地味だが嫌みにならない気配りを持つ少女だった。
そして、この年頃の帝都の貴族の少女にありがちな傾向が顕著であった。
一昔前の言い方で、ミーハー。
すなわち、流行に敏感で、良くも悪くも情報が早く、お調子者で、甘いおしゃれなお菓子が大好きで、人気者のイケメンはもっと好き、という、若い娘なら誰でも……という傾向である。
そのお調子者でかぶれやすい彼女が今一番かぶれているのが、”アスラン”であった。
もっと言ってしまえば、魔王を倒した救国の英雄の仲間達の事を、現代日本で言うのならば完全にアイドル視しており、同じピアノ教室に通う、やはりアスランが好きな少女達に布教をし、団結を固め、他の英雄パーティの好きな少女グループ達と連携を取り、日夜アスランの追っかけと布教活動に元気よく励んでいた。
(はぁ~……アスランさまの、ファンクラブ会員ってことだよね。日本で言うのなら。私と初対面の時も、アスランさまの好きな曲の事が真っ先に出てきたし、本当に好きなんだなあ。私も、アスランさまのことは凄く気になるけど……ファン活動をしたいというのともちょっと違うし……)
それはそれとして、ヨゼフィーネは、英雄達の事ならかなりの情報通で、この年頃の女子にありがちな、「おしゃべり上手」でもあったため、二人の間では、自然とアスランの話題が増えていった。エリーゼは、ハインツの方から、アスラン暗殺事件の際の自分の行動は誰にも話すなと言われているため、そのことが話せないのがもどかしく、罪悪感を覚えたが、ヨゼフィーネの方から明るく楽しそうな空気で、アスランの話をされると、断る事も出来ず、ついつい喋りこんでしまうのだった。
ヨゼフィーネの方は、エリーゼが控えめながらも、自分の話す英雄達の話なら何でも身を乗り出して強く頷いてくれるので気分がよく、他のピアノ教室の仲間と一緒に、小一時間ほど話し込んだりするのであった。
結果的に、エリーゼは、相づちをうっているだけで、アスランや甲たちの情報が随分増えた。
エリーゼは、ヨゼフィーネ達ともっと積極的に話したいと言う気持ちはあったが、どうしても、冷や汗が出るほどの緊張があったし、自分の方から話そうとすると動悸が激しくなって舌がもつれてしまうのだった。前世の事が気にかかった。それでも、ヨゼフィーネを始め、同じピアノ教室に通う、ラインヒルデやリーゼロッテ、イーニッド達の事は好きだったし、いつか、昔のように流ちょうに気の置けないおしゃべりを楽しみたいと思っていた。
そんなある日、エリーゼがいつものようにピアノ教室に早めに行くと、室内の雰囲気がおかしかった。他の女子達が、ヨゼフィーネの周りに集まって、何やら暗い顔立ちで低い声で話している。エリーゼは嫌な予感がしたが、ヨゼフィーネが珍しく沈鬱な面持ちでいることが何より気にかかり、彼女達の方に近づいていった。
「こんにちは。皆さん。……ヨゼフィーネさん、どうしたの」
ヨゼフィーネはエリーゼの方からみても、自分の様子がオカシイということに気がついて、はっとしたように顔を上げた。
「エリザベートさん、知らないの?」
ラインヒルデが驚いたようにそう言った。
「え、何を?」
引きこもりで、ピアノ教室以外に、同年代の女子と話す事もないエリーゼは、不思議そうに首を傾げた。
すると、ヨゼフィーネは、さながら、この世の終わりの告知を堕天使から受けたとでも言うような面持ちで、それこそ魔王に世界が征服されて、今日から人類は魔族の餌であるとでも決まったような雰囲気でこう言った。
「……知らないの? エリザベートさん。アスランさまに、彼女が出来たのよ」
「えっ」
エリザベートこと、エリーゼも凍り付いた。そんな話は、当然、聞いていない。……アスランがどうしたって? 当然、脳裏に浮かんだお相手はイヴであった。
だが、続いて、ヨゼフィーネはこう言った。
「敵は、赤毛の年増の女よ」
確かにそう言った。”敵”から言葉は始まっていた。
「敵……」
ヨゼフィーネの思い込みの力に、エリーゼはやや引いてしまいながら、それでも彼女達の方に向き直り、話を聞くことにした。
「どういうこと? アスランさまに、本当に恋人が出来たの。赤毛って、何」
「それがね」
ヨゼフィーネはラインヒルデやイーニッドと話し込んでいた話を、もう一度、エリーゼに話す事にした。
「最近、アスランさまにつきまとう妙な女がいると、前から噂になっていたらしいの。それこそ、アスランさまの大事な職場である、近衛府の周りにまでうろついて、つきまとっていて。あんまりにも見苦しい、はしたない声を立てて追い回していたそうなのよ」
「それは、どなたがおっしゃっていたの」
「近衛府にいる事務官のお姉さま達が見ていたのよ。近衛府のお姉さまたちだって、アスランさまの事は大好きで尊敬しているって言っていたわ。それで、自分たちは職分もあって、行儀よく慎ましく、アスランさまを見守っていたのに、いきなり変な女が入ってきて!」
ああ、なるほど。アスランの職場にも、若い女性はいる。それが、ヨゼフィーネのファン活動のネットワークに引っかかっていたのか。エリーゼが納得して頷いていると、次第にヨゼフィーネは興奮して早口で熱弁を始めた。
「朝から晩まで、近衛府の周り、アスランさまの周りをかぎまわって、べたべたとくっついてまわったんですって! そんなことをしたら、アスランさまだって困るでしょう? でも何より、お優しくていらっしゃるから、変なプレゼントをもらったり、甲高い声でわめかれても」
「プ、プレゼント?? わめかれる??」
エリーゼが問いただすと、ヨゼフィーネは、彼女の方にずずいと体を寄せてきた。そして小声で言った。
「どうやら、本当の事らしいのよ。朝から晩までアスランさまにつきまとってキャーキャーわめいて、毎日のように変なプレゼント、渡すんですって」
「ええ……」
エリーゼは完全にひいてしまった。アスランは何しろ25歳。その彼より「年増に見える三十路に見える」女性が、そんなことをするのか……?
「みんなのアスランさまによ!」
ラインヒルデがいきなりそう言って怒りの拳を突き上げた。するとそうよそうよと、リーゼロッテやイーニッドが口々に、その会った事もない三十路の女に敵意の声を上げ始める。それを聞いているうちに、感極まったのか、ヨゼフィーネは興奮の涙をこぼしながら話始めた。
「それで、見るに見かねた近衛府のおねえさまが、アスランさまのお仕事に差し障りが出てはと、当然のご注意をなさったんですって。これ以上は、アスランさまにべたべたといやらしくつきまとうのはやめなさい!って」
「まあ……」
まあ、それはそうだろう。職場の評判だってあるんだから。だが、エリーゼは何か言いかけて絶句してしまった。
「そうしたら、その赤毛の魔女、なんて言ったと思う?」
既に……バルバラは……ヴェンデルは……赤毛の魔女で魔族呼ばわりである。
「”私はアスランさまに正式なご紹介をいただいた友達です。個人的なことなので関わらないでください”って、かっきり、その通り、言ったっていうのよ!」
「???」
「信じられる!? 正式な紹介をいただいた友達とか、個人的な友達とか、そういうことを言ったんですって! 近衛府のおねえさまが、ビックリして、そんなわけないと思って、色々突っ込んだんだけど、平然として、その通りだって言うんですって!!」
「信じられないわ!」
エリーゼは思わずヨゼフィーネに釣られてそう答えてしまった。
するとヨゼフィーネは勢い込んで頷いた。
「そうでしょうとも!」
そうなると、当然のごとく、ラインヒルデもリーゼロッテもイーニッドも、ブーイング。赤毛の魔女へと、憎しみと怨嗟の声を上げ始める。
ヨゼフィーネは、悔し泣きしながら、エリーゼへと言った。
「それで、近衛府のおねえさまがそれは本当の事なのかって、アスランさまの方にうかがって、申し訳ないんですけど、って、仕事にかこつけて、赤毛の魔女は友達なのか、言った事は本当なのかと確認したら、本当なんですって! 正式なオトモダチなんですって!!」
「ええええ……」
近衛府の事務官も、ピアノ教室の小さなファン達も、何も知らないからそうなるのだが、アスランはパーティでビンデバルドの令嬢イレーネから、付き人としてバルバラを紹介され、その後、行動に制限をそれほど与えていない。友達かどうかはともかく、ビンデバルド宗家令嬢の付き人のことを、職場でないがしろにした発言は出来ず、とりあえず、広い広い意味では友達であろうと思って、そう答えただけであった。
だが、アスランフリークの若い女性事務官は唖然としただろうし、それを、現代日本で言うところのファンクラブ内部で話してしまい、それが光の速さで、ミカエリスピアノ教室にまで伝わったということになる。
それが、ファンの解釈では、アスランの周りに出没する敵の赤毛の魔女は、「正式なオトモダチ」→「恋人」!!?
ということになってしまったのであった。ヨゼフィーネは本当の意味でのファンの友達達と話し込んで興奮して、すっかり悔し泣きの涙を流していた。アスランの事が、ファンとして、本当に大好きなのである。
「その赤毛の魔女、バルバラって言うそうよ。私この先、バルバラって名前のものは憎むわ。絶対に、触ったりしないわ!!」
全世界のバルバラさんに宣戦布告--。
すると、私もよ私もよと、同じ心境のピアノ教室のファン達が、すすり泣きながらそういうことを言い出した。
エリーゼは二回目の15歳の途中であったから、さすがに泣くまではしなかったが、驚愕もしたし落胆もした。
バルバラというのは、アスランのパーティであった、あの赤毛の大人っぽいセクシーな女性であることはすぐに判断がついた。
アスランは、やはり、ああいう大人っぽい女性の方が好きなのかもしれない。自分のような、引きこもりの、幽霊じみた小さい子供よりも。
そう思うと、胸の奥が締め付けられて悲しくなってきた。
アスランがどういう気持ちなのか知りたくてたまらなかったが、彼女とアスランの間には、共通の絆があまりになさすぎる……。




